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小さな天災(死傷者1名)、大きなうねり  作者: G-20
冷戦 〜1940年代後半から1950年代〜
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19/19

第十九話 明治二十二年憲法改正(後篇)

 前回「憲法改正要綱」が作成されて、今回遂に連合国軍最高司令官(SCAP)総司令部(GHQ)に提出されます。


 そして「憲法改正要綱」に基づく改正が行われることでしょう。

1946年2月1日 東京

 東京の冬は厳しかった。

 焼け跡の残る街路を冷たい風が吹き抜け、人々は身を縮めながら朝刊を手に取っていた。


 その朝、多くの国民は一面を飾る大見出しに目を奪われた。


「憲法改正案判明――旧体制維持、反動的内容」


 毎日新聞をはじめ、各紙は競うように政府の憲法改正案を批判していた。

「天皇権限を温存」

「封建制度を残存」

「軍国主義復活の危険」


 刺激的な文言が紙面を埋め尽くす。


 社説はさらに過激だった。

 > 「江戸幕府以上の封建制度への逆行」




 > 「民主化に反する反動思想」




 戦争に敗れ、価値観の転換を迫られていた国民にとって、それは極めて衝撃的な内容だった。


 駅のホームでは会社員たちが新聞を広げ、闇市では露天商たちがその話題を口にする。

「まだ軍人の国に戻るつもりなのか?」

「やっぱり政府は変わっちゃいない……」

 誰もが新聞記事を事実として受け止めた。

 疑う理由がなかったのである。


 だが――。


 その記事は事実ではなかった。

 新聞が入手したとされた「憲法改正要綱」は、政府案ではない。

 法学者・宮澤俊義が研究目的で作成した私案、いわゆる宮澤甲案であった。

 しかも社説で非難されている内容の多くは、その宮澤案にすら書かれていない。

 記者たちの先入観と政治的主張が生み出した虚像だった。


 しかし当時は1946年である。

 インターネットもなければSNSもない。

 一般庶民が一次資料を確認する術など、何処にも存在しない。

 だから、新聞が書けば、それが真実になった。

 少なくとも、多くの人々にとっては。



同じ頃。

 霞が関の法制局庁舎では、まったく別の時間が流れていた。

 会議室の机には資料が積み上がり、委員たちは黙々と修正作業を続けていた。

「内閣の責任規定はもう少し明確にしましょう。」

「議会との権限整理も必要です。」

 憲法問題調査委員会の議論は続いていた。


 委員長である松本烝治国務大臣は、眼鏡を外して目頭を押さえた。

「急ぎ過ぎれば、粗が出る。」

 静かな声だった。

「時間は限られている。

 しかし、憲法は国家の根幹だ。慎重でなければならん。」


 委員たちはうなずく。

 誰も新聞の話をしていない。

 そもそもブラッシュアップに没頭している彼等には、新聞を読む暇すらなかった。


 だから知らなかった。

 自分たちが存在しない案によって全国的な非難を浴びていることを。



同日 東京・第一生命館

 一方、連合国軍最高司令官(SCAP)総司令部(GHQ)本部では空気が一変していた。


 民政局の机には新聞記事が山のように積まれている。

 担当将校たちは次々と報告を行った。

「日本政府の改正案は、極めて反動的であるとの報道です。」

「民主化に逆行する内容とされています。」

「江戸幕府よりも封建的であるという説もある模様です。」

 部屋の奥で報告を聞いていたダグラス・マッカーサー元帥は無言だった。

 彼は一枚の記事を手に取り、しばらく読み続ける。


 やがて立ち上がった。

 室内が静まり返る。


「我々が動く。」

 短い言葉だった。


 しかし誰もが意味を理解した。

 日本政府を待たない。

 連合国軍最高司令官(SCAP)総司令部(GHQ)自身が新憲法草案を作成する。

 その決断だった。


「皇族殺戮を目論む極東委員会の立ち上げまで、時間がない。間に合わねば、日本占領は何千万もの兵士を要求するだろう。」

 マッカーサーはそう付け加えた。

 その場にいた将校たちは即座に行動を開始した。

 その日のうちに民政局は戦時体制さながらの忙しさとなった。


 ホイットニー准将。

 チャールズ・ケーディス大佐。

 ミロ・ハッシー少佐。


 彼らは昼夜を問わず作業に没頭する。

 机上にはマッカーサーが示した三原則が置かれていた。


 第一:天皇を国家元首として存続させること。


 第二:戦争を永久に放棄すること。


 第三:封建制度を廃止すること。


 数日間、彼らはほとんど眠らなかった。

 タイプライターの音が深夜の第一生命館に響き続ける。

 誰もが急いでいた。



 その出発点となった情報が誤報であることを知らぬまま――





1946年2月13日 東京・第一生命館

 雪混じりの風が吹く朝。

 松本烝治国務大臣をはじめとする憲法問題調査委員会の代表団は第一生命館へ向かった。

 手には完成したばかりの「憲法改正要綱」がある。

 決して完璧ではない。

 しかし何度も検討を重ねた成果だった。


 松本国務大臣は車中で静かに考えていた。

 多少の修正要求はあるだろう。

 だが全面否定まではされないはずだ。


 ――そう信じていた。


 会議室に入った瞬間、その期待は打ち砕かれる。

 連合国軍最高司令官(SCAP)総司令部(GHQ)側の表情は異様なほど硬かった。

 説明を始めようとした松本国務大臣を制し、ホイットニー准将が口を開く。

「どうぅ〜して、コォ〜レが受け入れられるとぉ〜でも思ったぁ〜のだ。」


 松本国務大臣は一瞬言葉を失った。

「……何ですと?」

 静かな声だった。

 しかしその奥には驚愕が滲んでいた。よもや、説明するよりも前に拒絶されるとは思っていなかったからだ。


 ホイットニーは書類を差し出した。

「これがぁ〜、日本の進むべき道であぁ〜る。」

 それは連合国軍最高司令官(SCAP)総司令部(GHQ)が作成した憲法草案だった。


 委員たちは顔を見合わせる。

 何かの誤解ではないか。

 そう考えた。


 松本国務大臣は説明を試みた。


 新聞報道は事実ではないこと。

 批判された内容は政府案ではないこと。

 実際の改正要綱はまったく異なること。


 一つ一つ丁寧に説明した。


 だが連合国軍最高司令官(SCAP)総司令部(GHQ)側の態度は変わらなかった。

 極東委員会による皇族全粛清を防ぐため、既に結論は出ていたのである。




 数日後、東京上空に爆音が響いた。

 人々が見上げる。


 B-29爆撃機だった。


 戦争が終わったはずの空を、巨大な銀色の機体が低空で飛んでいく。

 威嚇なのか。

 示威行動なのか。

 日本側には分からない。


 だが不気味だった。

 敗戦国であることを思い出させるには十分だった。


 その頃、日本政府に対して連合国軍最高司令官(SCAP)総司令部(GHQ)は明確なメッセージを送っていた。

「この草案は、天皇を守る唯一の道である。」

 その言葉は重かった。


 誰もが理解した。

 もはや議論の余地はほとんど残されていない。


 敗戦国に選択肢など存在しない――


 憲法改正の主導権は、日本政府の手を離れつつあった。


 そしてその発端には、一つのフェイクニュースがあった。

 日本の憲政史を大きく変えることになる虚報(フェイクニュース)である。




 その代償は、あまりにも大きかった。







1946年3月6日、東京霞ヶ関

 早春の冷たい風が霞が関を吹き抜けていた。

 首相官邸では記者たちが詰めかけ、日本政府(幣原内閣)による重大発表を待っていた。


 その日の午後、日本政府(幣原内閣)は正式に「憲法改正草案要綱」を公表した。

 その内容は、一か月前まで松本烝治らが検討していた案とは大きく異なっていた。


 連合国軍最高司令官(SCAP)総司令部(GHQ)民政局が作成した草案を基礎とする新たな改正案。


 天皇主権から国民主権へ。


 統帥権の消滅。


 広範な基本的人権の保障。


 そして戦争放棄。



 それは日本の国家体制そのものを書き換える内容だった。


 記者会見場では次々と質問が飛ぶ。

「政府はこの内容を全面的に受け入れたのですか」

「天皇の地位はどうなるのでしょうか」

「戦争放棄とは具体的に何を意味するのですか」


 しかし説明する官僚たちの表情には疲労が色濃く滲んでいた。


 彼ら自身、わずか数週間前には想像もしなかった内容だったのである。


同日、東京・第一生命館。

 連合国軍最高司令官(SCAP)総司令部(GHQ)総司令官ダグラス・マッカーサー元帥は「憲法改正草案要綱」を支持する旨の声明を発表した。


「日本国民は、民主主義への新たな一歩を踏み出した。」


 声明文は各紙に大きく掲載された。

 多くの国民は、それを占領軍から与えられた新時代の宣言として受け止めた。

 だが、その経緯を知る者は少なかった。



 ましてや、一か月前の新聞報道が与えた影響を理解している者などほとんど存在しなかった。




1946年4月10日

 戦後初の総選挙の日。

 投票所には朝早くから人々が列を作っていた。

 焼け跡の街にも活気が戻りつつある。

 人々は新しい時代への期待を抱いていた。




 だが、その選挙は決して自由な条件だけで行われたものではなかった。


   公職追放


 その名の下に、多くの政治家が立候補資格を失っていた。

 かつて政界を主導していた有力者たちは次々と政治の舞台から姿を消した。

 選挙事務所では落胆する声も聞かれる。

「先生が出られないのでは戦えない……」

「候補者探しからやり直しだ……」


 一方で、若い候補者たちは希望に満ちていた。

「これからは新しい日本を作る時代です!」

 そう語る青年政治家たちの姿が新聞を飾る。 


 選挙結果は戦前とは大きく異なった。

 帝国議会の顔ぶれは一変したのである。


 そして、それは憲法改正案を審議する議会の構成そのものを変えることになった。





1946年6月20日 東京・永田町、国会議事堂

 梅雨空が国会議事堂を覆っていた。

 第九十回帝国議会が開かれているなかで、この日憲法改正案提出の勅書が発せられた。


 歴史的な審議が始まる。


 衆議院本会議場では議員たちが次々に演壇へ立った。


「国民主権とは何か。」


「天皇の位置付けはどうあるべきか。」


「第九条は国家防衛と両立するのか。」


 議論は連日続いた。

 新聞もラジオも憲法問題を大きく取り上げた。


 しかし、その熱気とは裏腹に、議場の内外では誰もが理解している事実があった。

 重要な修正案の多くは、事前に連合国軍最高司令官(SCAP)総司令部(GHQ)との協議を経ていたのである。

 法制局の担当者は国会と第一生命館を往復し続けた。


 修正案が提出される。

 連合国軍最高司令官(SCAP)総司令部(GHQ)の意向が確認される。

 問題があれば再調整される。

 ――その繰り返しだった。


 ある議員は休憩中、同僚に小声で漏らした。

「結局のところ、どこまで自由に議論できるのだろうな。」

同僚は周囲を見回してから答えた。

「占領下だ。」

 短い言葉だった。

 それ以上を語る必要はなかった。

 誰もが理解していたのである。

 敗戦国が占領軍に真正面から逆らうことの意味を、それをする者の末路を(公職追放)……





 夏が過ぎ、秋が訪れた。

 審議は続き、修正は重ねられた。

 それでも大きな流れは変わらない。

 新憲法制定へ向かう流れは、もはや止められなかった。




1946年10月7日

 ついに帝国議会は憲法改正案を可決した。

 本会議場に結果が告げられる。

 議員たちは静かに席を立った。

 歓声もなければ拍手も少ない。


 誰もが、この瞬間の重みを理解していた。


 明治以来70年以上続いてきた国家体制が、終わろうとしていた。



1946年10月29日

 枢密院でも最終審議が行われた。

 明治憲法制定以来、国家の重要事項を審議してきた最高諮問機関。

 その枢密院が改正案を再可決する。


 皮肉なことに、枢密院は自らの存在意義を失わせる憲法に同意したのであった。

 老齢の顧問官たちは静かに議場を後にする。



 一つの時代が終わろうとしていた。




1946年11月3日 皇居

 東京の空は澄み渡っていた。

 皇居では新憲法公布のための儀式が執り行われる。


 昭和天皇は静かに書類へ裁可を与えた。


 誰一人大きな声を上げない。


 厳粛な空気だけが流れている。




 こうして新しい憲法は公布された。

 明治二十二年憲法は改正され、新たな国家の基本法が誕生したのである。


 皇居の外では新聞号外が配られた。

 人々は足を止めて記事を読む。

 しかし、その多くは日々の生活に追われていた。


 食糧不足。

 住宅不足。

 失業。


 憲法よりも今日の夕食の方が切実だった。

 それでも歴史は動いていた。

 ――静かに、しかし確実に。




 そして半年後――



1947年5月3日

 新憲法が施行された。

 東京の街には日章旗(日本国国旗)が掲げられていた。

 役所では新制度への切り替え作業が行われる。

 学校では教師が新憲法について説明していた。


 会社員はいつものように出勤し、商店はいつものように店を開ける。


 一見すれば普段と変わらない朝だった。

 しかし、その日を境に日本という国家の姿は変わった。


 主権は国民に存する。

 天皇は国家元首ではなく象徴となる。

 軍隊を持たないことを理念として掲げる。


 近代日本が築いてきた国家体制は、大きな転換点を迎えたのである。




 だが――、その出発点を辿れば、一つの疑問が残る。


 1946年2月1日、全国の新聞を飾った記事。

「憲法改正案判明――旧体制維持、反動的内容」


 あの記事は、本当に事実だったのか、もし事実ではなかったとしたら――

 もし誤った情報が歴史を動かしたのだとしたら――

 果たして日本の運命は、それでも同じ結末へ辿り着いただろうか。

 その疑問を知る者は少ない。


 そして知ろうとする者も、ほとんどいなかった。

 敗戦と占領の激動の中で、その真相は静かに歴史の陰へ埋もれていったのである。

 なお今回、誇張こそあれど大筋は史実準拠な模様。


 そしてヤポン人民共和国の登場や“朝鮮戦争”にヴェトナム戦争などといった本作のメインコンテンツは6月以降に投稿される見込みです。

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