第20話 粘り強く生きる者
木々の間を抜ける風が、焼きたてのパンと肉の香りを運んでくる。
アストレイの朝は、もう昔のような静けさを知らなかった。
鍬の音、子どもたちの笑い声、家畜の鳴き声――それらが混ざり合い、まるで村全体が息づいているようだった。
畑の端では、ミーノが腰を下ろして新しい苗を植えていた。
額の汗を拭いながら、陽に照らされる横顔は、かつてよりもずっと逞しい。
その傍では子どもたちが笑いながら水を運び、時折水桶をひっくり返しては大人たちに叱られていた。
新築中の家では、ドルビが大きな声で指示を飛ばす。木槌の音が一定のリズムで響き、村の空気を震わせている。
新しい家が建ち、道が広がり、人が笑う。
村が、生きている。
その実感が、日を追うごとに確かなものになっていた。
◇ ◆ ◇
書類に目を通していた昼下がり、扉を叩く音がした。
顔を上げると、リヴが駆け込んできた。
息を弾ませながらも、その瞳には高揚した光が宿っている。
「クロム様、面会を希望している人がいます。最近この村の噂を聞いて来たらしくて」
「新しい村人の希望者か?」
「ええ。悪い人じゃなさそうです」
そう言ってから、彼女はわずかに唇を噛んだ。
ほんの少しの警戒――それでも、希望を感じさせる表情だった。
「わかった。通してくれ」
リヴが頷くと、間もなくして扉が開いた。
一人の男が、恐る恐る足を踏み入れる。
灰色の髪。旅の埃をかぶった外套。長旅の疲労を隠せないが、その瞳の奥には確かな意志があった。
「あなたが……この村の代表の方ですか?」
「ああ。クロム・アストレイだ。聞かせてもらおうか。君の名前と、ここに来た理由を」
「ネバルドと申します。……スキルは【粘着】です」
その瞬間、リヴがわずかに目を瞬いた。
地味な響き。戦いや農業のような明確な用途も浮かばない。
けれど、俺は違った。
「どんなふうに使ってきたんだ?」
俺の問いに、ネバルドは一瞬ためらった。
それから苦笑を浮かべ、ゆっくりと語り始める。
「その……触れた物をくっつけることができます。昔は警備の仕事をしていました。罠を張って泥棒を捕まえる、そんな仕事です。でも……制御が下手で。解除がうまくできず、依頼人まで引っかかってしまって」
彼は目を伏せた。
その肩に、長い年月の重みが乗っているように見えた。
「それで、『使えない』奴って言われて。結局、職も仲間も失いました」
静かに息をつく声。
それでも、絶望ではなく、どこかに火を灯したような響きがあった。
「それでも……どこかに、自分を必要としてくれる場所があるかもしれない。そう思って、ここまで来ました」
彼の言葉に、俺は胸の奥が熱くなった。
あの日、俺がこの村を救うと決意したときのことを思い出す。
居場所を失った者が、もう一度生き直せる場所を――
「この村では、誰かの力を無駄だと決めつけない。使い方を探すのは、俺たちの方だ」
言葉が自然に口をついて出た。
ネバルドは一瞬、信じられないというように目を見開いた。
それから、目尻をわずかに震わせ、小さく頷く。
「……ありがとうございます」
その声が、どこか震えて聞こえた。
「リヴ、ドルビを呼んできてくれ」
しばらくして、木槌を握ったままのドルビが入ってくる。
いつものように汚れた腕を拭きながら、ぶっきらぼうに言った。
「なんだクロムさん。まさかまた材木が足りねぇとか言うんじゃねぇだろうな」
「いや、今日は新しい仲間を紹介したい。スキルは【粘着】。建築に役立ちそうだと思わないか」
ドルビは眉をひとつ上げて、ネバルドをじろりと見た。
無言のまま数秒。
やがて、にやりと口角を上げる。
「粘着、だと?」
「え、ええ……」
「ふむ……面白ぇじゃねぇか」
ドルビは豪快に笑い、肩を叩く。
ネバルドはたじろぎながらも、顔を上げた。
「木材を組む時、仮止めが効くなら作業がはかどる。接着剤なんて高価だからな。おい坊主、明日から俺のところに来い。使えるかどうか、叩き込んでやる」
「は、はいっ!」
返事をしたネバルドの声は、さっきよりもずっと力強かった。
ドルビの背に押されるようにして部屋を出ていく彼の背中を見送りながら、リヴが微笑む。
「最近、本当にいろんな人が来ますね」
「ああ。それだけ、この村の噂が広がっているんだろう」
窓の外を眺めると、畑の方から子どもたちの声が聞こえた。
ミーノの姿も見える。いつものように泥だらけになりながら苗を植えているが、
今日はその傍らに、女性の姿があった。
腰まで届く茶髪を布で束ね、薄緑の外套の裾を土に汚しながら黙々と作業している。
指先をひらめかせると、どこからか小さな羽音が生まれ、畑の周りを舞った。
ミツバチや小さな虫たちが列をなし、苗の周囲に止まっていく。
リヴが目を丸くする。
「……あの方、虫を操ってるんですか?」
「ああ。少し前に来た新しい村人だ。名はミツリ。スキルは【虫寄せ】だ」
リヴの表情に一瞬、複雑な色が浮かんだ。
虫のスキルと聞けば、誰もがあまり良い印象を持たない。
だが、畑を覆う光景はどうだ。花粉を運び、害虫を追い払う小さな羽音が、
まるで祝福の合唱のように響いていた。
「ミーノさん、これでどう?」
「完璧よ、ミツリ! ほら、葉が生き返ったみたい!」
ミーノが笑顔で声を上げ、ミツリも照れたように笑った。
彼女の笑みは素朴で、どこか儚い。けれどその瞳には確かな誇りがあった。
リヴがそっと呟く。
「……あの人も、居場所を見つけたんですね」
「ああ。アストレイはそういう場所だ。誰もが、生き直せる」
俺は小さく息を吐き、再び書類に目を戻した。
窓の外では、虫たちの羽音と子どもたちの笑い声が、静かな昼下がりを満たしていた。
彼女の瞳が、夕陽のように柔らかく輝いて見えた。
こうして一人ずつ、誰かの居場所が生まれていく。
◇ ◆ ◇
最近は、特産品づくりにも力を入れている。
ネクレア・ヴィータに続いて、俺たちはリンゴの果汁を使ったシードルを完成させた。
名は『ネクレア・ルーミナ』――蘇った光のシードル。
光を象るような黄金色の液体。
グラスを傾ければ、わずかに甘く、爽やかな香りが広がる。
この村の今を象徴する味だった。
酒だけではない。
魔物の肉を加工した干し肉も、保存が利いて味も良いと評判だ。
どちらもラセル商会が買い上げてくれ、今ではギルディアの市でもアストレイ産の名を知らぬ者はいないという。
最初は一か月に一度だった商人の訪問も、今では週に一度。
広場では子どもたちがリンゴの木の下で遊び、女たちは笑いながら樽を磨く。
俺がこの地に来たばかりの頃の、荒廃した景色とはまるで別世界だ。
――アストレイは、もはや辺境ではない。
生きる意思を持つ者たちの国の種になりつつある。
◇ ◆ ◇
しかし、成長には課題もつきまとう。
人が増え、家が足りない。旅人を迎える宿も必要だ。
今、村の建築班が中心となり、新しい区画の整備が進んでいる。
その中で、ネバルドの存在が輝きを放っていた。
彼の【粘着】スキルは、木材の組み合わせや補強作業で想像を超える効果を発揮した。
釘を使わず、木と木をぴたりと接着させる。外れにくく、それでいて柔軟性を保つ。
「ドルビさん、これでどうですか!」
「おおっ……完璧だ! お前、すげぇじゃねぇか!」
笑い声と歓声が混じる。
ネバルドは恥ずかしそうに頭をかいたが、その頬には確かな誇りが浮かんでいた。
彼がかつて失った居場所を、今は自らの手で築いている。
それを見ているだけで、胸の奥が温かくなった。
◇ ◆ ◇
夕暮れ、作業を終えた人々が広場に集まる。
新しい家々の梁が夕陽に照らされ、木目が金色に光る。
「見てください、クロムさん。ようやく形になりました」
ネバルドが誇らしげに笑う。
その表情は、初めて会った時の影をすっかり失っていた。
「よくやったな。……アストレイに来てくれて、ありがとう」
俺がそう言うと、彼は一瞬だけ目を伏せ、それから小さく頷いた。
「こちらこそ……ありがとうございます。俺……アストレイに来て、本当に良かった」
その声は震えていたが、悲しみではなかった。
報われた者だけが流せる、静かな涙の音だった。
見上げれば、夜の帳が下り始め、村の上空に灯りがともる。
家々の窓からこぼれる光が、まるで星の群れのように瞬いていた。
ネバルドのように、居場所を失った者が今ここで必要とされている。
それは、誰よりも俺が望んだ光景だ。
絶望の闇を越え、もう一度、人が光を取り戻す場所。
アストレイ――蘇った村。
俺はその光景を見つめながら、胸の内でそっと呟いた。
まだ終わらない。ここから始まる。
この村も、この命も。
※作者からのお願い
投稿のモチベーションとなりますので、この小説を読んで「続きが気になる」「面白い」と少しでも感じましたら、↓の☆☆☆☆☆から評価頂き作品への応援をよろしくお願い致します!
お手数だと思いますが、ブックマークや感想もいただけると本当に嬉しいです。
ご協力頂けたら本当にありがたい限りです。




