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霧の奥のダンスホール

「……止まれ」


モリの声が落ちるのと同時に、タクミとケンジの動きが止まった。


霧の中で、巨大な影だけがこちらを見ている。


低い呼吸。


湿った空気が、胸の奥まで押し込まれるみたいだった。


タクミの盾が、すっと前に出る。


前に出すぎない。


“受ける位置”だけを作って、味方の射線を塞がない。


ケンジはいつの間にか、祈りの言葉を短く落としていた。


熱でも光でもなく、体の芯だけが少し軽くなる感覚。


持続回復。


切らさないための、薄い層。


「……で、どうする」


タクミが、声を張らずに聞いた。


モリは弓を持ったまま、霧の向こうを見つめる。


見つめても、何も見えない。


見えないのに、“でかい”だけが分かる。


それが、嫌だった。


嫌なものは、だいたい「情報が足りない」時に膨らむ。


「まず、確認する」


モリは一歩も進まずに、足元の水面を見た。


影は、地面をなぞるように動いている。


なのに。


水面が揺れない。


泡も弾けない。


沼地の敵は、どれだけ静かに動いても、必ずどこかが濡れる。


水は正直だ。


「……タクミ。影の下、足音聞こえるか」


タクミは一瞬だけ耳を澄ませて、首を振った。


「ない。風みたいな音だけ」


ケンジも、小さく頷く。


「うなりはするけど、地面は鳴ってないっす」


モリは息を吐いた。


ユキが、鼻先を霧に押し込んだまま、低く唸っている。


ただ。


怒ってる唸りじゃない。


“分からない”時のやつだ。


生き物の匂いがしない。


そう言ってる。


「……本物じゃない」


モリは言い切るでもなく、結論だけを置いた。


タクミが、喉を鳴らした。


「じゃあ、何だよこれ」


「霧だ」


モリは弓の矢尻を、少しだけ上げた。


狙いは影の“目”の位置。


怖がらせたいわけじゃない。


ただ、触って確かめる。


矢が、すっと霧の中に消えた。


……当たった感触がない。


乾いた音もしない。


何かに刺さる手応えが、ない。


矢はそのまま、向こう側へ抜けていった。


「……やっぱり」


モリは小さく呟いた。


影は“物”じゃない。


形を作っているだけ。


霧が濃いほど輪郭が太くなる。


だから、近づくほど“でかく”見える。


――舞台のスモークみたいに。


その瞬間。


霧が、ふっと揺れた。


呼吸みたいな押し出し。


低い共鳴音。


さっきまで“ドラゴンの息”にしか聞こえなかったそれが、妙に規則的に聞こえた。


……リズムだ。


「タクミ。前に出るな。壁だけ」


「分かった」


タクミは盾を前に出したまま、足は動かさない。


ケンジも、祈りを切らさずに、声を落とした。


「回復、薄く入れとくっす。動けるように」


モリはユキの背中に手を置いた。


「匂いのする方、教えろ」


ユキが一度だけ鼻を鳴らし、霧の左側へ身体を向ける。


モリはその方向へ、足場を選びながら回り込んだ。


正面から突っ込まない。


見えないなら、見える場所を作る。


霧の端。


そこが、境界になる。


――そして。


霧が薄くなる場所に差し掛かった瞬間。


白い膜の向こうに、淡い光が見えた。


輪っか。


水面の上に、光の輪がいくつも浮いている。


小さな鈴の音。


それに合わせて、点のような光が踊っていた。


……妖精。


沼地に似合わない、軽い音。


濡れた空気の中で、そこだけが乾いているみたいだった。


タクミが、思わず声を上げかけて、モリの視線で飲み込む。


ケンジは口をぽかんと開けたまま、ゆっくり瞬きをした。


「え、何これ……」


妖精たちは、こちらに気づくと一斉に止まった。


止まって――逃げない。


代わりに、霧がもう一度だけ膨らんで、“ドラゴンの影”が横にずれた。


“ここより先はだめ”と言っているみたいに。


そして、光の中から一匹。


他より少しだけ大きい妖精が、ふわりと前に出た。


小さな声。


なのに、耳のすぐ横で囁かれたみたいに聞こえる。


「ごめんね」


モリは眉を上げた。


妖精は慌てたように手を振る。


「こわがらせたかったんじゃないの。ちがうの。ほんとに」


タクミが、盾のまま固まっている。


「……じゃあ、なんでドラゴン」


妖精は、恥ずかしそうに肩をすくめた。


「だって、みんな、ドラゴンなら引き返すでしょ」


その理屈は雑だ。


でも、分かりやすい。


モリは息を吐いた。


「ここ、何がある」


妖精は少しだけ胸を張って、背後を指さした。


光の輪。


鈴の音。


水面の上に、薄い板みたいな光が広がっている。


床。


濡れない床。


「ダンスホール!」


言い方が、誇らしげすぎて笑いそうになる。


妖精は続けた。


「最近、できたの。霧がちょうどいいの。霧って、やわらかいでしょ。形が作れるの」


“最近できた”。


それはつまり、偶然の当たりコンテンツか、季節イベントか。


どっちにしても――人が押し寄せたら潰れる。


モリはその結論に、すぐ辿り着いた。


「荒らされたくない?」


妖精は、勢いよく頷いた。


「うん。いっぱい来たら、踊れない。踏まれちゃう。鈴、壊れちゃう」


言い方が子どもっぽい。


でも、“壊れる”のは本当だ。


このゲームは、そういうところが変にリアルだ。


ケンジが、ぽつりと呟いた。


「……だから、ドラゴンの影」


「うん」


妖精は素直に認めた。


「俺たち釣りに来ただけなんだけどな…」


「釣りは、いいよ」


モリは少しだけ目を細めた。


妖精は、嬉しそうに光の輪を指でくるくる回した。


「釣りは、静か。水に、ぽちゃんってするだけ。踊ってても、邪魔じゃない」


“静かならいい”。


線引きがちゃんとしている。


モリは頷いた。


「釣りはする。俺も」


タクミとケンジが同時にモリを見た。


モリは肩をすくめる。


「約束してたろ。先導だけして岸で見てるつもりはない」


妖精が、ぱっと笑った。


「じゃあ、いい!」


そして、少しだけ表情を曇らせる。


「でも……あんまり、他の人に言わないで。お願い」


タクミが困った顔をした。


「俺ら、友達に……」


モリは、首を振った。


「言わなくていい。釣り場は別に一つじゃない」


そういうと、タクミは口を閉じた。


ケンジも、軽く頷く。


「秘密の釣り場、ってやつっすね」


妖精は嬉しそうに、くるりと回った。


鈴の音が一つ増える。


霧の“ドラゴン”の影が、ふっと薄くなった。


門が開いた。


モリはロッドを取り出した。


立てかけた竿。


手元が決まる。


湿った空気の中でも、指先の感覚は軽い。


ルアーを結ぶ。


今日は――根掛かりしにくいスピナーベイト。


濁り水に強い。


そして、回り始めが早い。


モリは一度、妖精の光の床を避けて、沼の縁に立った。


「踏まない。壊さない。釣るだけ」


妖精が、満足そうに頷く。


タクミとケンジも、少し離れて竿を構えた。


ユキは、光の輪の外側に座り、尻尾だけを水面すれすれで揺らしている。


“踊りの邪魔はしない”。


そういう座り方だ。


モリは軽く振りかぶって、ルアーを投げた。


――ぽちゃん。


小さな音。


鈴の音と重なって、霧の中に溶けていく。


その瞬間、妖精たちがまた踊り始めた。


光の輪が回る。


霧が、やわらかく揺れる。


巨大なドラゴンの影は、もういない。


代わりに。


沼地の奥に、小さな舞台ができていた。


モリは糸の張りを指先で感じながら、静かに笑った。


悪くない。


こういう“遊び方の増え方”なら。

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