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兄の不在

 結局、叔父は素直には帰ろうとせず、文句を言い連ねる彼をレティシアは玄関から無理矢理押し出すことになった。


「お嬢様、お客様が……」

「また?  ん、ちょっと待って」


 ノドにつっかかりを覚えて、レティシアはゴホッと咳をした。

 なかなか帰ろうとしない叔父に向けて、かなり声を張り上げたので、すっかりと声がかれてしまっている。



「ああ……ああ……、お水をお持ちします」



 レティシアが苦しげに咳き込むのを目にして、慌ててばあやのルセットが奥に引っ込んでいく。

 本当は自分でさっさと水を貰いに行った方が早いのだが、去って行くばあやを引き止め損ねたレティシアは、手持ち無沙汰に玄関ホールに置かれた長椅子に腰を下ろした。

 

「……全く、とんだ災難ね……」


 ただでさえ、兄の失踪や借金取りの相手などで気を張っているところに、役にも立たない親戚の相手をしなくてはならないなど、踏んだり蹴ったりだ。

 どっと疲れを感じてうつむくと、ドレスの裾に付けられたレースが少し綻んでしまっているのが目につく。


(また、繕わなくちゃ……)


 母の形見の古いドレスはよい作りではあるのだが、レティシアが着るのには少し裾が短い。ルセットが丁寧に裾だしをしてくれたが、それでもだ。形見であるし、大事に着ているが、限界も感じられている。

 正直、このサフィール子爵家は没落寸前だ。日常着といえども気軽に新調をできるような財政状況ではない。

 現在は、家の使用人も昔からいるばあやが一人きりとなっている。

 長らく家に仕えた執事は父よりも先に亡くなり、その後に新しい執事を迎える余裕もなかった。気心知れたばあやは食事の支度や掃除、レティシアの身仕度の手伝いなどをしてくれているが、このところはあまり具合もよくなく、心配は絶えない。


(どうしてこんなことに………)


 現在、レティシアは未来の聖女候補と認定を受けている。聖女になるには【魅了】であることがその第一条件だ。


 サフィール子爵令嬢レティシアの生まれついたヴァッティン王国は、ルディルシア大陸の東側に位置する。

 この大陸はルディルシアという創世の女神が産み出したと伝えられ、人間の中には特別に彼女の加護を受けて、体内に魔力を有し、妖精の力を借りて魔法を使うことのできる者がいた。人々ははじめうちこそ一つの土地に集っていたが、のちに魔力を持つ者が先頭に立って各地に分かれ、それぞれが魔法を使って大地を拓き、各国における王族や貴族階級となって興した国を発展させてきた。

 故に創設の古い国の貴族階級は概ね、魔法を使うことができる。

 魔法の力を使い、土地を納め、国を守り、民を統治するのが、貴族の役割であると見なされているのだ。



 貴族の家に生まれ、精霊の加護を得られる血筋を受け継いではいるが、レティシアは自身では魔法は使えない。

 その代わりに滅多に現れることのない【魅了】という性質を持っている。



 それは文字通り女神や妖精を魅了し、己が選んだ者に特別な加護や庇護を引き寄せ、魔力を増幅させる力だ。

 【魅了】の持ち主の特徴は、明確なものとしては自身は魔力は持たないことと容姿が美しいことの二点があげられる。レティシアも艶やかな金髪に印象的な紫色の瞳をもち、花匂うかんばせから、まるでスミレの花の妖精のようだと幼い頃から褒めそやされた。



 ルディルシア大陸内でも【魅了】の体質を持つ者はごくまれで、有事にはその美しさと才能から戦争の道具とされたり、貢ぎ物のように扱われる可能性があるため、【魅了】を持って生まれても秘匿する者が多い。



 しかし、ヴァッティン王国では十五年に一度行われる神事において、【魅了】を持つ未婚の、つまりは性的交渉を行ったことのない娘が重要な役目を務める慣習がある。

 これから一年後に行われる神事においては、儀式の乙女と呼ばれるその大役を担う者として、レティシアが選ばれていた。これは幼少時の協会での洗礼時に、儀式の年にふさわしい年頃の者の中で、もっとも魅了の力の強い者を聖職者が判断し、選ばれるのだ。

 儀式の乙女を務める者は、本番の三年前には任ぜられたことを公表し、教会において儀式における所作や舞、歌の稽古、儀礼作法の指導などをみっちりと受けることになっている。ゆえにレティシアが【魅了】であることは、既に貴族階級には知れ渡っていた。



 儀式の乙女となることのメリットは大きい。

 なんといっても儀式を終えた後に本人が望みさえすれば教会に属し、聖女の役職に就くことが出来るのである。

 聖女ともなれば、自身も更なる研鑽を積んで強い力を得ることが出来、聖女を輩出した家も褒美として国からかなりの金銭を与えられる。更に、聖女の働きに対してきちんと給与が与えられるので、その後も問題なく暮らしていける。

 【魅了】の力を持つ女性にとっては、聖女となるのというのは【魅了】の力を公表した上で安全に働くことができる、かなりの安定就職先であるのだ。


(だから、絶対に聖女になりたいのに)


 女神や精霊たちの心を引き寄せて、力の増幅を行える。そんな【魅了】の力が及ぶ対象は、世の万物に対してだと言われている。

 強大な力であるがゆえに誤解もされやすく、レティシアは未来の聖女候補でありつつも、【国を傾ける悪女】となるのではないかと周囲から疑惑の目を向けられる立場にもあった。



 だからこそ、儀式を終えるまでは身ぎれいに過ごさなくてはならないのに、愛人話を持ち込まれるような事態になるとは全くの想定外である。

 

 兄のエルキュールはレティシアとは腹違いのために、八歳違いと少々年が離れている。父が亡くなった後は、彼はすぐさまサフィール子爵家の家督を継ぎ、王家に仕える騎士となって、弟妹を養ってくれていた。

 兄は武術の才に恵まれており、国きっての才能と言われている。かつての戦乱の世に生まれていたら、情勢を変えただろうと言われるほどだ。

 そのおかげで、兄は第三王女ジュリエットの近衛の副隊長に抜擢された。

 今の王宮は身分よりも実力に重きを置いて任官をする方針にあるが、それでも異例の出世と言われている。

 未来を嘱望されていることは明らかで、高給取りであり、なにより兄自体に恐れをなして不埒な者はこの家には近寄ろうとはしない。これまでは、そんな兄の存在がこの家を守っていたのだ。



「……兄さん、どこ行っちゃったのよ」



 体力と敏捷さに優れ、剛腕で殺しても死なない男と呼ばれる兄、エルキュール。

 その不在があまりにも大きな波紋を呼んだことに、レティシアは深く溜め息を吐いた。


お読みいただきありがとうございます。


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