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20.異国に広がる空





 『頼む、どれか一つでも良いから買っていっておくれ!!! 娘の命が掛かっているんだっ!!』



 『軍からの配給食には絶対に出ない、輸入物の缶詰だよー! 今なら格安の5000malマル!」



 『お兄さん、アタシで良い事してみないかしら?』





 「━━━━━━」



 我先にと顕示される『醜さ』が、『メッキのような偽り』を肯定していた。強い照明で雲隠れされてはいるものの、漂う淀んだ空気を前に、僕は絶句する。



 「ウスズミ、あれは、何だ? ワタシの、見たことないものばかり」



 群像に混ざる矯声を指差し、トクサは僕に問い掛ける。


 使い古した着衣を適当にあしらっただけの人々が、幾数十とネオン看板の大きな店構えの前で大胆に露店を開いている。欲と欺瞞の渦巻く煤汚れる其処は、まさしく『闇市』だった。


 街中を闊歩する地下居住区の住民を捕まえては手離し、和気藹々としている者も居れば、一方では今にも撃鉄が下されそうな、緊迫したムードも流れている。

 そんな営みの喧騒から少なくとも三つ、彼等の『飢え』が僕の耳の奥を掴んだ。


 「(……トクサを近づけたくはないな)……知らなくても良い事ってのは、沢山あるんだ。トクサ」



 純粋さを爛々とさせ、そこにある世界の汚れに気付かない彼女に、僕は口篭って堪えることが出来なかった。


 幸か不幸か。この街は極彩色で溢れている。聳え立つ建物は至る所に影を作り出し、人々の視線は全て闇市を闊歩する人々に向いている。これならば、僕達二人の身体を隠すのに難儀する事は無い。








 「…あれ?」



 ━━筈、だった。


 ほんの少しの思考の隙間で発生した現実は、僕の血の気の全てを逆流させる。彼女の名前を呟いても、既に彼女の姿は無かったのだから。





 「ッッ━━━━━!!」





 闇市を行き交う人々の姿を一つ一つ目視で確認し、トクサの姿が無いかを確認する。揺れる視界の先にまだ彼女は見えない。ならばと、力強い一歩と共に、僕は行き交う人の群れへと猛進する。(なり)振りなんて構っている暇は無い。声には出さずとも、『何処だ』と浮き彫りになったトクサを探す心情が頭蓋の中で連なり、反響する。



 「(違う……コイツじゃないッ……!!)」



 物陰に隠れる選択をする余裕も、身なりで『軍人だ』と警戒される心配をする余裕も、彼女の失踪によって掻き消されてしまった。


 『拐われたかもしれない』という最悪の結末も脳裏を過る。それだけの精神的な暗さが、この街には充満している。


 自らの足音も、息遣いも、鼓動すらも煩わしく思える程、緊張と焦燥が僕の神経を無条件に研ぎ澄ませる。周囲の明瞭な光も、人だかりの喧騒も鋭さを増していくようで、目眩がするようだ。



 「……………あ」




 ━━そんな状況でも、見慣れた緑色の髪ははっきりと見る事が出来た。



 「……トクサ、勝手に行くんじゃない!!」



 急転直下。安堵と共にまた、僕の全身に疲労がなだれ込み、蓄積する。


 気持ちは分かる。分かるとも。しかし、それとは別に余裕の無い僕は声を荒げて彼女を叱責してしまった。疲労をタバコの陶酔感で誤魔化して自らの精神力のみで身体を動かし続けている以上、無理もない。


 自らの逆立った精神を守る為に、今はひたすら自分の行動を肯定する。決して彼女を否定するつもりはないが、それでも彼女の行動は危険に晒す事も同然なのだ。声を荒げる事は決して間違いでは無いだろうと。



 「…ごめん。キョーミには、勝てなかった」



 『仕方がない』と、肩を上げて呼吸をする。疲弊はやり場のない怒りを振りかざすことを許さず、トクサを自分の方へと寄せる。



 「…………!」



 彼女は立て掛けられた商品をじっと見つめていた。何を見ている古い風景画。この世界の街並み、土地、場所を描き記した画集らしき書物の表紙。目の当たりにした直後、一瞬世界の全てが静止したように感じた。



 驚愕とは異なった、図星を突かれたかのような心臓を掴まれ、商品を手に取る。…この驚愕は、違和感は間違いじゃない。


 描かれていたのは、『夢でみた空の光景』だった。



 「(起伏のある丘…果てまで続く、境界線がくっきりとしている青空…。此処は一体……)」




 『おやおや、買ってくれる?』





 声の主は、露店の店主。皺に包容された、年老いた老婆だった。


 この国の言葉を使ってはいるが、他の露店の店主と思わしき人物の多くは流暢に話している中、一言一句をゆっくりと確認しながら話している。顔立ちその物もこの国の人物とは異なっている所を見るに、恐らく異国の人物なのだろう。



 「…………買います。幾らですか?」


 「良いのか? ウスズミ」


 「折角見つけたんだ。…此処まできて、皆に土産話の一つも無いのは悲しいだろう」



 他意がある訳では無いものの、決して彼女に自分の真意が悟られないように話の帳尻を合わせる。


 トクサはその画集を手に取ると、表紙の空を小さな腕できゅうっと抱き締める。…何も確証は無いのに『偶然ではない』と確信してしまうのは何故なのだろうか。


 それ故か、浮かび上がった疑問は思考を介さずに僕の口から溢れた。



 「この空は、一体何処の…?」


 「私の故郷…セエレにある、『霊丘ルグラズマ』、さ。もう、随分前の光景。今はクレランスに侵略されて、クレランスに、なった」


 「セエレ…」



 今、この世界では大きな戦争が引き起こされている。理由は単純な『資源の取り合い』。『進軍都市国家クレランス』が発端となって引き起こされたこの戦争を、僕達は『灰塵世界大戦』と呼んでいる。


 彼女だけじゃない。誰かの故郷がこの大戦によって、幾度と無く歴史と思い出を略奪され、上書きされ、塗り替えられていく。

 …老婆の彼女が悲しげに囁いたセエレという国も、クラレンスによって侵略された国家だなのだろう。



 「…ありがとうございました。お代はこれくらいで良いですか?」



 一先ず、手元にある金貨を机に数枚置くと、老婆は深々と僕にお辞儀をした。

 それ以上の干渉を、僕達はしなかった。


 故郷の話をした瞬間の、老婆の表情は苦悶に満ちていたから。



 「(…調べてみるか。霊丘ルグラズマ…)」



 ふと、僕はトクサの方を見る。


 彼女は満悦の表情をあどけない顔に浮かべながら、表紙に描かれたルグラズマの空を見つめている。宛ら宝物を見つけたかのような、希望に満ち溢れた瞳には薄ぼけた筆圧の空色が反射している。


 喜ばしく彼女が画集を見つめている事に何ら異論は無い物の、何故だか全身は粘着質の不安感に取り巻かれている。此処までの因果を引き寄せる『引力』を、僕は彼女から感じざるを得なかったからだ。


 ……眉を引きつらせながらも、僕は気持ちを切り替える。


悪い方向に物事を考えたくはない。マイナスな思考を続けても、良い事は決してない。『此処まで人が居るならば』と、散策を続ける事にした。周囲に僕と同じような軍服を着用した人物は居ないだろうか………



 『おいお前達ッ!! また無許可でこんな事をしているのか!!??』



 それは果たして僥倖か。 僕達二人の背後から、営みの音を強制的に遮断する気迫に満ち溢れた声が響き渡る。




 「トリオン……やっぱり、空はあったんだよ………」




 ━━画集を抱えるトクサが何かを呟く。僕はそれを聞き取れなかった。



 けれども、その瞳は僅かに潤んでいた。





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