八分の七バースデーケーキ 15
夕凪寮に戻る頃には、外はもうほとんど夜だった。
玄関を開けると、食堂の方からいつもの騒がしさが流れてくる。学校で白昼夢が出て、密室のケーキに頭を悩ませ、二人の女子のすれ違いに首を突っ込んだあとでも、寮の夕方は変わらない。
「おかえりなさいー!」
最初に声を上げたのは希だった。あまりのエネルギーに、直前まで悩んでいたのが馬鹿らしくなるような気がして、口から変な息が漏れた。この能天気さにも今だけは感謝してもいいかもしれない。
「なんか失礼なこと考えてません?」
「お前は太陽みたいなやつだな」
「え、キモ。病院紹介しましょうか?」
確かに我ながら言葉選びのセンスが壊滅的だと思ったが、突如希に高火力な悪口を浴びせられ、さめざめと泣いた。
共用リビングの方からケラケラと笑う晴の声が聞こえてくる。
「何、お前希ちゃんのこと口説いてんの? 無理無理、まずは漢を上げなきゃ――俺みたいな、さ」
そんな偉そうなことを言う晴は、結とツイスターゲームをしていた。両足を捻り、両手をブリッジのように背中側に伸ばしつつ、首だけをぐりんと回して、血走った目でこちらを見ている。どう見てもホラーだし、あんな男にはなりたくない。
結がゲームをしているというのは意外だったが、おそらく晴に唆されたのだろう。結は冷静な人間だが、晴に挑発されると張り合うところがあった。
しかし、妖怪と化した晴にはさすがに降参したのか、諦めて立ち上がる。
「やーいやーい、俺の勝ちー!」と勝ち誇る妖怪の腹を容赦なく蹴っていた。
「で、どうなったの? 八分の七バースデーケーキ事件!」
その声はリビングと反対側、台所の方から飛んできた。どうやら遥は真弓さんが食事の準備をするのを手伝っているようだ。さすがは本寮唯一の良心である。
「なんだその名前」
希が「タイトルとしてはアリじゃない?」と真顔で言う。いつの間にかダイニングまでやってきた晴と結は横で笑っている。
「語感はいいでしょ。それで、解けたの?」
遥が聞く。
「一応な」
「一応?」
「二人の話だから、細かいところは言わないよ」
そう言うと、遥はそれ以上追及しなかった。晴だけが少し不満そうにしたが、希に袖を引かれて「本人たちのプライバシーは大事ですよ」ともっともらしいことを言われ、黙った。一番こういうゴシップに食いつきそうな希が大人しいのが意外だった。
隣では、雫が満足そうにアイスの袋を抱えている。帰りにコンビニに寄って買わされたものだ。直前まで出費を渋ったが、まあ少しは協力してくれたしな、と自分を無理やり納得させることにした。ポイント二倍の日だとか言っていたが、貯めたら何か良いことがあるんだろうか。
「湊、今日はよく働いたね」
「お前のアイス代まで払ったからな」
「徳を積んだね」
「搾取の間違いだろ」
雫は聞いていない。スプーンを咥えたまま、嬉しそうにアイスの蓋を開けている。
俺は呆れながら、手を洗いに行こうとして食堂の共用棚の前で足を止めた。棚には寮生たちの私物が少しずつ混ざっている。晴の派手なマグ、遥の白いカップ、結の黒いタンブラー。希のものらしい、なぜかマイクの絵が描かれたカップまで置いてある。
けれど、そこに俺のものはない。置いていないのだから当然なのに、今日はそこだけが少し目についた。
「まだ自分のマグ、置かないの?」
食卓に皿を運ぶ真弓さんが、通りがけに棚の前に立つ俺を見て言った。
「共用ので足りてます」
「そういう問題じゃないんだけどね」
真弓さんはそれ以上言わず、食堂の奥へ戻っていく。
ふと、今日は朝からまともにコーヒーを飲んでいなかったことを思い出した。夕飯前に飲むようなものでもないが、どうせ一口くらいなら構わないだろう。俺はエアーポットの前に立ち、共用マグを手に取る。
ボタンを押す。
スコン。
朝と同じ、気の抜けた音がした。
もう一度押す。
スコン、スコン。
やっぱり空だった。
「また?」
晴が後ろから笑う。
「お前が飲んだのか」
「そりゃ飲んだけど……全部じゃないぞ! 偶然だ」
俺は空の共用マグを、元の場所に戻した。
誰かが俺の分を奪ったわけではない。
ただ、俺が来た時にはもう空だっただけだ。
そう思ったところで、昼間の多目的室を思い出した。あのケーキの欠けも、最初は誰かが取った跡に見えた。けれど、本当はそうではなかった。そこには、誰かに渡せなかったものが残っていた。
――コーヒーと一緒にする話じゃないな。
そう思い直して、俺は考えるのをやめた。
それでも、棚の中で俺のマグがない場所だけは、さっきより少し目についた。
「そこも、いつか咲くかもね」
いつの間にか隣に来ていた雫が言った。
「やめろ。縁起でもない」
「そうかな。空いてる場所って、よく目立つよ」
雫はそう言って、何でもないようにアイスを口に運んだ。
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ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。
全15話にて、第1章【八分の七バースデーケーキ】完結となります。
初めての投稿につき、拙い文章も多くお恥ずかしい限りですが、
少しでもお楽しみ頂けていたら幸いです。
皆様のPV一つ一つが本当に嬉しく、その支えのおかげで無事本作が日の目を見ることができました。
日頃、習作未満の拙作を読んでくださる皆様、本当にありがとうございます。
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本作は、連作短編集『神様失格』の第1部「宵蛍」にあたります。
宵蛍は全5章を予定しています。
八分の七バースデーケーキは、
『神様失格』シリーズの最初のお話&私しまいるかの処女作ということもあり、
テーマは*がんばりすぎない*でした。
『白昼夢』というファンタジー要素を持つ本作ですが、私はこの第1話を、
・『白昼夢』とは何か
・仮にもミステリーというジャンルで発表させて頂いた『神様失格』シリーズにおいてどう扱われるものなのか
を伝える練習課題にしようと思っていました。
※同時に、私自身がほんっっっっっっとうに文章力がないので、その「練習」を兼ねているという面もあります笑
ミステリーという題材である以上、作品は読者に大してフェアでなければならない、という大原則があります。それまでの本文からは予測できない手段で行われたトリックは禁じ手、というアレですね。
私もミステリーファンの端くれである以上、読者と紙上の頭脳バトルをやってみたい!
でも本格ミステリーを書けるような能力も自信も全くない……。
そういった葛藤を経て生まれたのが、白昼夢というアイデアでした。
白昼夢本来の意味は、起きているのにまるで夢を見ているかのように空想にふけってしまうことですが、それが実体化したら面白いかな、と思ったのが発端です。
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(ここからネタバレを含むので、未読のお客様は注意です……!)
さて、こうして導入された白昼夢というファンタジー要素ですが、
『トリックそのものをファンタジーにしない』
という原則を与えています。
今回であれば、「欠けたケーキは妖精ちゃんが取っていっちゃった!密室なんて関係ナシ!」みたいな解決は絶対にない、ということです。
この原則は第2章以降も守り続けるつもりですが、白昼夢がどう事件に絡むのか。その表情は少しずつ変えていきたいと思うので、もしご興味もってくださった方々は、引き続きよろしくお願いします(*^^*)
第2章【マグカップ分の譲歩】をただいま絶賛準備中です。
ある土曜日の朝、体調が優れず二度寝した湊が起きると、自室が水槽になっていた。
部屋には宙に浮く家具と、見慣れない白のマグカップ。
なのに、こんなとき頼りになる雫も体調不良!? 一体、どうすれば――。
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