プロローグ「他の国の話」
「メリディア・ラース公爵令嬢! 今日をもっておまえとの婚約を破棄する!」
パーティーの壇上から第一王子が言い放った。
王妃腹の嫡男。
この国に生まれついたその時から、次期国王となることが確定された王子。本日はそんな彼の誕生日を祝うための宴が開催されている。
「……!」
高々と宣言されたその内容に、招かれていた者たちはハッとして、王子と彼に守られるようにして立つ件の男爵令嬢に目を向ける。
マーガレット・デルロイ男爵令嬢。このところ、貴族階級において『小さな毒花』といった二つ名で呼ばれる令嬢である。
本来、下位貴族でしかない彼女が、正式な婚約者のいる王子に近づくことなど許されるはずはなかった。王室主催であるこのパーティの壇上に王子と同伴することなど、もってのほかである。なのに貴族間の階級制度も淑女のたしなみも、何もかもを無視して、彼女はそこに在った。
この半年、王子がまるで最愛の恋人のようにマーガレットを扱っているという話は、既にこの国の貴族階級には知れ渡っている。貴族階級のみならず、貴族の館の奉公人から出入り商人へ、商人から店の客にと噂は流れ、今や庶民の口の端にも王子の心変わりが上るほどだ。
「どういうことですの、殿下」
名指しされた公爵令嬢は、沈痛な面持ちで王子に向き合った。
本来、このパーティで王子がエスコートすべき人物は彼女だ。
なのに同伴者もなく会場を訪れることになった時点で、彼女は既に貶められている。それは許されざる非礼であり、手痛い裏切りだ。
(ああ……)
この世に生まれ落ちたそのときから次代の王妃となるべく育てられたメリディアは、自分の伴侶となるはずであった男を冷えた眼差しで見やった。
熱に浮かされたような表情。自分が正義だと思い込み、興奮に血走った眼差し。ゆがめられた唇は、残虐な気配を漂わせている。
周囲の言葉も聞き入れず、女一人に溺れ、婚約者に一方的な決別を突きつける。本来の彼は、そんなことをする人間ではなかった。
(この人は、もう……)
穏やかで心優しく、少々気弱なところがあるが、故に良い治世となるだろうと目された王子だった。二人が婚約者として引き合わされたのは幼い頃であったので、いささか姉弟めいた間柄ではあったが、互いに穏やかな親しみを抱き合っていたはずだ。
メリディアも生涯彼を支える王妃となろうと心に決めて、通常の勉学のみならず、厳しい王妃教育、政治や語学を学び、どこへ出ても恥ずかしくない礼儀作法を身につけ、将来の人脈作りの社交に努めていた。それが王妃に求められる才であるからだ。
だが、その努力は全て、この半年で無に帰した。
マーガレット。
あの男爵令嬢が王子に近づいてからというもの、日を追うごとに彼はおかしくなっていった。今もマーガレットは王子の後ろで彼に守られながら、婚約破棄を告げられたメリディアの姿を蔑む品のない笑いを浮かべている。
「……」
これから、自分は何を言われるのだろうか。
全てを諦めて、メリディアは王子の次の言葉を待った。
一月ほど前から、マーガレットが王子の寝室に侍るようになったと耳にして、自分たちの関係を修復するのはきっと無理だろうと心の準備は出来ていた。
そもそも、ろくな教育も受けぬ男爵令嬢風情に、正妃の座が務まるわけもない。
メリディアとの結婚後ならば、彼女を側妃として迎え入れる手立てもあるが、正しい手順を踏むこともできぬほどに、彼はマーガレットに溺れているのだ。
(やっぱり……としか言いようがないわね)
裏切られたことが手痛くはあったが、今はすでに筆頭公爵家の一員としてどう振る舞うかの方に頭が動いた。それが宮廷政治というものだ。
挑発するようかのに、彼らが折々に自分たちの睦まじさを見せつけようとしてくれたおかげで、両親も、メリディア本人も十分に考える時間がとれた。
今となってはそれはありがたい振る舞いであったが、彼らの後先を考えぬ愚かさがあまりに奇矯とも受け取れる。
少なくとも、彼の側は正気であるとは思えない。
(マーガレットは、やっぱりそうなのかしら)
彼らが同衾したという報告がなされた頃から、マーガレットは【魅了】もちではないかと囁かれていた。まさに、二人が情を通じたというその頃から、おかしさに拍車がかかっていったのだ。
【魅了】とは古くより男たちを惑わせ、虜にして操るという力。男を絡め取る悪女の才。古くから、多くの国を壊した女は皆、その才があったと伝えられている。
ならば、これは大きな争いの火種となるのかも知れない。
そんな予感にメリディアは身を震わせた。
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