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段取りで勝つ

罠は、整えた。


整えたら終わりじゃない。


整えた瞬間から、“やる日”の段取りが始まる。


段取りが雑だと、罠が事故になる。


事故になると、人が来る。


人が来ると、森が荒れる。


モリはそこまでを、一続きの手順として考えていた。


罠の点検は、音を出さない。


縄の毛羽。


杭の角。


引きの癖。


湿り気。


どれも小さい。


小さいのに、外すと大きくなる。


“寄せ”の罠。


止めるためじゃない。


向きを変えるため。


最初の一回で足を取って、そこで終わらせない。


終わらせようとすると暴れる。


暴れれば、森が壊れる。


逃がす道は二本。


一本は足場板で、音を殺した道。


もう一本は、あえて泥を踏ませる道。


重い足跡を残す。


獣に“こっちだ”と誤解させるため。


モリはそれを、図にしない。


図にすると、誰かが真似する。


真似すると、人が来る。


だから頭の中だけ。


板の束を広げる。


板は、戦うためのものじゃない。


でも戦闘の時ほど効く。


ぬかるみで足が取られれば、負ける。


勝つためじゃなく、“事故らないため”に置く。


矢は、数を増やさない。


増やすと持ち運びが雑になる。


雑になると音が出る。


音が出ると、森が壊れる。


だから必要な分だけ。


足。


肩。


目。


止めるための矢。


倒すためじゃない。


倒すのは、最後。


ユキは入口で伏せ、耳だけを立てていた。


赤い筋は出ていない。


でも呼吸が整っている。


“溜め”の呼吸。


今日覚えた型。


モリはそれを見て、小さく息を吐いた。


罠の“整理”が終わった頃には、日が傾いていた。


設置は、明日。


――そう決めるのも、段取りだった。


翌日、罠を置いた。


置いたら、戻る。


置いた場所に長く残らない。


匂いも、足跡も、残さない。


残すと、人が来る。


人が来ると、森が荒れる。


その夜。


罠の場所から少し離れたところで、野営にした。


焚き火は小さい。


煙も小さい。


明かりは手元だけ。


静かな夜に、準備の音だけがある。


モリは弓を膝に乗せ、弦を指で弾いた。


――張りは、いい。


湿気の多い境界で戦うなら、弦は必ず遅くなる。


遅くなる前に、油を薄く。


薄く塗って、拭き取る。


“ちょうどいい”を作る。


マコトが、荷を抱えて座った。


顔は明るい。


でも、騒がない。


この人は森でちゃんと静かにできる。


「ねえ、モリさん。今日は仕込みの日?」


小声で、楽しそう。


「こういう日、好き。静かなのに、強さが出るでしょ」


モリは返さない。


返すと、余計な言葉になる。


でも、嫌いになれない勢いが、火の近くにいる。


「戦いってさ」


マコトは指先で、自分の頬をちょんと叩いた。


「殴る前に、整えるじゃん。服、直すとか。呼吸入れるとか」


「それ、モリさんがいつもやってる“生活”と同じだよね」


褒め方が、いちいち具体的だ。


モリは短く言った。


「同じにしないと、森が壊れる」


マコトは頷いた。


「うん。だから私も、派手にやんない」


言い切る。


軽いのに、筋が通っている。


マコトは荷から、布を一枚と、小さな木箱を出した。


箱は薄い。中身も軽い。


けれど、扱いが丁寧だった。


武器と同じ手つき。


「ね、モリさん。私の戦い方も共有しとこ。作戦会議しよ?」


言い方は軽いのに、目は真面目だった。


マコトは指を二本立てる。


「一つ。私は“距離”で勝つの。近すぎない、遠すぎない」


「二つ。決め手は拳じゃなくて、“足”。足で、相手の体を崩す」


「相手が突っ込んできたら、正面で受けない。半歩、ずらす」


「ずらしたところに、膝。膝に当てるんじゃなくて、膝を“置く”」


「置いとくと、相手が勝手に刺さる。派手じゃないけど、確実」


モリは短く返す。


「森向きだ」


「でしょ。派手なのは好きだけど、森では封印」


マコトは笑ってから、地面を指でなぞった。


焚き火の光で見える、かすかな線。


「ここ、板の上。ここ、泥。ここ、逃がす」


「モリさんが“寄せ”たら、私は横から“止める”。止めるっていうか、迷わせる」


「迷った一瞬に、ユキちゃんが間に入れたら――もう勝ちだよね」


ユキは名前を呼ばれて、耳だけぴくりと動かした。


マコトはその仕草を見て頬をゆるめる。


「いい子……。あ、でもね。私、癖があるの」


「気持ちが上がると、つい一歩多く踏んじゃう。追いすぎる寸前まで行く」


モリはそこで、初めて言葉を足した。


「一息分だけ」


「うん、それ。そこまで」


マコトは胸の前で小さく拳を握って、すぐにほどいた。


「私が熱くなりそうだったら、モリさん、合図して。指一本でもいい」


「森の人の合図って、短いのに、ちゃんと止めてくれる感じがして……好き」


木箱が開く。


中には粉と、薄い刷毛。


小さな油。


それと、布。


マコトはそれを並べ、焚き火の熱から少し離した。


「で、これが私の“戦闘前の儀式”」


「化粧。っていうと飾りに聞こえるでしょ」


「でも違うの。整える。線を引く。呼吸を入れる。――戦う顔を作る」


モリは言う。


「匂いが出る」


「うん。だから森用」


マコトは粉をほんの少しだけ布に取り、頬に軽く押さえた。


香りは弱い。


代わりに、土と樹脂の匂いに寄る。


「こうすると汗が流れても目に入らないの。視界が守れる」


「それにね、顔って濡れると気持ちが乱れるの。乱れると、足が雑になる」


「雑になると、森が痛む。――モリさんの理屈と一緒」


モリは少しだけ、口の端を動かした。


同じ理屈だ。


マコトは最後に指先で唇の端を一度だけ撫でた。


色はほとんどつけない。


代わりに、乾かないように油を薄く。


「喋るため。合図をちゃんと出すため。唇が切れると声が途切れるから」


「私ね、強い人ほど、よく喋ると思ってる。言葉が出る人は、周りが見えてる」


匂いも整える。


樹脂に、ヨモギ。


ミツバ。


土。


匂いを消すんじゃない。


森の匂いに寄せる。


寄せれば、境界の獣が余計に騒がない。


騒がなければ、短く終わる。


「明日じゃない」


モリが言う。


「明後日でもない。匂いが濃くなった日だ」


マコトが首を傾げる。


「匂い?」


「いるなら、必ず残す。新しい匂いが増えたら、近い」


「近い日にやると、逃げ道が効く」


マコトは少しだけ口を尖らせた。


「……待つのも型かぁ」


でも、すぐに笑う。


「待つの、得意。私、待てる女」


言い方が軽い。


でも、その軽さが場を怖くしない。


「じゃ、作戦会議。まとめるね」


マコトは明るく言うが、声は森の静けさを壊さない。


「モリさんが寄せる。私は横から迷わせて止める。ユキちゃんは間に入って、守る」


「追いすぎない。一息分だけ」


「危なくなったら、板の道。音を殺して帰る」


「帰れたら、勝ち」


夜が更ける。


焚き火の火が落ちる。


道具は揃った。


段取りも揃った。


揃っているのに、まだやらない。


やらないことが、勝ち筋になる。


それが森の戦い方だ。


モリは最後に刃を拭いて、布を畳んだ。


明日は、いつも通り。


いつも通りの中で、匂いを待つ。


短く終わらせるために。

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