君への愛を世界に叫ぶ
4
息を切らして、住民の一人が町の広場に駆け込んできた。
「巨人が……巨人がこっちに向かっている!」
その場に居合わせたヴァンは、町の外れに向かって駆け出す。不足の事態に備え、回転台機構は常に装着していた。腰には騎兵刀を吊るしている。
背後では、住人たちが血相を変え、
「怪物が出たぞォォォォォ!」
「本当か!?」
「早く避難するんだ!」と叫んでいた。
外に繋がる門の前にたどり着いたとき、ヴァンの前に人影が立ち塞がった。
「よぉ、ヴァン。そんなに急いでどこに行くんだ?」
イグネイシャスだ。人を馬鹿にした笑みを浮かべている。
「例の『怪物』ってやつが町に近づいてきてるらしい。僕はそれを止めに行く」
ヴァンは早口で捲くし立てながらも、相手の様子に違和感を覚えていた。不用意に脇をすり抜けようとしてはならない、そんな気がする。
焦燥に急かされながらも、彼はその場に立ち止まった。相手を鋭い視線で射抜く。
「止めとけ。魔導兵器なんぞ、魔法盤騎手一人に止められるもんじゃねえ」
イグネイシャスは善意の忠告――とはかけ離れた明らかに相手の邪魔をしようとする意思を顔に浮かべていた。しかも、それを愉しんでいる。
「魔導兵器のことをどうして知ってる?」ヴァンの疑念が確信に変わった。問いかける声も鋭い。
魔導兵器の存在など、一行商人が知っている事柄ではない。
こんなときに……――邪魔者が現れたことに焦燥を更に募らせる。それにどうして? 同時にそんな疑問を抱いた。
回転台機構に手を伸ばそうとした瞬間――銃声が辺りに響く。彼の爪先から一センチほど離れた石畳が弾けた。
「動くなよぉ、小僧」とイグネイシャスが唇を歪めながら告げた。嘲笑を顔に張り付かせている。
……狙撃、それを悟りヴァンは歯噛みする。如何に大威力の魔術を行使できようと、それを発動する前に殺されてしまえば無力だ。
視線だけで銃弾が飛来した方向を窺う。数十メートル離れた民家の屋根の上、煙突の陰に狙撃手の姿がちらりと見えた。
「狙撃手は一人とは限らねえぜぇ」イグネイシャスがこちらの心を読んだように、言い放つ。
ヴァンは、悔しさに奥歯を強く噛んだ。相手は一枚も二枚も上手だった。真正面から戦っても勝ち目はない。
突然、銃声が鳴り響く。撃たれた、そう思いヴァンは身を固くした。――だが、傷口が発する灼熱の感覚は生まれない。
こちらを狙っていた狙撃手が屋根から転げ落ちるのを、視野の端で捉える。反射的に地面を蹴り、ヴァンは近くの路地裏に向かって駆け出していた。
何が起きたかは解らない――が、反撃のチャンスが訪れたのは確かだ。
彼のジグザグの疾駆の軌道を、一歩遅れで銃弾が追う。時間の感覚が引き伸ばされ、心臓の音が頭蓋にまで響く。
駆けながらも、回転台機構を作動させ円盤を指先で擦った(クラッチ)。
雷鳴と風の唸り連想させる音色が周囲に、発動旋律として流れる。
白熱戦は、数秒ほどで終わった。
――細い路地にヴァンは駆け込んだ。途端、頭上から人影が飛び降りてくる。振り下ろされるナイフが冷たく煌めいた。
ヴァンは前へと身体を投げ出す。地面に落ちた瞬間、無理やり上半身を捻った。
魔術発動、電撃が路地の影を一瞬消し去った。彼に襲いかかった影を閃光が捉える。
曲目は「空を纏った(スカイクラッド)」×「放電」。
悲鳴も上げずに敵は倒れた。――直後、小爆発が起きる。
「オートマータか!?」ヴァンは眼を瞠った。相手の身に起きた現象で、敵が生身でないことを知る。
だが、疑問に思っている暇はない。彼は民家の勝手口を蹴り壊す。
路地の入り口に新たな人影が現れた。敵がアサルトライフルの銃で撃ってくる。すんでのところで、ヴァンは民家に飛び込んで難を逃れた。
「くそぅ……」ヴァンは悔しさに表情を歪めた。町に危機が迫っているというのに、自分の身を守るのに手一杯の状況が悔しい。
それでも戦わなければ殺される。父と母が育ったこの町を守れる者は自分しかいない。――ヴァンは騎兵刀を抜き、新たな敵に備える。
(それにしても、連中の目的は何だ?)
†
――民家の一階で、銃声が轟く。
ヴァンは騎兵刀の切っ先で敵の首を薙いだ。
血が出ることはなかったが、硬質な手応えが返ってくる。
倒れたオートマータの胸の辺りを、刃で突き刺した。壊れた玩具のような動きを見せていた相手の動作が停まる。
……苦渋が、出血毒の如く胸のうちに広がっていた。
相手はただの機械だ、とホムンクルスの子供たちは大人に教えられる。
だが、ヴァンは両親に「彼らにも心があるんだ。だから、きっと解り合える」と教育を受けていた。
そして、実際にパガニーニと接するうちに、それが真実だということを確認したのだ。それだというのに、今、こうして自分は相手を殺している。
……そう、殺しているのだ。壊しているなどという表現は受け入れられない。何故なんだ――ヴァンは憤りと悲しみのない混ぜになった感情を抱く。
黒髪黒目の平凡な顔立ちのオートマータの死体から目を逸らし移動を開始した。
――突如、壁が粉塵と化す。その中を突っ切って、人影が飛び込んできた。
ヴァンは剣を一閃、人影を斬り伏せようとする――が耳障りな音を立てて、騎兵刀が弾かれた。
斬撃を防いだのは何と、相手の長い髪の毛だった。頬のコケた、年齢不詳の外見のオートマータだ。
(単分子製の剣が弾かれた――っていうことは、あの髪の毛一本一本が単分子製、スティールストリングか)
ヴァンは、相手の髪の毛の材質をそう推察しながら、厄介さに危機感が増す。
「俺の名前は鋼鉄の雨……」陰鬱な口調で相手は名乗る。
「ったく、なに? 騎士道精神っつーのか? 鬱陶しいから止めろよ」
スチール・レインが空けた穴から肥満体の、恐らくはオートマータであろう相手がぼやきながら姿を現した。
彼は無造作に、箪笥を掴んだかと思うと――こちらに投げつける。
唸りを上げた飛ぶ箪笥を、ヴァンは背筋を震わせながら回避。そこへ、スチール・レインが突っ込んでくる。
「肥満男。美学がないのなら、オートマータである意味はない。ただの機械で事足りる」
仲間に話しかけながら、一種の伝統芸能のような動きで髪を振り回した。破壊の嵐が吹き荒れる。
周囲の物体――テーブル、椅子、マグカップにいたるまで手当たり次第に切断された。危うく、その中にヴァンも加わりそうになり、跳躍。
階段の方へ退避した。背を向け駆け上がり、中程に達した時点で騎兵刀を一閃、木造階段を斬る。上端と下端だけが固定されている宙吊りに近い構造の階段は、それだけで使用不能になる。
「てめぇ!」ファットマンが憎々しげに怒鳴った。
ヴァンはゆっくりと倒れようとする階段の残骸を蹴りつけ、相手の方向へ誘導する。身を翻し、二階へ逃げた。
(どちらも家屋の中で相手できる敵じゃない)
彼はそう判断したのだ。
屋根裏部屋の窓を出て、屋根へと出ようとする。――窓枠が弾け、反射的に彼は屋内へ身体を引っ込めた。
退路が断たれている。一階の外は敵が固めていた。
屋根を伝って移動しようと考えたが、敵に読まれている。
遺跡の守衛を倒す術は学んでいても、戦闘というものを彼は知らない。玄人と素人の差が如実に出ている。
(こうなったら、道を作るしかない)
ヴァンは円盤の回転数を幾度も変え、複雑で奥行きのある音色を奏でる。
心の中で住人に謝りながら、極大衝撃――己に放てる最大規模の衝撃波を放った。
曲目は「暴行」×「空を纏った(スカイクラッド)」。
爆撃を受けたように壁が外側に吹き飛んだ。当然、外に陣取っていたオートマータに残骸が降り注ぐ。破片の直撃を受け、ボロ人形のように破壊される姿が瓦礫の隙間から見え、ヴァンの心は痛んだ。
(でも、殺される訳にはいかない――)
その意思を支えに床を蹴り、彼は宙に身体を躍らせた。着地の衝撃を、膝を曲げることで殺す。じん、と下半身に痺れが走った。
だが、無理やりそれを忘れヴァンは駆け出す。町中で戦闘を繰り返していては、逃げ遅れた住人を巻き込みかねない。
侵入者から町を守る壁の外を目指す。『巨人』を相手にするためにも、それは必要だ。
……銃撃がそれを妨げる。敵には、こちらを生かしたまま捕える意思があるようだ。攻撃に手加減のようなものが窺える。
しかし、怪我を負わせることには躊躇がなく、接近戦になると容赦がない。
銃弾で足止めされたヴァンに、複数のオートマータたちが素手で襲いかかってくる。例え武器を持たずとも、鋼鉄の拳は容易に岩を砕くから油断できない。
ヴァンの騎兵刀を持つ手に力がこもる。
反対の手では、回転台機構の操作を続行。
騎兵刀一本では、複数のオートマータを撃破することなど出来ない。
――そこで、ヴァンは壁の高さよりも尚巨大な影が佇立していることに気づく。
巨人――その姿を視野に収め、ヴァンは目を瞠った。心臓が早鐘を打つ。
住人の言っていた魔導兵器が既に、町へと到達していた。戦闘に気を取られ、接近を察知できなかったのだ。
鋼鉄の山が人型を成したような魔導兵器――その内部で強大な魔力が膨れ上がるのを、彼は肌で感じる。
――ッ! 戦慄がヴァンを総毛立たせた。オートマータを相手にしている場合ではなかった。
彼は反射的に衝撃波を巨人へと放つ。……次の瞬間、視界が深紅に染まった。遅れて、大地を揺るがす爆音が轟く。
葦を強風が薙ぎ倒すが如く、爆発が周囲の建物を一瞬で吹き飛ばした。魔導兵器が爆破の魔術を放った。その結果、町の数分の一が焦土と化す。
ヴァンが無事だったのは、彼が放った衝撃波が自分の方向への爆炎を相殺してくれたお陰だった。
彼に襲いかかろうとしていたオートマータたちは、巨人の魔術で跡形もなくなっている。
だが、残った建物の陰からオートマータたちが接近していた。
「そんな場合じゃないだろう!」
ヴァンは怒鳴りつけながらも、回転台機構を操作。怒りで視界が真っ赤に染まっていた。
そこへ、違う戦闘服の一団が現れる。
小隊規模五十人の男たち、彼らは腕に回転台機構を装着していた。その四分の一ほどがオートマータに魔法を放つ。
――敵の半数が一気に破壊された。
「オートマータの相手は彼らに任せなさい」
戦闘服の男の一人が、ヴァンに向かって言った。
顔には単眼鏡が組み込まれた機械を装着している。オートマータとホムンクルスを体温で区別するための自記温度測定機だ。
「あなたは……?」突然の闖入者に、ヴァンは戸惑う。
「中央の軍に所属する人間だ」相手ははっきりとした声で所属を明かした。その物々しい物腰は確かに軍人を思わせる。
――背後で轟音が上がる。魔導兵器が壁を平然と蹴破り、町の敷地へと侵入してきた。
突如、その場に第三者が出現する。パガニーニとメディア、そして……
「師匠!?」思いがけない人物に、ヴァンは驚愕した。
(来るのは知ってたけど、このタイミングで!?)
間がいいのか悪いのか、絶妙な時機の師の来訪に呆れを通り越して感心する。
「そんなことはいいの! それより、連携魔術よ」
師、アンジェラは厳しい表情で鋭く叫んだ。
「は、はい!」彼女の有無を言わせぬ口調に、反射的にヴァンは肯いていた。
アンジェラは微塵も臆した様子のない表情で、肩に下げていた騎兵銃を魔導兵器に向かって構える。
「重機巨人相手にそんな物は効かないわ!」
メディアが悲鳴に近い言葉を漏らした。
「解ってるわ、お嬢さん」とアンジェラは彼女に向かってウインクし、カービン銃に装着されたライフルグレネードの引き金を引く。
鋼鉄の巨人の前では余りに小さな四〇ミリグレネードが宙を飛んだ。頭部の辺りに直撃するが、小揺るぎもしない。――が、無機質な眼が彼女を捉えた。
アンジェラはまっしぐらに町の外へ駆け出す。その進路上には重機巨人の姿があった。彼女の挙動には一切の躊躇が感じられない。
「ついて来なさい、ヴァン」とアンジェラは何てことのないような口調で命じた。
「そんな無茶なッ!」ヴァンは悲鳴を上げながらも師に続く。
――十数秒で、巨影の足もとへたどり着いた。
自分の真下に魔術を放つ訳にはいかず、重機巨人は成人の身体よりも大きな足でこちらを踏み潰そうとする。
その脚の膝の関節を狙って、アンジェラがグレネードを発射。
至近距離からの射撃は、重機巨人の軀の隙間へと潜り込む。爆発が起き、そこから部品の破片が降った。
そこへ、一拍遅れて追いかけてきたパガニーニが加わる。同じ箇所へ、電磁加速銃の攻撃を連続して放った。
体勢を崩した隙に、アンジェラとヴァン、パガニーニは町から離れる。
「ヴァン、円盤は何をセッティングしてるの?」
走りながら、彼女が尋ねる。
「暴行と空を纏った(スカイクラッド)を!」
ヴァンは眉間に皺を寄せた表情で息を弾ませながら応えた。
「OK、こっちは石灰光灯よ」
円盤の相性が良好であることを確認し、アンジェラは満足げに肯く。
「そこのオートマータ。少しの間でいいから、奴を惹きつけられない?」
彼女は顎をしゃくってパガニーニを指名する。偉そうな態度だが、彼女がやると何故か嫌味にならない。
「了解した」とパガニーニは即答し、町からもアンジェラたちからも離れながら、重機巨人を銃撃。
重機巨人はそれに惹きつけられ、鈍重な足取りで跡を追った。
その間にヴァンとアンジェラは回転台機構を操作、激しい音色が洪水の如く入り混じる。
それでいながら、宮廷音楽家の演奏のような優雅さが、彼らの発動旋律には宿っていた。
二人の間に魂の繋がり――経が生まれている。
彼らの演奏、魔術が一つのものとして統合されていた。
――重機巨人を斃すには、八小節に渡る規模の魔術が必要だ。
その時間を、パガニーニが稼いでくれている。
彼は身軽さを生かし、重機巨人の身体の表面で跳躍を繰り返していた。
動きが遅いこと、軀の大きさが違い過ぎることで重機巨人はパガニーニを捕らえることが出来ず翻弄されている。
謳うように(カンタービレ)――一方で、ヴァンとアンジェラの連携魔術の旋律は最高潮に達していた。
「行くわよ。――あなた、重機巨人から離れなさい」
前半はヴァンに、後半はパガニーニに向けてアンジェラは声を張り上げた。
パガニーニがこちらの意図を察し、大きな跳躍で重機巨人の身体から離脱。
彼は弾丸のような勢いで宙を跳んだ。
ヴァンとアンジェラの演奏に終止符が打たれた。
直後、重機巨人に向けて業火と衝撃波の奔流が放たれる――火焔山波涛。
火山の噴火の如き勢いで、爆炎は魔導兵器を呑み込んだ。巨大な質量を持つ重機巨人が束の間宙を舞う。
落下で轟音が上がり、地面が盛大に揺れた。濛々(もうもう)と土埃が立ち昇る。
ヴァンは息を呑んで、重機巨人の様子を見守った。
本当に倒すことは出来たのか? 正直なところ不安だ。これで斃せないような相手なら打つ手がない。
……重機巨人は手足がもげ、身動き一つしない。再び動き出す気配はなかった。
安堵を覚え、自然とヴァンの膝から力が抜ける。町を守れた――責務を果たせた……その思いが胸のうちに満ちる。
目頭が熱くなった。眦から涙が零れる。
「馬鹿弟子が泣いてんじゃないわよ」アンジェラが苦笑を浮かべ、彼を見下ろしていた。
そして、パガニーニが無表情のままこちらに駆け寄ってくる。
「ヴァンッ!」更に、町の方向からパトリシアが姿を現した。
「ヴァン、ヴァン。ヴァ、ン……!」彼女は滂沱の涙を流している。充血して赤くなった眼で彼女はこちらを見つめた。
「どうしたの、トリシア?」ヴァンは立ち上がって、彼女の両手を自分の手のひらで包み込んだ。混乱の最中にる人物が現れたことで、冷静さを取り戻し泪は止まった。
「大変なの――」
その言葉で、パトリシアの報告は始まる。話す間中、彼女の声は震えていた。