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魔導都市の記憶外科医  作者: 紅茶


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序章


 魔導都市の裏通り、錆びついた真鍮の看板には「記憶外科」とだけ刻まれている。



 薄暗い院内に漂うのは、薬品の匂いと、魔力が焦げるかすかなオゾンの香りだ。壁一面の棚には、淡く発光する結晶体――「ソウル・シャード」が、標本のように整然と並べられていた。それは人間の経験や記憶を魔力で抽出し、結晶化させたものだ。輝きの強さはその記憶の鮮烈さに比例し、大きさは費やされた年月に依存する。ここでは他人の人生が、値札の付いた工芸品として棚を埋めている。



 バルツは、拡大鏡を片目に嵌め、ピンセットで小さな結晶の表面を削っている。



 向かい側に座る客は、身なりのいい若者だ。

 しかし手の震え、何かに怯えるように目が泳いでいた。




「……本当に、これで『天才』になれるんだな?」




「正確には、『天才の経験値』を移植するだけだけどね」




 バルツは顔を上げず、淡々と答えた。




「三代続いた宮廷魔術師の家系だったけ。君に才能がなくて廃嫡寸前だとか。……このシャードには、若くして不慮の死を遂げた神童の、二十年分の修練記録が詰まっている」




「そう、それでいい! くれ! いくらでも払う!」




「金はもちろんもらうが、だけど言ったはずだよ。対価として君の『最も大切な記憶』も貰うとね。このシャードを定着させるには、魂にそれ相応の空き容量が必要になる。もっとも、その大切な記憶がこちらの『商品』に見合うかは別の話だけどね」




 バルツは作業を止め、初めて若者の目を見た。

 その瞳には慈悲も冷酷さもなく、ただ精密機械を眺めるような無機質な光だけがあった。





「たしか、君が一番大切にしているのは、家族との思い出、だったかな。……どれくらいとることになるかわからないけど、まぁ時間でいえば20年分くらいかな。才能の積み重ね分も加味すれば,下手したら全部いただくことになるかもしれないけど、本当にいいのかい?」




 若者は絶句した。

 数分間の沈黙の後、彼は絞り出すように言った。




「……かまわない。どうせ、才能がなければ家族からも見捨てられるんだ」




「なかなか薄情な家族だよね。昔はかわいがってくれたのに、いざ才能がないと相手もしてくれなくなるなんて、まぁ賢明な判断、ということにしておこうか」




 バルツは椅子から立ち上がり、若者の頭部に数本の細い針を刺した 。

 



 術式が起動し、若者の瞳から急速に光が失われていく 。



 代わりに、バルツの手元にある空の容器へ、暖かな黄金色の光が吸い込まれ始めた。




 その瞬間、バルツの意識は、接続された針を通じて若者の脳内――記憶の深淵へと滑り落ちる。




 視界が黄金色に染まる。




 鼻をくすぐるのは、焼きたてのパンの匂いと、日だまりのような体温。




 「よく頑張ったね」という、今はもう聞こえない母親の柔らかな声。




 頭を撫でる父親の、節くれだった大きな手の感触。




 それらは濁流となってバルツの意識を侵食しようとするが、彼は慣れた手つきでそれらを引き剥がし、純粋な「情報」へと濾過していく。




 若者が幼い頃に母親に抱かれた記憶、父親と笑い合った情景が、バルツの指先を通じて冷たい結晶体へと形を変えていく。




 かつて男の人生を温めていたはずの熱は、容器の中でカチリと音を立て、ただの「データ」として収まった。




 数分後、処置は終わった。




 バルツはわずかに残った脳裏の残熱を振り払うように瞬きをし、無機質な手つきで拡大鏡を直した。




 若者は虚ろな目で立ち上がり、自分の手を見つめた。




「……私は、ここで何をしていた?」




「魔術の才能を買ったんだよ。君の頭の中には今、高度な術式が刻まれている。試してみるといい」





 若者は戸惑いながらも、指先から小さな炎を完璧な形状で生み出した。




 彼は驚き、そして喜びの表情を見せたが、その喜びを共有すべき「誰か」をすでに思い出せなくなっていた。




 若者が去った後、バルツは手に入れた黄金色のシャードを棚に並べた。




「……家族の愛、か。ぶっちゃけ相場じゃ銀貨三枚分にもならないゴミだけど、案外こういうのにはまるやつもいるんだよね」




 バルツは鼻で笑い、次の作業に取り掛かった。




 彼にとって、記憶や魂はただ金を稼ぐための道具に過ぎない。



 家族の記憶というものは、例えばいままで家族を顧みなかった技術者だったり芸術家だっに売れたりする。


 

 言うなれば青春を取り戻したいというノスタルジックな感傷のために、その才能と引き換えたがる物好きが存在するのだ。




 こんなの、ただのデータでしかないのに。

 バルツにはそうした感情が理解できなかった。

 記憶を得たところで、所詮は偽物。

 しかしこれが金になるのだから、バルツはこの仕事を続けている。

 



 その時、店の奥からシドが姿を現した。




 シドは、影そのものが形を成したような男だった。




 この店で扱うどの結晶よりも深く、暗い色の外套を纏い、気配もなくバルツの背後に立つ。




 彼はこの「記憶外科」の真のオーナーであり、街の表層には決して現れない巨大な記憶の取引を差配する影の主だ。




 今はバルツの『助手』を自称し、彼をあらゆる面でサポートしている――もっとも、そのサポートの大半はバルツの「美学」への容赦ない毒舌なのだが。




 シドは、バルツが棚に置いたばかりの「黄金色の結晶」を細長い指でひょいとつまみ上げた。




 そこには、先ほどの若者が捨て去った、愛に満ちた二十年が封じ込められている。




「……相変わらず、いい仕事をするねぇ。並の外科医なら、20年分も取ったら廃人になるぞ」




 シドは低く、地響きのように重い、それでいてどこか相手を食ったような軽薄さを孕んだ声で言った。




 結晶を光にかざしながら、彼はバルツの横顔を覗き込む。




「ああそれと、客とのやり取りも見てたぞ。今回は『悪いところ』出てなかったよ」




「……仕事は終わったんだ、そいつをさっさと棚に戻してくれ」




 バルツの苦々しい返答に、シドは満足げに口角を上げた。




「はいはい、了解。大先生のご機嫌を損ねる前に、この『思い出の残骸』を金に換える準備をしてくるとしようか」



 シドは結晶を棚の隅、埃を被った「過去」の区画へと放り投げた。




「おいおい。そこに置くなよ。子ども時代13年分位は商品にするんだから。要加工棚においてくれよ」




 しかしシドはバルツを無視して、自分の都合を話始めた。




「んなことよりバルツ、景気のいい客だ。……次は、国家の記憶を盗む仕事だ」




「……国家? 景気がいいのは歓迎だけど、犯罪は勘弁な」




 口ではそう言うが、バルツは手元のピンセットを置いた。




 シドは軽薄な男だが、仕事の腕前は本物。彼の持ってくる依頼は、バルツの期待を裏切ることはない。




 その目はすでに、新しい「獲物」への興味に細められている。




「エレーネという女貴族からの依頼だ。死にかけの皇帝の脳を暴いて、操り人形の皇帝を作りたいんだとさ」




「操り人形、ね。……言葉で言うほど簡単じゃないよ、シド。皇帝の記憶ってのは、ただの思い出の集積じゃない」




 バルツは手元のピンセットを置き、背後の棚に並ぶ無数の「ソウル・シャード」へと視線を投げた。



 そこには庶民のささやかな喜びや職人の執念が詰まっているが、帝冠を戴く者の魂はそれらとは次元が異なる。




「数代にわたる帝国の機密、軍の動かし方、そして何より『自分が支配者である』という強固な自負が、魂の深層に癒着しているはずだ」




 拡大鏡を外したバルツの瞳には、冷徹な分析官の光が宿っていた。記憶とは、時として持ち主の死後もなお、生々しい毒となって術者を蝕むことがあるのだ。




「死にかけの脳なら、なおさらこびりついて離れない。下手をすれば、こっちがその濁流に呑み込まれるよ」




「だからこそ、お前にしか頼めないってことになった。エレーネの計画はこうだ。皇帝が息を引き取る直前、その『統治権』の象徴となる記憶のみを抽出し、彼女の用意した『依代』に移植する」




 ここでバルツは鼻で笑い、拡大鏡を外してシドを睨んだ。




「待てよ。記憶を抜いて抜け殻にすんじゃねーのか? 記憶だけ移してどうする?  中身を入れ替えたところで、顔が違えば門前払いだ。まさか、その『依代』とやらに整形手術でも施せって言うのかい? 僕は記憶外科医であって、彫刻家じゃない」




「その心配はいらない」




 シドは影の中から、一枚の細密画を取り出し机に滑らせた。



 そこに描かれていたのは、若き日の皇帝に瓜二つの、しかしどこか虚ろな少年の顔だった。




「エレーネは数年前から準備を進めていた。皇帝の隠し子か、あるいは禁忌の錬金術で作られたクローンか……出所は、まぁどうでもいいか」




 シドは、棚に置かれたばかりの「黄金色の結晶」を細長い指で愛おしそうに、あるいは値踏みするように撫でた。


 彼の動きには一切の無駄がなく、背負った深い闇色の外套がゆらりと揺れる。


 数多の他人の人生を覗き見続けてきたその瞳は、人の命を「工芸品」と捉える。




「だが、その『器』には魂が欠けている。そこに現皇帝の『支配者としての経験』と『私的な秘匿事項』を流し込む。声の抑揚、視線の配り方、臣下さえ知らない寝室の癖」




 シドの声は低く、地響きのように重く響く。

 彼にとって、一国の皇帝の半生さえも、磨き上げられ、作り替えられるべき「美しくも古臭い工芸品」のように捉えていた。




 その言葉には、声の陽気さとほ裏腹に、人の尊厳など最初から存在しないかのように切り捨てる、冷徹な響きが混じっていた。




「それら全てを同期させれば、世界は彼を皇帝と呼ぶだろうさ。民が求めているのは本物の人間じゃない、正しく機能する『象徴』としての、だがな」




 シドは懐から、一通の封蝋された極秘の書状を机に置いた。




「成功報酬は、魔導都市の区画一つが買えるほどの金と――そして、お前が欲しがっていた『始祖の錬金術師』の遺失記憶へのアクセス権だ」




 バルツの指先が、わずかにぴくりと動いた。



 かつて世界を再定義したとされる始祖の魂は、数千の断片となって歴史の闇に散っている。


 バルツがこれまでの人生を費やして集めたのは、そのわずか数パーセントに過ぎない。


 今回エレーネが提示したのは、帝国の極秘宝物庫に眠る、これまで未発見だった「最大級の欠片」への通行証だった。




 彼はゆっくりと椅子に深く背を預け、天井から吊るされた淡く光るシャードを見上げる。




「つまるところ操りやすい後継者に、記憶を移して好き勝手やりたいって話ね……一国の歴史が詰まった特等席の記憶か。移植してまで残したい記憶か、一体どんなことを見てきたやら」




 バルツは自嘲気味に笑いながら、しかしその瞳には、獲物を定める外科医の鋭い光が宿っていた。



「いいよ、解剖してやる。その玉座の中身が、黄金かゴミ屑か、僕が確かめてやる。……崩れかけの帝国の心臓を、僕のメスで繋ぎ止めてみせようじゃないか」




 その言葉は、静かな院内に重く響いた。



 シドは満足げに口角をわずかに上げると、音もなく闇の中へと下がっていく。


 錆びついた真鍮の看板が、夜風に揺れて鈍く鳴る。

 路地裏の小さなメスが、巨大な帝国の心臓へと突き立てられようとしていた。


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