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「話の詳細はこんなところだ。やり返されて大人しくなれば良し。体を壊して後宮から追い出されても良し。結果的に死ぬこととなったが、だからといって困るものでもない。代わりの妃はいくらでもいる」
ヤオ様は淡々と説明を終えた。
その様子は心の底から何事もないと思っていそうで、つい苛立ちから嫌味が溢れた。
「......人が死にました」
「そうだな。それで?」
返事の調子は変わらない。
普段の振る舞いとは全く違う、人間味を感じさせない回答。
日頃の言動は演技だったのかとの疑念が、まさかまた騙されていたのかとの怒りがこみ上げた。
「それで!?人の命を―――」
「愚かな女が皇后になれば犠牲者は1人や2人では足りん。国を傾かせるというのはそういう意味だ。危機を避けるための対価としては安いものだろう」
「っ!」
あまりの言葉に二の句が継げず、口をパクパクさせていると、ヤオ様は声色を変えることもなく話を続ける。
「そもそも世継ぎがいない状況で赤子を殺すなど大問題だ。そんな話が外部に漏れれば4家同士で戦争が起きる。文字通り万単位の人間が死ぬだろうな。そんな事態を防ぐためなら、私は何度でも同じ事をするぞ。これまでも、これからもだ」
ヤオ様はまっすぐこちらを見返しており、卑下するような素振りなど微塵もない。
そこにあるのは自負だけ。
自らの行動と理念に曇りがなく、全ては愛国心によるものだと訴えかけていた。
それを見てようやく、私は彼という人間の本質を理解した。
(ああ、この人は本当に皇族なのだな。人の命の価値を知った上で、数字として割り切ることができる。この帝国と皇帝陛下を守るため。そう育てられたのだ)
身分が低い者でも見下したりしない。
必要とあれば貴人でも切り捨てる。
やりたいやりたくないの話ではない、やらなければならないからやるのだ。
その姿は非情とも取れるし、理想に身を焦がす殉教者のようでもあった。
私が押し黙っていると、ヤオ様は「理解して貰えたようだな」と頷いた後、話を進めた。
「お前を選んだのは説明の通り必要だったからだ。ただの菓子作りなら他の者でもできる。目を引く技能があり、弱みから忠実に働いてくれる人間が必要だった。その点、父と弟、そして西方から送り込まれた間諜の母を持つお前はうってつけだ」
「―――!?」
驚きで心臓が痛いほど波打った。
(なぜそれを!?)
緊張で口内がカラカラに乾き、喉に軽い痛みが走る。
足元がおぼつかなくなってフラフラと後ろに下がり、壁に当たってようやく動きが止まる。
「なぜ知っているか?国の諜報機関を甘く見すぎだ。お前の母は行商だと名乗ったが、その時期は帝国内が乱れていたこともあり、西方の国々から多くの間諜が送り込まれていた時期。当然こちらも警戒する」
母が亡くなる寸前に吐露した事実。
父と自分しか知らないはずのそれが、今目の前で明らかにされていた。
反逆者として処罰される未来を幻視し、恐怖で手足がガタガタと震え、声が出なくなる。
「お前の父に近づいたのは国土に関する情報を得るためだったが、いつの間にか良い仲になって側室となった。ただ、重要な役目は他の者が担っており、お前の母に与えられたのは基本的な情報収集。だから泳がされていたわけだが、政変の際に処罰された」
ヤオ様は「全ては過去のことだが」とし、滔々と説明を続ける。
その中には私も知らなかったことが混じっていた。
「おかしいと思わなかったのか?お前の父は地質学者としては優秀だ。人格も申し分無い。復職が叶わないのは、知らぬとはいえ他国と内通していたからだ。嫡男が官職に残れているのは過去の功績に免じたものでしかない」
ヤオ様は立ち上がり、私に近寄って左手を伸ばしてくる。
思わず体がビクッと震えたが、背後は壁に防がれて逃げることができない。
そのまま私の髪が払われ、隠していた目が明らかになり、ヤオ様はそれをマジマジと見つめた。
「右目だけが母譲りの碧眼。知ってはいたが、実物は思いの外綺麗なものだと驚かされた」
碧眼は西方人の特徴であり、この目は母から受け継いだものだった。
帝国内では西方人の扱いは決して悪いわけではない。
だが子供からすれば、自分たちと異なる容姿を持つ者は別世界の住人に等しい。
それは私からしてみても同様だった。
半分だけ同じで、半分は違う。
他人と違う自分は常に疎外感を感じていた。
(自分と同じ血を引いている弟。あの子は母と同じく髪に若干の金色が混じっている)
幼い頃から奇異の目で見られ、色々と揶揄されてきたことで、私は自分自身をさらけ出せない劣等感を抱いていた。
従業員に店を任せ、自分は表に立たないのもそれが本当の理由だ。
だが、官職を目指す弟は私と違って逃げないことを選んだ。
(今は良くとも、この先どうなるか分からない。だから庇護者が必要だった)
しばしの間、私たちは黙ったまま見つめ合う。
せめて余計な疑いは晴らしたいと、ようやく絞り出した声はかすれていた。
「......私は間諜としての教育は受けておりません」
落胆するだろうかと半ば怯え、半ば期待した反論。
しかし、それを聞いてもヤオ様の表情に変化はない。
「だろうな。その点は求めていないし、むしろ好都合。最初に言ったはずだ。お前への対処で妃の人品を推し量ると」
「...それも計算通りでしたか」
どこまで行っても手の内だった。
つくづく嫌になる。
地団駄を踏む気すら起きなくなるほどに。
「......私をどうされるおつもりですか?」
ここまで事情を明かしたということは、最悪処分されるのではないかとの懸念が湧き上がる。
事ここに至っては最早恐怖すら湧かない。
だが、私の心情など気にした素振りもなく、ヤオ様は事投げもなく言い放った。
「どうもしない。これまで通り働いてほしいだけだ。今回の働きは見事だった。お前のおかげで期待通り、いや期待以上の成果を上げることができたのだからな」
「正気ですか?」
戸惑う私を前に、ヤオ様はヤレヤレと呆れ顔になった。
「ここでは西方の血が混じっているかどうかなど関係ない。そんなことを言い出せば、僻地の蛮族の血を引く妃はどうなる?三夫人たちを見ただろう?お前の菓子作りの技術と知識が何よりも重要で、この先妃たちはお前を利用して優位に立とうとする。その意味が分かるか?」
ヤオ様は言葉を止めて、私の目を見てキッパリと言い切った。
「他の誰でもない、お前自身が求められているのだ」
自分が求められている。
その言葉に頭が痺れるような感覚に襲われた。
私を丸め込もうと都合の良い言葉を並べているだけだと、頭の中で警告が鳴り響く。
それでも不謹慎ながら心が浮き立った。
(周囲から受け入れられず、周囲に溶け込めなかった私が必要とされている...)
技能であれ情報であれ、思い起こせば後宮に来てからは誰かに求められてばかりだった。
身内以外から初めて自分の存在を必要とされる。
仮に利用価値しか見ていないとしても。
歪な自己顕示欲を満たしてくれるそれは、確かに甘美な麻薬のようだった。
「改めて私の目的を説明しよう。後宮の立て直しと、皇后に相応しい妃の選出。お前にはその手伝いをしてもらう。事情を知ったのだから、これまで以上に仕事を任せるつもりだ」
「ま、まだ、仕事を続けるとは言っておりません...」
すっかり引けた腰に力を入れ、体を捻って壁際から逃げ出そうと試みる。
しかし、私の逃げ道を塞ぐように、ヤオ様はやおら手を突き出して壁に押し付けて、私の顔を覗き込んできた。
鼻先が触れそうな距離で再び視線が交差する。
「そうか。では、望みを述べよ。大任だからな。それに見合うだけの報酬を要求する権利がお前にはある」
「の、望みとは」
「何でもよい。さあ、言ってみろ」
ヤオ様の透き通った目に吸い込まれるような感覚に襲われ、自分でも何を考えているのか分からないまま言葉が漏れた。
「けっ...」
「けっ?」
「結婚相手を紹介してください」
「.........は?」
しばしの間、沈黙が部屋を支配する。
ヤオ様は困惑した表情で目をパチパチとさせ、最後には腹を抱えて笑い出した。
「け、結婚!?結婚相手を探しているのか!ハッハッハ!」
(余計な事を口走った!何をやってるんだ!?)
思わず飛び出した言葉に赤面するが、ヤオ様は苦しそうに笑い声を上げている。
そして、ひとしきり笑い終え、目尻に浮かんだ涙を拭いた。
「この状況でそんなことを言えるとは大したものだ。これなら引き取り手はいくらでもいるに違いない。いいだろう。功績に見合った、お前の家族を守るのに相応しい相手を紹介してやる」
「……本当ですか?」
「嘘など言わん。お前に裏切られては堪らんからな。我々は一蓮托生だ」
ヤオ様の顔をジッと見つめる。
先程までの冷酷な様子は鳴りを潜め、普段の人をからかうような雰囲気が戻っていた。
「それで、お前はどうする?この後宮で望みを叶えようと足掻くか、それとも諦めて外へと出るか。徳妃からも何か言われているだろうが、今ならまだ私が逃がしてやることも可能だ。今ならな」
私は逡巡する。
逃げるなら今しかない。
だが、機会もまた今しかない。
何かを期待するようなヤオ様の目。
それをまっすぐに見返し呟いた。
「私は―――」
**********
後宮。
それは国中の美女が集められ、皇帝の寵愛を得ようと競い合う場所。
豪奢な宮殿で、きらびやかな服をまとい、艷やかな化粧を施した才女たちが互いに切磋琢磨する。
「甘味役様、準備が整いました」
「ありがとう。では、配膳をお願いします」
私の指示を受け、手伝いの下女たちが茶と菓子を持って、妃たちが待つ席へと向かう。
今日は上級妃たちの茶会。
庭園に机と椅子を設置し、草花に囲まれて茶を楽しむ風流な野点式。
三夫人の茶会を知った上級妃たちによる、「今度は自分たちの番だ」との要求に答えたものだ。
事件が起きたというのに、身の危険を恐れて慎もうとする女などここにはいない。
私が無実を勝ち取ったからだけではない。
なぜなら、他の妃に遅れを取る方が彼女たちにとっては恐怖なのだから。
空席が出来た三夫人の座を得るため、少しでも優位に立たねばならないのだから。
(そんな彼女たちは愚かか?では、私は?)
事件が解決した後、結局私はヤオ様の下で働くことを選んだ。
中立の立場で情報を収集し、時には主の都合良い方向に状況を動かすための駒となる。
下手を打てば妃たちから恨まれ、殺されるかもしれない。
この先、妃たちの親類縁者が干渉してくるかもしれない。
だが、家族のためにはこうするより他に手はなかった。
(それに、認められたいという欲求。誰かに必要とされる喜び。それはここでしか得られない)
既に街の菓子屋として生きていくことに満足できなくなっていた。
ヤオ様の言葉には多少の本心が混じっていようが、実際には自分を懐柔するための甘い囁きだったことくらい理解している。
彼に都合が良い部下であることも。
失敗すれば切り捨てられることも承知の上。
傍から見れば私も愚か者の1人だ。
(それでもこの危ない橋を渡り続けると決めたのだ)
私は妃たちが待つ場所へと歩み出て、内心を悟られないよう満面の笑顔を浮かべる。
間諜の類は疑われては仕事にならない。
だから、自分も彼女たちのように取り繕う。
自分自身を騙すために。
「本日はお日柄もよく。用意した茶と菓子がお口に合えば何よりです」
後宮。
それは国中の美女が集められ、皇帝の寵愛を得ようと競い合う場所。
閉鎖的な宮殿で、取り繕った笑顔で腹を探り合い、出し抜く者を許すまいと互いに足を引っ張り合う。
後宮とはまさしく蠱毒の壺であり、ここでは望みを叶えようと誰も彼もが嘘をつく。
私もその中の1人だ。




