君への愛を世界に叫ぶ
5
住民たちは、重機巨人が襲撃した地点とは町を挟んで反対側の森に避難していた。朝からニュースでは散々危機を報せていたから、各々が貴重品や食糧の類などは運んでいる。
疲れきった表情で、下草の上にシートや毛布を敷いて腰を下ろしていた。彼らからは、同じような怪物が他にも現れるのではないかという恐怖が感じられる。
まばらな人垣の中を、パトリシアに手を引かれヴァンは進んだ。アンジェラやパガニーニも後に続く。
キャロラインが座り込んでいるのが、ヴァンの視界に入った。彼女の膝の上に、誰かの頭が乗っている。
一瞬、見知っているはずなのにその正体が判らなかった。顔面は蒼白を通り越して土気色だ。瞳からは命の灯火が消えかかっている。
「おじさん……」茫然となりながら、表情を固くしたヴァンはブルースの側らに膝をついた。
たくわえた髭のお陰で辛うじて彼だと認識できた。
「ヴァン、来たか……」と彼は掠れた声で苦しそうに喋る。
既にその眼はこちらを捉えず、虚空に向けられていた。網膜には黄泉路が早くも映っているかもしれない。
膝枕しているキャロラインの表情は、一足も二足も早く訪れた夜の闇に侵食されたように昏い。希望を失っている者の顔だ。
ヴァン自身も、かつては――父母を失ってしばらくは、そういう表情で生きていた。彼は嫌々をするみたいに首を横に振る。
「ヴァン、すまな、か……った」
ブルースは突然、謝罪の言葉を口にした。同時に彼の頬を涙が伝う。
一体……――その言葉にヴァンは混乱した。目元を歪める。
今まで、まるで家族の一員のように自分を扱ってくれた人物、そんな彼が何を謝らなければいけないのか?
「パトリシアが生まれたとき、医者には『そう長くは生きられない』と言われた。生まれつき心臓に欠陥があったんだ」
話の飛躍についていけず、ヴァンは茫然と話を聞く。
「ちょうど、お前が両親と共に首都へ行っていた頃、ついに限界が来た。パトリシアが倒れた……このままでは死んでしまう、絶望に沈む俺の前に奴は現れた」
苦しそうに咳をし、彼は言葉を続ける。辛そうな表情を浮かべていた。
「イグネイシャス――オートマータのあいつは言った。『娘の命を助けたければ我々の協力者となれ。この近くには人間の残した遺跡が数多くある。そこから政府が何か重要な物を発掘しないか見張れ』と。俺には悩む時間も残されていなかった……」
ブルースの生気の失われた顔には、深い苦悩が浮かんでいる。
「取引に応じたの?」ヴァンはやっと事情を理解し、憐憫の表情で尋ねた。その声音は透明で、彼を責める調子は欠片もない。
「そうだ。機械の心臓がパトリシアの左胸には移植されている。そして、その心臓はスイッチ一つで動きを停めるとイグネイシャスに脅されたんだ。だから、俺は言われるままに従った。ヴァン、お前が首都から帰ってきて遺跡の研究を始めた後は、その監視が俺の仕事だった」
悔恨に顔を歪め、ブルースは言葉を吐き出した。
「――すまなかった」ともう一度、搾り出すように彼は謝罪の言葉を口にする。
「ううん、いいよ。パトリシアのためだったんでしょ?」
ヴァンは彼の片手を取って、両手で包み込んだ。口もとには笑みが浮かんでいる。
「許して、くれ、る、のか?」壊れる寸前のラジオのように、ブルースの声量がさらに絞られ、言葉が途切れがちになる。
その変化は、最期が近いことを物語っていた。
「勿論だよ、おじさん」彼が見えないと解っていてもヴァンは笑みをたたえる口もとに力を入れ、精一杯心を込め優しい声を出した。
そうしないと、語尾が震えて泣き出してしまいそうだ。
「ありがとう……」とブルースは声に歓喜を滲ませ、穏やかな顔になる――そして、そのまま凍りついた。
「私からもお礼を言わせて。ヴァン、ありがとう」
キャロラインが肩を震わせながら礼を述べる。
「いえ」ヴァンは何と応えていいか判らず、悲しげな表情でただ首を横に振った。
「こんなときに悪いが、ヴァン」とパガニーニが遠慮がちな声を上げる。背後に佇む彼を、ヴァンは膝立ちの姿勢で見上げた。
「メディアの姿が見当たらない」彼は周囲を見渡しながら報告する。眼差しに焦りが浮かんでいた。
ヴァンは慌てて周囲に視線を走らせる――が、彼女の姿はなかった。
「この周辺にはいなかった」そこへアンジェラがやって来る。その言葉に、ヴァンは金槌でこめかみを殴られたみたいな衝撃を受ける。
「――彼女は、知恵が保護したわ」
パトリシアが、感情を押し殺した声で言った。
突然のことに、一瞬ヴァンの理解が追いつかない。茫然と、彼女の表情を押し殺した顔を見つめる……
「彼女のせいで色々な人間が犠牲になってる。ヴァン、彼女はあなたの手には余る」
段々声音に感情がこもる。最後の辺りの科白を、彼女は早口になって捲くし立てた。
「……どういうこと?」とヴァンは恐る恐る言葉を発した。不安定な積み木の山への一突きのように、その一言がすべてを壊してしまいそうで恐い。
「あたしは、ホムンクルスの諜報組織知恵に所属しているの。任務はオートマータに通じるホムンクルス、父親を見張ること」
パトリシアはしきりにまばたきを繰り返しながら淡々と告白する。
「……な、んで?」ヴァンは瞠目しながら訊いた。どうして、そんなことをしていたのか理解できない。
「ヴァン、あなたを守るためよ」
彼女はこちらを、縋るような目で見た。先の自分の言葉を免罪符にしているような眼差しだ。
「ヴァン自身が思っているよりも、あなたの存在は大きいの。両親は血族で一、二を争う人間文明の専門家で、その発見は国に大きく貢献していた。更にあなたはそれを上回る才能を示している――でも、その思想は『オートマータとの共存』を求める危険なもの。だから、国はあたしに接触して見張らせたの。任務を引き受けることであなたを守るつもりだった」
不安が彼女を饒舌にさせている。まばたきの回数が右肩上がりに増えていた。
「でも、オートマータに知られたら、君は――」ヴァンはパトリシアの生命の安全を危惧し、気遣わしげな顔をする。
「心臓をスイッチで切れるなんて話は嘘だったの」
自分を案じる言葉を、パトリシアは少し早口に遮った。目を伏せ、父親の死に顔に視線を落とす。
「……!?」とヴァンは余りの驚きに声を失う。
それじゃあ、おじさんの死は――、彼は穏やかに逝った彼の顔を見遣った。
ブルースを抱きかかるキャロラインも眼を瞠っている。
「無駄じゃなかったよ。そのお陰で、ヴァンを守ることが出来た」
彼女は無理やり口角を持ち上げ、強い語調で言い切った。自分の言葉を信じ込もうとしているのが伝わってくる。
「あたし、ヴァンのことが好きだから……」
彼女の目尻から透明な雫が湧き出してくる。魂が溶け出したように純度が高くて濃密な泪だ。
悲しげ(ドレンテ)な泣き笑いの彼女を、ヴァンは茫然と見つめた。長いこと、彼はパトリシアと視線を交錯させ続けた……
そして、沈黙の末に彼は哀感のこもった表情で頭を振る。
「僕には君はやっぱり家族だ。それに――」
今、ここにいないことで、攫われてしまったことで彼は自覚した。
「メディアのことが好きなんだ」と静かな声でヴァンは告げた。死を宣告する医者の気持ちを彼は今理解する。
「ごめん」彼は辛そうな表情でパトリシアに謝罪した。そのまま、立ち上がって背を向ける。
――押し殺した嗚咽が耳に届いた。その声色は、どんな叱責や罵声よりもヴァンの心に深く突き刺さる。




