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第十一章 神鎖は愛しているから壊れる

 巨大な神人接続室の中央で、レヴァンとエリュネはまだ二人の姿を保っていた。


 少なくとも、遠目にはそう見える。


 エリュネの淡い光が、薄衣のようにレヴァンの肩から胸へ重なっている。戦いで刻まれた傷も、長い歳月の中で残った肉体の傷みも、その光の下では少しずつ輪郭を失っていた。


 だが、同時に消え始めているものもある。


 エリュネの指先から腕へ、髪から肩へ。神格としての境界が淡くほどけ、レヴァンの身体へ混ざり始めている。二人は並んで立っているのに、床を流れる光へ落ちた影は一つしかなかった。


 マリーの瞳を細い走査光が横切る。


「接続統合率、五十三パーセント」


 リィナは中央から目を離さず、弓を握り直した。


「止められる?」


「通常停止要求を受理しません」


「強制停止は?」


「実行した場合の生命継続率を算出不能」


 ガルドがマリーへ視線を向ける。


「まだやるな」


「了解」


 マリーは手を下ろした。


 ガルドも剣を抜かない。


 今ここで装置を壊せばなにが起きるか分からない。レヴァンを斬れば止まるのかもしれないし、エリュネを消せばもっと簡単なのかもしれない。


 どれも、まだ選ばなかった。


 中央では、レヴァンの身体が小刻みに震えていた。


 呼吸は浅く、額から流れた汗が顎を伝っている。融合が苦痛を伴わないはずはない。それでも男の表情には、これまでガルドたちへ向けていた険しさとは違うものがあった。


 笑っている。


 エリュネも苦しそうだった。輪郭が揺れ、言葉を発するたびに光の粒が髪の端からほどけていく。それでも彼女は、レヴァンの頬へ寄り添うように顔を近づけた。


「聞こえる?」


「聞こえる」


「近い?」


 レヴァンが息の合間に、小さく笑う。


「ずっと」


 エリュネの顔から、張りつめていたものがほどけた。


「……もう離れなくていい」


「ああ」


 返事は、それだけだった。


 神威が渦巻いている。古代装置は低く鳴動し、二人の境界を確実に削り取っている。


 それなのに、幸福そうだった。


 リィナがなにかを言おうとして、口を閉じる。


 完全融合の先に、今のレヴァンもエリュネも残らない可能性が高い。それはもう知っている。二人もまた、なにも知らずにここへ立っているわけではない。


 それでも、この二人にとっては救いなのかもしれない。


 そんな考えが一瞬浮かんでしまう程度には、目の前の光景は穏やかだった。


 ネアも黙っている。


 オルフェンを殺した男が目の前にいる。その事実を知ってなお、ただ苦しんでいる悪人を見るような目にはならなかった。


 レヴァンは、エリュネを失いたくなかった。


 エリュネも、レヴァンを失いたくなかった。


 そこだけなら、誰にも珍しい感情ではない。


 アストラも珍しくガルドを見ていなかった。


 普段なら隙さえあればこちらへ寄ってくる男が、今は黙って二人を眺めている。その美しい顔に笑みはなかった。


 やがて、レヴァンが顔を上げる。


「……来たか」


 ガルドはレヴァンから目を逸らさない。


「ああ」


「止めに来たのか」


 ガルドは少し間を置く。


「話しに来た」


 リィナが思わずガルドを振り返る。


「そこから!?」


 ガルドがレヴァンとエリュネを見る。


「本人がいる」


 レヴァンの表情が僅かに険しくなった。


「話すことはない」


「ある」


「俺たちは決めた」


「聞いた」


「なら帰れ」


「本人から聞いてねえ」


 レヴァンが黙る。


 隣でエリュネが彼を見た。


 レヴァンも視線を返す。言葉を交わさないままなにかを確かめ、それからエリュネがガルドへ向き直った。


「私たちは、自分たちで決めた」


「ああ」


 レヴァンも続ける。


「俺たちが選んだ」


「私たちの人生よ」


 ガルドはすぐには返さなかった。


 二人を見ている間にも、淡い光は互いの輪郭を溶かし続けている。エリュネの肩へ伸びたレヴァンの手は、途中から境界が曖昧になっていた。


 数秒後。


「そうか」


 リィナがガルドを見る。


「ガルド?」


 ネアも視線を向ける。


 レヴァンまで、一瞬だけ反応が遅れた。


 オルフェンにも止められた。


 ガルドたちにも追われた。


 地上でも地下でも危険だと言われ続けた。


 その末に現れた男が、最初に返したのは否定ではなかった。


「お前らが二人でどうなりたいかは、お前らで決めろ」


「なら――」


 ガルドが片手を僅かに上げる。


「まだある」


 エリュネが少し戸惑ったように眉を寄せた。


「あなたは、私たちを助けたいの?」


「知らん」


 リィナがガルドへ顔を向ける。


「そこはもうちょっと言い方ない!?」


「俺が助けたいかどうかは関係ねえ」


 それでリィナも黙った。


 ガルドはレヴァンを見る。


「お前らがどうしたいかと、他の奴になにしていいかは別だ」


 レヴァンの顔から、僅かに残っていた安堵が消えた。


「なにが言いたい」


「二人で消えたいなら勝手にしろ」


 リィナがガルドへ向き直る。


「ガルド!」


 ネアもガルドを見た。


 だが、ガルドは二人の反応へ目を向けない。


「本当にそれを選ぶなら、俺が勝手に“不幸だ”って決める話じゃねえ」


「ならなんで止める!」


「司祭を殺した」


 レヴァンの顔が固まる。


「地下の連中を巻き込んだ。地上じゃ関係ねえ奴らまで倒れてる」


 ガルドは一度、レヴァンとエリュネを見た。


 神人接続室を流れる光が低く脈打った。


「お前らの明日をどう使うかは、お前らが決めろ」


 声を張る必要はなかった。


「だが、他人の明日まで使って選ぶ権利は、お前らにはねえ」


 誰もすぐには口を挟まなかった。


 レヴァンの胸が大きく上下する。


「俺たちに他の方法があったのか!」


「知らん」


「なかった!」


「だから人を殺していいのか?」


「オルフェンが壊そうとした!」


「だから殺した」


「反射だった!」


「それでも殺した」


 レヴァンの口が閉じる。


 エリュネが視線を落とす。


「じゃあ……」


 声が震えていた。


 責める響きではない。


「私たちはどうすればよかったの?」


 ガルドは黙った。


 答えを探しているわけではない。今ここで簡単に出せる答えなら、二人はこれほど追い詰められていない。


「分からん」


 エリュネの瞳が揺れる。


「でも、“分からねえ”と、“他人から奪っていい”は同じじゃねえ」


「綺麗事だ」


 レヴァンが吐き捨てた。


「そうかもな」


 ガルドは否定しない。


 ようやく右手を剣の柄へ置いた。


「だから今、やる」


 その横から、ネアが一歩前へ出た。


 レヴァンが彼女を見る。


「……誰だ」


「オルフェンに荷物運ばされてた女」


 レヴァンの目が僅かに変わる。


 なにかを思い出したのかもしれない。ネアは確かめなかった。


「あの司祭、嫌いだった」


 怒鳴りはしない。


 声は乾いている。


「私を便利に使った。記録に残らないからって」


 鼻で笑う。


「自分じゃ優しくしてるつもりだったんじゃない?」


 誰も口を挟まない。


「でも」


 ネアは真正面からレヴァンを見る。


「死ぬって決めたのは、あんたたちでしょ」


 レヴァンは答えなかった。


「あの人は、“死にたい”って言ってない」


 ネアの指が僅かに握られる。


「私はあの人が嫌いだった。だからって、あんたが殺していい理由にはならない」


「私たちは――」


 ネアがエリュネを真正面から見る。


「知らない」


 今度ははっきり強かった。


「あんたたちがどれだけ愛し合ってるかなんて、私には関係ない」


 レヴァンの目に怒りが浮かぶ。


 ネアは退かない。


「私に関係あるのは、あの夜、あの人が死んだことだけ」


 それで終わった。


 ガルドもなにも足さない。


 リィナもネアへ声を掛けなかった。


 マリーの瞳に走査光が走る。


「接続統合率、五十八パーセント」


 その数値で、止まっていた時間が再び動き始める。


 アストラがレヴァンとエリュネから目を離さないまま、僅かに口を開く。


「でも」


 ガルドが横を見る。


 アストラの視線はまだレヴァンとエリュネへ向いている。


「僕なら、君を残せるなら世界くらい――」


「だからお前もだ」


 途中で切られ、アストラが本気で少し驚いた顔をした。


「僕?」


「俺を生かすために、なにを壊すか、お前一人で決めるな」


 レヴァンの視線がアストラへ移った。


 以前、アストラは世界を壊してでもガルドを残すと言った。


 その時、レヴァンは確かに理解を示した。


「君が死ぬくらいなら」


 アストラの声は柔らかい。


「僕は壊すよ」


「知ってる」


「止めても?」


「止める」


「嫌われても?」


「もう嫌いだ」


「それは知ってる」


 いつもなら笑いになっていたかもしれない。


 今は誰も笑わない。


「そういう話じゃねえ」


 ガルドは目を逸らさなかった。


「俺の命も、俺のだ」


 アストラの表情が、ほんの少しだけ変わった。


 なにを感じたのかは口にしない。


「……難しいね。君は」


「お前が極端なんだよ」


 エリュネがアストラを見る。


 以前、自分が問いかけた時と同じような視線だったが、そのことを口にはしなかった。


 レヴァンがガルドへ向き直る。


「それでも」


 彼の周囲で黒銀の神威が立ち上がる。


「俺たちは止まらない」


 ガルドが剣を抜いた。


「なら止める」


 レヴァンが踏み込んだ。


 最初に地下で刃を交えた時より、明らかに速い。


 エリュネは声を掛けない。ただ視線が左へ滑っただけで、レヴァンの踏み込みが半歩ずれ、黒銀の一撃がガルドの剣を外側から巻き込んだ。


 ガルドは受け切らず、刃を傾けて物理的な軌道だけを外へ逃がす。


 剣から離れた位置へ、黒銀の余波が伸びた。


 ガルドは振り向かない。


 届く寸前、その部分だけが消える。


 アストラが指先を僅かに動かしただけだった。


 余計な床も壁も壊していない。


 レヴァンが距離を取り直すと、エリュネの神威がガルドの正面へ障壁を作った。


 ガルドは斬らず、左へ一歩ずれる。


 ほぼ同時に、障壁の端へ小さな穴が開いた。


 アストラが壊したのは、その一点だけ。


 まだ穴が人一人分へ広がり切る前に、ガルドは肩を入れて内側へ踏み込んでいた。


 レヴァンの顔に動揺が走る。


「どうして……」


「なんだ」


 剣が噛み合う。


「そんなに拒絶してるのに――」


「まだ言うのか!」


 ガルドが押し返す。


「関係と好き嫌いは別だ!」


「僕は好きだけどね」


「黙れ!」


 アストラは言われた通り、それ以上は喋らなかった。


 エリュネの目が右へ動く。


「右――」


 その警告が終わるより早く、レヴァンはガルドの死角へ滑り込んだ。黒銀の神威が低い位置から伸びる。


 ガルドは身体を沈めた。


 頭上を異様な線が走り抜ける。


 低い姿勢のまま剣を返し、レヴァンの肩を浅く斬った。


「レヴァン!」


 エリュネの手が伸びる。


 考えてからではない。


 傷を見た瞬間には、もう淡い光がレヴァンの肩を包んでいた。


 裂けた肉が塞がっていく。


 その代わりに。


 エリュネの指先が透けた。


 手首。


 腕。


 肩近くまで輪郭が薄れ、レヴァン側の光へ沈み込んでいく。


 後方で、マリーの瞳に走査光が走った。


「相互保護行動を確認」


 リィナは戦場から目を離さない。


「なに?」


「接続密度上昇」


「守ろうとすると悪化するの!?」


「現状では」


 返答が終わるより早く、装置から逆流した神威がエリュネの身体を打った。


「――っ」


 エリュネの膝が崩れる。


 今度はレヴァンが動いた。


 考えるより先に、彼女の前へ出る。


 神威の圧を自分の身体で受け止める。


「レヴァン――」


 男の側から、淡い光がエリュネへ流れ込んだ。


 揺らいでいた彼女の輪郭が持ち直す。


 同時に。


 今度はレヴァンの肩と胸の境界が、エリュネの光へ溶けた。


 守られた方が残る。


 守った方が、相手へ近づく。


 近づいた分だけ、二人の境目が消えていく。


 マリーの瞳に、もう一度走査光が走った。


「接続統合率、六十二パーセント」


 リィナの表情が変わる。


 レヴァンはエリュネを守った。


 エリュネはレヴァンを守った。


 どちらも、間違えたわけではない。


「愛してるから……」


 リィナの声が小さくなる。


 ネアも、境界を失っていく二人を見ていた。


「繋がる」


 リィナが続ける。


「繋がるから、消える……」


 その先には、沈黙だけが残った。


 ガルドはアストラを庇わない。


 アストラもガルドへ力を流し、守ろうとはしない。


 ガルドの左側へ入った攻撃はガルドが処理する。右側へ回った神威はアストラが受け持ち、必要な部分だけ消す。


 互いの位置を確かめる必要すらない。


 アストラが道を空ければ、ガルドはそこへ入る。


 ガルドが一歩引けば、空いた間合いへアストラの力が差し込まれる。


 直前まで、命を誰が決めるかで真正面から衝突していた。


 それでも身体の方は、百年以上積み重なった相手の動きを知っていた。


 レヴァンが、その様子を理解できないものを見るように睨む。


 黒銀の斬撃がガルドの肩を掠めた。


 衣服が裂け、血が散る。


 次は脇腹。


 ガルドが半歩遅れて逃がしたため、傷は浅い。それでも眼帯の奥から首筋へ痛みが走り、呼吸が一度乱れた。


 アストラがガルドの傷へ目を向ける。


「ガルド」


「見るな」


「見てるよ」


「なら黙って合わせろ」


「はいはい」


 返事は軽い。


 動きは正確だった。


 エリュネの障壁がガルドの進路を塞ぐ前に、その端だけが消える。ガルドは空いた場所からレヴァンへ入り、剣を下から跳ね上げた。


 レヴァンが受ける。


 火花と黒銀の神威が散り、互いの剣が弾かれた。二人はほぼ同時に距離を取る。


 レヴァンの呼吸も荒くなっていた。


「なぜ……」


「戦ってる最中に質問すんな!」


「なら!」


 レヴァンの構えが変わった。


 これまで刃や腕の周囲にまとわりついていた黒銀が、一本の細い線へ絞られていく。


 ガルドの右目が疼いた。


 嫌な感覚だった。


 以前、一瞬だけ見えたものに近い。


 だが、もっと深い。


 レヴァンが踏み込む。


「食らえ!」


 ガルドは剣を差し込んだ。


 刃同士は確かに触れた。


 それでも黒銀の一部を逸らし切れない。


 胸へ一つ。


 肩へ一つ。


 そして、眼帯の奥へ。


 肉体を順番に傷つけるのではなく、複数の場所へ同時に衝撃が突き抜けた。


 肺から空気が押し出される。


 ガルドの身体が床を離れ、数歩分を飛ばされた。背中から白い床へ落ち、勢いのまま一度転がる。


 剣だけは手放さなかった。


「ガルド!」


 リィナが走り出しかける。


 アストラも一歩動いた。


 倒れたガルドが片手を上げる。


「来るな」


 アストラの足が止まった。


 周囲の音が遠ざかる。


 装置の低い唸りも、リィナの声も、レヴァンの荒い呼吸も、薄い膜を隔てた向こうへ沈んでいった。


 代わりに、眼帯の奥で世界がほどけた。


 レヴァンがいる。


 エリュネがいる。


 その二人を繋ぐものが――見える。


 一本。


 そう見えた。


 最初の時と同じように。


 だが、違う。


 一本ではなかった。


 何本もの接続が重なり、これまでは一本にしか見えていなかった。


 ガルドが目を凝らす。


 重なっていたものが、一本ずつ分かれていく。


 エリュネからレヴァンへ流れ込む、太い接続。


 脈を打つたび、神威が男の身体へ注ぎ込まれている。


 その周囲を走る、もっと細く速い接続。


 視界。


 痛み。


 位置。


 意識。


 互いが互いを知るための流れ。


 さらに、レヴァンの肉体そのものへ深く食い込んでいるものがある。


 呼吸。


 循環。


 生きている状態を支える接続。


 エリュネの側には、消えかけた輪郭を神格として保ち続けている流れ。


 そして、そのすべてを外側から包み、二人へ食い込んでいる巨大な接続。


 装置だ。


 二人からなにかを吸い上げ、混ぜ、区別をなくそうとしている。


 今までなら、そこまでだった。


 見えても、なになのか分からなかった。


 今は違う。


 なにが力を運んでいる。


 なにが命を支えている。


 なにが感覚を伝えている。


 なにが二人を融合へ引き込んでいる。


 それぞれが、別のものとして見える。


 そして。


 その重なりの中心に、一本だけあった。


 ほかのどれとも違う。


 レヴァンからエリュネへ。


 エリュネからレヴァンへ。


 一方から流れるのではない。


 二人の間にある。


 双方を、深く繋ぎ止めている。


 神鎖。


 ガルドは口の中へ上がってきた血を吐いた。


 格好をつける余裕などない。


「……なるほど」


 遠のいた音の向こうから、アストラだけがガルドを呼ぶ。


「ガルド」


「見えた」


 リィナがガルドを見据える。


「なにが!?」


 ガルドは片手を床へついた。


「全部」


 マリーの瞳がガルドを走査した。


「ガルド」


「なんだ」


「戦闘継続を推奨しません」


「却下」


「生命維持率――」


「あとで聞く」


 それで話は終わった。


 レヴァンも肩で息をしている。


 深い接続指定は、使う側にも軽いものではないらしい。それでも男は剣を持ち直した。


 エリュネから新たな神威が流れ込む。


 追撃。


 その瞬間だった。


 アストラがガルドから視線を外した。


 完全に。


 これまでなにがあっても、真っ先にガルドを見ていた男が、今はレヴァンだけを見ている。


 笑っていなかった。


「……誰が、君にそれをしたの?」


 声は静かだった。


 レヴァンが止まる。


 問いへ答える必要もない。


 ガルドがアストラを見据える。


「アストラ」


 返事はなかった。


 アストラが一歩進む。


 足元の床が消えた。


 砕けたのではない。


 ひびも入らない。


 破片も落ちない。


 そこにあった乳白色の床だけが、輪郭ごと失われた。


 下にあるはずの構造すら見えない空白が残る。


 マリーの瞳が激しく明滅した。


「空間構造消失」


 短い走査のあと、マリーの瞳が再び明滅する。


「原因分類不能」


「……なに」


 リィナの声が掠れた。


 アストラがもう一歩進む。


 今度は壁の一部が消えた。


 内部へ組み込まれていた古代装置も、破壊音一つ出さず、その箇所だけがなくなる。


 リィナがガルドへ顔を向ける。


「なにしてるの……?」


 ガルドは乱れた呼吸を整えながら、アストラを見る。


「壊してる」


「なにを」


 アストラを見た。


「全部だ」


 レヴァンが反射的に黒銀を放つ。


 細い斬撃がアストラへ走った。


 届かない。


 途中で消えた。


 エリュネが神威障壁を張る。


 それも破裂せず、薄くもならず、ただ存在していた場所から消えた。


 レヴァンの表情に、初めて本能的な恐怖が浮かぶ。


 アストラは怒っているようには見えない。


 声も変わらない。


「君を消せば止まる?」


 レヴァンは答えない。


「駄目なら」


 アストラの目がエリュネへ移る。


「神を消す」


 エリュネの顔が強張る。


「それでも駄目なら施設」


 神人接続室の一角が、また音もなく欠けた。


「それでも駄目なら地下」


 アストラが上を見る。


 遥か上にはアル=ネグラがある。


 そのさらに上には、カリ=エルがある。


「それでも駄目なら――」


 リィナがアストラへ向き直る。


「待って」


 アストラは止まらない。


「ガルドが死なないところまで」


 淡々と。


「全部消せばいい」


 ガルドは身体を起こし、口元から顎へ流れた血を拭いもせず、一歩だけ前へ出た。


 ガルドがアストラを真っ直ぐ見る。


「アストラ」


 アストラが止まった。


 同時に、広がりかけていた破壊も止まる。


 ガルドはゆっくり彼の方へ歩いた。


「俺を生かすために、なにを壊すか、一人で決めるな」


 さっきと同じ言葉だった。


 今度は、本当に地下ごと消しかねない神へ向けている。


「でも」


 アストラがようやくガルドを見る。


「君は死ぬよ」


「まだ死んでねえ」


「次は?」


「俺が決める」


「君が間違えたら?」


「その時考えろ」


「遅いかもしれない」


「知るか」


 アストラの口元が少しだけ動く。


 いつもの笑顔とは違う。


 なにを感じているのか、ガルドにも分からない。


「壊すな」


 返答はすぐには来なかった。


 室内では融合装置が動き続けている。レヴァンとエリュネの輪郭は、話している間にも少しずつ重なっていた。


 それでもアストラは、しばらくガルドだけを見ていた。


「……約束はしない」


「ああ」


「次に君が本当に死ぬなら」


 僅かに間を置く。


「僕は壊すかもしれない」


「好きにしろ」


「さっき“一人で決めるな”って言ったよ」


「今の話だ」


 アストラが一瞬だけ黙る。


 それから、ほんの少し笑った。


「でも今回は」


 声から、先ほどまで周囲を消していた冷たさが抜ける。


「君に選ばせる」


 神人接続室に残っていた破壊の気配が消えた。


「それでいい」


「一回だけだからね」


「聞いてねえ」


「次は壊すかも」


「その時止める」


 アストラが少しだけ笑う。


 マリーの瞳に走査光が走る。


「接続統合率、七十一パーセント」


 リィナが中央の二人へ向き直る。


「時間ない!」


 レヴァンとエリュネの融合は、もう半分を大きく越えていた。


 互いへ伸ばした腕は一部の境界が判別できず、言葉を発した瞬間、二人の声が僅かに重なって聞こえた。


 レヴァンは剣を支えにせず、自分の足で立ち直る。


「……まだやるのか」


「ああ」


「俺たちは止まらない」


「知ってる」


 エリュネがガルドを見る。


 その顔にも、もうレヴァンの光が重なっている。


「私たちを……殺す?」


「殺さない」


 ガルドは即答した。


「なら止められない」


 ガルドはレヴァンを見たまま、眼帯へ僅かに指を触れた。


 今なら見える。


 エリュネからレヴァンへ流れる神威。


 人間の生命を保っている接続。


 互いの知覚を共有する細い流れ。


 二人を完全融合へ引き込む装置との接続。


 エリュネの存在を支える神格維持。


 そして、その中心にある神鎖そのもの。


「それを今から試す」


 アストラがガルドの横へ立った。


 前へは出ない。


 勝手になにかを壊そうともしない。


 アストラはガルドの横で、彼の判断を待つ。


「どうする?」


 ガルドはレヴァンとエリュネを見た。


「鎖を切る」


 リィナの顔色が変わる。


「それやったら死ぬって――」


「知ってる」


 マリーの瞳の奥へ、複数の接続表示が重なった。


 その中央で、《神鎖接続》だけが強く表示される。


《切断時生命維持――算出不能》


 ガルドはその警告を見たまま、剣を構えた。

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