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夜喰みの鉈剣

炉のそばに、包みが二つ。


黒い布。


硬い皮。


夜鋼。


アウルベアの爪。


揃った。


揃ったら、次は手順。


モリはまず、火を起こさない。


起こす前に、並べる。


並べ方が、そのまま作業の速さになる。


速さは、音を減らす。


音が減ると、森が守れる。


古森工房主。


工房を“置く”職。


炉も。


台も。


道具も。


そして、終わらせ方も。


ユキは寝床のそばで丸くなっていた。


アラシは影の縁。


白と黒。


どちらも、暇そうだ。


モリは指を一本立てた。


合図。


“出るな”。


ユキは耳だけ動かして、分かったふりをする。


アラシは目だけ瞬いて、影に沈む。


ふたりとも、分かったふりが上手い。


火。


小さく。


煙も小さく。


薪はそのまま燃やさない。


割って、芯だけ。


樹脂は薄く。


匂いを出さないため。


炉の口を狭める。


炎を小さく。


赤い熱だけを残す。


赤い熱は、見せない。


見せないように、覆う。


夜鋼を、布の上で転がす。


濡れても光らない。


触ると冷たい。


冷たいのに、嫌な冷たさじゃない。


川の上流の匂いが、まだ残っている。


匂いは残したくない。


残すと、寄る。


寄ると、人が来る。


人が来ると、森が荒れる。


モリは灰を一つまみ。


夜鋼にまぶす。


匂いを吸わせる。


吸わせてから、布で拭く。


拭きすぎない。


拭きすぎると、表面が乾きすぎて鳴る。


次。


アウルベアの爪。


芯。


背骨。


鉈剣の背に入れるもの。


爪は硬い。


硬いが、硬すぎる。


だから刃じゃない。


芯。


受け止めるための硬さ。


爪の匂いも、抜く。


獣の脂。


霧の湿り。


それを残すと、境界の獣が騒ぐ。


騒ぐと、森が壊れる。


灰。


土。


草の繊維。


吸わせて、擦って、落とす。


落としたら、包む。


包むと、落ち着く。


素材も。


手も。


熱を作る。


赤くしない。


赤くすると光る。


光ると目立つ。


目立つと、森が荒れる。


熱は必要なぶんだけ。


“ちょうどいい”だけ。


モリは夜鋼を炉の縁に近づけた。


中に入れない。


まずは馴染ませる。


急に入れると、鳴る。


鳴ると終わり。


夜鋼の端が、ゆっくり柔らかくなる。


柔らかくなる、というより。


硬さの角が取れる。


角が取れれば、割れにくい。


割れにくいと、音が減る。


成形。


叩く。


でも、叩き続けない。


鍛冶場みたいに響かせない。


一打。


止める。


耳で確認する。


森に音を渡していないか。


古森工房主の台は、小さい。


小さいから、鳴りにくい。


台の下に樹皮。


鉄の下に革。


打った音を、森に行く前に吸わせる。


モリは小さな槌を使う。


重い槌じゃない。


重いのは一打で形は出るが、森に残る。


軽い槌で、回数は増える。


その代わり、音を小さくできる。


一打で伸ばす。


二打で角を落とす。


三打で面を作る。


そこでいったん熱へ戻す。


冷えた金属を叩くと、割れて鳴る。


鳴ると、森が壊れる。


叩くのは、整えるため。


削るためじゃない。


削ると火花が出る。


火花は目立つ。


目立つと、人が来る。


押す。


潰す。


曲げる。


叩く。


その順番で、金属に無理をさせない。


無理をさせると、鳴る。


鳴ると、森が壊れる。


夜鋼は、鉈の“受け”になる。


刃そのものじゃない。


刃を支える板。


背を支える板。


爪の芯を受け止める板。


合わせ目。


樹脂を薄く引く。


固めるためじゃない。


振動を殺すため。


擦れを殺すため。


欠けを防ぐため。


爪を背に通す。


ぴったりは入れない。


ぴったりにすると、熱で割れる。


少しだけ逃げ。


逃げがあると、鳴らない。


鳴らなければ、森が守れる。


夜鋼で、その逃げを包む。


包んで、留める。


留め方は、音が出ない形。


釘。


昨日作った小さな釘。


小さい釘なら、打たないで済む。


押して、締める。


柄。


木。


握りは皮。


汗で滑らない。


濡れても冷えない。


その皮の内側に、夜鋼の薄い板を一枚。


硬さじゃない。


形を保つため。


――ここまで。


炉の中の熱を、外へ出しすぎない。


だから作業は短い。


短いけれど、急がない。


急ぐと雑になる。


雑になると音が出る。


音が出ると森が壊れる。


モリが息を吐いた時。


背後で、葉が擦れた。


ユキだ。


寝床から消えている。


アラシもいない。


モリは顔を上げない。


顔を上げると手が止まる。


手が止まると、熱が逃げる。


逃げると、失敗する。


代わりに、指を一本。


合図。


“戻れ”。


返事はない。


でも遠くで、


小さく枝が折れる音がした。


遊びに行った。


狼は、退屈に弱い。


退屈を放っておくと、森が荒れる。


だからいつもは、短い散歩を先に済ませる。


今日は逆になった。


――あとで回収する。


それも段取り。


火を殺す。


炉の口をさらに狭める。


煙を殺す。


熱だけを残して、熱も最後に消す。


灰。


土。


落ち葉。


炉を“置いた”痕を森の床に戻す。


鉈剣を、布の上に置く。


まだ振らない。


振ると音が出る。


音は最後に確認する。


最後に確認して、必要なら直す。


刃は、まだ“刃”じゃない。


形が刃の形をしているだけ。


切れる線は、これから作る。


モリは砥石を出した。


石。


川の石じゃない。


粒が揃った、削るための石。


それでも水は跳ねさせない。


跳ねると匂いが散る。


散ると寄る。


寄ると森が荒れる。


水は布に含ませる。


布を砥石に押し当てて、湿り気だけを移す。


濡らしすぎない。


濡らしすぎると音が立つ。


鉈剣を膝の上に置く。


刃先を、砥石に預ける。


角度を決める。


一度決めたら、変えない。


変えると線が乱れる。


乱れると、次に直す音が増える。


一息。


押して、引く。


押して、引く。


音は小さい。


石が鳴る手前で止める。


手の感触で、削れているかを見る。


砥泥が、薄く出る。


黒い。


夜鋼の色。


出すぎない。


出すぎると削りすぎる。


削りすぎると刃が立ちすぎる。


立ちすぎると深く刺さる。


深く刺さると血が出る。


血が出ると匂いが残る。


鉈剣の刃は、斬るためじゃない。


割る。


払う。


作る。


だから刃は“強い線”。


鋭さじゃなく、戻って来られる切れ味。


最後は、軽く。


石の上を撫でるだけ。


角が落ちたところで止める。


止めたら拭く。


水で流さない。


布で拭く。


匂いを閉じる。


モリは刃先を指で触らない。


代わりに、草の繊維を一筋。


当てて、離す。


引っかからない。


でも、逃げない。


それで十分。


モリは小さく息を吐く。


そして、名前だけを確かめる。


「夜喰みの鉈剣」


夜を喰って、音を消して、森へ戻す。


派手に呼ぶためじゃない。


手順に戻るための名前。




余った夜鋼。


薄い欠片。


欠片は捨てない。


捨てないが、増やさない。


使える形にだけ戻す。


矢じり。


夜鋼は、音を減らす。


矢が風を切る音。


当たる音。


それを少しでも小さくするなら、森向きだ。


矢じりは小さい。


小さいから、熱も小さい。


だから炉の余熱で足りる。


夜鋼を細く伸ばす。


伸ばすというより、押して形を作る。


鋭くしすぎない。


鋭いのは深く刺さる。


深く刺さると血が出る。


血が出ると匂いが残る。


匂いが残ると、寄る。


寄ると森が荒れる。


止める矢。


倒す矢じゃない。


だから形も、“止める”形。


抜きやすい。


回収しやすい。


矢じりが三つ。


三つで十分。


増やさない。


その頃になって、ようやく戻ってきた。


ユキが先。


泥の匂い。


草の匂い。


次に、影が一枚増えて、アラシ。


ユキの目は、少しだけ明るい。


遊んできた目。


アラシは影の中で尻尾を一度だけ揺らす。


楽しんだ合図。


モリは鉈剣を布で包んだ。


包んで、撫でる。


完成。


と言い切らない。


言い切ると、雑になる。


雑になると、森が壊れる。


でも。


形になった。


爪の芯。


夜鋼の受け。


森の手順。


モリは指を一本。


合図。


“手を洗う”。


水場へ行く。


狼の足も見る。


血はない。


それでいい。


夜。


火は小さい。


煙も小さい。


暮らしの音に戻す。


次は、振る。


音を確かめる。


匂いを確かめる。


直す。


出さないことも、手順。

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