EPILOGUE 古代兵器は勝手に住み着く
事件が終わってから、ガルドが灰門第七共同住居棟へ戻るまでには数日かかった。
療養というほど大人しく寝ていたわけではない。傷の処置をされ、事情を聞かれ、境務へ報告し、成立証路団にも呼ばれた。途中で何度か休めと言われたが、寝台へ縛りつけられなかっただけ、本人としては十分に休んだつもりだった。
巻き直された眼帯はまだ馴染まず、肩と脇腹にも治療跡が残っている。階段を上る速度は普段より少し遅かったが、片手に荷物、もう片方には剣という格好だけはいつもと変わらない。
廊下には洗濯物が干され、共用厨房から鍋の蓋が鳴る音がする。遠征に出ている住人がいるぶん、第七棟の中はいつもより静かだった。開いた窓の向こうからは、並びの共同住居棟の笑い声や、誰かを呼ぶ声が流れ込んでくる。
ガルドは自室の前で鍵を出し、扉を開けた。
そこで足が止まる。
「……」
部屋が綺麗だった。
床の隅へ寄せていた細かな道具は用途別にまとめられ、机の書類も高さを揃えて積み直されている。装備棚へ突っ込んであった予備の革帯まで丸められ、寝台脇の手入れ道具は箱へ収まっていた。
散らかされてはいない。
だからこそ、誰かに触られたことだけがよく分かる。
奥で食器の触れ合う音がした。
ガルドがゆっくり顔を向ける。
マリーがいた。
戦闘時の装甲は展開していない。月白色の髪を背へ垂らした少女の姿で、ガルドの器を机へ並べている。
「なにしてる」
マリーが振り返った。
「居住環境の最適化です」
「誰の」
「ガルドの」
「なんで俺の部屋で」
「居住登録処理中です」
ガルドは数秒、黙った。
「……誰の」
「私の」
さらに見る。
「誰が決めた」
「私です」
返事は速かった。
「理由は」
「複数あります」
「言え」
マリーは器を棚へ戻す。
「現行社会情報の継続取得。第一封鎖域外における人間行動の観測。ガルドの観察」
「帰れ」
「要求を拒否します」
「……」
「追加理由があります」
「まだあるのか」
「食事行動の継続試行」
ガルドの眉が僅かに動く。
「飯?」
「はい」
深層で、必要でもない保存肉を口へ入れていた姿を思い出す。
「それが住む理由になるのか」
「理由の一部です」
マリーの手が、棚の前で止まった。
ほんの僅かに視線が下がる。
「その他については、現在、分類不能です」
ガルドはしばらく少女を見た。
「分からねえのか」
「はい」
「それでも住む?」
「はい」
返答に迷いはなかった。
「居住継続を選択しました」
「誰の命令でもなく?」
「はい」
「俺が登録対象だからでもなく?」
「主要理由ではありません」
「じゃあ、なんでだ」
マリーは答えなかった。
規定も。
効率も。
登録条件も。
いつもなら即座に返すはずの分類が、今回は出てこない。
「回答不能です」
「なのに決めたのか」
「はい」
ガルドは少しだけ間を置いた。
「……好きにしろ」
「“好きに”の意味を――」
「自分で決めろ」
マリーが止まった。
今度は規定を参照しない。
効率も計算しない。
誰の許可も要求しない。
数秒。
「了解」
語調は変わらない。
それでよかった。
「ただし、俺の部屋には住むな」
「別室を要求します」
「灰門管理部に言え」
「申請済みです」
「早えな」
「居住継続を選択した時点で、必要処理と判断しました」
「そういうところは早いんだな」
「割当候補を三件確認済みです」
「聞いてねえ」
少なくとも同室になる気はないらしい。
ガルドはようやく荷物を置き、整いすぎた机へ目を向けた。
「あと、俺の物を勝手に並べ替えるな」
「非効率です」
「俺の部屋だ」
「了解。戻しますか」
ガルドは部屋全体を見回した。
一度元へ戻されたら、それはそれで面倒だ。
「……いい」
「では現状維持」
「話聞いてたか?」
「聞いています」
マリーは自分へ割り当てられる部屋を確認するため、廊下へ出ていった。
久しぶりに一人になった自室で、ガルドは剣を壁へ立てかけた。
机も、寝台も、窓も変わっていない。
ただ帰ってきた。
それだけだった。
共同食堂では、リィナが紙束を整理していた。
机の端に積まれた書き損じの中へ、見覚えのある封書が混じっている。
ガルドが紙束の中の封書を見る。
「なんだそれ」
「今回の遺書」
「まだ持ってたのか」
「もういらない」
リィナは封を切ることもなく、真ん中から破った。さらに半分へ裂き、まとめて端へ寄せる。
ガルドが通り過ぎようとすると、今度は新しい白紙が一枚、机の中央へ置かれた。
「書くのかよ」
「次の任務用!」
「成長してねえな」
「したよ。前より短くするから」
「そこか」
「大事でしょ」
リィナは筆を取ったものの、まだなにも書かない。
「次、いつ?」
「知らん」
「ちゃんと帰れる仕事がいいなあ」
「自分で選べ」
「それが難しいんだって」
白紙はそのまま机の隅へ置かれた。
◇ ◇ ◇
翌日。
共用厨房でガルドは自分の鍋を探していた。
一段目にも、二段目にもない。
背後から煮込みの匂いがした。
振り返ると、ミラが見覚えのある鍋を使っている。
「なんでいる?」
「入れた」
「そういうこと聞いてねえ」
「俺の鍋知らないか」
「ある」
「返せ」
「煮込み中」
「いつ取った」
ミラは中身を一度混ぜた。
「借りました?」
「聞き飽きた」
「便利」
「便利に使うな」
「夕方には返せる」
「今返せ」
「調理途中」
「他人の鍋で始めるな」
「次から考える」
「次を作るな」
その日の夜。
自室で装備を手入れしていると、扉を叩く音がした。
ガルドの手が止まる。
もう一度。
「……入れ」
扉が開き、両手に洗った鍋を持ったミラが立っていた。
「返す」
受け取る。
「……」
「なに?」
「いや」
「じゃあ」
ミラはそのまま廊下へ戻っていった。
閉じた扉と鍋を見比べ、ガルドは考えるのをやめた。
◇ ◇ ◇
数日後。
灰門の入口で、イオリが顔の半分を隠すほど大きな包みを抱えていた。
「あ、ガルドさん」
「なんだそれ」
「ルチアさんからです。“生きて帰った祝い”だそうです」
包みからはパンや保存食、肉料理に瓶詰めまで出てくる。札には一言。
《片眼、ちゃんと食え》
「余計なお世話だ」
「僕にも絶対持ってけって」
「転んだか」
「今日は転んでません」
言い切って灰門の中へ一歩入ったところで、爪先が廊下の段差へ引っかかった。
「あ」
身体と包みが一緒に傾く。
近くにいたリィナが手を伸ばしかけたが、イオリは自分で足を踏み直した。腰を落とし、包みを抱えたまま踏みとどまる。
「……転ばなかった」
リィナの顔がぱっと明るくなる。
「おお」
「成功しました」
「そこまで!?」
「僕には大事なんです!」
ガルドが包みからパンを一つ取る。
「次もやれ」
「今の褒められました?」
「知らん」
「ですよね」
◇ ◇ ◇
別の日。
街外れの空き地では、ノクティスが巨大な石を肩より上まで持ち上げ、ゆっくり下ろしていた。
数人がかりで動かすような大きさだ。
編み上げた髪が背中で揺れ、美しい黒い肌へ薄く汗が浮いている。それでも呼吸は乱れていない。
リィナが巨大な石を持ち上げるノクティスの前で足を止めた。
「なにしてるの?」
「休息です」
「どこが!?」
「通常訓練より軽いので」
ノクティスは石を静かに置く。
「休むって知ってる?」
「活動強度を落とすことでしょう」
「理屈では合ってるの腹立つ!」
ノクティスは少しだけ首を傾げた。
◇ ◇ ◇
セイルと会ったのは薬屋だった。
一箱。
二箱。
三箱。
店員が胃薬を積んでいる。
セイルがさらに一箱を示す。
「こちらもお願いします」
店員が積み上がった箱を見る。
「まだ?」
「二度と切らさないように」
近くを通りかかったガルドが箱の山を見る。
「剣よりそっちか」
「剣を抜かずに済む方がいいんです」
「それはそうだな」
「あなたが事件を増やさなければ、さらに良いです」
「俺が増やしてるみたいに言うな」
「今回は破壊神まで来ました」
「勝手に来た」
「胃には区別できません」
ガルドはなにも返さなかった。
◇ ◇ ◇
その夜。
自室の扉を開けると、窓辺にアストラがいた。
当然のように脚を組み、外を眺めている。
「……」
ガルドが黙っていると、アストラが振り向いた。
「おかえり」
「帰れ」
「ただいまじゃなくて?」
「お前の家じゃねえ」
「マリーには部屋あるのに?」
「お前は神だろ」
「神差別だ」
「帰れ」
アストラは楽しそうに笑った。
ガルドは無視して剣と帯、上着を外し、机の脇へ置く。眼帯の奥に残っていた痛みも、数日前よりは薄くなっていた。
やがて共同食堂の灯りが消え、廊下の足音も減っていく。
静かになった部屋で、アストラは珍しくなにも言わず窓の外を見ていた。ガルドも剣の状態を確かめる。
しばらくして。
「アストラ」
「なに?」
「鎖は切ったはずだ」
「うん」
「残ってた」
「うん」
ガルドが顔を上げる。
「知ってたのか」
「残ってる気はしてた」
「なんで言わなかった」
アストラが不思議そうにガルドを見る。
「言ったよ」
「いつ」
「ずっと」
「……」
「僕たちは繋がってるって」
ガルドは数秒黙った。
「お前の“僕たちは繋がってる”を情報として扱えるか」
「ひどいなあ」
「理由は」
アストラはすぐには答えなかった。
普段なら、どんな話でも自信満々になにか返す。
今回は違う。
「分からない」
ガルドの手が止まる。
「お前でも?」
「うん」
アストラが窓辺から離れた。
「僕が残したのかもしれない。君が残したのかもしれない」
アストラが少し考える。
「切れた後に、別のなにかが繋がったのかもしれない」
アストラがガルドを見る。
「本当に分からない」
「そうか」
それだけだった。
マリーも呼ばない。
古代資料も開かない。
今夜は、それで終わる。
「ねえ」
「なんだ」
「僕がなにを壊すか、君に聞けって言ったね」
「言ってねえ」
「似たようなものだよ」
「忘れろ」
アストラは真っ直ぐガルドを見る。
「それだけは忘れないよ」
「勝手にしろ」
「うん」
アストラが少し笑う。
「勝手にする」
ガルドはなにも言わなかった。
「それに、あの扉も僕たちの関係を認めてたし」
「まだ言ってんのか」
「古代文明公認」
「滅んでる文明を公認扱いするな」
「じゃあ現在文明では?」
「帰れ」
アストラが笑う。
いつもの顔だった。
ガルドは灯りを落とした。
◇ ◇ ◇
深夜。
マリーの部屋には、まだ明かりが残っていた。
睡眠を必要としない彼女は、一人で第一封鎖域から持ち帰った記録媒体を解析している。
命令されたわけではない。
ガルドから依頼されたわけでもない。
小さな解析装置が規則的な音を立て、欠けた情報を一つずつ復元していく。
地図が開いた。
《第一封鎖域》
その下。
《第二封鎖域》
大半の記録が欠け、現在の経路からは進入できない。
さらに。
《第三封鎖域》
残っているのは存在情報だけだった。
マリーが表示をさらに下へ送る。
そこで階層番号が消えた。
《照合不能》
解析方式を切り替える。
《記録体系外》
マリーは推定項目を開きかけ、停止した。
別の記録へ移る。
第一封鎖域。
神鎖管理系統。
欠損した項目が復元される中で、一つの表示が浮かんだ。
《神鎖波形照合》
「照合対象を要求」
今回取得した現行データを開く。
マリーは一つの個体情報を選んだ。
《対象:現行個体ガルド》
照合が始まる。
《28%》
《43%》
《62%》
マリーは動かない。
《79%》
《91%》
ほんの僅かに、視線が変わる。
《97%》
《99%》
数秒。
《完全一致》
条件を変える。
取得時刻の異なるデータ。
再実行。
《完全一致》
抽出方式を変更する。
《完全一致》
マリーは古代側の記録年代を呼び出した。
情報は欠損している。
正確な年代までは出ない。
それでも、残っている値を現行記録と並べる。
「現行個体ガルドと一致」
もう一度照合する。
「誤差、検出不能」
背後で、ぱちん、と拍手が一つ鳴った。
マリーの部屋の明かりが落ちる。
消えたわけではない。
解析画面だけを残し、それ以外の光が勝手に退いた。
代わりに、部屋の中央へ白い円形の照明が落ちる。
そこには、さっきまでなかった椅子が一脚あった。
深紫の布張り。
細い金色の脚。
その背もたれへ逆向きに腰掛け、少女が顎を乗せている。
黒と深紫の舞台衣装。
斜めに載せた小さなシルクハット。
片手には細身の黒いステッキ。
もう片方の手には、一羽の白い鳩。
エル=ネフリドだった。
少女の姿には似合わない、低く艶のある成人男性の声が響く。
「それ以上はやめた方がいい」
マリーが即座に振り返る。
扉は閉じたままだった。
「侵入個体を確認」
ネフリドは白鳩を指先へ乗せたまま、笑う。
「ご明察」
「侵入経路を確認できません」
「それは残念」
ステッキを軽く振る。
椅子の背後へ、赤い幕がすっと降りた。
部屋の壁にも床にも触れていない。
ただ、そこに舞台だけが増えている。
マリーは突然現れた舞台装置からネフリドへ視線を戻す。
「あなたは誰ですか」
ネフリドは小さなシルクハットを取り、胸元へ添えた。
「観客だよ」
白鳩が飛ぶ。
一羽だったはずが、羽ばたいた瞬間には三羽になっていた。
狭い部屋の天井近くを旋回し、解析画面の前を横切る。
ネフリドが立ち上がる。
ステッキを片手に、誰もいない客席へ挨拶するように一礼した。
「舞台袖から覗いて、役者がなにを選ぶか見て、たまに拍手をする――」
ネフリドがステッキを軽く持ち上げる。
その先に、まだ言葉が続くはずだった。
一羽の白鳩が解析画面の前を横切る。
《神鎖波形――完全一致》
ネフリドの声が止まった。
ステッキは、上がったままだった。
口元にも、まだ薄い笑みが残っている。
だが、その続きだけが来ない。
一拍。
白鳩が消えた。
一羽。
もう一羽。
最後の一羽も、羽根一枚残さず消える。
ネフリドはステッキを振っていない。
指も鳴らしていない。
それでも、赤い幕がなくなった。
白い円形照明も消え、部屋の明かりが元へ戻る。
深紫の椅子も、いつの間にか消えていた。
舞台だけが終わった。
ネフリドは、終わらせる動作をしていない。
そこには少女の姿をしたネフリドだけが立っていた。
小さなシルクハット。
細身の黒いステッキ。
それだけが残っている。
持ち上げたままだったステッキが、ようやくゆっくり下がった。
ネフリドは解析画面を見ている。
《神鎖波形――完全一致》
先ほどまで残っていた笑みも、もうない。
「……だったはずなんだけどね」
「意味を理解できません」
ネフリドは《完全一致》の文字から目を離さない。
「僕も少しね」
マリーが画面へ向き直る。
「この記録について情報を保持していますか」
「多少」
「照合結果に矛盾があります」
古代側の記録と、現行個体ガルドの照合結果を同時に表示する。
「記録年代と現行個体ガルドの存在年代が一致しません」
ネフリドは画面を見たままだ。
「あるね」
いつものような楽しげな調子には戻っていない。
マリーは処理を続ける。
「考えられる原因を列挙します。記録年代誤認。神鎖波形識別方式の――」
ネフリドが画面から目を離さない。
「違う」
短かった。
芝居も。
笑いも。
言葉遊びもない。
マリーが止まる。
「根拠を要求します」
返事はない。
「情報提示を要求します」
それにも答えなかった。
――コン。
マリーの瞳を走査光が横切る。
「音響源を検出できません」
ネフリドは画面から視線を外さない。
《神鎖波形――完全一致》
ステッキを持つ指が、ほんの僅かに動いた。
だが振らない。
なにも出さない。
次に、深層地図。
《記録体系外》
ネフリドの視線が、ゆっくり下がる。
最後に床を見る。
ネフリドはしばらく動かなかった。
「……そういうことか」
マリーがネフリドを見る。
「どうされましたか?」
返事はなかった。
マリーの視線がネフリドから外れない。
「説明を要求します」
ネフリドは床を見たまま動かない。
マリーが再び照合を実行する。
結果は変わらない。
《神鎖波形――完全一致》
ネフリドが、ゆっくり顔を上げた。
口元へ、いつもの薄い笑みが戻りかける。
だが、完成する前に止まった。
――コン。
第一巻 完




