最終話 選び続ける者への祝福
リヴと別れてから、随分と長い時間が流れた。
季節が何度も巡り、城の壁に刻まれた傷も少しずつ風化していく中で、俺の中にあるあの日の光景だけは、なぜか色褪せなかった。
結婚式の、あの瞬間。祝福の鐘が鳴り響き、光が降り注ぎ、皆が未来を疑わなかった、あの場所で――俺は、リヴを抱きしめていた。
腕の中にあった温もりが、指の隙間から静かに抜け落ちていく感覚。
焦って抱き寄せても、もう戻らないと、身体が先に理解してしまった、あの感触。
床に残された白いドレス。指に残る、指輪の冷たさ。
今でも、思い出せば胸の奥がきしむ。
だが、不思議なことに――あの日を、俺は一度も後悔していない。
悲しみは確かにあった。喪失の痛みも、夜ごと胸を締めつけた。
それでも、選び直したいと思ったことはなかった。
あれが、俺とリヴが選んだ結末だったからだ。
式場は一時、ひどい混乱に包まれた。
祝福の場で、花嫁が消えたのだから無理もない。
泣き崩れる者、呆然と立ち尽くす者。
それぞれの感情が、剥き出しのままぶつかり合っていた。
そんな中で、俺は告げた。
宴を続けてほしい、と。
別れの儀式として。生きている者が、立ち止まらず、杯を交わし、語り合うための時間として。
不謹慎だと思われても構わなかった。
泣いて終わるより、笑って送りたかった。
それが、俺なりの答えだった。
きっとリヴなら、苦笑しながら、こう言うだろう。
『クロム様らしいです』
そう思うだけで、胸の奥が少しだけ軽くなった。
後悔はない。
本当に、それだけははっきりと言える。
◇ ◆ ◇
それからの日々は、少しずつ変わっていった。
コーハとミーノは、あの後しばらくして旅立った。
技術も想いも、すべて出し切った顔で、晴れやかに。
別れ際、コーハはいつもの調子で笑いながら言った。
「あの時、ネクレアにしてくれてありがとう、クロムさん」
ミーノは黙って頷き、手を振った。
彼らは彼らの生を、ちゃんと選んで進んでいった。
数年後、シュウが戻ってきた。
再会した彼は、昔の鋭さを残しながらも、どこか角が取れていた。
長い旅が、人をそう変えたのだろう。
彼はリヴの最期に立ち会えなかったことを、何度も悔やんでいた。
今ではツムギと結婚し、アストレイに腰を落ち着けている。
旅の途中で拾ったという子供を養子に迎え、三人で賑やかに暮らしている。
ツムギは、俺にこう言った。
「私は、シュウが亡くなるその時まで、ここに残ります」
それが、彼女の愛の形なのだろう。
ガレオンは相変わらずだ。
「マリーナの孫を見るまでは、死んでも死に切れん!」
そう豪語しては、ギルドで働くマリーナに近づく男を睨みつけ、イリーナに本気で怒鳴られている。
変わらないものも、確かにある。
そして――今日は、その延長線にある日だった。
俺の第二子となる娘の、ライヴの成人の儀。
城内は朝から人の気配で満ちている。
王の子だから、という理由だけではない。
この国で育った者たちにとって、成人の儀は未来そのものだ。希望が形になる瞬間でもある。
俺は玉座に座りながら、横に立ち落ち着きなく順番を待つライヴの背中を見つめていた。
ライヴは、兄のアルトを誇りに思っている。
アルトは転移のスキルを授かった。
その力を活かし、次期国王として各国を巡っている。
忙しすぎるくらいだ。
親としては、もう少し肩の力を抜いてほしいが――あれもまた、彼なりの選択なのだろう。
そして、ライヴの番が来た。
司祭の言葉とともに、祝福の光が降り注ぐ。
柔らかく、温かい光だった。
スキルの鑑定に移った瞬間、司祭の動きが止まる。
「……ライヴ様……」
声が、震えている。
「なんという……これは……」
会場がざわめく。
「どうか、早く教えてください!」
焦ったように、ライヴが声を上げる。
司祭は深く息を吸い、顔を上げた。
「……ライヴ様に授けられたスキルは……ありません」
一瞬の沈黙のあと、会場がざわめいた。
「嘘……」
ライヴの顔から、さっと血の気が引く。
「嘘よ……! 何かの間違いよ!」
動揺し、立ち尽くす娘を見て、俺は思わず笑ってしまった。
「いいじゃないか」
その一言で、視線が一斉に俺へ集まる。
ライヴの瞳が揺れ、涙が滲んだ。
「……お父さん」
その声に、俺は静かに息を吐く。
「ライヴ、よく考えてみろ」
名を呼び、しっかりと目を合わせた。
できるだけ、いつもの調子で、穏やかに言う。
「このアストレイにはな、特別なスキルがなくても、生き抜いてきた人間が山ほどいる」
ざわめく会場を、見渡す。
「畑を耕す者も、剣を振るう者も、アストレイを支えてきた多くの人は、何かに選ばれた存在じゃなかった」
もう一度、娘を見る。
「それでも皆、自分の足で立って、迷って、選んで、生きてきたんだ」
ライヴの肩に、そっと手を置く。
「俺もそうだ」
はっきりと言葉にする。
「最初から誇れる力があったわけじゃない。何度も間違えて、何度も立ち止まって――それでも選び続けて、ここまで来た」
ほんの少しだけ、口元を緩めた。
「だから大丈夫だ。今まで生きてこられた世界なら、これからも生きていける」
声に、力を込める。
「それに、スキルがないってことは、縛られないってことだ。何にでもなれるし、何を選んでもいい」
額を軽く寄せると、ライヴは震えながら俺を見上げた。
「私……怖いよ」
「そうだな」
否定せず、受け止める。
「怖いなら、怖いままでいい。一歩ずつ前に進めばいい」
肩を抱き、そっと引き寄せる。
「父親はな――」
少し照れくさくなりながら、それでも言った。
「その途中で転びそうになった時に、手を伸ばすためにいるんだ」
ライヴの目から、静かに涙がこぼれ落ちる。
「……お父さん」
その呼び方が、胸の奥に深く響く。
生きている。
確かに、ここに。
◇ ◆ ◇
儀式は無事に終わり、人々は再び前を向いた。
夜、城の廊下を歩きながら、俺は一人、考える。
生と死は、なくならない。
互いを否定し合う存在でもない。
生があるから死があり、死があるから、生は意味を持つ。
生きるとは、選び続けることだ。
迷い、恐れ、後悔し、それでも次の一歩を選ぶこと。
そこに正解はなく、あるのは自分で選んだという事実と、その積み重ねだけだ。
人は間違える。
何度でも、取り返しのつかない選択をする。
それでも生は続き、選ぶことをやめることは許されない。
だからこそ、生は重く、尊い。
死とは、その連なりの終着点だ。
失敗も、後悔も、迷いも、選び切った者にだけ与えられる、ひとつの答えだ。
死とは、終わりでもあり、救いでもある。
だが、生きようとする者には与えられない。
生きる者に許されているのは、ただ一つ。
選び続けることだけだ。
正解ではなく、意味を。
結果ではなく、過程を。
俺は、何度も選んできた。
救うことも、手放すことも、見送ることも。
その中で知った。
愛するとは、同じ時を生き、同じ方向を向き、それでも別れが来ると知りながら、共に在ること。
手放すと決めた瞬間に、愛が終わるわけじゃない。
手を離したからこそ、残る想いもある。
失っても、消えないもの。
それが、愛だ。
別れたからこそ、完成する関係もある。
リヴは、俺の人生から去った。
だが、俺の人生を形作る一部になったままだ。
それでいい。
それで、いいんだ。
生きるとは、失い続けることでもある。
それでも選び、前へ進み、誰かを愛すること。
死を迎えるその瞬間まで、可能性を手放さないことだ。
だから俺は、今日も選ぶ。
迷いながら、立ち止まりながら、それでも。
完成には、まだ遠い。
だがいつか、すべてを選び終えた時――静かに、完成すればいい。
それでいい。
それが、生き切るということなのだから。
無意識のうちに、胸元へ手が伸びた。
服の下で、細い鎖が指に触れる。
引き寄せると、小さな金属の感触が掌に収まった。
――リヴが残した指輪だ。
今は鎖に通し、ネックレスとして身につけている。
輪の内側を、親指でなぞる。
何度も触れてきたはずなのに、その冷たさと重みは、今も消えない。
――リヴ。俺は、ちゃんと生きている。未完成なまま、選び続けている。お前が愛した、この世界で。
そう胸の中で呟き、指輪をそっと握りしめたまま、夜空を見上げた。
かつて、何でもない夜に、二人で並んで見上げた星空がある。
言葉もなく、ただ肩を寄せ合い、同じ光を見ていただけの時間。
あの夜と、何一つ変わらない光が、そこにあった。
あの頃と、立場は変わり、生き方も、選び取った答えも変わった。
それでも――空に瞬く光だけは、あの頃のままだ。
星は、変わらずそこにあった。
この物語はここで完結です。
私なりの生と死と愛の答えはいかがでしたでしょうか。
語りたいことはたくさんあるので近況ノートに書きたいと思います。
ここまで読んで下さった皆様ありがとうございました。
※作者からのお願い
投稿のモチベーションとなりますので、この小説を読んで「完結おめでとう」「面白かった」と少しでも感じましたら、↓の☆☆☆☆☆から評価頂き作品への応援をよろしくお願い致します!
お手数だと思いますが、ブックマークや感想もいただけると本当に嬉しいです。
ご協力頂けたら本当にありがたい限りです。




