第九話 カマヒラ警察署③
四人が外へ出た頃には、先程まで揺蕩うていた煙も消え失せていた。他に人の気配もなく、辺りは早朝や真夜中同様静まり返っている。
「あの……MSSのデータを、一体なにに使うんですか……?」
三人の後ろ姿に、おずおずと男が問いかける。
「あ、いえ! 単に気になったもので……」
皆の視線が集中すると、途端に萎縮した様子で顔を伏せた。タマはそんな彼に対し、安心させるように微笑む。
「ちゃんと人助けに使うよ。街の安全を守る為に」
「ああ……そうですか」
男はほっと息を吐いた。
「一応……この地域の治安が基準値以下に達すると、安全装置が作動する事になっているらしいです。でも、あなた達のような人がいてくれると、なお心強いです」
「…………」
タマは真摯に頷いた。この男は、決して悪い人間ではない。怖ければ逃げたくもなるし、他人にすがりたくなるものだ。それは正常な感情だ。お互い無事に二年間生き延びて、新しい国で会えたら嬉しい。責める気など微塵もなくそう考え、男のこれからを思った。
「あなたの役割は、俺達が担う。もう好きにしていい。俺達は追いかけない」
イチハナのその言葉を聞くなり、男は脱力した。とぼとぼと覚束ない足取りで去っていった。
「あの人、大丈夫かな。ちゃんと食ってけるのかな……」
男の影を追うように、タマはいつまでも視線を伸ばす。対照的に、感傷に浸る素振りのないイチハナが二人に向き直った。
「帰って策を練ろう。色々と疑問点はあるが……携帯電話でデータを閲覧出来るようになったんだ。もうこの場所には価値がないし、いても騒動に巻き込まれる」
「……あっ、そうだ!」
踵を返した二人に、シーバが突如明るい声を発する。満面の笑みだ。
「僕は寄り道したいから、タマ達は先に帰ってて」
ジャージのポケットに両手を入れ、彼は軽快に走っていった。
「なんか……俺、段々シーバの事わかんなくなってきた……」
「俺は、初めから理解出来ないがな」
イチハナがうんざりしたように言い、二人は歩き始めた。
警察署の敷地を出るなり、視界にMSSの姿が入る。イチハナは携帯電話を拡張させた。MSSのアプリケーションを起動させると、地図が表示される。タマは興味津々で、彼の背後から画面を覗く。
「へー、そんなんなってんだ。いつものマップ画面と変わんねーな」
MSSが二人の横を通り過ぎた時、その画面が切り替わる。タマの顔写真、生年月日、前住所等の基本情報の他、脳波、脈拍、血圧といった身体情報まで示されている。
「こんな事まで載ってんのか」
タマの瞬きと同じくして、画面は別の人間のデータへと切り替わった。今度はじっくり見る暇もない程に目まぐるしく、数人のそれが表示される。
イチハナは迷うふうもなく、素早く指を動かして操作する。彼の動作に、タマは視線が追いつかない。
「な、今なにやってんの? それ」
「この国の大部分が閉鎖されたとはいえ、残ったエリアにもMSSは数多く点在している。一度に全てのMSSから情報を受信しようとすると、データ量が膨大過ぎて処理が遅くなるから、ある程度範囲を絞ってモニターリングするよう設定している。……MSSの感知範囲は、本体から半径二百メートルの距離だ。その範囲は当然、各MSSがそれぞれの定められたテリトリーを往復するのに伴い随時移動する。警備員が決められたルートを巡回するのと同じだ」
タマは思わず目を輝かせる。
「イッチャンすげぇよ! もう使いこなしてるし。普通そんなすぐ出来ねぇって」
「……」
イチハナは一旦、画面を地図に固定するよう設定した。スキャンした住民のデータが次々表示されるという煩わしさを、なくす為だという。現在地を中心にスクロールした。
「あ、その赤いの……なに?」
身を乗り出し、タマは地図上の赤い点を見つめる。
「GPS登録されている、重犯罪者だ」
「え? 近くにそんな奴がいんの……」
イチハナがその赤い点に触れると、画面が切り替わる。――そこに表れたのは、シーバのデータだった。タマは口を開け、硬直した。イチハナの指が、画面右下の小さな矢印に触れる。するとページが替わり、画面一杯に犯罪の記録が並んだ。
「…………」
その内容はタマにとって、氷海に突き落とされたような衝撃だった。窃盗、暴行。成人男性撲殺、幼児絞殺といった殺人事件もある。それが八歳から十五歳手前までの間に、幾度も繰り返されている。
「……こ、れ……。……え? ……なん……」
感情が処理出来ず、タマの瞳はいつの間にか涙を零していた。
「五年前からは、なにも起こしていないらしい」
「でも……でも……」
狼狽えるタマの隣で、イチハナは淡々と続ける。
「しかし、もう罪は重ねないだろう。あいつのGPはそろそろ限界値だからな」
ようやく顔を上げ、タマは彼へと視線を定めた。
「じ、じーぴー? グランプリ?」
「なんだタマ。知らないのか」
「……し、知らない……」
「……GPというのは、ギルトポイントの事だ。犯罪にはそれぞれポイントが設定されていて、悪質な犯罪程数値が高い。シーバのデータをもう一度見てみろ」
タマは眉根を寄せ、また画面に目を向ける。シーバの顔写真の横には、GPという文字と数字が表示されている。
「あいつはもう、六百九十八GPも溜まっている。例え逮捕する警察官がいなくなったとしても、MSSの前で犯行に及んで千GPに達したら……」
「達し、たら……?」
「頭に埋め込まれているチップのデータが上書きされ、自動破裂する。遠隔的な死刑執行だ」
あまりに平然と事実を並べる彼が、タマは信じられない。
「……い、イッチャン……なんでそんな事知ってんの? もしかして昔、ケーサツとかだった?」
「これくらいの情報、報道番組で散々流れている」
「…………」
そういえば確かに以前、そんな話もニュース番組で聞いた気がする。しかしまさか身近な人物が、この制裁の対象になりそうだとは。タマは自分を落ち着かせようと、大きく深呼吸した。
「……シーバも、知ってんのかな……その事……」
「知っている。三百五十GPに達した時点でGPS登録は自動でされるが、拘留された際にそういう説明を必ず受ける」
「…………」
「言っとくが、俺は犯罪歴があるわけでもないからな」
イチハナが、断言した瞬間だった。
『消去しました』
手の中の携帯電話が、女の声色でそう発した。画面には、先程の警察官のデータが表示されている。五秒程経過すると、画面はまた元へ戻った。
「……なに、今の……」
「MSSの前で、誰かが死んだ時の通知だ。心停止等でなく確実な死と判断した時点で、データは相関関係にあるチップ諸共抹消される。その際の……」
「それも……ニュースで……?」
タマは、はっとした。
「えっ……って事は……さっきの人……し、死んだの? な、なんで……?」
「…………」
「なんで……! なあ、イッチャン」
「――秘密を知る部外者は、いないほうがいいだろ?」
二人が声を振り返ると、シーバがそこにいた。薄笑いを浮かべている。タマは目を見開いたまま、なにも言葉が出てこない。
「……お前が殺したのか、シーバ……!」
拳を握りしめ、イチハナが鋭く睨みつける。
「僕は直接なにもしてない。事故だよ、事故。アクシデント」
イチハナの拳が、わなわなと震えた。シーバはそれすら気にしていない様子だ。小馬鹿にしたように、首を斜めに傾ける。
「むしろ〝ノア〟にとっては、いい事じゃないか。喜んでくれると思ったのにな」
「喜ぶ、だと……?」
「好都合だろ? 捜査する人間も、僕達の秘密を知る人間もいないんだ。MSSの視界に入らない場所でさえあれば、犯罪し放題」
「…………」
イチハナが、急に口を閉ざした。代わりにタマは身を乗り出す。
「し、シーバ! だって、俺達の目的は……!」
「秩序を維持する事だろ? その為だよ」
「…………」
「〝MSSが見張っていない場所での犯行は、取り締まられる事がない〟……という事実は、僕達以外の人間は知らない。だからそれを誘因とした犯罪に関しては、当面起こらないはずだ。僕達は、現状の悪を潰していけばいい」
「…………」
「きっと簡単だよ。だって僕達はいざとなればその悪者達を、MSSがいない場所で殺せばいいんだからさあ」
真っ黒な前髪の隙間から覗く、氷のようなシーバの目。タマはイチハナの横で、その眼光に体を押さえつけられていた。
【続】