5 薔薇の花
「よっちゃん、いつ菊乃先輩に渡しに行くの? 先輩の机、朝からチョコで溢れかえってるらしいよ」
「緊張して行けないの……! そもそも渡す必要あるかな。可愛い女の子たちから貰ったチョコに絶対隠れちゃうよ、私の本命……」
「渡す前からそんなに悲観にならないの! ほら、昼休みの内に行っちゃおうよ。放課後まで、ずっとチョコ握りしめてるわけにはいかないでしょ」
二月十四日の校内は、どこを見てもそわそわして落ち着きがない。持ち寄ったチョコの匂いが、学校全体を覆っているようだ。
友チョコの交換も大事だが、皆が圧倒的に注目しているのは、憧れの先輩に渡す本命チョコだ。
普段なら足を踏み入れることのない三年の教室に恐る恐る顔を出し、震える手でチョコを渡す。直接渡す勇気のない子は、朝のうちに机の上に置いておく。
人気の先輩になると、後輩たちに囲まれて一歩も動けなくなるらしい。女子高だからだろう、同性の先輩に対して本気の好意を堂々と口にする子も珍しくない。
私は、鞄の中にそっと手を差しいれた。デパートの売り場で散々迷った挙句、選んだのは有名な絵画のプリントが施されたチョコだった。包装紙は、赤にした。
線のはっきりした彼女の横顔には、鮮やかな色が似合う。
時計を見る。一時五分。
両手で箱を抱え、そっと教室を出た。渡り廊下を渡って、いつもの場所ではなく、直接美術倉庫へ向かう。今なら、彼女はまだ来ていない筈だ。彼女がいつも座っている椅子の上に、そっと置いて帰るつもりだった。
直接渡す勇気は出なかった。せめてもと、リボンに一枚のカードを挟んだ。ささやかな愛の告白の下に、名前とクラス番号を書いたカードだ。
もしかしたら、このカードを手掛かりに彼女が会いに来てくれるかもしれない。会いに来てくれなくとも、自分を敬愛する子が一年にいるのだと知ってくれたら。
蜘蛛の糸のように細く頼りない繋がりであっても、繋がりが出来たという事実だけで私は生きていける。
美術倉庫まで、あと数歩だった。私は強く箱を握りしめそうになり、我に返って力を緩めた。中のチョコが潰れたらいけない。震える手で箱を持ち直した。外に漏れ聞こえそうなほど、鼓動が強く脈打っていた。
扉の前まで来たとき、少女の囁き声がした。
「……素敵」
上げていた腕が、中途半端な位置で停止する。まさか。息を詰め、扉の僅かな隙間から中を覗いた。
柔らかな陽光が射しこむ美術倉庫には、二人の少女がいた。モデルの春咲さんと、名前も知らない愛する彼女。
「こんなに綺麗に描いてくれるなんて……嬉しい」
二人は向かい合っていた。春咲さんは、一枚のキャンバスを嬉しそうに眺めている。モデルの春咲さんを描いた絵――美しい彼女が必死に描いていた絵だ。ようやく完成したのか。
いろんな角度から見ては満足そうに微笑む春咲さんは、茶髪を緩い三つ編みにして肩に垂らしていた。
儚く、可憐。私とは正反対の、可愛らしい女の子。
そんな春咲さんを、彼女は見つめている。微かに首を傾けて、とても愛おしそうに。
ああ、遠い。中庭を隔てて彼女を眺めていたときよりも、ずっと。
「モデルをした甲斐があったわ。とっても大変だったけれど」
彼女はそう、と呟いた。部屋の空気が変わった。彼女は、キャンバスを近くの机に置いた春咲さんを抱き締めた。見つめ合い、唇を重ねる。彼女の舌が、春咲さんの口を割るのが見えた。
私の手の中で、チョコが割れる音がした。
馬鹿らしい。彼女の視界に私が入る余地なんて、最初から。
茎が喉奥から伸びてきた。舌に絡み、強く締め上げる。私も茎を捉えて吸った。思うがままに動く茎に、私は身を任せた。腹の奥がじくりじくりと疼いた。
ぱっ、と音を立てるようにして。
満開になった薔薇の花弁が、唇の隙間から零れ落ちた。




