第十話 センノ区一丁目路地裏①
十月になり、エアコンを消した状態でも寝苦しい夜が減った。タマは腹部にかけていた布団を、目を閉じたままゆったりと剥ぐ。まだ眠気を取り去れない。
「あーあ……。なんか、すげー寝たかも……。今何時?」
「八時」
シーバの声を聞くや否や、タマは飛び起きた。
「やっべ! 物資貰いに行く時間じゃん! 早くしねーと!」
慌てて着替えるタマを中央にして、イチハナは部屋の左側の壁へもたれ、シーバは右側の窓の縁へ腰かけている。
「イッチャンも行く?」
靴を履きながら、タマが左側に目をやる。しかしイチハナの視線はタマを越え、シーバへと刺さっていた。彼のただならぬ気配に、タマはびくりとする。今度は、そうっと右側を見た。
「……シー……バは? 行く?」
彼はにこりと微笑むと、ぴょんっと跳ねるように立ち上がった。
「あー充電切れそ」
携帯電話を太陽にかざすと、充電残量がわずかに増える。少しでも早くとの思いから、タマは携帯電話を高々と空に掲げてしばらく歩いた。テレビ観賞が好きな為、しょっちゅう充電不足になりがちだ。
外の世界から配信される番組は、楽しい内容のものばかり。ニュースも、競技大会での優勝者や地域の長寿者を称えるような温かい話題が占めている。一方で、残されたタマ達の地域に関わる情報は、ほとんど取り上げられない。数日前に緊急速報で流れた『これからは、配給時間が八時と十六時に変更になります』という知らせのみだった。
「今日のメシ、なにがあるかな。働かずに食べ物貰えるなんて、なんか悪い気がするよな。でも仕事ねぇし……。〝ノア〟に入ってよかったよ。ちょっとは恩返し出来るもん」
二百メートル程歩き腕が疲れたタマは、携帯電話をジーンズのポケットにしまった。隣を歩くシーバは、相変わらず黙っている。
「……また言い合いとかした?」
「別に。なんで」
「や、最近ずっと……イッチャンなんか怒ってるみたいだから……」
「そう? 元々あんな感じだろ」
区役所の入口手前まで来ると、人の渋滞が起きていた。背の高い男が二人立ちはだかっていて、他の住民の入場を阻止しているようだ。
「チケット置いて、さっさと帰れ! ここは俺達のもんだ!」
いかつい男達の声が飛ぶ。集まっていた人々は、怯んだ様子で去っていく。中には、受け取ったばかりの食糧を強奪された者もいた。何人もの住民が横を過ぎていき……そのうちにその場には、タマ達四人だけが残った。
「……」
男達に間近で見下ろされ、タマは足が竦んだ。体格からして、戦わずとも力の差は歴然としている。それでも引き下がらなかったのは、彼達をどうしても許せずにいたからだ。
「あ? なんだよ。さっさとチケット寄こせって言ってんだろ。ぶん殴られてぇのか!」
「……住民皆の物資、だろ。独り占めとか…………ゆ、許せねーよ」
「はあ? うるせぇ!」
男の拳が頬に命中し、タマはアスファルトの上に飛ばされた。脳がひっくり返ったのか、顎がずれたのかと思える程の衝撃だった。もう一人の男にシーバも殴られ、同じように倒れ込む。
「ほら、どーしたよ。立てよ」
「う……。ごめ……シーバ……俺が……」
自分が挑発したせいだ。タマはそう申し訳ない気持ちで、彼の具合を窺おうとした。
「……ふふ」
不意に、シーバの笑い声が耳に届く。
「な、なんだよ。笑ってんじゃねぇ」
男達が、たじろぐ。タマがどうにか上体を起こし見てみても、シーバは突っ伏したままじっと動かない。そのうち、鼻歌が聞こえてきた。
「なんだこいつ……気持ちわりぃ……」
顔を引きつらせ男達が見下ろしていると、ぴたっと歌がやんだ。一時、空気が止まる。
次の瞬間、シーバはバネのように軽々と跳ね起きた。目を見開き冷笑を浮かべ、サバイバルナイフを握っている。タマは、その曇りのない刃先に視線を奪われた。
「っ!」
はっと我に返り、背後を見やった。MSSが近づいている。気づいた拍子、タマは反射的にシーバへ飛びついた。
「やめろ、シーバ!」
ナイフがカランと音を立て、路面へ落ちる。二人がその場に倒れているうち、隙を突いた男達は逃げていった。
MSSの通過を見届け、タマはほっと息を吐く。立ち上がってシーバを確認してみれば、彼の表情も普段通りの柔らかなものへ戻っていた。
「……な、なんでそんな危ねーもん持ってんだよ! 来るまでに、いっぱいMSSとすれ違ったのに……絶対、ナイフ所持で犯罪登録された……!」
タマは、自分の事のように狼狽えた。泣きそうだ。しかし当人は、むしろ他人事のように笑っている。
「心配いらない。イチハナのケータイを見ながら、何度かテストした。銃刀所持は、ノーカウントなんだよ。……これがあればね」
「……」
立ち上がるなりシーバは、ジャージのポケットから警察手帳を取り出してみせた。
「これに埋め込まれてるチップで、どうやら武器が持つ波数を相殺するみたい。警察ってずるいよなあ」
「え……いや、どっからそれ持ってきたの……」
「ふふ……」
タマの問いを無視し、傍のナイフを拾う。
「このナイフは、護身用だよ。ご・し・ん・よ・う。僕達みたいな弱者は、悪者にやられないように、少しでも対策しておかないとなあ。タマも持っといたほうがいいよ」
「俺はそんな……ナイフとか……」
ふと、後ろで靴音がした。振り向くと、一人の男が笑顔で立っていた。一つに束ねた長い金髪、サングラス、タンクトップ、迷彩柄のカーゴパンツ。背は高いが、先程の男達のような凄みはない。タマは露骨に怪しんで目を細めたが、男はその対応を気にしていない素振りだ。
「心配ごむよーう。危ないねぇ。それ、しまいなさい」
そう言うと、二人にちょいちょいと手招きをした。
男の手招きに誘われるまま、道を歩いた。閉鎖した店の間の狭い路地。はたまた、草野原……。この辺りの地理をなんとなくわかっているつもりでいたタマも、初めて通る道だ。どこに導かれるのかもわからないまま、長髪の男の背中へ続く。
「君達、ここらに昔から住んでる奴じゃないね。見ない顔だ」
「……」
タマが視線を四方八方に伸ばしながら進んでいると、男はやがて足を止める。
「こっちこっち。もうすぐだから」
不審さは拭えないながらも、指の示す方向へ。歩の速度を落とし、タマはシーバに小声で話しかける。
「なあ……ほんとに大丈夫かな。こんな怪しいおっさんについていって」
「さあ」
「聞こえたぞ!」
突如男が振り向き、二人はびくっと仰け反った。
「言っとくけど、俺はおっさんなんかじゃない! おにーさんと呼びなさい!」
「…………」
年齢は、イチハナとさして変わらないようだ。しかし、この男から漂う雰囲気が、どうにも老けた印象をタマに与えた。
着いたのは、木々に囲まれたプレハブ小屋。鮮やかな青色に、蛇が這い回ったような赤紫色の柄が描かれている。窓と出入口は、一つずつあった。
「ここが俺のアジト……って言うとかっこいいけど……ま、家だ。テキトーに寛いでくれ」
促され、男に続いてタマ達も小屋へと入った。
最低限の設備は整っているようで、一人で生活するぶんには不自由のない広さだ。ピンク色を基調とした迷彩柄の壁に、戦争映画のポスターが何枚も貼られている。ポスターのないスペースには、拳銃がずらりと飾ってあった。
「あ、そこの銃は本物じゃないから安心しな」
タマの驚き顔を一瞥し、男は軽い調子で笑う。
「俺の趣味、兼、商売なんだ」
「モデルガン屋?」
「そーそー」
「へー……」
内装に圧倒され、口を開けたままのタマ。シーバは見回す事もせず、男へ向く。
「……で? なんで僕達をここに?」
「まーまー、まずはメシ食いな。さっきの喧嘩見てる限り、ありつけなかったんだろ?」
男はタマ達の肩を押さえ、半ば強引に床へ座らせた。目の前のローテーブルには、サンドイッチの乗った皿がある。
「……おっさん、なんか隠してない? なんで初めて会った俺達に、ここまですんだよ」
「おにーさんだって! ま、まあ……後で話すからさ」
男が奥のキッチンカウンターへ、そそくさと移動する。タマは皿を見ながら、シーバに少し体を傾けた。
「変なもんとか……入ってんのかな。や、でも俺達にそんな事したってなんの意味も……」
タマが小声で話し終わらないうちに、シーバは迷うふうもなくサンドイッチを口に入れた。普段住処で配給の食事をとる姿と、まるで同じだ。空腹に負け、タマも恐る恐る一口食べてみた。
「……食ったな?」
はっとして、声を振り返る。簡易キッチンの前で、男がにやりと笑っている。しまった、やはり食べるべきではなかったと後悔するタマに、男は身を乗り出した。
「これでおにーさんと君達は、同じ釜のメシを食った仲間だかんな! 仲間は助け合うもんだかんな!」
タマは脱力した。
「なんだよ……」
「ほーらほらほら、たくさん食えよ。あ、今スープも火にかけてるからな」
ぐったりしたタマの横、シーバは無言で咀嚼している。一つを食べ終えた彼は、男を見ないまま聞いた。
「……要件は」
「…………。……頼みがある」
男は急に顔を曇らせ、話し始めた。
「ここ数日、妙な奴がこの辺をウロウロしてんだ。俺の商売仲間も客も、次々殺されてる。実際殺される現場は見てないが、多分同じ人間だ」
「え? こ、殺し……?」
狼狽えるタマに、男がゆっくりと頷く。
「こ、殺してる現場見てねぇなら、同じ奴かどうかわかんねーだろ……」
「わかる。殺し方が、その……」
一度ごくりと唾を飲み、男は声を震わせた。
「……ナイフとか、銃とかじゃないんだ。長い刀で、バッサリやったような……。首とか、ど、胴体とか……切断……」
惨状を想像したらしく、全てを言い終えないうちに男はシンクへ頭を垂れ、咳き込んだ。
「ゲホッ……そ、そいつを、捕まえてほしい……!」
タマにとって、にわかには信じがたい内容だ。鼓動が速まり、寒気がする。
「……な、んで……俺達に……」
「さっきのひと悶着さ、おにーさん物陰から見てたんだ。君達は、マトモだなって思ってさ……」
「……」
シーバがナイフを所持していた事も、マトモだと思ったのだろうか。ふとそんな疑問が芽生え、タマは余計に困惑する。
それまで押し黙っていたシーバが、すっと立ち上がった。
「自分でやれよ、おっさん」
「なっ! おっさんじゃないし! それに君、俺の食糧食っただろうが! いーけないんだ、いけないんだー。ほら、潔く協力しろ!」
「嫌だ」
二人の温度差に眉を下げつつも、タマは心を固めた。不安を抱くのは勿論ではあるものの、自分自身に小さく頷く。
「ま、まあ……住民の平和を守んのが〝ノア〟の役目だしな……」
「〝ノア〟?」
「あ……〝ノア〟ってーのは、俺達グループの事だよ。街の治安を維持する為に、毎日見回りしたり、悪い事する奴ら追っ払ったりしてんの。仲間はもう一人イッチャンってのがいて、イッチャンが〝ノア〟を作ったんだ」
「へえ……。……んじゃ、そのイッチャンって奴にも聞いてみてよ。おにーさんも、出来る限り協力するからさ。皆で安全な街にしようぜ! なっ!」
男は安心したようで、再び笑顔になった。無理矢理握手をされながら、タマは目を伏せて唸る。
「でも最近、機嫌悪いからな……。俺の話聞いてくれるかな……」
「わかった。明日は、俺もその男の元へ行く」
レモン色の椅子に座るイチハナは、手元の携帯電話から視線を外す事なくそう言った。住処であるビルの窓は、夜風を受け小さな音を立てている。
意外な即答に、タマはやや目を丸くした。こうスムーズに事が運ぶとは、思っていなかった。が、イチハナは続ける。
「その男がなぜ俺達に依頼したのか……動機も信頼性に欠ける。なにが『安全な街にしよう』だ。その男は、武器の模造品を収集しているんだろう? 信用しようと思える箇所が見つからない」
「えっ? じゃあなんで明日……」
「これだけ広範囲に渡って、似た事件が多発しているんだ。犯人は、複数いる可能性がある。爆発事件が途絶えた今――人命が関わっているぶん、その連続殺人事件の犯人を突き止めるほうが優先だ。怪しい人間は端から調べていく。その男が、愉快犯という事も……」
「ちょ、ちょっと待って!」
とうとうと持論を展開するイチハナに、タマは割り入る。
「他にも同じような事件起きてんの!? いつ!?」
タマには寝耳に水だ。しかしイチハナは蔑むように、眉をひそめるだけだった。
「――〝だって……くるんだもん〟」
ドアの傍に立っていたシーバが、独り言のように呟く。
「ヒスイとマナリが言ってたじゃないか。雷の夜になると、長い髪の女が刀を持ってやって来るって。きっとそれだよ」
「…………」
タマは補足を求め、イチハナを見つめた。彼は嫌悪感を剥き出しにし、シーバを睨んでいる。シーバはその様を鼻で笑うと、外へ出ていった。
再び静かになった室内には、小窓の音しか聞こえなくなった。苛立った素振りで、イチハナは手元へ視線を戻す。
「あ……あのさ……」
タマは彼の顔色を伺いつつ、控えめに声をかけた。
「……シーバが言ってた『ヒスイ』と『マナリ』って……誰?」
「……え?」
ようやくイチハナの目が向く。やっと自分の話を聞いてくれそうだ、とタマは澄み切った瞳で答えを待った。
「……なにを言っているんだ」
しかし彼はうんざりしたように溜息を吐き、腰を上げる。
「悪ふざけするくらいなら、さっさと寝ろ」
「……」
まただ、とタマは心が痛んだ。二人はなにも教えてくれない。最近どうも仲間はずれにされ、置き去りにされている気がする。
三階へと遠ざかるイチハナの靴音が、耳に残った。
【続】




