エピローグ
――あれは、本当に、ただの偶然だったのだろうか。
初めて対峙した時、彼女は驚くほど真っ直ぐな瞳をしていた。
「そんなの嘘よ!封印はしっかりしてあるって、精霊たちが話していたもの!」
「あんたこんなことをして何が楽しいのよ?!」
仮にも魔王と呼ばれていた僕に、あんた、って。今でも思い出すと笑えてくる。そう話すと、「クリムもキャラ作ってたじゃん」と切り返しをくらうのだけれど。……作っていた訳じゃないんだけど……魔王をキャラって……まあ、ちょっと黒歴史だよね。
リリーと出会えて、本当の黒歴史にしなくて良かったと思う。
勝手に踏み込んきて、真っ直ぐな言葉で心を掻き乱す様は……ティターニアに、似ていて。ブレスレットを通じて、つい、顔を見に行ってしまった。
そしていつの間にか、僕の瞳に映るのは彼女だけになっていた。
再会した時。ただのリリーとして、僕を全肯定し、あの温かな手で、凍りついた心を溶かしてくれた人。
『嫉妬深いよ? 一度決めたら、離してあげられないよ?』
「それは、ティターニア様のことですか?」
『――っ』
あの時、図星を突かれて焦ったこと。
そして、『わたしも、あなたのこと簡単に手放さないもの!』と、眩しい笑顔で笑ってくれたこと。
ああ、千年待っていたのはこのひとだったのだと。
思い出すだけで、胸の奥がキュッと締め付けられるように熱くなる。
――あれから、幾つの季節が巡っただろうか。
結婚式の日、光の粒子に包まれながら涙を堪えきれずにいた自分を、今でもはっきりと思い出せる。
生まれてきた子どもたちの、小さな温もり。夜な夜な、こっそり彼らを見守りに行っていたのは――まあ誰にも言うつもりはない。リリーにはとっくにバレていたようだけれど。
娘に、初めて男から花が贈られた日。あの時の僕の狼狽ぶりを、今の孫たちも笑い話にしている。
(――全部、宝物、だったな)
賑やかで温かくて、少しだけ慌ただしい。そんな日々の一つ一つが、僕の中で今も色褪せずに輝いている。
千年の孤独など嘘のように、僕の世界は彼女の色に染まりきっていた。
約束は守るよ、リリー。
君が旅立った後にも、こんなにも大切なものがたくさんある。君が残してくれた、大事な大事な宝物。
――けれど。ふと、寂しさに襲われる時がある。
「お祖父様、また空を見上げて……寂しいの?」
庭先でぼんやりと空を眺めていた僕に、ひ孫にあたる小さな少女が、トコトコと歩いてきて服の裾を引いた。
僕はしゃがみ込み、その小さな頭をそっと撫でる。
「ううん、少しね。……風の匂いが、お祖母様に似ていたからさ」
少女は首をかしげたあと、「お祖母様なら、きっとお空の上から見てるよ!」と、まぶしい笑顔で笑ってみせた。その笑い方に、ふと、リリーの面影が重なる。
その面影で、また前を向ける。
子どもたちは成長し、またその子どもたちも成長していく。屋敷はいつも賑やかで、笑い声が絶えない。
その温かさに、確かに僕は慰められていた。守ると誓った、彼女の血を引くこの子たちの笑顔が、僕の支えになっていた。
(――寂しくない、と言ったら、嘘になるけれど)
賑やかな日常の、ふとした隙間に。夜、一人になった静かな時間に。
(リリー――)
彼女の名前を呼びたくなる瞬間が、幾度となく訪れる。
あの真っ直ぐな瞳。あの力強い声。「わたしは、あなたの傍を離れないわ!」と、叫んだ、あの日の彼女の姿。
今も鮮やかに思い出せる。それが時に幸せで、時に、切なかった。
--そもそもは、自分で蒔いた種だ。
リリーと出逢えて、赦されて、与えられた機会だ。どれだけのことか、わかっている。
それでも。
彼女に会いたいと思う気持ちは、日に日に積もる。
やがて、子どもたちも、孫たちも、それぞれの生涯を全うしていった。精霊の血が混じったから、普通の人よりはちょっとだけ長寿だけど。
それでも、屋敷の主は何代も変わっていった。
僕は変わらず、片隅で彼らを見守り続けている。
血の繋がりは、少しずつ薄まっていく。それでも、リリーの優しさの系譜は、確かに代々受け継がれていった。
(君の家族は、ちゃんと優しく育っているよ)
心の中で、そう報告することが僕の日課になっている。
今日も僕は、子孫の屋敷の庭の片隅で、静かに空を見上げている。
小さな黒い、子犬の姿になって。
さすがに僕がずっと表に出ているのもね、と、話して、精霊に戻った?と、言うか、精霊の国とファーブル王国を行き来している。
今日もファーブル王国の、輝く夕暮れの、空。
風がそっと、頬を撫でていく。
夕焼けが、少しずつ藍色に溶けていく空を見上げながら。
僕は今日も静かに、その日を待ち続けている。
(勇者たちの生まれ変わりは、千年だったよな……)
そう思うと、まだ半分にも満たない--
――と、その時。
ふいに、どこか懐かしい、あの日の鐘の音が響いたような気がした。
風が、ふっと変わる。
それは精霊界からのものでも、遠くの森からのものでもない――まるで、すぐ近くの、この王都のどこかで、新しい命が産声を上げたかのような、そんな温かな気配。
『……ふっ』
僕は思わず小さく笑い、ふさふさとした黒い尻尾をぱたぱたと揺らした。
気のせいかもしれない。
いや、きっと、気のせいなんかじゃない。
リリーのことだ、きっと女神様にめちゃくちゃ無理を言ってくれたのかもしれない。
僕は軽やかな足取りで、夕暮れの街へと駆け出した。
今度こそ、長く、長く一緒にいて。
――また、会おうね、リリー。
長い間お付き合いいただき、ありがとうございました!




