第0話 設定
この新世界には、かつて神霊が存在していたらしい。しかし、彼らが去った後、三つの国が無秩序に勢力を拡大しはじめ、三大連邦を構成することとなった。彼らは、それぞれの美徳の面影をわずかにとどめたまま、三毒が際立つ存在へと変貌していった。
三毒、すなわち貪瞋痴。
貪は、欲望のまま私利私欲をむさぼり、他人に分け与えないこと。
瞋は、怒り、憎しみ、恨みなど、心の毒に蝕まれていること。
痴は、思い込みや目先の損得に囚われ、ものごとを正しく判断できないこと。
貪であるイエンカ連邦は栄華の国である。この国は、ある時期を境に急速に台頭し、華々しい現代文化の担い手として世の人びとを惹きつけているが、同時に、大量の貧民を生み出しつづけ、諸々行き詰まっては周辺国を併呑し、国民の支持を得ようとする。
瞋であるセイグウ連邦は神秘の国である。神霊が存在していた時代が終わり、それと同時に失われたはずの呪術を、この国はいまだ有している。神秘主義の人びとにとって魅惑の国であるが、同時に、その呪術を背景に怪しげな支配を行い、澱んだ暗い渇望のもと周辺国を併合しつづけている。
痴であるジュリル連邦は平等の国である。かつてそこは生あるものが寄り付かぬ荒野であったが、開拓者らによって、世界で最も貧富の差の少ない国が立ち上げられ、その理想に共感する周辺国との合邦を繰り返した。しかし、豊富にあったはずの資源が枯渇すると、そこには経済発展の原動力となるものが乏しく、侵略によって経済を維持するようになって行った。
国々の名は、山海経に出てくる国名――厭火、青丘、柔利、黒歯――に似通っているという指摘があり、その説が発展して、この新世界はときどき旧世界と接続しているのではないかとも考えられている。実際に、イエンカやセイグウを経由して、旧世界の技術が流通しているから、どこかに旧世界につながる場所が存在するのかもしれない。
その新世界には、人種のちがいというものがなく、皆、日本人に似ている。肌の色は多種多様ではあるが、それは日本人と同じで、焼けばコーヒーのように黒くなり、焼かずに手入れを怠らなければ透き通った白い肌になる。言語にしても、基本構造は日本語と似通っていて、源流は同じではないかと考えられている。これほど似たところがあるのだから、日本人は彼らから分化したのではないかとさえ考えられている。旧世界でも、山海経の扶桑は日本のことを指すと言われていたが、そうした説は正しく、この世界こそが日本人の本当のルーツなのかもしれない。
三連邦が民族的に同じだという前提で考えると、ちがう歴史をたどっていれば、日本も貪瞋痴いずれかの文化に染まっていたかもしれない。実際、個人を見れば、日本にもあの手の人たちはいる。つまり、これからの日本が、進む道を誤れば、彼らのようになって行く可能性も考えられるのだ。その可能性は多くの日本人を戦慄させ、新世界で「真」の文化を根付かせる土壌をつくり出した。
日本国は、突如として空が赤く染まり、空の色がもとに戻ったときには、三つの連邦国家に挟まれた海域に転移していた。数十年前のできごとだ。当時、三連邦は、きっかけさえあれば、すぐに世界大戦がはじまる状況にあった。そんなにらみ合いの直中、問題の海域に日本列島が出現する事態になった。
日本列島の出現によって、三連邦は、異変に備えるため、急遽停戦に合意することになった。それは、この世界にとっては僥倖と言える出来事であったが、日本国にとってはそうではない。当時は三連邦合同で日本へと攻め込んで来る気配さえあったのだから。そんな状況で、日本国は、いつもの憲法九条の理屈を前面に押し出し、三連邦の脅威とならないよう戦力を放棄することを宣言した。これまでのように自衛隊を保持したままではあるが。いままでとはちがうのは、法制度によって国民に低姿勢を強いること。そうしなければ、日本は滅亡していた可能性もあるほど危険な状況だった。
現在、日本国民の生活は平和であり、不自由はない。しかし、ひとたび目に見えない境界を越えてしまえば、そこには貪瞋痴三連邦がしのぎを削る厳しい現実が存在している。軍事国家である三連邦と異なり、武力を放棄した日本は、他国から蔑視される状況になり、水面下では、他国によるさまざまな工作が行われている。それにひとたび巻き込まれることになれば、もう元の生活に戻ることはできなくなる。その命が尽きるまで。




