女神降臨
隣国ガバルド王――通称「鉄壁の頑固者」との和平交渉当日。砦の私室で、シルヴィアはいつになく、凄まじい気迫を放っていた。
「よし。これならば隙はない。喉元を突かれても三秒は持ち堪えられる。……ゼクス、出発だ。これより死地へ向かうぞ」
鏡の前に立つ彼女は、全身を鈍色に光るフルプレートアーマーで固めていた。バイザーから覗く瞳は鋭く、交渉へ向かうというよりは、今から魔王を討伐しに行く勇者のような出立ちである。
そこへ、あくびをしながらユアがひょっこりと顔を出した。
「ちょ、待て待て待てーい! どこに討ち入り行く気? これ、戦争じゃなくて『お茶会』の体で行く話し合いなんでしょ?」
「お茶会などではない。交渉とは、言葉を剣に替えた戦いだ。鎧こそが相手への敬意であり、隙を見せぬという礼儀……」
「ナシ寄りのナシ! 却下!」
ユアはシルヴィアの鎧の胸当てを指でコンコンと叩き、呆れたように首を振る。
「そんなゴツい鉄着てたら、相手の頑固なおじいちゃんもビビって心閉じちゃうって。マジ、バイブス合わなさすぎて破談確定っしょ。……はい、これに着替えて! ウチがリメイクしたワンピ!」
「……ワン、ピ? まさか、この布きれを纏って戦場(交渉場)へ行けと言うのか!? 狂気の沙汰だ!」
数分後。着替え用のカーテンの裏から出てきたシルヴィアを見て、控えの間で待機していたゼクスと近衛兵たちは、持っていた槍を落としそうになった。
「……か、閣下……? どちらの国の、女神様でいらっしゃいますか……」
ゼクスの声が震える。
そこには、重苦しい漆黒の鎧を脱ぎ捨て、淡いラベンダー色のオフショルダードレスに身を包んだ「一人の美しい女性」が立っていた。
カーテンをリメイクしたとは思えないほど優美なドレープが、彼女のしなやかな肢体を包み込んでいる。ユアの手によってゆるふわな編み込みにされた髪には、庭に咲いていた小さな花が飾られ、唇にはほんのりと桜色のグロスが塗られていた。
「……スースーする。肩が出ている。守備力が、守備力がほぼゼロだぞ……!」
シルヴィアは顔面を蒼白にさせ、心もとなそうに自分の腕をさすった。
「これでは、背後から暗殺者に狙われたら一瞬で詰む! せめて、せめて鎖帷子を中に着込ませてくれ!」
「ダメだってば! せっかくのシルエットが台無し! 大丈夫っしょ、今日は守備力より『女子力』で殴りに行くんだから!」
ユアは満足げに腰に手を当て、シルヴィアの背中をパシッと叩いた。
「いい? ヴィーちゃん。おじいちゃんはね、強い女騎士と戦いたいんじゃなくて、可愛い子にお願いされたいわけ。ほら、背筋伸ばして、シャキッとして! 笑顔の先制攻撃しよ!」
「くっ……殺せ……。いや、これが異界の戦術だというのなら、信じるしかあるまい……」
鋼の女公爵は、かつてない不安と、鏡の中にいる自分への戸惑いを抱えたまま、一歩踏み出した。その足元には、鉄靴ではなく、ユアが無理やり履かせた柔らかな革のサンダルが、軽やかな音を立てていた。




