014 危なかったの。木広はとても危険な女なの
「危なかったの、木広はとても危険な女なの」
学園に到着して木広と別れると、睡蓮は上気した頬を押さえながら、そう呟いた。
おでこに手を当てて、先ほどの事を想いだしてまた赤面してしまう。
あろうことか木広は別れ際におでこにキスをしてきた。びっくりして木広は見ると笑顔をむけられてしまい、睡蓮は言葉を失ってしまい、何も言えなくなってしまった。
落日の双葉重工のトップである木広のことを、睡蓮は侮っていたようだ。まさかこれほど魅力的だとは想像出来なかった。人に影響を受けないと自他共に認めている睡蓮が、危うくというか、殆ど籠絡されかかってしまったのだ。
人柄、カリスマそして容姿全てが魅力的だった。
「でも、わたくしの一番好きなのは姉さまなの。だから姉さまの為には全てを利用するの」
睡蓮は自分に言い聞かせるように呟きながら、先ほど教えてもらった木広の連絡先を取りだしてしばらく見つめてから、それを大事そうにポケットにしまう。
その表情は、恋する乙女が浮かべ夢見る表情だった。
ただし、基本的には無表情なのでわかりにくかったが。
◇◇◇
「どこに行く?」
ドアノブを掴んだ手に自然に力が入る。振り返ると、花蓮がソファに座ってこちらを見ていた。手に写真を持っている。
「これを見て」
手首だけを使って写真をこちらに投げてくる。片手で掴み取る。
睡蓮と木広が写っていた。
「今日の朝に木広とすいぶん仲良しになったみたいね」
写真には木広と、木広におでこをキスされている睡蓮が写っていた。なかなか良く写っている。
睡蓮は大事にポケットにしまう。
「取っとくの? ………べつにいいけど」
花蓮が不審そうな顔を向けてくる。
「双葉の家に行くの。たぶんお泊まりする事になると思うの」
別に秘密にする必要は無かったから正直に答えると、花蓮がソファから立ち上がり、腰に手を当てて近づいてきた。
「どういうつもり?」
「姉さま、わたくしを日本に呼び戻したのは姉さまの代わりに新しい魔石採掘場の入札を引き継ぐことと、ワタル様を倒すことなの。でも日本に着いたら、姉さまは両方保留にしてしまったの。それはどうして?」
「質問に質問で返すのは良くないと思うけれど。まあいいです。まず魔石発掘場の入札の件ですけれど、ワタルさんに頼まれて今回は手を引く事にしたわ」
ことなげなに言う花蓮を思わずきつく睨み付けた。
「どういう事、なの?」
「そしてワタルさんについてだけれど、倒す必要がなくなったから」
花蓮はこちらの疑問に答えずに、話を進める。
「ワタルさんだったらゲートの魔族を封印することくらいはやれるわ。そうしたら、双葉重工は息を吹き返す」
「それは当初の計画を破棄する事になるの」
ここまで双葉重工を追い詰めておきながら、花蓮は双葉重工を救おうとしている。せっかく、あと一息で倒産させる事ができるのに。
「理由が知りたいの。納得できないと、従えないの」
もしも花蓮がワタルに骨抜きにされた事が原因であれば、花蓮に従うつもりはない。
「ワタルさんに頼まれたから、と言ったら睡蓮はどうするつもり?」
花蓮は意地の悪い顔をしている。口元がニヤリとふてぶてしい。睡蓮がどう思っているのか分かった上で、あえてそう言っている様子だった。
「もしワタル様が原因なら、その原因を排除するの」
花蓮が微かに目を細めてとても嬉しそうな表情を、はっきり浮かべた。睡蓮は思わず後退った。
久しぶりに花蓮のその表情を見た。
「ね、姉さま」
睡蓮は自分の姉に対して恐怖した。何年か前に見た時に比べると、数段凄みが増している。悪魔のような顔だった。
花蓮は見た目が天使のような清らかな姿と顔付きをしており、崇高なオーラがある。今もそれは失われておらず、ただそれに邪悪さが加わっている。
睡蓮は恐怖と同時に神に相対した時のような幸福感を感じる。
聖なるモノとそうでないものを花蓮は内に秘めている。
姉が悪魔と契約を結んでいる、という黒い噂を思い出した。
「あら、ごめんね。怖がらせてしまったようね」
こちらがどう思っているのか気づいたみたいで、睡蓮が元の無表情にもどる。
「ねえ、あたしも一緒にいってもいいかな?」
いつもの花蓮に戻っているが、睡蓮は自分の膝が震えるのを止める事ができなかった。それほどまでに先ほどの姉さまは凄かった。
だからこそ愛おしい。
睡蓮は光よりも陰に惹かれる性癖がある。だから花蓮から漏れ出す黒く澱んだ毒のような力に、ずっと魅了されていた。
だから断る事なんかできない。
「姉さまが何をしようとしているのか教えて欲しいの」
花蓮がワタルに籠絡されると思った自分がバカみたいだ。そんな事はありえない。
「潰すよりも、あいつらと戦ってもらった方がよいと思わない? 今までは、双葉にそんな力がなかったから潰す事しか選択肢がなかったけれど、ワタルさんのおかげでそれが可能になったと私は思うの」
花蓮の口元が微笑みの形を作る。しかし、無表情は保っている。
「姉さまの考えている事は分かったの。でも、そこまでワタル様に力があるとは、わたくしは思えないの。あいつらと戦って無事で済むとは思えないの」
聖石を操る者。
魔石を操る我々の天敵に双葉をぶつけるのが花蓮の考えだ。しかし、それは無謀だとおもってしまう。花蓮はワタルの事を高く評価しすぎだ。
「無表情でいる割には時々見せる感情が分かりやすいから、睡蓮が思っている事はわかるわ。………あまり私のマネをしなくてもいいのよ? もっと素直に感じた事を顔に出してもいいのに。きっとその方が可愛いわよ。で、話を戻すけれど、私だって危惧を持っている。だから双葉があいつらに一方的にやられ無いために、打てる手は打つつもり。そのひとつが新しい魔石採掘場の権利を双葉に譲ることなの。それとは別で睡蓮にやって欲しい事があるんだけど」
「何をすればいいの?」
無表情のままだったが、何となく花蓮が楽しそうにしている、と感じた。
「双葉とワタルさんがどの程度の実力があるのか、手段は問わないから試してみて」
花蓮の意図を読む。
「わたくしは本気になると、からめ手でえげつない事をする事になるの」
「それでいいわ。………あいつらと戦っても生き残れるくらいの力があるかどうか分かればいい」
「分かったの」
睡蓮は頷いた。
「とりあえず、いい機会だから今日は様子を見にいきましょうか? それから、睡蓮のやる事には口を挟まないから好きにしていいからね」
花蓮はソファにもどり、後ろにあったバッグを手にとって戻ってきた。
「すでに用意をしていたの?」
はじめから一緒に行くつもりで用意していた様だ。肩を叩かれる。
「当然でしょう」
そう言った花蓮が少し思案する。
「ワタルさんも居るはずだから、絶対に一緒に行くわよ」
「………姉さま、確認したいの。姉さまはワタルさんの事をどう思っているの?」
「好きよ」
即答だった。
花蓮がわずかに顔を赤らめている。そんな態度を取るくらいだから結構真剣に思っているのだろう。しかし、そんなワタルの事さえ平気で利用するのが、花蓮だった。
「好きな人を利用して心が痛んだりしないの?」
だからそう尋ねてみた。
「どうして心が痛むの?」
花蓮は本気で分からないようだった。
「好きな人を利用する事に、普通の人は罪悪感を持つものなの」
「………ごめんね。その考えはやっぱりわからないわ」
まあ、花蓮には分からないのだろう、それはそれで納得してしまう。
「時間があまりないの」
睡蓮は時計をみてそう言った。
「あと少し話しておきたいことがあるけれど、歩きながら話してあげるわ」