幼なじみとのお茶会
「そういうこと……まさか、エルキュールがそんな手紙を出してるなんてね」
レティシアから一通りの話を聞き取って、アストリッドはふうっと息をついた。
アストリッド・フリューゲル子爵令嬢は、隣の屋敷に住むレティシアたちの幼馴染だ。
元々、親同士も親交があり、家ぐるみで仲良く付き合ってきていて、レティシアにとってはただ一人の何でも話せる親友である。
今も彼女は焼きたての栗のパイを持って、レティシアとステファンを見舞いに来てくれていた。
エルキュールの生死不明の一報を受けてからの急展開は、彼女も両親共々心配してくれていたので、婚約についてをあらかじめ彼女に話す許可をアルベールに取っていた。ただし、あくまでも婚約を教えるのは彼女だけで、両親に話す場合は儀式の乙女を保護するために融資してくれる人が出たということにして貰う。
それは嘘ではないし、レティシア的にはまだ彼と結婚するかはわからないので、むしろその方が正確な情報だといえるだろう。
「エルキュールってなんだかすごい。そんな縁があるなんて思わなかったわ。さすがは野生の勘で生きてる男よね」
賞賛のようでいて、どちらかと言えば呆れたというニュアンスの強い感想をアストリッドが零す。
レティシアの腹違いの兄であるエルキュールは、女騎士であった母の血を強く受け継いでか、とにかく運動神経に優れた男だ。黒髪にそれこそ碧玉のような深い青の瞳持つ彼は、長身でとにかく鍛え上げられた身体をしているために見目はそこそこにいい。しなやかな筋肉のついた体躯は敏捷で、軍では黒豹といった二つ名も持っているそうだ。
中身はかなりな野生児で、アストリッドのことも妹扱いしており、幼い頃から二人は彼にとんでもない遊びで振り回された。
ふんわりとカールされたピンクブラウンの髪に理知的な緑の瞳。愛らしい甘やかな顔立ちをしたアストリッドだが、可愛らしい印象の彼女が見かけによらず体力があるのは、幼い頃のエルキュールの修行のおかげだと本人が言っている。
「大丈夫よ。あのエルキュールよ。居所不明なだけで、きっと山の中のどこかに隠れているのよ」
元気づけるように言って、アストリッドはレティシアの背をぽんと叩く。
彼女の言葉に、レティシアは幼い頃に兄にされた「レティとアスタのおやつと宝物を持ってエルキュールがどこかに隠れるかくれんぼ」のことを頭に思い浮かべた。
木の上や小屋の屋根の上に潜伏されるそれは、少しでも遅れるとおやつは全部食べられるし、宝物はエルキュールが「どこにおいてきたか忘れた」などと言い出すことがある、精神的にも肉体的にも過酷なかくれんぼだった。
他にも体力自慢のエルキュールにずっと追いかけられる悪魔のような鬼ごっこ、淑女には絶対に必要とはならないはずの木登り特訓、意味のわからない匍匐前進、山菜やキノコの見分け方や、罠の仕掛け方など、兄にされた特訓は異様だった。
あまりにも残念なのは、それでもエルキュールにとっては片手間の遊びでしかなかったために事の深刻さが伝わらなかったらしく、親や使用人といった大人たちが彼の暴挙を止めてくれなかった事だ。
子どもの頃はちょっとぽっちゃりめだったアストリッドが幼年学校卒業前にかなり痩せたのは、あの過酷な遊びにまつわる心労のためかも知れない。
「そうね。きっと山の中で何か木の実でも食べて生きてるわよね。それに、ちゃんと捜索してるって教えてもらえたから、私もステファンもかなり気持ちが落ち着いたの」
あの日、アルベールは兄の事件時の状況も詳しく教えてくれた。
王女の馬車を護衛する中、峠道に差し掛かったところで襲撃を受け、彼は応戦しつつ敵共々崖から落ちたのだそうだ。折しも雨で視界も悪く、その時点では捜索もできないまま、王女を護送することを優先して、一行はその場を立ち去るしかなかったのだという。
峠越えの後にすぐに国に伝令を出して、捜索を開始したそうだが、いまだに行方はわかっていない。
ただし崖はさほど高いものではないという。下には樹木が密生しており、ヤブがクッションの代わりとなるような位置であるそうで、そもそもエルキュールならば襲撃者をクッション代わりに着地するくらいのことはするだろうとアルベールは請け負った。
実際、落ちたと思しき位置にエルキュールの姿はなかったという。
その付近を捜索しても見つからないのは、彼がどこかに移動して、身の安全を図るために潜伏しているのではないかと見立てているそうだ。
実際、危険な動物や魔獣と遭遇しなければ生き伸びている率は高いそうだ。
「エルキュールは一流の武人だよ。こんなことで命を落とすはずがない」
そんなアルベールの言葉には、単なる慰めではない響きがあった。
「アストリッドと同じこと、あの方も言ってたわ。きっと山の中で生きてるって」
アルベールの口振りは兄の人となりをよく知る者のそれだった。家族だけが闇雲に生存を信じているのではないということが、かなり心を落ち着かせてくれる。
捜索を今後も続けていくが、王家の護衛任務中の事であるので、家族にもすぐには伝えられない事項が発生する場合があると言い置いた上で、彼は定期的な報告を約束してから家を辞していった。
「そうよ。よくわかってるじゃない。それで、近くで見てどうだった?」
落ち着いた様子のレティシアを見て安心したのか、アストリッドがからかうようににやにやと笑う。
「何が?」
「アルベール様よ。格好良かったんでしょ」
「それは……まあ」
家柄もよく、才覚もあり、見目よいアルベールは社交界では有名人だ。
綺麗な赤い色の髪が人目を惹き、物腰も柔らかな完璧な貴公子と言われる彼の名は、学校でも憧れの存在としてよく耳にしてきた。
「……すごく、綺麗な人だったわ」
彼の顔立ちを思い出す。
「お父様とは顔立ちは似ていないけれど、髪の毛の色は本当にそっくりだった」
「ヴィルジール様の赤髪ね!」
「ええ。よく似ていらして、素敵だったわ……」
「そうよね。ヴィルジール様が素敵ですもの」
緋の色の髪に言及すると、アストリッドが身を乗り出した。
アルベールの父である現スルト侯爵に、二人は特別な思い入れがある。
なので、彼の人の子息であるアルベールに対しても好感を抱いてはいたが、尊敬の対象であっても、思慕を向ける対象と考えたことはなかった。
特にレティシアは日々の暮らしに忙しなかったし、もとより聖女となるコースに乗れたのだから、自分が恋愛や結婚をするなどと考えようとしていなかったのだ。
なのに、実際に近くで見ると、彼は本当に見惚れるような姿をしていた。
綺麗な顔立ちで優しい声色。すらりとした立ち姿。体つきは中肉中背で、そんなに大きいわけではないのだが、他者を圧倒するオーラを持っている。
一挙一動に気品が伺えて、その場ではすっかりと見惚れてしまった。
「また、侯爵様に助けてもらってしまったわね。しかも二代に渡ってよ」
ふふんと笑って、アストリッドはレティシアの顔を覗き込んだ。スルト侯爵は、アストリッド流に言うと、「学校に通っている女性と全員の恩人」だ。その恩に、二人は深い感謝を抱いている。
「そうね。本当に助けて貰ったわ」
彼女の言葉には、レティシアは心底からの思いで頷いた。
間違いなく、アルベールには助けてもらった。
本当に、彼だけが助けの手を差し伸べてくれたのだ。
こうして幼なじみと共に笑っていられるのも、アルベールが家にやってきてくれたおかげだという実感がある。
「言っておくけど、私にとってもご恩よ。こうして、レティシアを救ってくれたんだもの。エルキュール、今回はものすごくいい仕事をしたわね」
「そうね。これまで、兄さんのしごきに耐えてきたご褒美かもって思うもの。いい話しすぎておかしな夢でも見てるのかなって思ったんだけど、一晩眠っても夢じゃなかったから、今のところ大丈夫みたい」
婚約を承諾するとアルベールは姉弟二人に断りを入れてから自分の従者をその場に呼びつけ、これからすべての債務を片づける手筈を行うとレティシアたちに告げた。
家の借金をすべてスルト侯爵家で肩代わりして一本化し、アルベールからの融資に切り替える形に変えていく。無利子の融資としておいて、全てをスルト侯爵家が引き受けるための書類をその場で作成し、この後は任せればいいと言われた。
更に、二人とばあやだけの暮らしでは心配だからと、彼の手配で家令やメイド、護衛の兵士などがスルト侯爵家から派遣されてきている。これで借金取りが家に押しかけてきて、なにか無体を働くような心配もない。
「ほんとよかったわ。防犯面でもこれで安心できるし」
「うん。だから、来週から学校に行くつもりなんだけど、これからは婚約が知られないように気をつけないと」
「ああ、そうよねえ……」
儀式の乙女となる、つまりは聖女候補だという前提がありつつも、【魅了】に対する偏見からあれは男をたぶらかす能力だとレティシアに冷たい目を向けてくる者は多い。特にレティシアを敵視する一派にアルベールとの婚約が知られたら、随分と口さがないことを言われるだろうと予想がついた。
アルベールとの婚約は、スルト侯爵家側で機を見て、公表を決めることになっている。それまでは彼とつながりがあること自体を知られないように気をつけなくてはならない
「学校では出来るだけ、一緒にいようね。休み時間だけになっちゃうけど」
心配を口にすると、アストリッドがぎゅっと手を握ってくれた。
アストリッドは違うクラスだが、昼食の時間などはレティシアと一緒に過ごしている。
「うん。ありがとう、アストリッド」
レティシアが【魅了】であるとは、親友であるアストリッドにも長らく伏せていたことだった。
対外的にはレティシアの風属性のかなり弱めの力だと誤魔化していたのだが、レティシアの母も【魅了】持ちだったので、ある程度の予測もついてはいたのだろう。
儀式の乙女に選ばれたことを公表する少し前に、先にアストリッドに打ち明けると、彼女はそうかもと思ってはいたとだけ言ってくれた。
それだけで、彼女の態度は、今も昔も何一つ変わらない。だからこそ、アストリッドだけにはアルベールとの婚約も安心して話せるのだ。
「う〜! 安心したらお茶までおいしいよー。もしかして、この茶葉もアルベール様のお持ち込み?」
「そうなの。なんだかすべてがおいしいの」
アストリッドの問いに、レティシアは思わず意気込んで頷いた。
アルベールが手配した料理人やメイドは食材や資材なども持ち込んでくれていて、サフィール家の食生活は劇的に向上している。今もアストリッドが持ってきてくれたパイのほかに、スルト公爵家料理人謹製の茶菓子が出されているが、これもまた極上の味だ。
全てが至れり尽くせりのおかげで、働き詰めだったばあやもかなり身体を休められて助かっている。
「やっぱり、これってものすごーくいい話じゃない? レティは侯爵様の義理の娘になるし、おかげでわたしもこんな美味しいお茶に与れる」
もう一口茶を啜ったアストリッドは、感嘆して目を細める。彼女はこの味が相当気に入ったようだ。
「こんな気遣いをしてくれるなんて、エルキュールが頼んだからだけじゃなくて、やっぱり普通に気に入られてるのかもよ。レティシアは美人だし、お母様だって伝説の人じゃない」
「うーん……厄介な伝説だけどね」
親友の言葉を受けて、レティシアは苦笑した。
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続きは明日更新予定です。
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