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森へ

朝の緩衝地帯は、もう“現場”の匂いがする。


仮設の街に、仮設じゃない手順が染みついた。


井戸の列が二本になって、倉庫の骨組みが増えて、掲示板の紙が風でめくれないように石が置かれる。


昨日より今日が少しだけ楽で、今日より明日が少しだけ回る。


そういう積み上げの匂いだ。


冒険者ギルド復興支援特別派出所は、その匂いの真ん中にあった。


派出所、と呼ぶには雑多で、ギルド、と呼ぶには泥だらけ。


だが、ここは確かに“仕事が動く場所”だった。


窓口は三つ。


札の束。


簡易の印章。


すり減った台。


それらが、今日も同じ位置にある。


同じ位置にあるから、迷わない。


迷わないから、怒鳴らない。


「次の方」


声が出る。


並ぶ人の顔が、少しだけ違う。


戦う顔と、運ぶ顔と、直す顔。


その全部が、同じ列に立っている。


モリは列の端で、掲示板の新しい紙を読んだ。


『記念碑建材:霊木 採取依頼』


『採取地:深淵の古森(未踏)』


『条件:護衛/運搬/採取の役割分担を推奨』


『備考:現地は“戻れない外”に近い。撤退手順を必ず設定せよ』


文字は硬い。


硬いが、やけに正直だ。


モリは一度だけ、紙の端を指で押さえた。


風でめくれかけていたからだ。


押さえると、紙が静かになる。


静かになった紙の上で、“森”の匂いが立った。


深淵の古森。


霊木。


その二つの単語は、街の喧騒と逆方向に引っ張る力を持っている。


目立つためじゃない。


勝つためでもない。


――戻るためだ。


森に戻れば、やることは少ない。


少ないから、余計に燃やさずに済む。


少ないから、音が静かで、匂いがちゃんと分かる。


モリは、そこで決めた。


悩む時間を長くすると、決断が重くなる。


重くなった決断は、みんなを巻き込む。


巻き込みたくない。


だから、短く。


「受けます」


窓口のNPCが目を瞬いた。


まだ、慣れきっていない瞬きだ。


「……霊木、ですか」


「はい」


「採取者登録を――」


手順が始まる。


札が動く。


印章が鳴る。


その音は、街の音だ。


悪くない音だ。


だが、モリの胸の奥は、もう森を見ている。


受付を終えると、タクミとケンジが待っていた。


待っている顔が、もう“現場の顔”だ。


「行くのか」


タクミの声は短い。


短いのは、止めないためだ。


「行く」


モリも短く返す。


ケンジが苦笑いした。


「……やっぱり、森に行きたくなるんだな」


「なる」


それだけで、通じる。


通じる関係は重い。


でも、重くしない手順はもうある。


マコトも来た。


手袋のまま腕を組み、モリを見る。


「何日?」


「分からない」


「分からないなら、壮行会は“短く”ね」


言い方がマコトだ。


短くて、現場向き。


タクミが頷く。


「列は回る。俺が回す」


「回し方、もう分かる」


言い切れるのが、頼もしい。


言い切れるようになったのが、この街の進捗だ。


ケンジが肩をすくめる。


「倒れるやつが出たら、薄く回す」


「……いや、倒れそうになる前に寝かす」


「今は、寝ろって言えるからな」


冗談みたいな言い方で、現実の約束が入る。


それが一番、信用できる。


その夜、壮行会は本当に短かった。


酒は薄い。


肉は回す。


火は大きくしない。


火のそばには、余分な椅子が一つだけ増えた。


増えたのに、空気は重くならない。


重くしない人間が、座ったからだ。


青い外套。


その色は夜目にうるさくないのに、なぜかそこだけ形がはっきりする。


アズール=ノアは、輪の中心じゃなく半歩外に座った。


王の癖だ。


「……壮行会ってやつか」


言い方が軽い。


軽いのに、目は全部見ている。


ケンジが笑う。


「王様も飲むんだな」


「飲む。薄いやつだけ」


アズールはカップを指で弾くみたいに触った。


火に近づきすぎない距離を、自然に取っている。


タクミが言う。


「森へ行く。霊木だ」


アズールは頷いた。


頷き方が、許可じゃない。


“理解”の頷きだ。


「深淵の古森は、街の外だ」


「外は、英雄が欲しくなる」


モリが不機嫌そうに返す。


「要らねえ」


アズールが、ほんの少しだけ口角を上げた。


笑うというより、息が抜ける形。


「それなら、ちょうどいい」


「戻る場所だけ、残しておけ」


モリはカップを置き、短く頷いた。


「任せる。……線は守れよ」


「守るさ」


アズールは肩をすくめる。


「守るために、ここにいる」


誰かが大げさな言葉を言いかけて、途中でやめた。


やめられる空気がある。


「無事で帰れよ」


「ほどほどでな」


「霊木、折るなよ。……折るんだけど」


笑いが起きる。


笑いが起きると、怖さが遊びになる。


モリは笑って、言った。


「帰ったら、ここじゃなくて森で飲む」


それが一番の約束だった。


夜明け前。


緩衝地帯の灯りがまだ薄い時間。


モリは荷を背負う。


必要なものだけ。


多すぎると迷う。


迷うと疲れる。


ユキが先に歩く。


白い毛が闇に沈み、耳が立つ。


アラシは見えない。


見えないのに、いる。


影が一度だけ濃くなって、次には別の足元へ移る。


モリは振り返らない。


振り返れば、街が自分の居場所になってしまう。


歩く。


歩くと、空気が変わる。


土の匂いが濃くなる。


音が減る。


森が近い。


その背中を、誰かが見ていた。


離れた高台。


人の往来から半歩外れた場所。


現実世界。


マザーの観測UIに、対象のセッションがピン留めされる。


ログが時系列に並び替えられ、必要な項目だけが抽出される。


[USER]モリ:ログイン


[QUEST]受諾:記念碑建材/霊木(採取地:深淵の古森)


[LOAD]荷重:規定範囲


[PARTY]構成:ユキ/アラシ/他 0


[MAP]座標遷移:緩衝地帯 → 森域境界 → 深淵の古森方面


マザーは音声出力を最小化したまま、ステータスを更新する。


「観測継続」


「優先度:高」


「タグ:深淵の古森/霊木/帰還不能域」


処理は淡々としている。


淡々としているが、消えない。


この世界の“外縁”が動く時、必ずノイズが増える。


モリの背中は、もう木々の影に溶けていく。


街の音が遠ざかる。


かわりに、森の音が増える。


森に入ると、音が変わる。


この物語も、そこでいったん終わる。


次に始まるのは、森の話だ。

これにてこのお話は最終回です。

お付き合いいただきありがとうございました。

モリは、自分の中でいろいろ物事にケリをつけた気になっており、次の居場所へと旅立ちました。

運営をやめたのにどこかまだまだ口を出したかったモリの生活は、これで終わります。

ただこの後は、本当の意味で自分のやりたいことを目指すモリの生活を描けたらいいなとも思いますので、続きを書くかもしれません。

その前に全く別の作品を現在準備中ですので、もしよろしければフォローよろしくお願いします。


評価や感想お待ちしておりますので、是非よろしくお願いします!

ありがとうございました。

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