036 レイジさんがまだ若かった、ン十年前の渋谷にて
今回は、ン十年前。
レイジさんが、まだピチピチの二十代だった頃のお話です。
いつもの『気まぐれしょうもナイト』とは、ちょっとだけ趣向が違います。
ノスタルジックで。
馬鹿な若者たちが、案外ちゃんとしていた頃のお話です。
……。
いや。
ちゃんとしていたかどうかも、ちょっと怪しい。
――◇――
木曜日の午後。
システム運用を担当していた大手スーパーで、トラブルが発生しました。
レイジさんたちは客先へ急行。
十人弱で、そのまま徹夜対応。
どうにか運用を復旧させ、翌朝には本社から部長たちも到着しました。
リーダーだったレイジさんも一緒に、お客様のお偉いさんへ状況を報告。
そして、お詫び。
全部終わった頃には、もう昼前でした。
徹夜明け。
眠い。
腹減った。
帰りたい。
もう運用は復旧している。
だからチームのみんなには、
「先に帰っていいぞ」
と言ってありました。
ところが。
お客様への報告を終えて戻ってくると、いつもの三人が残っている。
「なんだ。お前ら、まだいたの?」
だったら。
「飯でも食って帰るか」
四人で歩き始めました。
その時。
今月、一人だけ負け越していた男が言いました。
「ねえ。これからアレ、行きませんか?」
……。
お前。
昨日から一睡もしてないよね?
明日は土曜日。
仕事は終わった。
みんな一人暮らし。
家へ帰って寝る理由はいくらでもある。
それなのに。
俺たちは麹町から永田町まで歩きました。
――◇――
そこから半蔵門線。
向かう先は渋谷。
いつもの雑居ビル。
四階。
いつもの場所。
「お前ら、ほんとタフだな」
仕事中はあんなに眠そうだった三人が、店から出された温かいおしぼりで顔を拭く。
「ふぅ~」
ヤカンから、そのまま湯飲み茶碗へ注がれた麦茶を飲んで。
生き返ってやがる。
さっきまで死にかけていた会社員三人が、牌を前にした途端、目を輝かせている。
人間。
好きなことなら、寝なくてもできるらしい。
何も食べていなかったので、とりあえずここの自慢……というか、それしかない。
具の形が何も残っていない自家製カレーを四つ注文。
そして。
始まった。
――◇――
ここで、メンバーを紹介しておこう。
まず。
今日、
「アレ、行きませんか?」
と言い出したコンちゃん。
まだ二十一歳。
四人の中で一番若い。
そして今月、一人負け。
今日こそ取り返す気満々。
次。
サトちん。
銀縁の眼鏡。
俺たちより少し年上。
歌舞伎町のキャバクラの元店長という、華々しい職歴の持ち主。
本人いわく、
「僕、田園調布に住んでるから」
おお。
田園調布。
すげえ。
それで一度、みんなで遊びに行った。
裏路地。
古いアパート。
雨漏りしそう。
……。
俺たちの知っている田園調布と明らかに違う。
いや。
降りた駅は間違いなく田園調布だった。
ただ、家だけが完全に田園調布を通り越していた。
そして、そのサトちん。
なぜか口癖が、
「ねぇねぇねぇねぇ。レイジさん、ちょっと聞いてぇ」
ちょっとだけ、おねえキャラ。
この日は、
「やだぁ~、やだぁ~」
と言いながら、異常にツイていました。
もう一人。
小泉くん。
レイジさんより僅かに落ちるが、かなりのイケメン。
一人でも新宿の雀荘へ打ちに行く男。
そして、なぜか俺のことを、
「兄貴分」
だと思っている。
のちに俺の無茶振りによって、結婚する羽目になる男でもある。
……。
まあ。
それは、また別のお話。
そして最後。
帰りが東横線というだけで、行きつけの雀荘を渋谷にした男。
そう。
レイジさん。
ちなみに小泉くんの家は、池袋からさらに埼玉方面です。
完全に巻き添え。
以上。
ろくなのがいない。
――◇――
何回半荘やったのか。
途中から覚えていません。
徹夜明けです。
意識も、ところどころ飛んでいます。
ただ。
一つだけ覚えている。
「勝つまで帰らせないから!」
そう言い出したコンちゃんが。
朝になっても、一人だけ負けていました。
お前。
なんで来たの?
一番勝ったのは、サトちん。
そして俺も、そこそこ勝った。
「そろそろ寒くなるし、今月はパルコでセーターでも買わせてもらうわ」
先月は、コンちゃんにスニーカーを買ってもらった。
もちろん。
本人がプレゼントしてくれたわけではありません。
麻雀です。
コンちゃんは毎月、俺の衣類を少しずつ充実させてくれます。
ありがとう。
足を向けて眠れません。
――◇――
雀荘を出たのは、夜明け前。
外はまだ暗い。
始発までは、もう少しある。
途中で二回、カレーを食べたので、さすがにもう飽きた。
四人で駅前の牛丼屋へ入りました。
コンちゃんは、完全に肩を落としている。
かわいそうなので。
三人で牛丼代を割り勘して、奢ってやることにしました。
俺たち。
優しい。
まあ。
元は、こいつの財布に入っていた八千円だけど。
――◇――
「今日、夕方から雀荘混んできたな」
「そうそう。ほんと、いつもより煙かったよね」
途中で俺が壁の窓を開けたくらい、店中がタバコの煙で白かった。
俺も吸っていた。
小泉くんのセブンスターを。
スーツのポケットが膨らむのが嫌だから、自分では持たず、いつも小泉くんにたかる。
だけど、それが最後の一本だった時だけは、気前よく新しいのを買ってやる。
優しい。
だから。
あの頃の俺たちは、だいたいいつも誰かのセブンスターの香りがした。
仕事。
徹夜。
麻雀。
カレー。
温かいおしぼり。
ヤカンから注がれる麦茶。
セブンスター。
始発前の渋谷。
今思えば。
ずいぶんと飾り気のない。
そして、体に悪そうな青春だった。
でも。
くだらないことでも腹を抱えて笑えたし。
心底楽しかった。
――◇――
バイトらしい若い店員さんが、牛丼を運んできた。
「お待たせしました」
「どうも」
割り箸を割る。
「あっ」
コンちゃん。
また失敗してる。
こいつ、割り箸をちゃんと割れたことがない。
徹夜明け。
麻雀明け。
朝四時半の牛丼。
うまい。
そんな話をしながら牛丼を食べていると。
サトちんが言った。
「ねぇねぇ。雀荘にいた時、奥の席、見た?」
一瞬。
三人とも箸が止まった。
「そうそう」
コンちゃんが声を落とす。
「なんか、コップに万札刺さってた」
見た。
俺も見た。
さっきまでいた雀荘。
その奥の卓。
コップに何枚もの万札が、縦折りで突っ込まれていた。
もちろん。
雀荘にいる時は、誰もその話をしなかった。
怖いから。
そして、その卓を囲んでいた人たちも。
首には、太い金のネックレス。
袖から覗く腕には、きっと著名な人が描いた、立派な水墨画。
……。
まあ。
そういう方々です。
小泉くんだけは、普通の顔で牛丼を食べていた。
「ああいうの、近づかない方がいいですよ」
「知ってんの?」
「俺、一人でも打ちに行くじゃないですか」
そうだった。
こいつ。
新宿の雀荘へ一人で行く。
当然、いろんな人と卓を囲む。
俺たち三人より、そういう世界をずっと知っていた。
「ああいう人たち、ああやって賭けてます」
「へぇ……」
「マジで?」
「お前、よく知ってんな」
三人とも。
普通に感心した。
小泉くん。
――すげえ。
一人で新宿の雀荘へ行って。
俺たちの知らない人たちとも卓を囲んで。
俺たちの知らない世界を知っている。
それだけで、
「こいつ、すげえやつだな」
だった。
今になって考えると。
何がそんなにすごかったのかと思う。
でも。
あの頃の俺たちにとっては、
自分の知らないことを知っている。
自分の知らない世界を見ている。
それだけで、
「すげえ」
だった。
あの頃の俺たちの「すごい」は。
たぶん。
今よりずっと単純だった。
――◇――
なんで今になって、こんな昔のことを思い出したのか。
自分でも、よく分かりません。
ただ最近。
昔より、何かを単純に、
「すげえ」
と言うことが減った気がします。
知っていることが増えたからなのか。
年を取ったからなのか。
それとも。
世の中そのものが、少し複雑になったからなのか。
よく分かりません。
もちろん。
昔の方が良かった、なんて言うつもりもありません。
だって、あの頃だって、ろくでもないことはいくらでもあった。
俺たちだってそうです。
徹夜明けに仕事が終わったと思ったら、そのまま雀荘へ行く。
朝までタバコの煙にまみれて。
同僚から巻き上げた金で、
「冬に向けて、パルコでセーター買おう」
なんて言っている。
決して、お行儀のいい若者たちじゃなかった。
ただ。
あの頃の俺たちは。
自分の知らないことを知っている奴を見れば、
「すげえやつ」
だった。
仕事に遅刻してくる奴には、
「それ、ダメだろ」
だった。
失敗したのに報告しない奴にも、
「それもダメだろ」
だった。
正しいとか。
間違っているとか。
そんな難しいことを考えていた記憶もない。
すげえものは、すげえ。
ダメなものは、ダメ。
そのくらいだった。
今より世の中が単純だったのか。
それとも。
俺たちが若くて、単純だっただけなのか。
今となっては、よく分かりません。
――◇――
始発前の渋谷。
煙たかった雀荘。
温かいおしぼり。
具の形がなくなるほど煮込まれたカレー。
誰かのセブンスター。
そして。
朝四時半の牛丼屋。
ン十年経った今でも。
なぜか、そんなものばかり覚えています。
仕事で何をしたのか。
その日のトラブルが、そもそも何だったのか。
そんな大事そうなことは、もうほとんど覚えていない。
なのに。
コンちゃんが割り箸をいつも失敗することは覚えている。
サトちんが俺の膝を揺すりながら、
「ねぇねぇねぇ」
といつも話しかけてくることも覚えている。
小泉くんを見て、三人で、
「すげえ」
と思ったことも覚えている。
たぶん。
青春って、そんなものなのかもしれません。
その時は、なんでもない一日だった。
写真を撮ることもなく。
記録に残すこともなく。
明日になれば、また仕事へ行く。
あの日もただの金曜日の朝だった。
それなのに。
ン十年経って。
なぜか、まだ残っている。
変わったのは、俺たちなのか。
世の中の方なのか。
たぶん。
どっちもなんでしょう。
あの頃の俺たちは。
今よりずっと若くて。
ずっと馬鹿で。
ずっと単純で。
仕事だけは、なんとかちゃんと終わらせて。
そのあと、朝まで麻雀をしていた。
……。
それでも。
案外ちゃんと、
良い子だったのかもしれません。




