3.あなたの思いをきかせて
「奥様!一体どこに行ってらしたのです!」
と言うところから、メイドたちの言葉は始まった。
「そうです!旦那様がずっと探して‥‥あ、いえ、ひとまず夕食にいたしましょう。それから、湯浴みです」
「‥‥え?ええ、ありがとう」
もう昨日から色んなことが起こり過ぎである。ぼんやりとしているうちに、あれよあれよと食堂に連れて行かれたルシアは、落ち着かない気分のまま軽い夕食を終えて、今度は浴室へと連行された。少し既視感のあるメイドたちの様子に、ルシアはふっと微笑む。今日は、いや昨日から本当に目まぐるしい。
「奥様からの先触れがあった後に、旦那様も帰宅されたんですよ。それなのに奥様がいつまで経っても屋敷にいらっしゃらなくて、それはそれは慌てていましたわ。すぐに馬の準備をさせて‥あちこち探し回っていたようです。ですから、奥様が帰ったと知ったら旦那様のご機嫌もすぐに元通りですわ」
「‥‥どうかしら。それで、旦那様の体調はいかがです?」
「体調ですか?体調は悪くなさそうですが‥元気はありませんし、気落ちしています」
「そうなの‥それは心配ね」
浴びた薬の離脱症状だろうか。
「‥‥‥」
メイドのジーナが物言いたげにルシアを見つめる。でも、手は休めない。
いつになく丹念に磨かれたルシアは、ジーナにナイトドレスを着付けてもらっているのだが、はて?と小首を傾げた。
こんなナイトドレスがあっただろうか。デコルテが大胆に開いた少し不埒な意匠のそれ。鎖骨と胸の谷間がほんのりと微笑みかけてくる。黒の布地はまろい光沢があり、たっぷりとしながらも体のラインが浮き上がる、そんな悩ましいナイトドレス。その布地の端々には、しっかりとした造りの黒のレースがが縫い付けられて、ちらちらと素肌が覗くのだ。
「‥‥こんなドレスがあったのですね」
「はい!旦那様渾身の一着ですわ。‥‥‥よくお似合いです」
「わたくしに?」
「?‥‥勿論そうです。一緒運命選んでおられました」
「まあ‥‥そうだったの」
それはルシア宛のものでは無い気がするが、わざわざ訂正することではない。今までそうだと言って服を贈られたことはないし、好みを聞かれたことすらないのだから。
「でも‥‥ちょっと大胆すぎないかしら?恥ずかしいわ」
「!!そんなことはありません」
「そうです!それを着てチョチョイとすれば、全部うまくいきます!!」
「ちょちょい‥‥」
「全くその通りです!旦那様もほいほい元気になって、朝までズッタンバッコンです!!」
「‥‥ほいほい‥‥ずったんばっこん‥‥」
メイドたちの勢いにルシアは負けている。しかし、ルシアはやっと処女を脱したのだ。彼女たちの言わんとすることが、今では明瞭に理解できるのだ。ついつい、昨日のことを思い出して、頬に熱が集まってくるのを感じていた。
「奥様!旦那様の前で出さず、一体どこで出すおつもりなんです!そんなのいけません!!いけませんよ!!」
「え?ええ、そうね‥‥?」
「「だめですよ!」」
「‥‥‥」
受け答えをしながらも、ルシアの意識は昨日のことに向いたまま。あのずっしりとした肉体の動きや荒い息づかいを思い出し、体の奥がとろりとほどけていく。
「「!!!??」」
ルシアがゆっくり息を吐く。その悩ましさにメイドたちは固まった。
「‥‥お、奥様?」
「‥‥ええ、ごめんなさい、大丈夫よ」
「「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」」
メイド達の視線がルシアに突き刺さる。
◇
「あの‥‥ここから?」
メイド達に左右を固められたルシアはウェルテルの部屋の前に来た。ところが、そこでメイド長のハンナ⋯邸内の発言力No.1の実力者が、正面の扉よりも、続き部屋であるルシアの部屋の扉から入ったほうが良いのではと言い出したのだ。
そんなことを言われても、続き部屋を気軽に行き来するような関係性ではないのだ、ルシアとウェルテルは。でも、メイド達を前に不仲を公言する気にもならない。己の立場が悪くなるだけだろう。曖昧に微笑みながら、ルシアは気後れしたまま続き部屋の扉を開いた。
◇
扉を開くとカウチに沈むように座りこみ、うなだれるウェルテルが目に入った。そろりそろりと近づいてその横に腰掛ける。そこで、やっとこちらを向いたウェルテルと目が合った。ウェルテルが信じられないものを見るように、ルシアをまじまじと見つめてくる。
「旦那様‥‥」
「‥‥‥こっちに」
想定していた会話を飛び越し、誘われたのは、なぜか寝台の上だった。促されて、広い寝台の端に腰掛ける。ウェルテルも横に座り、その重さで寝台が沈み込んだ。
「その‥お加減はいかがですか?」
「‥大丈夫だ。ありがとう」
「‥‥行き先もはっきり言わずに、外出してごめんなさい。反省しましたわ」
ウェルテルの声音からは何も読み取れない。ただ、じっとルシアを見つめるその深い蒼の瞳に、正体不明の仄暗さが見えた気がして、ルシアは居心地悪く指先をギュッと握った。
「‥‥昨日のシャンパンのような色も美しかったが、黒いドレスもよく似合う‥‥‥‥夜会の時に君は‥‥淡い色のドレスをよく着ていたが、一度だけ濃いピンクのような紫のような‥なんといったらいいのか」
「‥‥ローズピンクでは?」
「‥‥ああ、そう言うのか。‥‥それがとても美しくて‥でも、目立ちすぎたのか、少し居心地が悪そうだっただろう?だが、その少し戸惑った様子も可愛いらしかった」
「‥‥‥‥‥」
ルシアは、ウェルテルのことがいよいよ分からなくなってきている。錯乱状態は解けたようだが、かけられる言葉の類は昨日と同じ温度を持っていた。
「すまない、気持ち悪いな」
ウェルテルは困ったように笑い、しばらく重い沈黙が降りる。ウェルテルが考えあぐねるようにして、言葉を紡いでいく。
「‥‥恋人を持つのはかまわない」
「え?」
ルシアは不意を突かれ、まじまじとウェルテルを見つめた。
「しかしだ、ルシア。それは貴族の女性としての義務を果たしてからだ。わかってくれるね?」
「‥‥‥はい」
つまり、自分もそうしたいから対等な条件を提案しているのだろうか?とルシアは悲壮的になってしまう。
「‥子供が1人、いや2人‥‥そうだな?」
「‥‥はい」
ウェルテルがうっすらと喜色ばむ。しかし、その眉間には反して濃い皺が走る。
「‥‥それに義務を果たした後……君が産んだ子なら、私の子としてきちんと面倒を見る」
「‥‥」
一体どういうつもりでそんな条件を出すのだろう。昔のことを急に言われて、期待してしまった自分が愚かしい。
婚外子の面倒を見るのだ、ルシアの子でも、そしてウェルテルの子でも‥もしかしたらウェルテルの相手の女性は、妊娠しているのかもしれない。ルシアはどうだ。昨日やっと、やっと‥‥なんてやりきれないのだろう。取り澄ましたりせず、何か言うべき時ではないのか。ひと言くらいなら神様も許してくれるはず。
「‥‥どうして‥‥どうして、私が恋人を作ることが前提なんです?マルセルと結婚していた時だって、そんなことを考えたことも願ったことも無いのに‥私の一体どこが、そんな風に見えるんですの?」
こんな風に話せる機会がこれからもあるとは限らない。どこか破滅的な気持ちでルシアは投げかける。鼻の奥がツンとして、じんわりと涙が出てきてしまった。でも、もうどうでもいい。
「‥!?、ル、ルシア!?」
声も上げずに泣き始めたルシアを前に、ウェルテルは面白いほど狼狽えている。ルシアの中に好戦的なものがひらめく。
「‥‥恋人がいるのはあなたの方ではなくて?‥メイド達が話しておりましたわ、長く想っている方が‥‥いらっしゃるとか?このドレスも‥いえ、招いた商人から買っているものは、全てその方のための品でしょう?でも‥今夜は手違いでこの私が着てしまいましたわ。残念でしたわね」
「ル、ルシア‥‥」
ウェルテルが絶句しているのがわかる。こんなことをわざわざ口に出して、自傷行為も甚だしい。
「子供だなんて‥‥今まで指一本触れてこなかったのに‥一体どういう風の吹き回しなんです?私でなくても良いじゃないの‥‥子供が必要なことと、私であることに意味なんてないでしょう‥‥それとも私の立場を考えてくださっているの?‥‥もう失うものなんて何も無いわ‥‥実家でも修道院でも、どこだってかまやしないもの」
「‥‥‥」
とうとう何の言葉も出てこなくなる。もうおしまいだ、全部。
実家の経済問題のせいでデビューすらできなかった15歳の春。最終的には良いことづくめだったものの、不安しかなかった最初の結婚‥‥差し向けられる思いに積極的になれないのは、一体、誰のせいなんだろう。朝起きて、冷たくなっていたマルセルの体。誰のせいでもないと分かりながらも、そう思わずにはいられない。何一つとして、ルシアの思うようには行かなかった。
結果の良し悪しではない。主体的に選ぶことができなかった苦しみが、いまさらルシアに襲いかかる。
「‥‥もう出ていって!一人にして!」
「‥‥出ていくって‥‥俺の部屋だろう、ここは」
「‥‥そうでした!それでは、おやすみなさい!」
もうやけくそだ。後で笑いものにすればいい。ルシアは勢い良く立ち上がろうとした。
「あっ、こら、待つんだ」
「きゃっ」
太い腕に捕まえられて、ルシアは簡単にベッドに倒されてしまった。
「‥‥落ち着いてくれ」
またも思い通りには行かない。ルシアは悔しさで唇を噛む。なだめるように髪を梳かれ、そんなことで絆されそうになる自分が情けない。
「誤解だよ、全部。ちゃんと話そう‥落ち着いて」
子供に諭すような優しさでウェルテルが語りかけて、その厚い胸の中に抱きしめてくる。
「別にいいもの」
「‥‥君にこんな一面があるとは」
「‥‥‥幻滅したでしょう。もう放っておいて」
「だめだよ‥‥っふふ」
「‥!どうして笑うのっ!!」
「ええ?そりゃあ‥‥可愛くって‥‥子猫が怒ってるみたいじゃないか」
「‥‥‥‥ふんっ!」
ルシアが悪態をつけばつくほど、ウェルテルは機嫌が良くなるようだった。
「‥‥‥ルシア、誤解だよ。それにマルセル卿から聞いてなかったのかい?」
「‥‥‥‥‥」
ルシアはそんなの知らない!という気持ちを込めて、ウェルテルをキッと見つめた。
「‥‥‥王宮で夜会があれば、近衛も警備に入る。その時に、見たことのない女性がいると気がついたのが始まりだよ。王宮での夜会は年に何度もないが‥君のことはすぐに見つけられた」
「‥‥‥‥騙されません」
「‥‥‥うん、まあ最後まで聞いてほしい。それで、いつも俺の視線をうまく遮る人がいた。もちろんマルセル卿だよ」
「‥‥‥‥‥‥」
「ある日とうとう個人的な手紙をもらった。‥‥‥思うところがあってもう長くなさそうだから、もしものことがあれば君を託したいと‥‥」
「!」
「卿は‥‥君のことを良く考えていた」
「‥‥‥‥‥」
「まだ信じてないんだろう?もう俺だってやけくそだよ。こっちにおいで」
「?」
一体何をする気なんだろう。ウェルテルはルシアの手を優しく取って、寝室から書斎へと向かっていく。立派な書斎机の前に来たところで、ウェルテルは袖机から鍵を取り出した。書斎机にはいくつかの引き出しがある。その中で一番大きな真ん中の引き出しをウェルテルが鍵で開いた。一体そこに何があると言うのか。引き出しがゆっくりと開かれる。
「!?」
ルシアは仰天した。引き出しの中には、毛足の長い白猫を抱いて微笑むルシアがいたのだった。
「こ、この絵は…」
そう、ルシアはこの絵のことを良く覚えている。御年85歳だという絵の大家、ルカイヤ・イズリグ伯爵のあの漲る生命力を思い出し、ルシアの思考が急停止した。
「恥ずかしいが……もう昨日の自白剤の件もあるし、取り繕っても仕方ない。君に分かってもらえるように言葉を尽くすつもりだったが‥‥言葉よりも行動や態度のほうが良いと理解したよ」
「じ…?」
ローリゼン帝国と親交深いイシュタル王国出身のルカイヤ・イズリグ伯爵は、もはや理解不能の筆さばきでこの絵を仕上げていた。デュプレ邸に猫がいることを話したら、では猫と一緒にと言い出したのも彼女だった。小さな老婆は目をきらきらと輝かせながら、人間離れした画術でマルセルとルシアを圧倒した。
恐るべき速さで出来上がったこの絵は、マルセルがひとまず保管したと言っていた。でも、その後どこに行ったのかをルシアは知らされていなかった。それが、まさか、どうしてこんなところに。
「では、マルセルがこの絵をあなたに…?」
「うん、そうなんだ。でも、独身の男が既婚女性の絵を大っぴらに飾るのは憚られて…そしたら、この引き出しがぴったりだった。額から出したらこの通りだ」
「…………」
ルシアは信じられない気持ちだった。いまさっきからのことをつなぎ合わせると、つまり、ウェルテルがルシアのことをずっと前から好きだったように思える。昨日浴びたのがウェルテルの言う通り自白剤であれば、あの恐ろしい睦言も本心だったということになる。信じられない気持ちでルシアはウェルテルを見つめる。
「…………でも、朝起きたらいなかったわ」
「……ああっそれは俺が悪かった!君はぐっすり寝ていたし、呼び出されたけどすぐに終わると思ったんだ…それなのにあんなに長引いて…本当にすまない」
「……………」
初めての後朝だったのにひとりぼっちだったことが、どれほど傷つくことなのかウェルテルはわかっていないように思える。ルシアの眉間に小さな皺が寄る。それを見たウェルテルは一瞬気圧されたがらも、なお続ける。
「…………俺はずっと君が好きだったんだ。一目惚れだよ。卿が斃れたと聞いて、俺は不謹慎にも……いや、よそう。それで?君はどうなんだ?子猫みたいに拗ねているけど…自分だって教会で男と会っていただろう」
ルシアの耳の中で礼拝堂の扉が閉まる音が響く。
「…まさか見てたの?アーネストは‥‥あの人は、以前の義理の孫です。やましいところは何にもありません」
「……そうだったのか…てっきり君の恋人かと思った。だが、君はそうでもあちらは違うだろう。俺はそういうのも嫌なんだ。君と君に好意を持っている男が二人きりなんて嫌なんだよ、わかる?」
「……はい」
ウェルテルがルシアを囲い込むように両腕を書斎机についた。そのままルシアにぐっと顔を近づけてくる。ルシアが小さく息をのんだ。
「すまない、全て俺の言葉が足りなかったせいだ」
「‥‥‥でも、商人達から‥」
「君宛だよ、もちろん全部。……この私が着てしまいましたわ‥残念でした‥だっけ?良いんだよ、君に着て欲しかったんだから」
「でも、一度も‥‥」
「‥‥‥まだそんなに打ち解けていないのに、あれもこれも着てほしいなんて言えないだろう‥ちょっと際どいし」
「‥‥‥」
ルシアが自分の谷間に目を落とし、妙な納得を得る。
「じゃあどうして‥‥」
「喪が明けて早々の結婚だったし、君ともっと打ち解けてからが良いと思ってたんだ‥‥色々」
「‥‥私のことが好きなの?」
「‥‥‥うん」
「本当に?」
「本当に」
ルシアの視線がウロウロとさまよう。右を見て、左を見て、ちょこっとだけウェルテルを見て、また右を見る。頬に熱が集まって、そろりと再びウェルテルを見る。
「‥‥私も‥‥あなたのことが好きなの」
と、ルシアが小さな声で言うやいなや、ウェルテルがギュッとルシアを抱きしめて、勢い良く抱き上げた。
「きゃっ……どこに行くの?」
「ベッド」
「‥‥‥優しくして」
「もちろん」
「昨日が初めてだったの…」
「え!?」
「‥‥」
驚くウェルテルから、ツンとルシアが目を反らした。
「本当に!?」
「‥‥‥お黙りになって」
まだ何か言おうとするウェルテルの口をルシアが躊躇いがちに塞いだ。ウェルテルはすっかり舞い上がり、ルシアと朝まで気持ちを確かめ合ったとか合わなかったとか。
〜HAPPY END〜
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!




