第65話 至天の塔
『至天の塔』に行かないと、指輪は渡さない。
そう言い切ったパルテナに対し、真っ先に動いたのはルナだった。
次の瞬間には妹の背後に回り込み、しなやかに腕を絡め取る。気づいたときには、パルテナの上半身は不自然に反らされ、脚まできっちりと固められていた。見事なコブラツイストだ。
「何を隠してるの? 言いなさい」
「ぎゃあああっ」
悲鳴が青空に突き抜ける。
見た目の可憐さに反して鍛え抜かれた姉の体が、妹の関節を容赦なく締め上げる。
「い・い・な・さ・い!」
「隠してない! なにもかくしてないから! ギブッギブッ!」
パルテナの顔がみるみるうちに青ざめ、関節がヤバい角度へと追い込まれていく。
さすがに見かねて、裕真が止めに入った。
「待った待った! ちょっと見て回るぐらい良いんじゃないか!」
技を極めたまま、ルナが鋭い視線を向ける。
「はぁ? 急いでるんじゃ――」
「そうだけど! 補給もあるし、船員さんにも休息が必要だ。その間に塔を見学するくらい良いだろ?」
その言葉に、ルナははっと目を瞬かせた。
「あ……そうだったね。船が動いてる間、船員さんはずっと働いてたんだよね……。そういうこと忘れてたよ」
ルナは妹の拘束をすっと解き、それ以上尋問するのをやめた。
よくよく考えれば、パルテナは人を罠に嵌めるような娘ではない。
何か特別な、人目のある場所では話せない事情があるのだろうと察した。
一方で、裕真の頭の中はまったく別の方向に走っていた。
(も〜、ルナちゃんも気が利かないな〜。久し振りに再会した姉妹だもの、積もる話もいっぱいあるだろうに)
――などと考えていた。
一人っ子ゆえ、兄妹というものに幻想を抱いているのである。
◇ ◇ ◇
塔の入口は市街地から歩いて一時間、馬車で三十分ほどの場所にある。
現代っ子の裕真が歩くのを嫌がったため、一行は馬車を借りて向かった。
「は〜い、ここが世界最大のダンジョン、『至天の塔』になりま〜す」
すっかりガイド気分のパルテナが、両手を広げて示す。
遠目にはただの灰色の壁に見えていたそれは、近づくにつれ本来の姿を現した。
壁には無数の柱が立ち並び、華美な彫刻がびっしりと刻まれていた。
神、人、獣、鳥、魚、草木、花々など神羅万象のあらゆるものが浮き彫りにされ、途切れることなく連なっている。
町を飲み込むほどの超巨大建造物。その広大すぎる外壁を装飾で埋め尽くすなど、人の手では到底不可能だ。
まさに神々の御業である。
なお、かつては鮮やかな塗装が施され、さらに華やかだったらしいが、数千年の歳月で剥がれ落ちてしまったそうだ。
塔の足元に視線を落とすと、また驚きの光景が広がっていた。
数多くの露天が立ち並び、ちょっとした市場が形成されているのだ。
焼肉、焼き鳥、サンドイッチなどの食品。武器、防具など装備品、ポーション、解毒剤などの薬品。
その他、幸運のお守りやら宝の地図といった胡散臭いもの。
大ヒット小説『対魔騎士アストリオ』の新刊や、レギンちゃんのぬいぐるみなど、あきらかに冒険とは無関係な品まで売られている。
その光景に裕真は目を丸くする。
「ダンジョンの目の前なのに……」
この塔の難易度は『Sランク』。最上位に分類される、極めて危険なダンジョンのはずだ。
「いくら下層は攻略済みと言っても、上から危険な魔物が降りてくるんじゃないか?」
「降りてくるよ〜」
あっさりと返され、裕真は固まる。
パルテナ「それも一体二体じゃなくて、何千、何万って数で!! この街では“大襲撃”って呼ばれてる現象だよ」
裕真「こわっ!」
素直な反応に、パルテナはくすくすと笑った。
「まぁ、だからこそこの街は何千年も独立を保ったままなわけ。まともに統治なんてできないし」
その説明に、アニーは「ほーん」と唸る。
「なるほどねー。こんなにでかいなら、いっそ塔の中に住めばいいのにって思いましたけど、それじゃ無理ですね」
「まぁ、住んでる人もいるらしいよ? “大襲撃”をどうやって凌いでいるのかは謎だけど」
「マジですか……」
興味深げに目を光らせるアニー。
観光に乗り気でなかった仲間たちも、いつの間にかパルテナの話に引き込まれていた。
続いて一行は、いよいよ塔の内部、第1階層へ足を踏み入れた。
天井は霞んで見えないほど高く、その天井を何千本もの極太の柱が規則正しく並んで支えている。だだっ広く平坦な床はすべて石畳で整えられ、まるで巨大なチェスボードの上に立っているかのようだった。
そして、あちこちにテントが張られ、ハンターたちがキャンプを構えている。武具の手入れをする者、地図を広げて議論する者、焚き火を囲んで笑う者。喧騒と熱気が渦を巻いていた。
「本当に下層部は安全なのね」
さりげなく辺りを見回しながら、イリスが呟く。
「うん、1階から200階までは完全に探索され尽くした『空白領域』だよ。魔物もトラップもお宝も無い安全地帯」
パルテナはそう言ってから、少し悪戯っぽく付け加えた。
「と言っても、“大襲撃”が起きたら魔物でいっぱいになるんだけどね」
「こんなバカ広いフロア200階分が、いっぱいになるんですか!?」
モモはぎょっと目を見開き、声を裏返らせた。
一方、茜は特に動じることもなく言い放つ。
「そらまぁ、残り9,799階からのあぶれ者が降りてくるんやからなぁ」
「そうそう。空白地帯は、そのあぶれ者を洩らさないための受け皿になってるってわけ」
なるほど、と裕真は腕を組んで感心した。
洪水を受け止める首都圏外郭放水路みたいなものか、と一人で納得する。
次に一行はパルテナに促されるまま、ハンターのキャンプ地帯を進んでいった。
焚き火の煙と調理中の食材の匂いが鼻腔を刺激し、あちこちで武器の手入れをする音が耳に届く。
やがて、ちょうど中心と思しき場所にそびえ立つ、ひときわ目を引く巨大な白い石碑の前に辿り着いた。
高さはおよそ10m。その表面には塔の概略図と、見たこともない文字を含む無数の言語がびっしりと刻まれている。
「これはね、ここの探索者が残した“攻略メモ”だよ」
「へぇ……」
裕真は目を細め、刻まれた文字を凝視した。
この世界に来た時に冥王から“翻訳魔法”を授かっており、そのおかげで会話も読み書きも問題なくこなせているのだが、この石碑にはその魔法でも判別できない文字がいくつもある。
翻訳されない文字。それはおそらく、冥王が裕真の使命に必要ないと判断した、失われた言語なのだろう。
この塔の歴史が、どれほど古いのかを思い知らされる。
パルテナは概略図を指さしながら解説を続けた。
「201階から500階までは『安全領域』。だいたい探索されたけど、探せばまだお宝が残ってる階層だよ……あ、魔物もね」
「その魔物の強さは?」
「だいたい討伐レベル1から30ってとこかな? 駆け出しのハンターが日銭を稼ぐのに利用してるよ」
この塔は上層になるほど魔力が濃く、強力な魔物が集まるらしい。
逆に下層は、上層から追いやられた弱い魔物しかいないという。
「501階から1,000階は『冒険領域』。まだまだ手つかずの区間が豊富に残ってる階層。一人前のハンターの稼ぎ場だよ」
そう言いながらパルテナが指さした先には、『生息魔物レベル10〜50』というメモが刻まれている。
裕真の助けなしで探索できるのは、このあたりが限界ね……と、イリスは冷静に見積もった。
「1,001階から2,000階は『危険領域』。Aランクハンターでも命を落としかねない上級者向けの階層。その分、一攫千金のチャンスがあるよ」
「……神器とか見つかるのん?」
一攫千金という言葉に、茜がぴくりと反応する。
「見つかるよ」
「おおっ!?」
「ただ、魔物のレベルは30から100ぐらいになるよ」
「ひゃく……ひゃくかぁ……」
討伐レベル100。それはもし地上に現れたら、街の一つを容易に壊滅させる化け物である。
「2,001階から3,000階は『狂気領域』。正気では探索出来ない危険度の階層だよ。この階層から時空とか物理法則とかも狂ってくるらしいよ」
裕真「時空も……」
どうやら魔物だけでなく、階層そのものが障害になるようだ。
ちなみに生息魔物レベルは、50~150ぐらいらしい。
「3,001階から4,000階は『絶望領域』。歴戦の猛者達でも己の無力さを知り、絶望する領域。Sランクハンターでもゴミのように死ぬよ」
「マジか……」
トリスターで見たSランクハンターたちの雄姿が、裕真の脳裏に浮かぶ。
あれほどの実力者でも、あっさり命を落とすというのか。
生息魔物レベルは100~200。
裕真がこれまで討伐した中での最高は、レベル100の『アークデーモン』。
それが最低ラインになるというのだから、想像が追いつかない。
……しかし、この塔にはさらに上があった。
「4,001階から4,444階は 『 地 獄 』。絶対に立ち寄ってはいけない……と言われているね」
「……『 地 獄 』? 地獄領域じゃなくて?」
「そう、『 地 獄 』。そうとしか形容できない場所なんだって。生息魔物レベルは200以上」
皆は絶句した。
それはもう魔物というより、嵐や大地震のような災害そのものである。
そんな怪物が一体でも地上に降り立ったら……。
「そして4,444階より上は、誰も足を踏み入れてない未知の領域なの! ね? ワクワクするでしょ!!」
「怖いわ!!」
「地獄って比喩表現ですよね? 本物の地獄と繋がってるわけじゃないですよね?」
嬉々として語るパルテナに、一同は一斉にツッコんだ。
7,000年経っても攻略が終わらない理由を、誰もが思い知った。
この塔は今後数千年間、攻略されず世界最大のダンジョンであり続けるのだろう。
そんな折、ラナンがふと疑問を口にした。
「Sランクでもゴミのように死ぬフロアなんて、誰が探索したんだ?」
その問いに、パルテナは石碑の脇に並ぶ石像を指さす。
「そりゃ、Sランクを超える“英雄”たちだよ。時代ごとにそういう傑出した人物が出るもんさ」
巨人族の英雄、『大巨人アトラス』
エルフ族の英雄、『太陽の騎士フェリオス』
ドワーフ族の英雄、『革命王イヴァルディ』
オーク族の英雄、『美食神サバラ』
初代魔法皇帝、『アルカス』
アルカスの母にして、稀代の精霊使い、『カリストー』
名だたる傑物たちの像が並び、その足元には花や酒、小銭が供えられている。これから塔に挑むハンターたちが願掛けでお供えしたものらしい。
そしてその中に、裕真は見覚えのある像を見つけた。トリスターの王宮で見た姿と同じものだ。
「そして我が一族の始祖、オリオン様とか」
ご先祖様の像の前で、パルテナは誇らしげに胸を張る。
大英雄オリオンはこの塔を修行の場とし、現在は家宝となっている神器の大半を、ここで見つけたという。
「つーか、こんなクソ広いダンジョン、どうやって何千階も移動するんや? まさか階段をひとつひとつ昇っていくわけやないやろ?」
茜の疑問に裕真は思わず天井を見上げた。
一フロアだけでも視界が霞むほどの高さだ。これをどこにあるか分からない階段で、何百、何千階も登るなど、想像しただけで気が遠くなる。
「もちろん、移動手段はあるよ」
そう言って軽く手招きし、歩き出す。
その先には、広間の一角に据えられた奇妙な装置があった。
金色と銀色、二枚の円盤が並んで床に埋め込まれており、金の円盤の中心には、腰の高さほどの細長い石柱が伸びていた。
「これは『ターミナル』。転送装置だよ。塔のいたるところに設置されていて、それぞれ個別のパスワードが設定されているんだ」
パルテナは金の円盤の上に乗り、石柱の上面に手を向ける。
それはターミナルの制御装置であり、独特の書体だが辛うじて数字だと分かる刻印が並んでいる。
どうやらこれが、このターミナルに転移する為のパスワードらしい。
「それで、これに行きたい場所にあるターミナルのパスを入力すれば、そこに転移できるってわけ」
説明が終わるより早く、銀色の円盤が淡く輝いた。
光が立ち上がり、その中から数人の人影が現れる。探索帰りのハンターたちだ。
魔物の素材や古代遺物の入った袋を担ぎ、疲労をにじませながらもどこか誇らしげな顔をしている。
パルテナがぺこりと頭を下げると、彼らも慣れた様子で会釈を返し、そのまま広間を後にした。
「金の円盤が“入り口”、銀が“出口”ね」
なるほど、と裕真は頷く。転移者同士がぶつからないよう、役割を分けているわけだ。
「そのパスワードって、実際にその場のターミナルを見つけないと分からないのか? 一覧表とか無いの?」
「500階までのパスは全部判明してるから、安全に移動できるよ」
そう言って、腰のポシェットから一冊の冊子を取り出した。
ギルド発行のパスワード一覧表だ。
「4,444階まで探索が進んでるじゃなかったの?」
ルナが首を傾げる。
「501階以上のパスになると、タダでは教えてもらえないよ。情報も財産だからね」
補足すると、ギルドは収益欲しさで有料にしているわけではない。
501階以上になると、命を落とす可能性が一気に高まる。
無謀な挑戦で新人が犠牲にならないための、ひとつの策なのだ。
「アコちゃん、冥王様に教えてもらった神器は何階にある?」
裕真はスマホに向かって問いかける。
「はい、『ブルーソニック号』が3,333階で、『さいごのかぎ』が4,444階です」
その数字に、一同は思わず顔を見合わせた。
重たい沈黙が落ちる中で、イリスが肩を落として呟く。
「今の私達に回収は無理ね……」
「まぁ、逆に言えば敵に取られる心配も無いってことだな!」
無理やり前向きに言う裕真に、皆は苦笑しつつも頷いた。
奴らには、上層の魔物と対抗できる戦力があるかもしれない。
だがそれでも、数千階に及ぶ超広大なダンジョンの中から、手掛かり無しで神器を見つけだすのは至難の業だろう。
ひとまず急を要する事態ではないと分かり、胸の奥の緊張がわずかに緩んだ。
「さて、せっかくだから、ターミナルを使って上に登ってみようか!」
パルテナの急な提案に、裕真は「えっ?」と声を漏らす。
「いや、見るだけのつもりだったから、探索の準備なんてしてないけど?」
「大丈夫大丈夫!ボクがいつもヒカリゴケの採集に使っているフロアだから安心安全だよ! ……本当に安全だよ! 姉さん、ちょっと近づかないで!」
背後からじりじりと距離を詰めるルナを、必死に牽制するパルテナ。再び技をかけられそうな気配に、肩がびくついている。
ちなみに『ヒカリゴケ』とは、良い感じに発光するコケで、多くのダンジョンで照明として使用されている。
さらに錬金素材としても重宝され、新米ハンターの良い収入源になっているのだ。
◇ ◇ ◇
【 至天の塔 487階 (安全領域) 】
結局、裕真たちはパルテナの提案通り、ターミナルを使って塔を上った。
降り立った487階は、1階とはまるで別世界だった。
足元には草原が広がり、ところどころに石造りのドーム状の家屋が建っている。
そして何より、頭上には青空があった。
「おおっ……! 空が見える! 本当に塔の中なのか?」
「そう見えるだけで、ちゃんと天井はあるよ。でもドラゴンが飛び回れるぐらいの高さはあるね。……あ、今のは例えだよ。ドラゴンはいないよ」
などと雑談しながら草原を歩くと、一軒のドームの前で足を止めた。
「……さて、ここだ」
どうやらここに、彼女が裕真たちを誘った本当の理由があるらしい。
パルテナは扉をコンコンコンと叩くと、「山」と言った。
すると間を置かず、内側から「川」という声が聞こえた。短い言葉だったが、少女のものだと分かる。
扉がゆっくりと開く。どうやら先程のやりとりは合言葉だったらしい。
姿を現したのは、膝まで届くほど長い黒髪の少女だった。
「レギンちゃん!?」
イリスが仰天し、上擦った声を上げる。
その一方で、他の面々は状況を呑み込めずキョトンとした。裕真たちが知るレギンは、燃え盛る炎のような赤髪だったからだ。
しかし大ファンのイリスは、通常モードの彼女が黒髪であることを知っていたのだ。
行方不明になっていたはずの彼女が、なぜここに?
草原を渡る風が、静かに揺れた。
【 おまけ 至天の塔まとめ 】
『1~200階 空白領域』
探索し尽くされ、魔物もお宝も狩り尽くされた階層。
『201~500 安全領域』
生息魔物レベル 1~30
めぼしいお宝や強い魔物は既に狩られてるが、探せばまだ少しは見つかる。
『501~1,000 冒険領域』
生息魔物レベル 10~50
まだ未探査のエリアが数多く残されている。
『1,001~2,000 危険領域』
生息魔物レベル 30~100
Aランクハンターでも命を落としかねない。
だが、まだ手付かずのお宝がたっぷりあり、神器も見つかる。
『2,001~3,000 狂気領域』
生息魔物レベル 50~150
時空が歪み、正気では探索できない危険度。
『3,001~4,000 絶望領域』
生息魔物レベル 100~200
歴戦の猛者達が己の非力さを知り、絶望する領域。
『4,001~4,444 地 獄 』
生息魔物レベル 200以上
絶 対 に 行 く な 。




