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魔導都市の記憶外科医  作者: 紅茶


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2/10

白亜の虚無

 魔導都市の喧騒から切り離された北区、白亜の石壁に囲まれた貴族別邸。


 シドに導かれて足を踏み入れたそこは、裏通りの「記憶外科」とは正反対の、過剰なまでの清潔さと静寂に支配されていた。


 豪奢な調度品が並ぶ応接室には、微かに花の香りが漂っている。


 だが、その香りの下層には、バルツの鼻を刺激する特有の匂い――魔力的な防腐処置と、消毒薬の冷たい気配が潜んでいた。




「お招きいただき光栄です、エレーネ閣下」




 シドが慇懃に頭を下げる。


 その背後で、バルツは無造作に部屋を見渡していた。


 部屋の主、エレーネ・フォン・ローゼンスタインは、深紅のドレスを纏い、優雅な所作で茶を啜っていた。


 その美貌は非の打ち所がないが、瞳の奥に宿る光は凍てつくように冷たい。


 彼女にとって、この世の全ては自身の野望を彩るための「部品」に過ぎないのだ。




「挨拶はいいわ、シド。……それで、この男が? 帝国の歴史を外科手術のように切り刻めるという専門家は」




 エレーネの視線が、値踏みするようにバルツを射抜く。




「バルツだ。記憶の鮮度を保ったまま、望む形に整形してやるよ。それがどれほど腐りかけた脳だろうとね」




 バルツの不遜な言葉に、エレーネは不快感を示すどころか、満足げに口角を上げた。




「いいわ、ついてきなさい。あなたの『仕事場』を見せてあげる」




 案内されたのは、屋敷の最深部にある円形の寝室だった。


 中央の天蓋付きベッドに、その少年はいた。

 一見すれば、天使のような美少年だ。


 若き日の皇帝を彷彿とさせる面差しをしているが、その肌は磁器のように白く、胸の上下以外に生命の躍動を感じさせない。




「これが『器』よ」




 エレーネが少年の髪を愛おしげに、しかし感情の籠もらない手つきで撫でる。




「まだ名前もないわ。中身が入るまでは、ただの肉の塊だもの」




 バルツは無言で少年の傍らに立ち、指先をその額に当てた。


 先刻、あの若者の記憶に触れた時の生々しい感触を思い出しながら、術式を微展開する。




「ダイブする。魂の『空き容量』を確かめさせてもらうよ」




 バルツの意識が、少年の内側へと滑り落ちた。

 ――そこは、先ほどの若者の記憶が黄金色の濁流であったのとは対照的な、「純白の真空」だった。




「……っ!」




 ダイブした瞬間、バルツの自我に強烈な「負圧」がかかった。


 通常の人間であれば、この無の深淵に触れた瞬間に自己の境界が崩壊し、意識の断片をすべて吸い取られて二度と戻れなくなるだろう。


 それは「自己消失」という名の死よりも残酷な結末だ。


 あまりの虚無感に、バルツ自身の自我が削り取られ、意識の輪郭が霧散していくような錯覚に陥る。それはさながら、清水に垂らした絵の具が際限なく広がるように




(なるほどね。何もねぇのか。徹底的なまでに。長居すると僕の自我が奪われかねない⋯⋯!)




 バルツは精神の深層で、独自の高度な防護術式――「自我のアンカー」を打ち込んだ。


 流入しようとする虚無を技術という名の鋼で遮断し、剥き出しになった魂の境界線をミリ単位で再構築していく。


 この極限状態にあっても、彼は自身の心拍と魔力を冷徹に監視し続けていた。


 並の外科医なら数秒で発狂する領域で、彼はなおも「外科医」として冷静にこの空間を分析していた。


 その白紙の空間に、バルツは一瞬、


 かつての自分を見た気がした 。


 錬金術の真理を求めていた若き日の自分。


 何かを掴もうとして、結局は何も得られず、ただ「技術」という名の冷たい殻だけを身に纏うようになった男の成れの果てだ。




(最初から空っぽなら、何かを捨てる時の痛みも知らずに済む)




 境界線が臨界点に達する寸前、彼は強制的に意識を「浮上」させた。


 バルツは意識を引き戻し、少年の額から手を離した。


 呼吸がわずかに乱れているのをエレーネに悟られないよう、彼は静かに告げた。




「……いいね。この器なら、一国一城の記憶だろうと、無限に流し込めるよ」




 バルツの脳裏には、シドが提示した報酬――「始祖の錬金術師」の記憶が浮かんでいた。


 この空っぽの器を皇帝に仕立て上げること。


 それが、自らの乾きを癒やす唯一の鍵へと繋がっている。


 重い鉄の扉が、軋んだ音を立てて閉まった。


 外の喧騒を断ち切った静まり返るリビングに、二人の足音と装備が擦れる音だけが響く。




「……ふぅ、ようやく一息つけるな」




 シドは乱暴にジャケットを脱ぎ捨て、ソファに体を沈めた。


 一方でバルツは、帰宅したばかりだというのに座ろうともしない。


 彼はコートを丁寧に脱ぎ、ワイングラスを手に取ると、そのまま夜の街が見渡せる大きな窓際に立った。


 月光を背に受け、グラスの中の液体を揺らしながら、バルツは静かに独りごちた。




「準備を始めようか、シド。世界の形を書き換える、最高に悪趣味なオペの始まりだ」




 バルツは窓の外、眼下に広がる夜の街を見下ろしながら、芝居がかった手つきで薄い手袋の端を引いた。


 その背中には、これから始まる破壊と再生への冷徹な決意が漂っている――はずだった。




「……なあ、バルツ」




 背後で、重火器のボルトを引き、乾いた金属音を響かせていたシドが、どこか呆れたような声を出す。




「この間もちょっと思ったんだが……お前、ちょっと芝居くさいよな」




 バルツの指先が、ぴたりと止まった。




「……あ?」




「いや、その『悪趣味なオペ』ってやつ。たぶん自分の中では『決まった!』って思ってるんだろうけどさ。横で聞いてるこっちの身にもなってくれ。鳥肌が止まんねぇんだわ。昨日も鏡の前で練習してたろ、それ」




 振り返ったバルツの顔は、いつもの冷静沈着なそれではない。


 眉間に深い皺が寄り、わずかに耳の端が赤くなっている。




「……士気を高めるための演出だろ。効率的な遂行には、相応の緊張感が必要なんだよ」





「演出ねぇ。だったら次は、もうちょっと脚本を練ってからにしてくれ。見てるこっちが恥ずかしくて、引き金引く指が震えちまう。この前も、エレーネからの依頼を話した日な。俺笑っちまいそうだったぞ」




 シドは肩をすくめ、重い武器を担ぎ直してドアへと向かった。


 その横を通り過ぎる際、バルツは小さく、だが確実に聞こえる音で舌打ちをした。




「……行くぞ。オペの執刀医は口の減らない助手にうんざりしているんだ」



「はいはい、了解。世界を書き換える大先生、お供しますよ」



 バルツの背中に向けてシドが投げた軽薄な敬礼。


 それを合図にするかのように、二人は静まり返った廊下へと足を踏み出した。


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