第1話 禁忌の目覚め
「クロム・ヴァルネスト殿に授けられたスキルは――【ネクロマンシー】!?」
――司祭の言葉に俺は耳を疑った。
司祭の声が響いた瞬間、世界が静止した。
次の刹那、ざわめきが爆発する。
「ネクロマンシー……? 死者を操る者だと……?」
「魂を穢す者が現れた……死の女王の呪いが蘇ったのか!?」
父が血相を変えて司祭に詰め寄る。
「待て司祭。よりによって、禁忌のスキルだと! 冗談では済まされんぞ!」
母は青ざめ、口元を手で覆った。
参列者たちは一歩、また一歩と距離を取った。
まるで、俺の存在が穢れだとでも言うように。
胸の奥で、何かが音を立てて崩れた。
俺はこれまで、家族にも、領民にも期待されていた。
自分の存在が誰かの誇りになると信じていた。
だがその信念は、たった今、あっけなく踏みにじられた。
俺の成人の儀は、祝福ではなく――絶望の幕開けとなった。
◇ ◆ ◇
この国では十五の年に成人の儀を受け、神よりスキルを授かる。
父イグラードは【獄炎】を授かり、その力で幾多の戦を制して今の地位を得た。
母は名門貴族の令嬢で、常に気品と秩序を重んじる人だ。
幼いころから、俺は二人の理想の後継者として育てられてきた。
俺も、いつか父のように領地を守れると信じていた。
だが俺が授かったのは、ネクロマンシー。
それは五百年前、死の女王と呼ばれる者が死者を蘇らせ、アンデッドの軍を率いて一国を滅ぼし、その地に、死の国と呼ばれるネクロスを築いたと伝えられる、災厄の力。
今なお、ネクロスはこの国の北端で人々を襲い、魂を喰らっている。
死の女王は未だ滅びず、若き女の命を奪って永遠を保つと言われている。
その名を継ぐ力を――俺が授かってしまったのだ。
◇ ◆ ◇
逃げる様に屋敷に戻るなり、父は命じた。
「クロム。外出を禁ずる。スキルも使うな」
「父上……この力を制御できれば、きっと何か役に立つはずです。ネクロ――」
「黙れ!」
怒声が爆ぜ、部屋の空気が一瞬で熱を帯びた。燭台の炎が揺れ、壁に父の影が大きく伸びる。
「その名を口にするな! その力は穢れだ。教会が黙っていると思うのか? この家を巻き込む気か!」
その声の熱に押し潰されそうになった。
父の怒りは、俺を守るためのものではなく、家の名を守るための怒りだ。
母は背を向けたまま、何も言わず、使用人たちは息を潜め、視線を逸らす。
俺の存在が、屋敷そのものを汚しているようだった。
◇ ◆ ◇
その夜、天井を見つめながら息を潜める。
自分が何のために生まれてきたのか、わからなくなっていた。
期待も誇りも、家族の笑顔も――すべてが過去になった。
それでも、胸の奥で消えない声があった。
この力は本当に呪いなのか。死者を穢すだけのものなのか。
――違うはずだ。俺が選ばれたのなら、きっと意味がある。俺はこの手で証明してみせる。
暗闇の中、灯るように小さな決意が生まれた。
たとえ世界に拒まれても、この力が誰かを救えるのなら――俺はまだ前に進める気がした。
◇ ◆ ◇
成人の儀から半年が経ったある日、ようやく外出禁止が解かれた。
その間、俺は自室で領地の資料に埋もれ、農作高や税収、ネクロスの被害を受けた村の復興案を何度も見直した。
ネクロスの影響で田畑が荒らされ、飢えに苦しむ民がいる。
俺にできることがあるなら、動かずにはいられなかった。
俺はヴァルネスト家の長男。たとえ忌まわしいスキルを授かったとしても、家の名に泥を塗るわけにはいかない。
そして父上に認められたい。
その思いが、俺を動かしていた。
執務室の扉を叩き、父の前に立つ。
「父上。先月の収支をまとめました。資材をこの村に回せば、収穫効率が上がります。次の季節には……」
「……余計なことをするなと、言っているだろう」
低く唸るような声だった。帳簿から顔を上げぬまま、父は言葉を重ねる。
「お前の意見など誰も求めておらん。黙って指示に従え」
「ですが、領民が――」
「黙れ!」
父の紅い瞳がわずかに光を帯びた。その視線が、俺の言葉を焼き尽くす。
「お前が動けば、噂が立つ。死の国の穢れを引きずる男が、民を惑わせているとな。……領地の空気を乱すな」
その言葉に喉の奥が詰まった。
父の炎はいつも正義の象徴だったのに、今は俺を焼き払うための焔のように感じた。
部屋を出た俺への元に一つ年下の弟のジーノが軽い笑みを浮かべて姿を現した。
「兄上、また書類仕事ですか? ほんと真面目ですねぇ。墓守でもやったらどうです?」
ジーノが去ったあと、廊下に沈黙が落ちた。
紙の擦れる音が、やけに遠くで響いていた。
◇ ◆ ◇
数日後の事だった。
父から「サリア嬢が来ている。粗相のないようにな」と知らされた。
サリアは 親同士が勝手に決めた俺の許嫁だ。
俺自身は彼女に特別な感情など抱いた事は無く、『領主の跡取りとしての務め』だと自分に言い聞かせていた。
彼女は俺が外出禁止の間も月に一度だけ屋敷に来ては、嫌味を残して去っていた。
応接室に入ると、紅のドレスに身を包んだ女性が優雅に椅子へ腰掛けていた。
銀の髪が陽光を反射し、青い瞳は氷のように冷たい。
「お久しぶりね、クロム。外に出られるようになったそうじゃない。……よかったわね。もっとも、誰もあなたの力なんて望んでないけど」
彼女は、微笑んでいた。けれどその笑みは、氷よりも冷たい。
彼女は、スキル【槍聖】を授かり、今や戦乙女として称えられている。
「私、この前の北方戦線で小隊を率いたの。あなたのお父上にも褒められたわ。……あなたもいつか、何かで名を上げられるといいわね」
その一言が、心を抉る。
俺は、ただ小さく頷いた。
「……そうだな」
「ふふっ。こんなのが私の許嫁だなんて、恥ずかしいにもほどがあるわ」
扇子を開き、白い指で口元を隠しながら笑う。
その仕草さえも、もう俺には優雅ではなく、嘲りにしか見えなかった。
「でもね、あなたのお父上がどうしてもって言うから、形だけは続けてあげるわ。感謝しなさい。……じゃあ、私は帰るわ。今度は私の屋敷にいらっしゃいな」
扉が乱暴に閉まる音が、やけに長く響いた。
拳を握りしめ、深く息を吐く。
どうして俺が、こんな力を望んだと思われる?
誰より努力して、家のためを思ってきたのに。
すべてを否定される苦しさが、胸の奥で燃え上がった。
そんな俺のもとに、静かなノックが響く。
「クロム様、入ってもよろしいですか?」
その声に、張り詰めていた心がほどける。
「……リヴか。入ってくれ」
扉の向こうから、柔らかな微笑みが差し込んだ。
栗色の髪を束ねたメイドのリヴ。
俺の一つ年上で唯一の理解者だった。
「サリア様が出て行かれたのを見ました。……また、酷いことを言われたのですね」
「いつものことだ」
リヴは悲しげに目を伏せた。
その姿があまりにも優しくて、痛みが少しだけ薄れる。
「クロム様、無理をしすぎです。身体を壊してしまいます」
「平気だ。結果を出さなければ、父上に見限られる」
「結果なんて、すぐには出ません。でも……私は知っています」
その声には、懐かしさと少しの震えが混じっていた。
子どもの頃、泥だらけになって剣を振っていた俺の隣で、いつも笑っていたのは彼女だった。
どれだけ時が経っても、その優しさだけは変わらない。
「昔から、ずっとあなたを見てきました。努力する姿も、悔しそうに唇を噛む顔も……全部、知っています」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。
彼女の笑みは、闇の中の灯火のように俺を照らしてくれる。
彼女の温もりが、唯一の拠り所だった。
◇ ◆ ◇
俺はリヴを伴い、久しぶりに村の視察に出た。
何でもない日だった。何かが起こる理由など、どこにもなかったはずだった。
だが、俺たちが村へ足を踏み入れた瞬間、空気は揺れた。
俺を見るなり、村人たちが逃げ出した。目を逸らし、子を抱いて家に入る。
まるで、俺が災厄を連れてきたかのように。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
そんなとき、小さな泣き声が耳に触れた。
うつむく子供の手には、魔導人形。魔力切れで動かなくなっている。
「貸してごらん。すぐ直してあげる」
俺は膝をつき、掌をかざした。
魔力を流すと、人形が光を帯び、カタカタと動き出す。
子供の瞳が輝き、笑顔がこぼれた。
だが――
「触らないで!」
鋭い声が空気を裂く。
母親が駆け寄り、子を抱き上げた。
「穢れた力で、うちの子に何をするの!」
俺は思わず手を引っ込めた。
村人たちが集まり、ざわめきが怒号へと変わる。
「あれが……死の力だ!」
「村に災いを呼ぶぞ!」
「出ていけ!」
石が飛んだ。
頬をかすめ、地面に鈍い音を立てて落ちる。
「やめてくれ……俺は、ただ――」
「黙れ! ネクロマンサーめ!」
リヴが涙声で叫んだ。
「クロム様、戻りましょう! お願いです!」
俺は頷き、沈黙のままその場を後にした。
背中に突き刺さる視線と罵声が、いつまでも離れなかった。
◇ ◆ ◇
屋敷に戻ると、父の炎のような怒声が迎えた。
「何をしている! 余計なことをするなと、何度言えばわかる!」
「俺は、ただ村の様子を――」
「黙れ! お前が動けば災いが広まる。二度と勝手な真似は許さん」
その言葉に、何かが崩れ落ちた。
父の視線が、炎ではなく灰のように冷たく感じた。
◇ ◆ ◇
その夜、屋敷の自室で膝を抱えた。
俺を罵る声も、石の音も、すべて耳にこびりついて離れない。
「俺は……本当に呪われているのか……」
答えのない独白がこぼれた時、扉がそっと開いた。
リヴがランプを手に、そっと入ってきた。
「クロム様は間違ってなんかいません。あの子は笑っていました。……それが答えです」
「でも……また父上に……」
「いいんです。旦那様は、あなたを見ていない。……私は、あなたのすべてを見ています」
その言葉に、何かが堰を切ったように胸の奥であふれた。
俺は彼女を抱きしめた。
互いの温もりを確かめ合うように、静かに、優しく、深く。
彼女の胸元に顔を埋めたとき、心臓の鼓動が伝わってきた。
その音はどこまでも穏やかで、すべてを包み込むように温かかった。
柔らかな感触に触れた瞬間、孤独も痛みも、すべてが溶けていった。
世界がどれほど俺を拒もうとも――彼女だけは、俺を受け入れてくれる。
その温もりが、俺の唯一の灯火だった。
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