第百九十三話 服がないので、服の材料を取りに行く
翌朝。
イルゼが朝食を終えると。
昨日と同じ三人が待っていた。
アデラ。
レティ。
麗華。
三人とも、今日は館の案内をする格好ではない。
外へ出る準備をしている。
イルゼは三人を見る。
「今日は何だ」
アデラが答えた。
「選べ」
「何を」
レティが指を三本立てる。
「本日の行き先でござる」
一本。
「滝壺」
二本。
「卵」
三本。
「服の材料取り」
イルゼが眉を寄せた。
「説明しろ」
「まず滝壺」
アデラが言う。
「谷底で一番大きな水域だ。漂着物も流れ着くし、巨大魚もいる。ここがどれくらい馬鹿みたいな場所なのか、一度見ておく価値はある」
イルゼは少し考える。
「私が墜ちた場所とは違うな」
「違う」
「私は陸へ降ろした」
「ああ」
アデラが頷く。
「お前の飛行機は森の手前に不時着した。滝壺は別だ」
イルゼの表情が僅かに変わる。
「不時着だ」
「何が」
「墜落ではない」
「似たようなもんだろ」
「違う」
妙に強い。
「最後まで操縦下にあった。機体を接地させ、速度を殺し、正面衝突を避けた。あれは不時着だ」
アデラが少し笑った。
「そこ、リーゼと同じこと言うな」
イルゼが止まる。
「……あの大尉が?」
「昨日、機体見ながら同じようなこと言ってたぞ。墜ちたんじゃない、最後まで降ろそうとしてたって」
イルゼは。
少しだけ。
口元を緩めた。
「見る目はあるらしい」
「そこは本人に言ってやれ」
「考えておく」
レティが二本目の指を示す。
「次は卵でござる」
「何の卵だ」
三人。
黙る。
イルゼの目が細くなる。
「何の卵だ」
麗華が扇子を開く。
「食料用ですわ」
「種類を聞いている」
「現物をご覧になった方が早いかと」
「何故誰も答えない」
アデラ。
「説明すると余計行きたくなくなるかもしれん」
「却下だ」
即答だった。
レティ。
「まだ見てもいないでござる!」
「説明を避ける食料採取に、怪我明けで行く必要はない」
「合理的でござるな」
残る。
三本目。
「服の材料」
イルゼは自分を見る。
今着ているのは。
墜落時に着ていた服ではない。
破損した軍服と飛行服は、洗浄と補修のため別に置かれている。
今の服は館から借りたもの。
だが。
自分の替えはない。
軍服も。
飛行服も。
肌着も。
何もかも。
元の世界から持ち込めたのは、身につけていた一式だけ。
「服の材料だ」
イルゼが答えた。
アデラが頷く。
「そうなると思った」
「何故だ」
麗華がイルゼの借り物の袖を見る。
「替えがございませんもの」
イルゼも袖を見る。
「……その通りだ」
レティが言う。
「では決定でござるな」
「羊でも飼っているのか?」
三人。
少し。
微妙な顔。
イルゼがその反応を見る。
「何だ」
アデラ。
「羊はいる」
「なら羊毛だな」
「そうなんだが」
「何だ」
麗華。
「見れば分かりますわ」
イルゼが。
嫌な顔をした。
「昨日もその言葉を何度も聞いたぞ」
「今日はもっと聞くと思う」
「帰っていいか」
「服がないぞ」
イルゼは黙った。
「……行く」
◇
最初に向かったのは。
草地だった。
遠くから。
声。
「メー」
イルゼが少し安心した。
「羊だな」
アデラが答える。
「羊だ」
「普通の?」
「羊ではある」
「その答え方をやめろ」
草地へ出る。
白い毛。
羊の頭。
耳。
四本脚のように見えるもの。
「メー」
イルゼは。
一度。
普通に見た。
そして。
二度見した。
腹の下。
太い茎。
地面へ繋がっている。
羊が。
少し離れた草を食べようと首を伸ばす。
茎も。
ぐにーっ。
伸びる。
届いた。
もしゃ。
もしゃ。
イルゼ。
無言。
レティが言う。
「プランタ・タルタリカ・バロメッツでござる」
イルゼが見る。
「植物か」
「植物でござる」
「羊だろう」
「羊の形をした植物でござる」
「鳴いている」
「鳴くでござる」
「草を食べている」
「食べるでござる」
「植物だと?」
「教授によれば」
イルゼは。
昨日の言葉を思い出した。
自分の常識を押しつけるな。
理解できないだけなら、まず受け入れろ。
深く。
息を吐く。
「……羊毛は採れるのか」
アデラが笑う。
「採れる」
「ならいい」
三人。
少し驚いた。
「早いでござる」
「何が」
「昨日より諦めるのが早い」
「諦めてはいない。目的を優先しただけだ」
イルゼは羊毛に触れる。
柔らかい。
暖かい。
普通の羊毛にしか見えない。
「品質は悪くないな」
「むしろかなりいい」
成熟した部分だけを刈る。
本体を傷つけない程度に。
必要量だけ。
同じ株から取りすぎない。
イルゼは一度見れば手際がよかった。
「軍人なのに慣れてるな」
アデラが聞く。
「遠征で補給が切れれば何でもやる」
「羊の毛も刈る?」
「必要なら」
イルゼは茎から生えた羊を見る。
「これは初めてだが」
「そりゃそうだ」
「メー」
イルゼは。
一瞬だけ羊を見る。
「……鳴かなければ、まだ楽なんだが」
「慣れるぞ」
「慣れたくはない」
◇
次。
少し湿った草地。
近づく前から。
音。
「ジュオー……」
イルゼが止まる。
「何だ」
「綿」
麗華が答える。
「今の音が?」
「綿を取る生き物ですわ」
「綿は鳴かない」
「これは鳴き声ではありませんの」
草を抜ける。
一メートルほどの巨大な虫。
地面。
丸い胴。
短い脚。
長い口吻。
その口を。
地面へ深く突き刺している。
「ジュオー……」
吸っている。
大地を。
そして。
尻。
真っ白。
ふわふわ。
巨大な綿花。
イルゼは。
長く。
黙った。
「……綿は?」
麗華が尻を指す。
「あちらですわ」
「虫の尻だぞ」
「はい」
「綿花が生えている」
「はい」
「何故だ」
アデラ。
「知らん」
イルゼがアデラを見る。
「本当に知らないことばかりだな」
「だから昨日言ったろ」
綿雲虫。
以前から館で使われている衣料資源。
尻にできる成熟した綿を摘み取る。
本体は傷つけない。
綿を取っても。
また育つ。
イルゼは棒で一度確認する。
反応なし。
噛みつかない。
毒も今のところない。
臭いもほとんどない。
「ジュオー……」
イルゼ。
「音だけ止められないのか」
レティ。
「地面を吸っている音なので無理でござる」
「何故地面を吸う」
「それも分からぬでござる」
イルゼは。
もう聞かなかった。
手袋。
綿を摘む。
ふわ。
軽い。
繊維が長い。
イルゼの目が変わる。
「いい綿だ」
麗華が笑う。
「でしょう?」
「尻から採れたことを忘れればな」
アデラ。
「皆そうなる」
「完成した布だけ見せろ」
「昨日の麗華と同じこと言ってるぞ」
麗華が少しだけ顔を背けた。
「わたくしは今でも、そう思っておりますわ」
◇
次は。
ガチョウバロメッツ。
イルゼは。
名前を聞いた時点で足を止めた。
「待て」
三人。
見る。
「ガチョウと」
「ああ」
「バロメッツ」
「ああ」
「つまり」
レティが頷く。
「おそらく予想どおりでござる」
「見たくないな」
「羽毛が必要でござろう?」
イルゼは。
少し考えた。
寝具。
防寒着。
飛行服の保温。
「……必要だ」
行く。
そして。
いた。
ガチョウ。
ただし。
植物から生えている。
イルゼは。
遠くから確認。
近づく。
茎を見る。
一度。
天を見る。
「どうして鳥まで生える」
アデラ。
「谷底だからな」
「その説明を使うな」
成熟して自然に抜けやすくなった羽毛だけを採る。
ふわ。
軽い。
大量。
イルゼは羽毛を指で挟む。
「これは使える」
麗華。
「寝具にもよろしいですわ」
「飛行服にも使える」
アデラが笑う。
「結局全部、飛行機か」
「空は寒い」
「はいはい」
「馬鹿にするな。高度が上がれば――」
「分かった分かった」
「分かっていない返事だな」
少し。
リーゼとアデラのやり取りに似てきていた。
◇
ここまでで。
羊毛。
綿。
羽毛。
三種類。
普通の衣料資源。
普通。
という言葉の意味は。
かなり壊れている。
しかし。
イルゼの世界にも存在する素材ではある。
問題は。
ここからだった。
アデラが言う。
「次は水辺」
イルゼが見る。
「何を取る」
「レーヨン」
イルゼが止まった。
「……何?」
レティが答える。
「レーヨンでござる」
「知っている」
「なら話が早い」
「早くない」
イルゼの顔が険しくなる。
「レーヨンを、取りに行く?」
「そうでござる」
「工場ではなく?」
「水辺でござる」
「何故」
麗華。
「魚から採りますの」
イルゼ。
完全停止。
数秒。
「もう一度」
「魚ですわ」
「レーヨンを?」
「はい」
「魚から?」
「はい」
イルゼは。
額を押さえた。
「昨日の妖精より酷いな」
アデラが笑った。
「知ってる物の方がきついだろ」
「そういうことか」
初めて。
リーゼが何度も頭を抱えていた理由を。
少し理解した。
◇
浅瀬。
流れは緩い。
水草。
その間。
銀色の魚。
一メートル近い。
泳いではいるが。
一定以上。
移動しない。
腹の下。
緑の茎。
川底。
「……バロメッツ類か」
イルゼが自分から言った。
レティが感心する。
「もう分かるのでござるな」
「茎がある」
魚が尾を振る。
ぱしゃ。
尾びれから。
白銀。
半透明。
細い繊維。
さらさら。
水へ伸びる。
イルゼ。
無言。
麗華。
「レーヨン魚ですわ」
「そのままの名前だな」
「通称ですの」
イルゼが一本取る。
指。
擦る。
引く。
光。
光沢。
柔らかい。
身体へ沿う感触。
「……確かに似ている」
アデラ。
「本物のレーヨン?」
「断定はできん」
イルゼは繊維を見る。
「私の世界なら、植物由来の原料を処理して作る。こんなふうに魚の尾から伸びてはこない」
レティ。
「こちらでは伸びるでござる」
「見れば分かる」
成熟した繊維だけ巻き取る。
根元まで切らない。
数日すれば。
また伸びる。
イルゼは採取しながら聞く。
「魚は傷まないのか」
「問題ないらしい」
「なら優秀だな」
三人。
見る。
イルゼ。
「何だ」
アデラ。
「もう褒めた」
「資源として優秀なものは評価する」
「大尉と同じだ」
「……またあの女か」
少しだけ。
声が面白くなさそうだった。
◇
次。
湿地。
「けろ」
イルゼが足を止める。
「蛙」
「そうでござる」
「普通の?」
三人。
答えない。
「答えろ」
草の向こう。
七十センチほどの巨大な蛙。
腹の下。
茎。
地面。
イルゼ。
「……もういい」
蛙が跳ぶ。
びよん。
茎。
伸びる。
着地。
また戻る。
「けろ」
イルゼ。
「本人は逃げられないのか」
レティ。
「そのようでござる」
「可哀想に見えるな」
「本人は普通に暮らしているようでござる」
蛙がもう一度跳ぶ。
びよん。
後ろ脚。
指の間。
透明な糸。
枝へ。
葉へ。
伸びる。
イルゼが近づく。
糸を取る。
引く。
伸びる。
離す。
戻る。
さらに引く。
強い。
「……ナイロン」
麗華が言う。
「ナイロン蛙ですわ」
イルゼは。
今度は叫ばなかった。
ただ。
空を見る。
「慣れました?」
「違う」
「では?」
「一つずつ怒っていたら体力が持たない」
アデラが笑った。
イルゼはナイロン様繊維を引く。
目が。
少し変わる。
「これはかなり使える」
「服?」
「服も」
一本。
二本。
撚る。
「紐」
さらに。
「網。補強。落下防止索の補助」
アデラが。
嫌な顔。
「飛行機?」
「当然だ」
「服の材料を取りに来たんだぞ」
「服に必要な分を取った後なら問題ない」
「教授に言えよ」
「言う」
妙に。
素直になった。
◇
最後。
乾いた岩場。
イルゼが聞く。
「今度は何だ」
アデラ。
「蜥蜴」
「そこから何を取る」
少し。
間。
「ポリエステル」
イルゼが止まる。
「……魚からレーヨン。蛙からナイロン」
「そう」
「蜥蜴からポリエステル」
「そう」
「誰がこの生態系を作った」
三人。
「知らん」
「分かっていた」
岩。
日差し。
一メートルほどの蜥蜴。
日向ぼっこ。
尻尾。
途中から植物の蔓。
岩の隙間。
根。
イルゼ。
「はい、バロメッツ」
アデラが笑う。
「適応したな」
「分類上の特徴を覚えただけだ」
蜥蜴。
動かない。
しばらく。
鱗。
ぺり。
薄い皮膜が浮く。
ぺりぺり。
透明。
均一。
丈夫。
イルゼが触る。
水。
弾く。
引く。
強い。
「……確かにポリエステルに似ている」
レティ。
「便利でござる」
「便利だ」
即答。
「乾きやすい。水を吸いにくい。擦れにも強そうだ」
麗華。
「お洋服にも?」
「作業着にいい」
一拍。
「飛行服にも」
アデラ。
「やっぱりそっちへ行くか」
「性能を見れば当然だ」
成熟して自然に浮いた皮膜だけ取る。
本体を傷つけない。
イルゼは。
丁寧に。
使える部分を採取する。
気づけば。
一番真剣だった。
◇
帰る前。
収穫を確認する。
羊毛。
綿。
羽毛。
レーヨン様繊維。
ナイロン様繊維。
ポリエステル様繊維。
イルゼは。
それぞれを並べる。
「これだけあれば」
羊毛。
「防寒着」
綿。
「普段着、肌着」
羽毛。
「寝具と防寒」
レーヨン様。
「薄手の衣類」
ナイロン様。
「丈夫な糸。靴下や細い補強材」
ポリエステル様。
「作業着。乾きやすい衣類」
少し考える。
「かなり揃うな」
麗華が言う。
「でしょう?」
「谷底に工場はないと思っていた」
アデラ。
「ないぞ」
「代わりに魚と蛙と蜥蜴がいる」
「そうだな」
「意味が分からない」
「そこは俺たちも同じだ」
イルゼは。
しばらく。
材料を見る。
そして。
「だが」
三人が見る。
「補給地として考えれば、かなり優秀だ」
アデラが笑う。
「軍人だな」
「衣食住を確保できる場所を評価して何が悪い」
「何も悪くない」
◇
帰路。
イルゼは採取袋へ手を伸ばした。
アデラが先に持つ。
「自分で持つ」
「まだ肋骨が治りきってない」
「この程度」
「教授から重い物は禁止」
「これは重くない」
「量が多い」
「持てる」
「持たせない」
イルゼが睨む。
アデラも睨む。
数秒。
イルゼが手を引いた。
「……分かった」
レティが感心する。
「素直になったでござる」
「怪我を悪化させて飛行機を見る日が延びる方が困る」
アデラ。
「理由はそっちか」
「当然だ」
麗華が笑った。
◇
巨大な平屋の館が見えてきた。
イルゼは。
昨日よりは見慣れた聖者サイズの館を見る。
そして。
その手前。
洗濯場。
干されている服。
羊毛。
綿。
絹。
そして。
少し前に完成した。
新しい化繊様の布。
イルゼが足を止める。
「全部」
「何だ?」
「ここの生き物から取った材料なのか」
アデラが答える。
「大体な」
イルゼは。
採取した袋を見る。
それから。
館を見る。
「……服屋も工場もないのに、服は作れる」
レティ。
「谷底でござるからな」
「それで済ませるな」
麗華が聞く。
「イルゼさんは、どのようなお洋服がお好みですの?」
「軍服に近いもの」
即答。
「普段着も?」
「動きやすければいい」
「寝間着は?」
イルゼが止まる。
「……必要か」
三人。
「必要」
「肌着も?」
「必要でござる」
「靴下も?」
「必要ですわ」
イルゼは。
しばらく考えた。
「三組では足りないな」
アデラ。
「洗濯するからな」
「普段着を三。作業着を二。寝間着。肌着。飛行用は今のものを直しつつ、予備も作る」
麗華の目が少し輝く。
「仕立てるのが楽しみですわ」
イルゼが嫌な予感。
「待て」
「何でしょう」
「お前が決めるな」
「本人が決める」
昨日の話。
麗華は少し笑う。
「もちろんですわ」
イルゼも。
少しだけ。
笑った。
「ならいい」
そして。
ふと。
袋から一本。
透明なナイロン様繊維を取り出す。
引く。
強い。
「……これ」
アデラ。
「何だ」
「やはり飛行機の補修にも使える」
「明日な」
「分かっている」
「教授の許可」
「取る」
「勝手に行くな」
「行かない」
三人。
顔を見合わせる。
イルゼが睨む。
「何だ」
レティ。
「順応が早すぎるでござる」
イルゼは。
鼻を鳴らした。
「軍人は現地の規則へ適応するものだ」
少し間。
「納得するかどうかは別だが」
遠く。
水辺。
ぱしゃ。
レーヨン魚。
湿地。
「けろ」
ナイロン蛙。
岩場。
ぺり。
ポリエステル蜥蜴。
草地。
「メー」
羊のバロメッツ。
別の場所では。
ガチョウバロメッツ。
そして。
「ジュオー……」
大地を吸う綿雲虫。
イルゼは。
全部の方向を一度見た。
「……訂正する」
アデラが聞く。
「何を」
「この土地へ適応するのは」
一拍。
「軍務より難しいかもしれん」
三人は。
誰も否定しなかった。




