タイトル未定2026/04/01 08:47
それから数日後。
戦場の匂いは、もうどこにもなかった。
昼下がりの街。
人の声、車の音、どこにでもある日常。
なのに――
「……はぁ」
ルイは、ぼんやりと空を見上げていた。
カイが横で呆れたように言う。
「お前さっきからそれ何回目だよ」
「……何が」
「ため息」
ルイは視線を戻す。
「別に、ため息なんかついてねぇよ」
「ついてるっつーの」
カイはアイスコーヒーをストローでかき混ぜながら、ニヤニヤする。
「で?」
「何考えてんの?」
ルイは一瞬だけ黙る。
言うか迷って――結局、口に出た。
「……あの人さ」
カイが即答する。
「ああ、やっぱそれか」
見透かされたようで、少しムッとする。
「別にそんなんじゃねぇよ」
「はいはい」
全然信じていない顔。
ルイはテーブルに肘をついて、ぼそっと言う。
「……気になるだけだ」
「どんな生活してんのかな、とか」
「普段、何してんのかな、とか」
言葉にしてから、自分でも驚く。
戦場で見た、あの圧倒的な存在。
血と静寂の中にいた人間。
それなのに――
(あの人が、普通に生活してるとこ……想像つかねぇな)
カイが吹き出す。
「完全にそれ、恋だろ」
「ちげぇよ」
即否定。
だが、少しだけ声が強い。
カイは楽しそうに続ける。
「いやいや、“どんな生活してんのかな”はもうアウトだって」
「興味津々じゃねぇか」
ルイは顔をしかめる。
「うるせぇな……」
でも、否定しきれない。
ふと、思い出す。
あの時の目。
冷静で、無駄がなくて。
なのに、ほんの一瞬だけ見えた――
“人間っぽさ”。
(……あの時、ちょっとだけ表情変わったよな)
あれは何だったのか。
戦ってる時とは違う、何か。
「……知りてぇんだよな」
小さく呟く。
カイがストローをくわえたまま言う。
「じゃあ探せばいいじゃん」
「は?」
「名前も知らねぇのにどうやってだよ」
カイは肩をすくめる。
「いや、あんだけ強いんだぞ?」
「絶対どっかで有名だろ。調べりゃ出てくるって」
ルイは少し考える。
確かに、あのレベルの戦闘能力。
無名なはずがない。
「……あり得るな」
カイがニヤッと笑う。
「だろ?」
そして、少しだけ身を乗り出してくる。
「で、見つけてどうすんの」
ルイは一瞬、言葉に詰まる。
どうする?
考えてなかった。
ただ――
「……会いたい」
自然に出た言葉。
カイが一瞬だけ目を丸くして、すぐに笑う。
「はい、完全に恋」
「だから違うっつってんだろ」
言い返すが、どこか力がない。
ルイは視線を逸らしながら、ぼそっと続ける。
「……でもまぁ」
「もう一回、ちゃんと話してみたいとは思う」
戦場じゃなくて。
命のやり取りの中じゃなくて。
ただの“人”として。
その時。
店のドアが開く音がした。
カラン、と軽いベル。
何気なく、ルイはそちらを見る。
――そして、固まる。
見覚えのある、黒い髪。
無駄のない立ち姿。
あの時と同じ、静かな空気。
「……おい」
カイの声が、少し遅れて届く。
「ルイ……あれ」
ルイは、言葉を失っていた。
(……なんで、ここに)
彼女がいる。
何事もなかったかのように。
普通の顔で、普通に店に入ってきている。
まるで――
最初から、この日常の中にいたかのように。
女性は店内を一瞥し、そして。
ルイと、目が合った。
一瞬の静止。
あの戦場とは違うはずなのに。
同じように、時間が止まる。
女性は、ほんのわずかにだけ目を細めた。
気づいたのか。
それとも――
覚えているのか。
ルイの心臓が、強く鳴る。
さっきまでの“気になる”なんて言葉じゃ足りない。
もっとはっきりした感情。
胸の奥で、静かに火がつく。
――初めての感覚だった。
女性は、何事もないようにカウンターへ向かった。
その背中を、ルイとカイは無言で目で追う。
店員が笑顔で声をかける。
「ご注文はお決まりですか?」
女性は少しだけ間を置いて――
「……苦くないやつ」
カイが吹き出しそうになるのを必死で堪える。
店員も一瞬きょとんとしたあと、営業スマイルを保ったまま聞き返す。
「えっと……甘めのドリンクでよろしいですか?」
「甘すぎないやつ」
絶妙にふわっとした注文。
ルイは思わず顔を覆う。
(あの人……こんな感じなのかよ……)
数秒のやり取りの末、結局「カフェラテ」で落ち着いた。
女性はそれを受け取ると、店内を見回す。
空いている席は――ルイたちのテーブルの中にしかない。
そして、迷いなく歩いてくる。
コツ、コツ、と静かな足音。
ルイの心臓が、またうるさくなる。
女性は二人のテーブルで止まる。
「……ここ、いい?」
あまりにも普通の一言。
カイが即答する。
「どうぞどうぞ」
ルイはまだ少し固まっている。
女性は椅子に座り、カフェラテを一口飲む。
そして――
「……熱い」
小さく呟いた。
その瞬間、カイが限界を迎える。
「ぶっ……!」
思いっきり吹き出し、むせる。
ルイも思わず笑いそうになるのを堪える。
(なんだこの人……)
戦場で見た姿と、あまりにも違いすぎる。
女性は二人の反応を気にする様子もなく、ふーっと息を吹きかけている。
数秒の沈黙。
やがて、女性がちらりとルイを見る。
「……会ったことある?」
ストレートすぎる質問。
ルイは一瞬だけ詰まりつつも、頷く。
「……ああ、この前の現場で」
女性は少し考えるように視線を落とし――
「ああ」
思い出した、というより“情報を照合した”ような反応。
「生きてたのね」
相変わらずの温度感。
カイが苦笑する。
「まぁ一応」
その時だった。
ガタンッ、と大きな音が店内に響く。
入口付近。
数人の男たちが、乱暴にドアを開けて入ってきた。
空気が一気に変わる。
周囲の客がざわつく。
ルイの表情が引き締まる。
(……こいつら)
ただの客じゃない。
視線が鋭い。動きも無駄がない。
女性も、カップを持ったままわずかに視線を向ける。
だが――
「……騒がしい」
それだけ言って、また一口飲もうとする。
ルイが思わず止める。
「いやいやいや、あれ無視すんの?軍人が?」
その瞬間。
男の一人が店員の胸ぐらを掴んだ。
「おい、この辺で妙な奴見なかったか?」
低い声。
威圧。
店内の空気が凍る。
カイが小さく舌打ちする。
「めんどくせぇの来たな……」
女性はその光景をちらりと見て、首を傾げる。
「……あれ、止める必要ある?」
まるで“やるかやらないか”を確認するような口調。
ルイとカイが同時にツッコむ。
「あるだろ!?」
女性は少しだけ考えて――
「そう」
カップを静かに置く。
その動作だけで、空気が変わる。
スイッチが入る音が、聞こえた気がした。
ルイの背筋に緊張が走る。
(……来る)
だが次の瞬間。
女性は立ち上がり、普通に歩いていく。
構えも何もない。
ただ、近づく。
そして――
店員を掴んでいた男の肩を、軽く叩いた。
「離して」
静かな声。
男が振り向く。
「……あ?」
その瞬間。
視界がぶれる。
次の瞬間には、男は床に転がっていた。
何が起きたのか、誰も理解できない。
女性は何事もなかったかのように言う。
「営業妨害」
残りの男たちが一斉に動く。
だが――遅い。
一歩。
二歩。
ほんの数秒。
気づけば、全員が床に沈んでいた。
静寂。
さっきと同じ光景。
違うのは――場所が“日常”だということ。
女性は軽く手を払う。
「……終わり」
そして振り返る。
ルイとカイを見る。
「これでいい?」
確認するように。
カイが乾いた笑いを漏らす。
「いや、規模がおかしいだろ……」
ルイも苦笑するしかない。
でも――
さっきよりも、距離が近い。
確実に。
女性は首を傾げる。
「問題あった?」
ルイは首を振る。
「いや……助かった」
その言葉に、女性は少しだけ考えて――
「そう」
短く返す。
沈黙。
けれど、今度の沈黙は気まずくない。
「なぁ、ちょっと話さねぇ?」
カイがニヤニヤしながら彼女に話しかける
女性は数秒考える。
そして――
「……いいけど」
あっさりと了承。
ルイの心臓がまた鳴る。
戦場じゃない。
命のやり取りでもない。
ただ、同じテーブルに座る。
それだけなのに――
妙に特別だった。
女性は席に戻り、何事もなかったかのようにカフェラテを飲む。
今度は、ちゃんと冷ましてから。
ルイはそれを見て、少しだけ笑う。
(……なんだよ、この人)
強くて。
怖くて。
でも――
思ってたより、ずっと“普通”で。
そのギャップが、胸の奥にじんわり広がる。
気づけば、さっきより自然に言葉が出ていた。
「……なぁ」
女性が視線を向ける。
ルイは少しだけ笑って言う。
「名前、教えてくれよ」




