第四章
「……、……、……」
可能な限り心を無にし、あたし特製ぬか床をかき回す。ぬかとは生き物であり、こまめに上下を入れ替えて空気を入れてやらないと簡単にダメになってしまう。
川遊びにお泊まり保育と、濃密な夏休みにポンと空いた空白日。今日ぐらいゆっくり寝ててもよさそうなものなのに、なんでか眼が覚めてしまった。
どうやらあたしも、深層心理とやらではこの季節に浮足立っているようだ。これでは唯姉さんたちをとやかく言えないな。
『棗……棗! 聞こえてる?』
「唯姉さん? はいはい、聞こえてるよー」
とか思っているそばから、ご本人の念話が流れてきたので、頭でなく声に出して応じる。
念話はあくまで魔力を用いた通信であり、心の声が直接届くわけではない。こちらの意志を正確に伝えるには少々コツが必要で、いっそ声を魔力に乗せた方が手っ取り早いのだ。
端から見れば独り言全開のヤバい奴だけど、この家には犬も含め魔の付く関係者しかいないので咎められる心配もない。
「んでどしたの、苦戦中?」
ぬかいじりを切り上げ、台所で手を洗いながら問い返す。口調も落ち着いてるし、まさに絶体絶命! なんて事態にはなっていないはずだけど。
『ううん、大丈夫。元気元気!』
聞くからに快活な声が、こちらの懸念を即座に吹き流す。念話の向こうで腕を振り回している姿が眼に浮かぶ。
四人態勢になった現在、魔法少女の討伐は持ち回りになっている。この間の『崩壊石』戦のような組織相手の待ち伏せでもしない限り、基本的には個別での活動が基本だ。
もしも一人で手に負えなくなった時は、段階としてはまず待機している詩乃が先行して救援に向かい、他の現場に出ている魔女はそこを片付け──あるいは見切りを付け──次第各個に合流する運びとなっている。
今日はあたしが非番なので、詩乃より先にあたしへ連絡したというところだろうか。
「だったら魔獣の迷子? 最近減ってきたと思ったけど」
『えっとね……この間、灯子ちゃんを騙し討ちしようとした魔法少女、たぶんあの子たちじゃないかなって思うんだけど』
「え、マジで?」
『うん、マジで』
我ながら表現力に乏しい文句がそのまま戻ってくる。
「近くに魔獣は? 戦闘中?」
『ううん、いない。まだ探してるんじゃないかな? さっきからキョロキョロしてるし』
「そっか。で、例の二人に間違いないのね?」
『えっとね……ごめん、絶対かどうかはわからない。曇天色と深森色の二人組で魔兵装は闘剣だから、合ってると思うんだけど……』
第二次『太陽ルチル』壊滅の際、唯姉さんは『太陽ルチル』が撤退したあとに駆け付けてくれたから、二人の顔を見ていない。歯切れが悪くなるのも当然か。
『──赤岩詩乃です。話は聞いていました。会長、その二人組、曇天色は灰髪の眼鏡で深森色は渚のような短髪にそばかすですか?』
念話に割り込んできた詩乃が、より具体的な特徴を説明する。そういえば見てくれにサラッと振れただけで人相までは申し合わせてなかったな。
『うん……うん! 合ってる! ──あ、袖に『太陽ルチル』の組織紋もある!』
『なら当りです。そいつらが岩野と山口です』
『──日野渚です。現状は把握しました。姉上、集合して囲みますか?』
渚も念話に加わり全員が揃う。みんな聞き耳立てすぎてて逆に怖い。
「…………ふう」
腕を組み、考える。
『太陽ルチル』は魔女台頭の頃から相手取っている、いわば仇敵。二度の壊滅で主要人物も欠けに欠け、もはや虫の息と言っていい。可能ならここで息の根を止めておきたい。
それに、これは完全に私情で打算だけど、うまくいけば奴らに報酬を取り消させ、せめて灯子の家族だけでも、あの子の記憶を戻してあげることができるかもしれない。
「やろう。その二人、できるなら捕縛、最悪でも討伐する!」
『……うん、そうだね。そうしよう』
『……わかりました。すぐに支度しますのでお待ちを』
ほんの一拍間を置いて、念話越しに二人は頷く。
捕縛という普段であれば有り得ない言葉に、あたしの意図を察してくれたようだ。みんなのこういうところ、頼もしい限りだ。
『よし。ナツとナギは、先に会長と落ち合ってくれ。私は野暮用を済ましてから合流する』
「了解。頼むね」
『応』
指示に即答し、詩乃は念話を抜ける。
ことここに至って、野暮用とやらを詳しく尋ねたりはしない。詩乃が無意味に時間を浪費するわけないし、この局面で言うということは、それが必要な事柄だからだ。
「とりあえず唯姉さんはみんなに座標を送って、何か動きがあったら教えて。あっちから仕掛けてこない限り手出しはしないで。すぐ行くから待ってて」
『わかったよ。待ってる』
『承知』
矢継ぎ早に指示を飛ばし、二人の返事と同時に念話を切る。
「いよっし」
「行くのか?」
「んん⁉ と、灯子、いたの」
気合を入れた直後、前触れもなく横に現れた二人目の居候に、驚きの余り身をよじり、危うく腰をいわしかける。
「え? まあ、うん、そうそう。……ケンと仁は?」
自身の迂闊さを呪い、必死に話題を逸らしていく。まさか……聞いてなかったよな? めんどくてつい喋っちゃってたけど。
「あいつらなら山の方行くって朝出てったろ」
「だったわね。……たく、あんの耄碌共は」
老後を満喫する年寄りか奴らは? あたしも癒えた口じゃないのは百も承知なんだけど、あいつらに関してはドッシリ構えていてもらいたい。
「で、行くのか?」
こちらの抵抗虚しく、一文字で軌道修正を図られる。やはりこの子に小手先の誤魔化しは通用しないか。単にあたしがザルなだけかもしれんけど……。
「うん、出撃。唯姉さんから救援。ちょっと行ってくるから、あとよろしくね」
勢い重視でその場を離れる。
「な、なあ!」
と、今度は焦り声で呼び止めてくる灯子。そういえばこの子って、あたしたちを呼ぶ時いつもこうだよな。名前はもちろん、あだ名さえ使ってこない。
「あ……あの、わたしも──」
灯子の張り詰めた声に振り返る。
「わたしも、何?」
「──い、いや」
あたしの権幕を察してか、灯子は怯えるように半歩下がった。
「ねえ、灯子」
優しく頭に触れると、灯子はビクっと身体を震わせる。
「あたしは別に、あんたが役に立つとか立たないとかで家に置いてんじゃないんだよ?」
「わかってる! お前が、損得だけで動く奴じゃないのは」
思いつめたように、灯子は言葉を絞り出す。物言いは変わらず乱暴だが、あたしをそんな風に思っていてくれていた事実に、少しばかり嬉しくなる。
「でも──」
「だいたい、今のあんたが戦場に出てどうすんのさ? 魔法少女に加勢して魔女を倒すの? 魔女に加担して魔獣を守るの? あんた、どっち考えてた?」
「っ! それ、は」
灯子はハッと眼を見開き、視線を泳がせ、口を開けては閉じる。しばらくそうしていたが、答えがないのを悟り、俯いてしまった。
「これさえ詰まるくらいなら、何もしてくれない方がありがたいわね。てか、邪魔」
やや脅し気味に伝え、冷たく突き放す。言い方はキツイかもだけど、中途半端な気持ちで戦場に出てこられても迷惑なだけだ。
敵味方を問わず、芯が通っている者はわかりやすい。
自身が求めているものに対し、どうすれば成せるかを理解しているからだ。人格者であろうと卑怯者であろうと、確固たる信念があるからこそ戦える。あたしが今日までへし折ってきた連中も、等しくそういう奴らだった。
だが今の灯子には、それが完全に抜け落ちている。
あたしに食い下がってくるのも、じっとしているのが嫌で足掻いている、ただの免罪符作りにすぎない。こんな不安定な人間、助太刀どころか味方さえ全滅しかねない疫病神だ。
だからこそ連れて行くわけにはいかない。この子のために、あたしたちのために。
「そういうわけだから、あんたは大人しく待ってなさい。銃後を守んのも仕事のうちってね」
赤ん坊でもあやすように、そっと灯子の頭を撫でる。しばらくそうしていると、だんだん強張りも収まり、もう大丈夫とわかるところで手を放す。
「……武運長久を、祈る」
下を向いたまま、灯子は掠れた声で言った。
「応よ! まかせときな」
灯子の激励に、あたしは拳で胸をトンと叩いて請け負い、今度こそ背を向けた。
「──さて、ここか」
唯姉さんから受け取った座標に転移し、眼前に屹立する建築物を見上げる。
今日の舞台は山奥の廃工場だ。
明らかに年代物とわかる朽ち果てた建物。寂びて赤茶けた窓枠にガラスはほとんどはまっておらず、かろうじて残っているものもヒビや汚れで向こう側は伺えない。地面からは蔦が生い茂り、かつての産業を支えていたであろう英知の数々を過去の遺産たらしめている。
「魔法少女も魔獣も、こういうとこ好きだよな~」
街中で暴れられるよりるかにマシだし、あたしも珍しい場所に来られておもしろいけど、もうちっとばかし他にないのかとは思う。
「行くか」
栓のない思考を切り上げ、意を決して手頃な隙間から中へ。
「むぅ──っ!」
足を踏み入れた瞬間、腐った水の臭いが鼻を突いてくる。壁によって停滞した空気がまとわりつき、眼もショボショボしてくる。
「うう……スゲーとこだな」
まぶたの上から両眼を揉みつつ、薄目で室内を見渡す。
森に埋もれるようにして佇んでいたわりには、内部は思いの外広く、天井も高く取られている。さしづめ、小さめの体育館のといったところか。
閉鎖する際に機械だけは持ち出したのだろう、黒ずみ亀裂の入ったコンクリート基礎が、忘れ去られたように等間隔で並んでいる。
「……ふう」
歩幅を短く取り、見えるものすべてに気を配って進む。この手の場所は魔の付く付かないに関係なく、とにかく危険が危ない。
割れたガラスなどはもとより、錆びた釘や金属破片はそこらじゅうに散らばり、踏み抜こうものなら破傷風まっしぐらだ。古い消火器は底が錆びて脆く、突然爆発する可能性もある。最悪の場合、住み着いた野犬に襲われたり、不定の輩と出くわしてしまうことだってある。
意味を二重にしてやりすぎということはないのだ。
「こっから行けるな」
階段を発見し、一気に三階まで上がる。
「下よりはマシ……か?」
腰を落とし、若干きれいになった廊下を進む。階下が作業場なら、ここは事務関係の場所なのか、等間隔に扉があり、どことなく学校然としている。
とはいえ一階ほど荒れていないだけで、ここも御多分に洩れず非日常に満ちている。
古い書体で壁に書かれたたくさんの標語。醜く腐った動物の死骸。浮浪者と思しき生活跡。眼に映るすべての物体がとにかく気色悪い。
「うっげぇ!」
隅っこの水溜りには口に出すのも嫌になる虫たちがカサカサと蠢き、わずかに入り込んでくる日の光をその身に反射させている。
「う~……っ!」
外側から見物しているぶんには退廃的でいい雰囲気なのに、中に入った途端帰りたくてたまらない。こんなとこ、絶対女子高生が来ていい場所じゃねーよ。
「って、ここか」
マジで帰ろうか本気で悩んでいると、指定された部屋の前まで来てしまった。
あとは扉を開けて中に入ればいいだけなのだが、等の扉は錆と汚れがこびり付き、ガチガチになっていた。普通に考えて、簡単に開いてくれそうにない。
「……はあ」
触りたくね~! という心の叫びをねじ伏せて、ノブに手をかける。予想通り、扉はビクともしない。これはかなり気張らないと開かないな。
「せーの!」
肩も押し当ててこじ開けにかかる。振動で長年蓄積して錆だか砂埃だかが、これ見よがしにパラパラと降り注ぐ。これ絶対吸い込んだらヤバいやつじゃんよ!
すい──
「うええ⁉」
体重をかけてもゆっくりとしか動かなかった扉が急に軽くなる。つんのめった状態で入室し、ベチンッ! と嫌な音を立てて床に倒れ込む。幸い、床には何も落ちていなかった。
「姉上、お疲れ様です」
「……おう」
扉の影から、魔装衣をばっちり装備した渚がぬうっと顔を出す。普段ならばおざなりな扱いに文句の一つも垂れる場面だが、知った顔に会えた安心から、全身から気が抜けていく。
「内側から来るとはずいぶんな冒険家ですね」
「なんかもう疲れきってない? 外から入ってくればよかったのに」
こちらも変身済みの唯姉さんが、単眼鏡を覗いたままで言ってくる。
「見つかったらヤバイと思って念のためね。……おかげでとんだ遠回りだったよ。つか、あんたたちよく平然としてられるね? こんな気味の悪い場所」
「……棗にはわたしたちがそういう風に見えるの?」
通常よりやや低い声色で呟き、唯姉さんは単眼鏡から視線を外し、こちらを向く。その動作だけで虫の居所が悪いのを察する。……虫だけに。
「だ、だよね! ごめんごめん」
「ううん、いいのいいの。棗が待っててって言ったんだから。例え口にするのも嫌な虫たちがカサカサとわたしたちの周りを蠢きまくったとしても棗が待っててって言ったからには──」
「ああもうごめんってホントにぃ~知らなかったんだよぉ~」
唯姉さんの腰にしがみついて許しを乞いまくる。嫌味たらたらでニコニコしてるクセに眼だけ本気なのが怖すぎるんだよこの人は。
「二人ともお静かに。さすがに感づかれます」
必死なあたしを尻目に、渚は迷惑そうに釘を刺してくる。
「はい、すんませっす」
悪ふざけを止め、渋々渚の横につく。
「あそこね」
資材置き場だったと思われる、周囲より雑草の背が低くなった範囲の端、何やら話し合っている二人の魔法少女を確認する。
曇天色の魔装衣をなびかせ、暁人では染色意外有り得ない灰色の髪。瞳はギラつき、獲物はまだかと戦意をたぎらせている岩野。
その傍ら、深緑色の魔装衣を景色に同化させ、まるで首が浮いているように見える山口は時折相棒に話しかけながら、些細な変化も見逃すまいと周囲に眼を光らせている。
「うん、間違いない。岩野と山口だ」
「あの二人、棗は戦ったことあるの?」
「ない。でも魔兵装は闘剣だから、紋無だとは思う」
「だとしても油断大敵です。持たざる者の貪欲さは持つ者の想像を絶します」
短く言葉を交わし、奴らの実力を推し量る。
あたしの『兵香槍攘』。詩乃の『森羅万唱』。唯姉さんの『有刺鉄閃』のように、個々に名前と能力が備わった魔兵装持ちはそれほど多くない。
紋無とは、そういった固有の魔兵装を持たない魔法少女たちの俗称だ。
紋無しが持つ獲物の形態は、闘剣か槍がほとんどで特殊な能力などはなく、精々魔力の斬撃を放てる程度とかなり物足りない。
夢を抱いて魔法少女になったのに、周りを見れば現実と変わらない格差がそこにある。紋無たちにしてみれば世知辛いことこの上ない。
「せっかく三人いるし、三方位から攻めて分断するか」
「賛成です。中田会長の『有刺鉄閃』であれば捕縛も容易です。中田会長、お任せしても?」
「任された。じゃあ岩野って子から捕まえようよ。あの子、人の話聞かなそうだし」
「自分も同感です。山口の方は岩野を人質とすれば掣肘できるでしょう」
冷静な分析のもと、作戦が組み上げられていく。
「じゃあ、それでいくか」
「うん!」
「承知です。あと申し上げにくいのですが姉上、いささかぬか臭いです」
「へ? ……マジか」
ついでのように指摘され、咄嗟に手の匂いを嗅いでしまう。変身しててもわかるってどんだけ自己主張強いんだあたし特製ぬか漬け。うまいけど!
バキバキバキ!
と、森の木が数本、なんの前触れもなく倒れ始めた。
「何、今の?」
唯姉さんが困惑しながら、木々が倒れ続けている方角に短眼鏡をかざす。倒壊は一向に収まらず、まるで将棋倒しのように真っすぐこちらに迫ってくる。
ズガァァーン!
「魔獣⁉ あれは……サソリ?」
倒れた木や土を盛大にまき散らし、轟音とともに現れたのは巨大なサソリだった。
両の手のハサミは切断するというより握り潰すといった表現の方が似合うほどに無骨であり、尻尾の先端に頂く針はギラギラと輝き、明らかに毒だとわかるヤバい液体をポタリポタリと滴らせている。はぐれた魔獣にしては珍しく筋骨隆々としていて、一目で大物だとわかる。
「よりにもよってこんな時に」
向こうは向こうで、もはや戦う他なしと覚悟を決めて出てきたのだろうが、予定を狂わされた手前、愚痴がポツリと零れてしまった。
「先越されちゃったね」
「姉上、どうします?」
「……作戦変更。まずは様子見して、決着がつく直前に奇襲する」
魔獣を囮にするのは忍びないけど、この位置取りなら必ず割って入れる。スマンがここはなんとか堪えてくれと、心の中で声援を送る。
サソリと対峙した岩野と山口から、殺る気がみなぎっているのがここからでも伝わる。どうやら、辛抱強く探していた標的はあいつらしい。
「……、……」
「……! …………!」
奴らは軽く言葉を交わすと、まずは深緑色、山口が正面切って突っ込んでいく。
《──ッ!》
サソリはノコノコ間合いにやってくる獲物を叩き潰さんとハサミを振り下ろす。
「……っ!」
山口はそれをスルリと踊るように躱し、後方へ跳躍。
「……っ──っ!」
するといつの間にか背後に回り込んでいた曇天色、岩野の闘剣が一閃。ワラワラと動く足の何本かを切り落とした。
《グォォアァァッ!》
咆哮を轟かせ、サソリの敵意が岩野へ逸れた刹那、取って返した山口の回し蹴りが尻尾の毒針を根本からへし折った。
「紋無なのにがんばるね。息ピッタリ」
「消去法とはいえ組織の指揮を任されるだけはあります。すばらしい連携です」
二人は戦闘に眼を向けたまま、魔獣を相手取っている奴らに賛辞を贈る。
渚の言う通り、二人の織り成す戦闘軌道は眼を見張るものがある。
片方が注意を逸らしている間に、もう片方がサソリの死角に入り闘剣で切り付けすぐさま離脱。サソリがそちらに気を取られた瞬間、さらにもう片方が以下の手順をなぞる。
どれも決定打になり得る一撃ではないが、サソリの身体には傷か一つまた一つと蓄積していて、動きが徐々に鈍くなっている。あと数撃加え、決定的な隙を生み出したところで大技を決められれば、難なく仕留められる算段だ。
「大口叩くだけの腕っぷしはあるってわけか」
魔装衣側に魔力を多く割り振っている者もいるので一概には言えないが、紋無の大多数は固有魔兵装持ちに水をあけられてしまうのが実情だ。
風当りの強い風潮の中にあって、岩野と山口は善戦している。魔兵装が力のすべてとは言わないけど、逆境を跳ね返そうとする気概はさすが魔法少女と言ったところか。
「棗、そろそろ」
「だね。二人は南側と東側に回り込んで。あたしはここから──」
ズーンッ!
今度こそはと指示を飛ばしていると、突如上空より斬撃が飛来、奴らとサソリの中間地点に着弾し、地面が弾け飛んだ。
「ああもう! 今度はなんだよ──」
毒づきながら状況を確認するが、謎の斬撃により土煙が舞い上がって辺りを覆い隠し、ここからでは何も見えない。予定は未定が戦場の常ではあるものの、こうまで出鼻を挫かれ続けると、誰かしらの悪だくみを疑わずにはいられない。
とはいえここからでは手の打ちようがなく、徐々に砂埃が晴れていくのを待つ。
「まったくもう。一体誰が──へ?」
そこにいた人物に、あたしは今度こそ絶句した。
あたしの胸下くらいしかない背丈。年上でもつい一歩引いてしまう気の強い眼光。キラキラと陽射しをはね返す快晴色の魔装衣。
「と、灯子⁉」
謎の爆発とともに割って入ったのは、まさにさっき家で別れた灯子──アカリだった。
「なんで、どうして……?」
「念話を盗み返されていたのではありませんか? 姉上の回線を割り出す機会などいくらでもありましたし、灯子なら造作もないでしょう」
「うん。棗って最近、わたしたちより魔力使ってるし」
「い、いやいやまさか──」
なんかこの人たち冷静すぎない? 肝が据わってるっていうか神経が太いっていうか。予想だにしなかった闖入者に動じもしていない。
「で姉上、心当たりは?」
「唯姉さんと話してた時、めんどいから口で喋ってた」
「……魔力以前の問題ですね。しっかりして下さいよ」
「ホントよだね~。わたしたちには魔力使うな~とか勝手に怒ってるくせにねぇ~」
まだ怒っているのか、唯姉さんはもとより渚までも言葉尻がキツい。
「……とりあえず念話絞るから、二人ともあたしに回線繋げて」
「結局また盗み聞き? 最近迷いがないね」
「キレイごと言ってる場合?」
「ううん。そういうえげつないとこも大好き」
「はい。それでこそ姉上です」
「ああ、そう」
遠まわしに『あんたは人間のクズだぞ』って断ぜられている気もするけど、時間も惜しいので褒め言葉として受け取っておこう。うん。
『──よう、アカリ。しばらく振りだな』
『まだ魔法少女やってたんだ』
『……お前たち』
耳障りな雑音すら挟まずに、いきなり鮮明な会話が聞こえてくる。認めたくないけど、確かに手慣れてきてはいるな、あたし。
『で、なんの用だ? 助太刀ならいらねーぜ?』
『用があるのはお前たちだ。ちょっと顔貸せ』
『太陽ルチル』全盛期時代の上から目線で、アカリは命令する。
久々に見るアカリの尊大さに、変な懐かしさを覚える。こちらの念話を全部聞いた上で先回りしているのなら、一部始終をあたしたちに聞かれているのも承知のはず。それでいてあの態度を崩さないのは相当な役者だぜ。
『知るか──よぉ!』
聞く耳持たず、岩野は負傷したサソリもろともアカリを始末せんと斬撃を放つ。
『……ふ!』
ギィィンッ!
アカリは億劫そうに自身の魔兵装『疑心暗忌』を構え、まるで虫でも払い落すような気安さで、迫る斬撃を自らの斬撃で打ち消した。
『ちぃ! アキラ!』
『了解だよ』
待ってましたとばかりの機敏さで、山口も攻勢に加わる。
『っ! く! ふ!』
次々に放たれる斬撃の嵐を、アカリは最低限の剣さばきで相殺していく。そういえば、あの子の真っ向から戦う姿って初めて見るかもしれない。
荒事は姉のヒカリに任せ、アカリはもっぱら頭脳労働担当なのかと思っていたが、あたしの思い込みだったようだ。全身の動きは滑らかだし、闘剣の扱いも様になっている。
『太陽ルチル』にはあたしが知るだけでも前のめりな連中がわんさかいたし、そいつらが出しゃばるから戦わなかっただけで、あの子が戦えなかったわけではないんだな。
『行け!』
《シ、シカシ──》
斬撃を捌きながら、アカリは置いてけぼりをくらっているサソリを一喝する。
『今日のお前はお呼びじゃない。気が変わらないうちに消え失せろ』
《カ、カタジケナイ!》
言うが早いか、サソリは正面を戦場に向けたまま後退し、茂みの奥へ去っていく。
『んな⁉ 逃がすかよ!』
手負いのサソリ目がけ、再度斬撃を放つ岩野。
『はぁぁ!』
アカリは下段に構えていた闘剣を振り上げ、斬撃を上空へ弾き返した。
『逃がしたか。邪魔しやがってクソが!』
『横入りまでしてなんの用? まあ、察しはつくけどさ』
あれが定番の役割なのか、相も変わらず口の悪い岩野とは対照的に、山口は素っ気ないながらも友好的に対応している。
『…………』
『困ったな。察しはつくと言っても、黙られたら何もわからないんだけど?』
物腰は柔らかいが、端々にうんざりした雰囲気が見て取れる。どうやら山口は、戦闘よりも弁舌で勝負する類の魔法少女のようだ。
『すまなかった』
いくらかの沈黙を挟み、アカリはおもむろに呟いた。
『『太陽ルチル』の再建失敗と相次ぐ壊滅は、事態を収拾しきれなかったわたしの責任だ。わたしが至らなかったばかりに、無駄な犠牲を出してしまった。本当に申し訳なく思っている。この通りだ』
アカリは頽れるように膝を地につけ、両手を地面につける。
『わたしは……魔法少女から足を洗う。お前たちには二度と関わらない。『太陽ルチル』も好きにしてくれていい。だから──』
アカリは頽れるように地べたに正座し、おでこが地面に接する寸前まで頭を下げた。
『わたしの家族の記憶だけは…………返して、下さい!』
それは、紛うことなき土下座だった。
『ふ──ざっけんなぁ!』
アカリの姿を見てしばらく頬けていた岩野は、顔をみるみる怒りに染めていき、妙な間を挟んで爆発した。
『虫がよすぎんだよ! ふざけんな畜生!』
岩野は罵声を飛ばし、苛立つまま足元の石ころを蹴っ飛ばす。
『うぅ!』
それが灯子のこめかみに命中。傷口から鮮やかな血がつぅーっと頬を伝う。
「あんの外道──」
「ダメ。棗、抑えて」
唯姉さんの鋭い声と腕が、あたしの機先を制する。
『そう思ってやられちまった奴が、どんだけいたかお前わかってんのか⁉ 数字だけの話じゃねーんだよクソガキ! 謝って済む話じゃねぇだろが!』
身振り手振りも交え、岩野は訴える。
『ヒカリも、北斗も、侑希那も! おべんちゃらさえ言えずにやられちまったんだよ! ……紅も、新入りだった紗百合も! お前がビビッて腰抜かしてる間に!』
憶えのない名は第一次壊滅の犠牲者か、岩野は一人ひとりを思い出すように、あたしや渚が討伐したであろう魔法少女たちの名を叫ぶ。
『だいたいな! お前のやり方には──』
『ランちゃん落ち着いて。僕が話すから』
ただの愚痴になりかけた頃合いで、山口が割って入る。普段から気の置けない友人同士なのか、扱いが手慣れている。
『アカリ、申し訳ないけど、君の記憶を家族に戻してはあげられない』
『っ! そこをなんとか──』
『意地悪で言ってるんじゃないんだ。僕らが契約した報酬は、選んだ人の記憶を世界から『奪う』までで、『戻す』まではできない』
「でしょうね」
向こうで紡がれた発言を、渚が無機質に拾う。
だろうなと思っていたが、いざその事実が確定してしまうと落胆せずにはいられない。これでアカリの家族にアカリの記憶を戻す、一番有力な方法が潰えてしまった。
考えてみれば当然の話だ。一個人に関わる記憶を、この世すべての人間から消失させるなんてヤバい願いを抱く連中が、元に戻せる算段を織り込むわけがない。
「…………」
事態が無駄に複雑で、何を考えていいかわからない。
あの惨状は十中八九、あたしが引き起こしたものだ。あたしが魔獣を守り、魔法少女を討伐したから、あいつらは叫び叫ばれている。
その事実を横に置いて考えても、あの物言いはあんまりだ。
『太陽ルチル』の立て直しは、アカリの手腕なくして成し得なかった。それこそ、あそこで文句ばかり垂れている岩野では、同じような結果には決して至らなかったはずだ。
アカリは断じて、あんな罵詈雑言を浴びせられる謂われはない。今、あの二人がアカリにしているのは、完全な八つ当たりだ。
『うう……ううっ』
アカリは小さく嗚咽を漏らす。家族の記憶を取り戻す、唯一と言っていい光明が立たれたのだ。その身にのしかかる絶望は計り知れない。
『泣いたってどうにもなんねーんだよ、バカが! 精々苦しみやがれ!』
傷口に塩を塗るがごとく、岩野はアカリの領域にズカズカと踏み込んでいく。
『──す』
アカリはふらりと立ち上がり、自身の魔装衣と同じ色の空を見上げている。
『……殺す。殺す。絶対に……殺す──』
普通に生きていれば早々口にしない物騒な言葉を何度と呟き、アカリは『疑心暗忌』魔力を込める。
『お? なんだ、やるのか?』
『気を付けてランちゃん。アカリは弱くないよ。今の僕らに勝てるとも思えないけど、油断しないで』
二人は余裕綽々に、しかし隙のない構えで闘剣を握りなおす。
相手が弱っていようが数で勝っていようが、気を抜かず全力で事に当たる。迷いのない所作に、数々の修羅場を掻い潜ってきた自信と確信が見て取れる。
『──ああああああぁぁぁぁ‼』
アカリは突如、喉が千切れんばかりに絶叫した。
『……とうとう気が狂ったのかな?』
『は、お似合いの最後じゃねーか。内側からぶっ壊れちまえよクソガキが!』
ついに決壊してしまったアカリに対し、岩野はなおも心無い言葉を吐きかける。
「……もう、見てらんない!」
「ちょっ──棗!」
「姉上、ここはまだ──」
二人の制止も聞き流し、窓枠に足をかけた時、アカリは握りしめた『疑心暗忌』を逆手に持ち替え──
『ああああぁぁぁぁ‼』
ブスリッ!
刃を自身の腹部に突き刺した。
『「んな⁉」』
アカリを除くこの場にいる全員が、その奇行を前に声が重なった。
『ああ……ぁぁ、くうぅぅ──うがぁぁ!』
刺し口から闇色の陽炎を揺らめかせ、快晴色の魔装衣を蝕んでいく。その様子はさながら、真夏に突如やってくる雨雲のようだ。
『──ああぁぁ!』
『は、速──』
陽炎がアカリの全身を埋め尽くすと、瞬間移動と見紛うほどの素早さで山口に接近、横っ面に回し蹴りを見舞わせた。
『ぎゃ!』
防御する間もなく、山口はきりもみしながら雑木林に吹っ飛び、土や木々が弾け飛ぶ。
『ううぅぅっ!』
標的の末路を確認せず、アカリは再度地を蹴り、今度は岩野の懐に入り込む。
『てめぇ! うお──』
言い終わる前に、アカリは岩野の胸倉に手をかけ足を払う。無防備になった身体へとまたがり、完全に馬乗り状態となった。
『うあ……ああああぁぁ!』
『この化物がぁぁ!』
ドォォォォンッ!
負けじと叫ぶ岩野の顔に、アカリは坦々と拳を振り降ろした。
『……っ! ……っ! ……っ!』
ドォォンッ! ドォォンッ! ドォォンッ!
重い衝撃が間隔を刻み、二人を中心に地面が少しずつ陥没していく。岩野も足をバタつかせて抵抗していたが、気を失ってしまったらしくすぐに動かなくなる。
「な、なんですかあれは? 何が起こってるんです?」
さすがの渚も面食らっているのか、疑問のみを口走っている。
「魔力が溢れ出してる。暴走、してるのかな?」
唯姉さんも似たような状態で、視線があたしと戦場間を行ったり来たりしている。
「違う、あれは──」
混乱しながらも眼の前の光景を整理する。アカリの魔兵装『疑心暗忌』は、刺したり斬り付けたりした相手を自身の魔力で操る能力を持つ。つまり、今のアカリは──
「まさか、魔力で身体を操ってるのか?」
口をついてから、脳が時間差で理解する。全身を魔力で操作してしまえば、各部位へ個別に魔力を乗せずに済むし、身体能力に関係なく戦えるという寸法か。
「どうしますか、姉上?」
「どうもこうもない! まずはアカリを止める!」
「あ、棗⁉」
同意を得ぬまま、今度こそ先陣を切って飛び出す。傍観したところで何も変わらないのはわかっているらしく、二人の気配も遅れてついてくる。
魔力は万能の力ではない。外見では最強の戦士に見えていても、必ずどこかに綻びが生じ、限界を迎えればあっけなく崩れ落ちる。あれはそういう類の代物だ。
このまま放っておけば、アカリもご多聞にもれず破滅の末路を辿ってしまう。どうにかしてあの闘剣を引き向き、無力化しないと。
「『兵香槍攘』!」
駆けながら叫び、突撃を発動してアカリへ突っ込む。
「アカリ! やめなさい!」
「ああああ!」
振り向き様、アカリはピッチャー顔負けの振りかぶりで岩野を投げつけてきた。
「うお⁉ ちょっとあんた、大丈夫? うぅ!」
仕方なく受け止めて呼びかけると、岩野の顔は赤鬼もかくやというほどに血まみれで、全身もダラリと弛緩していた。さっきまで何クソと思っていたが、限界まで傷ついた姿を見せつけられると、湧き上がっていた憎しみも一目散に消え失せる。
「アカリ……灯子! もういいから!」
「口で言っても無駄です。まずは自分が! 『村雨』!」
錯乱状態のアカリを前に、渚が『村雨』を抜刀する。
「ああああぁぁ!」
アカリも獣さながら渚に飛びかかり、両手に魔力で形成したかぎ爪を煌めかせ、『村雨』と渡り合う。
「棗! その子を安全な場所に!」
「わ、わかった。すぐ戻るから、なんとか持ち堪えて!」
「がってん!」
互いに背を向け、唯姉さんは戦場、あたしは山口が飛ばされた方角へ疾駆する。
「……いた!」
グシャグシャに打ち壊された森を走ること数秒、山口は予想通り木にめり込んで気を失っていた。傷ついた身体をひしゃげた木から救い出し、岩野共々横にしてやる。本当は縄の一本もかけておきたいけど、今は一秒でも惜しい。
「とりあえず、ここで大人しくしてなさい」
聞こえてはいないであろう二人に一言残し、来た道を再度疾走。
「ふっ! うぐぅ……。この──」
息せき切って戦場に戻ると、渚が押されていた。
素手相手は勝手が違うのか、あるいはアカリ相手に萎縮しているのか。左右から間断なく繰り出されるかぎ爪をやりずらそうにいなしている。
かたやアカリは、両手にくわえ、時おり腰の入った蹴撃も織り交ぜ、精神面で気後れしている渚を肉体面からも追い詰める。
「うう! ううぅぅ、ああ!」
やはり肉体が魔力に耐えきれていないのか、アカリの肌はところどころひび割れ、傷からは赤黒い血が染み出している。
『疑心暗忌』の能力を自身に適応しているとなれば、意志だけでなく五感も遮断している可能性が高い。骨が折れようと血が流れようと、痛みも疲れもなくただひたすら魔力の命じるままに動き続ける。そんな異形を、あの子は自身に課している。魔法少女の恩恵で後々再生するとはいえ、あんな戦法進んでやろうとは誰も思うまい。
「ならば──」
「⁉ ぐがぁ!」
渚の受け流しが決まり、アカリは派手に転倒、距離が空く。
「ううぅぅ──がぁぁ!」
しかしアカリは獣と大差ない挙動で体勢を立て直し、再び渚へ一直線に突貫していく。
「盟約に従い、堕……溺──くそ!」
氷針を放って牽制するのかと思いきや、渚は毒づき防御の構えをとる。
「がぅぅあ!」
「くぅぅ!」
案の定、渚は呆気なく吹き飛ばされてしまった。
『村雨』の刀身を氷結させ、切れ味を上げてしまえば、魔兵装ごと本人を討伐しかねないと危惧したのだろう。どうやら、人となりを知ってしまった相手に躊躇いがでてしまう性分は易々と治ってはくれないらしい。
「だったら、お願い! 『有刺鉄閃』!」
シャリィィィィーーーーンッ!
「んん⁉ うう!」
すっ飛んでいった渚と入れ替わりで、唯姉さんが『有刺鉄閃』の鎖部分を器用に伸縮させ、アカリに絡みつかせた。
「せーの!」
唯姉さんは木の根に足をかけて踏ん張りつつ鎖を牽引し、アカリの肉体をキリキリと締め上げる。一部の傷口が開かれ出血が増すが、こればかりは致し方ない。
「棗、今のうちに!」
「了解!」
アカリの動きが止まり、腹部に刺さった『疑心暗忌』引き抜くべく駆けだす。とにかく正気に戻さない限り何も始まらないし終わらない。
「う、う……ぐううううぅぅ‼」
バチィンッ!
直後、魔力で強度を引き上げ、『同盟』で遠隔操作もしているはずの『有刺鉄閃』の鎖を、アカリは力だけで真っ向から引き千切った。
「え、ええ……うひぇぁぁ⁉」
唯姉さんが驚愕に呆けた隙を突き、アカリは鎖を握りしめ、闇色の魔力を流し込む。
「嘘ぉぉ~~!」
アカリから逆流した魔力に獲物を掌握され、投げ縄かってくらいに振り回されてしまう唯姉さん。手を離すって選択肢はないんだろうか?
「すみません、手間取りました! 戦線に復帰しまあぎゃ──」
「え、ええ……」
枝葉をかきわけ颯爽と戻ってきた渚が、横合いから襲来する唯姉さんにもっていかれる。
「どうすんだこれ?」
呆気にとられる中、二人分に肥大した塊が不自然な軌道でこちらへ飛んできた。
「はぁ⁉ ちょ、待──ぐえぇ!」
なんて言ったところで待ってくれるわけもなく、迫りくる肉塊に情け容赦なく叩きつけられる。半狂乱でも頭は冴えてるとかこれもう最強だろ?
「あ~も~……み、みんな大丈夫?」
「面目ありません、油断しました」
あたしを押し潰している二人が口々に呟く。口はいいから身体をどかせと。
「痛っつつ……二人とも、いいからどいて重いから。ひぃ──」
上下が反転する視界の隅で、敵意に瞳をギラつかせているアカリの姿を捉えた。
「うう……うう……うぐうぅぅっ!」
互いに揉み合い鎖も絡みついた状態で、身動きの取れないあたしたちに止めを刺すべく、アカリは迫り、飛びかかる。
「あ、あんたたちどいて早く! ヤバいどいてマジでどけっつってんだろお前ら!」
「『散りぬべき、時知りてこそ世の中の 、花も花なれ、人も人なれ』──絶‼」
いい加減今日は無傷じゃ帰れねーなと諦めかけた中、眼の前が桜色の障壁に覆い尽くされ、直後にドォォンッ! と衝撃音が響いた。
「ふう。みんな無事か?」
眼鏡に障壁を反射させ、夜色の直綴りに身を包んだ詩乃が悠然と振りかえる。
「はあ……よかった。ありがとう、詩乃ちゃん」
「間一髪です。助かりました」
頼もしすぎる援軍登場に脱力し、あたしの上にいらっしゃる方々が一層重みを増す。女子とはいえ人間である以上、軽いわけはない。片方は錘付きだしね忌々しい。
「あの……二人ともどいてくれませんかね?」
という暴言はおくびにも出さず、とりあえず低姿勢での脱出を試みる。
ドォォンッ! ドォォンッ! ドォォンッ!
「ううっ! ううっ! ううぐぅ‼」
一方攻撃を防がれたアカリは、壊れるまで止めないとばかり、魔力を乗せた拳を一定間隔で叩き込み続け、ぐわんぐわんと障壁内部を揺らしている。
「状況はなんとなくわかった。ナツ、こりゃあいよいよやるしかないぞ」
「……やるって、詩乃、うお⁉」
「いいかナツ、聞け」
二人の下敷きになっているあたしを、詩乃は乱暴に掴み上げて引き寄せる。
「私だってお前ほどじゃなくても、あいつに対して情が湧かないわけじゃない。半ば無理矢理加入させられたとはいえ、世話にはなったからな」
「……詩乃、何言って──」
「だが今度ばかりはそうも言ってられん。まずは私たちが生き残らないと、あいつの傍にいてやることもできないんだぞ。それだけは絶対にダメだろ⁉」
真剣な眼差しが、詩乃の本気を物語っている。魔法少女にやれと言われて、魔女のやることは一つしかない。
唯姉さんも渚もアカリ相手では本気になりきれず、このままでは悪戯に時が流れるだけだ。だからあたしがアカリを討伐し、しかる後灯子を守れと、詩乃は言っているのだ。
「…………詩乃」
ああ、こいつを最高の相棒だと感じたのは、これで何度目だろう?
「だからここは涙を飲ん──」
「ダメだ‼」
頭ごなしの拒絶が、相棒の言を上書きする。
「ダメ……ダメだ。ここでアカリを討伐したら、灯子は今度こそ独りぼっちだ!」
魔法少女が討伐された時、魔にまつわる記憶は消えてなくなってしまう。
今や灯子とは魔の付くあれこれ以外でも関わっているから、討伐してもあたしたちを完全に忘れてしまうわけではないはずだ。しかし『なぜ家族が自分を憶えていないのか?』という理由には永久に辿り着けなくなってしまう。
そうなってしまったが最後、灯子は多くの謎を抱え、誰一人心の置ける者もいないまま、世界に放り出されてしまう。
「それだけは絶対に──絶対にダメだ!」
「お……お前人の話聞いてたのか⁉ 優先順位を考えろ! お前の個人的な肩入れに、私たちを巻き込むのか? ただのわがままだってのがわからないのか⁉」
「わかってるよわがままだってことぐらい文句あるか⁉ あの子が詩乃だったとしても、あたしはやる! 唯姉さんでも、渚でも! 絶対に!」
「くぅ⁉ お前、ここでそれを言うのか卑怯者!」
「ああそうだよ卑怯者だよ! だから頼む、力を貸してくれ詩乃!」
「くぅ! 頼んでおいて命令するとか──この腐れ外道!」
「二人とも喧嘩してないで話し合って下さい!」
「「うるせぇ自分が一番常識人だって面してんじゃねぇぞこけし頭!」」
「こ、こけし──」
『お前が言うな』感満載で怒鳴ってきた渚を、二人して怒鳴り返す。あたしたちも散々やってきたけど、何を置いてもこいつにだけは言われたくない。
「ナツ、もう一度考え直せ。引っ込みがつかないってんなら私の判断ってことにしてくれていい。誰もお前を責めたりしない」
「……ありがとう、詩乃。あたしのために悪者になってくれて」
「いや、だから今はそんな話を──」
急に態度を変えたあたしに、詩乃は言い淀む。
こいつの気遣いはホント、いちいち心に刺さる。全体のために進んで汚れ役を買い、煙たがられながらも信念を問い続けてくれる相棒に、あたしはただ感謝していた。
「だとしても、あたしは」
「~~~~っ! ああもう、わかったわかったよ! やってやるよ! やればいいんだろやれば! さっさとどうしたいか言いやがれこのイカレ魔女!」
わしゃわしゃと頭を掻き毟り、詩乃はやけくそ気味に喚く。
「ここで折れてしまう辺り、赤岩先輩もお人よしですね。眼福です」
「うんうん。友情だねぇ~。お姉ちゃん嬉しい」
この期に及んで呑気すぎる二人に、平時であればツッコミの一つも入れたいところだが、マジで時間がないので放置。
「ありがとう、詩乃」
「誠意は言葉じゃなくて形で示せ! 終わったら飯奢れ! 私が食べたいもん、全部だ!」
「善処する方向で」
「く! お前のそういうとこホント──ああ、くっそ!」
青筋を浮かべ、詩乃は何事か言いかけて地団太を踏む。こっちの希望は押し通すクセに相手の要求には即答しない姿勢が気にくわないらしい。終わったらちゃんとごちそうしないとな。
「で、作戦は? 棗」
光の早さで諸々切り替えた唯姉さんが尋ねる。
「まずあたしが注意を引き付ける。詩乃はヤバそうになったら援護。唯姉さんと渚はその隙に回り込んで動きを止めて。仕上げにあたしが、あの胸くそ悪い闘剣を引っこ抜く!」
「作戦と言うより単なるゴリ押しですね」
「他にいい手があんの?」
「いえ、わかりやすくて助かりますという話です。でしたら姉上、これをお持ち下さい」
渚ははめていた指ぬき手袋をさっと外し、差し出してきた。
「え? それあんたの魔装衣じゃん?」
「いかにも。『村雨』の魔力反発に耐えうるようにできています。これで『疑心暗忌』の魔力もいくらか相殺できるはずです」
「いやいやじゃなくて! あたしが装備できんの? それ?」
「そこはがんばって下さい」
「……お、押忍」
平然と無茶を言う渚に、なぜか柔道然と答えてしまう。こいつらにはあたしの言動がこう映っているのかと考えると、詩乃が叫び倒したくなるのもわかるな。
「よし。みんな、準備いい?」
手袋を装備して『兵香槍攘』を呼び直し、障壁の前で唸っているアカリに向き直る。
「ったく。結局こうなるのかよ……」
「まあまあ。詩乃ちゃんだってこうなればいいってどこかで思ってたんでしょ?」
「まあ、そうですけど……」
「であれば討論など無用です。ここに我々が揃っている以上、救えぬ命などありません。ですね、姉上?」
なおもグチグチ垂れている詩乃を、唯姉さんと渚がたしなめる。この流れももはや定番となりつつある。いい傾向だ。
「応よ! わがままもろくに言えないガキンチョを、お仕置きするよ! 詩乃!」
「了解だ。障壁解くぞ。行ってこいイカレ魔女!」
詩乃が啖呵を切ると同時に、障壁を解除する。
「行っくぜアカリ!」
あたしとアカリを遮るものがなくなったと同時に突撃を発動、一気に正面へ出る。
「……⁉」
ガギイイィィッ!
気合十分魔力十全の突撃を、アカリは拳で受け止めた。
「さあ、さあアカリ! 本気でやりましょうってね!」
「ううぅぅ、がああぁぁ!」
正気は失いながらも挑発されているのは伝わっているらしく、アカリは不機嫌そうな咆哮で応えた。
「……っ! ふぅ! ……は!」
「ぐぅっ! あ゙あ゙……があ!」
通常では有り得ない手数と軌道で放たれるアカリの鉄拳を、自己流の槍さばきで叩き落し逸らしていく。蹴りを受け流し、次に繰り出されるであろう挙動を阻んで機先を削ぐ。
一撃一撃を対処する度、意識が研ぎ澄まされ、時間が圧縮されていく。戦闘以外のあらゆる無駄が、眼前の相手を叩き伏せるために排除されていく。
「──⁉」
読み合いを潜り抜けた魔力のかぎ爪が一閃、首筋を通り過ぎる。
「くひぃ──っ!」
同時に、もはやお馴染みとなった快感があたしの中を駆けずり回る。アカリを救えるかどうかの瀬戸際で不謹慎極まりないが、どうしても感じてしまうのだ。
『愉しい』と。
あたしの本質であり存在意義が、極限の戦場にて鎌首をもたげる。
心臓のドッドッドという脈動が耳から伝わり、鼓動に合わせて全身に巡った血管が伸縮するのを感じる。眼球でさえ飛び出してしまいそうなくらい強く、それらが意識される。
「……ふぅ、ふぅ、はぁっ!」
「ゔゔ──がああぁぁ!」
悔しそうに歯を食いしばったアカリから魔力が溢れ、こちらの攻勢に対抗してくる。ちょっとばかり調子が良くなったぐらいで押し切れるほど、あっちも甘くはないようだ。
思考が加速していく中で、互いに互いの意地がぶつかり合う。
あと一歩、対応が遅れていたらやられていた。
あと一瞬、判断を迷っていたらやられていた。
あと一撃、与え損ねていたらやられていた。
刹那に生まれる事実たちとすれ違う度、抑えられない歓喜と高揚が全身に蓄積していく。やっぱりあたしはまともじゃない。だからこそ、これはあたしにしかできない仕事だ!
すべての決断に命が賭けられる、綱渡りの総決算。考える時間などないに等しく、感と反射でひたすら走り抜ける。あたしの人生のすべてが、この瞬間に注ぎ込まれていた。
キィィィィンッ!
「「⁉」」
まだまだこの瞬間を生き続けていたいと願った矢先、唯姉さんの『同盟』によって操られた剣片群が飛来し、唐突にあたしとアカリの間を割って入る。
「姉上、言っても無駄なのでしょうがのめり込みすぎです!」
「お前が狂気に喰われてどうする⁉ 目的を忘れるな!」
前に出てきた詩乃と渚から口々に叫ばれ、さっきまで身を焦がしていた渇望が、みるみる退いていく。
「そう、だった。……ごめん、夢中になりすぎた」
永遠とも呼べる時間の名残惜しさを振り切り、本来の目的に意識を戻す。
「アカリ、ごめんね! 『同盟』!」
唯姉さんが短く詫び、周囲に展開した闘片がアカリへ殺到させる。誤って斬ってしまわないように、回転角度を調整された闘片群は、もがくアカリを物理的に押さえつける。
「──そこ!」
シャリィィィィンッ!
完全に体勢を崩したアカリへと、唯姉さんは針に糸を通すという表現がピッタリの挙動で鎖を操り、アカリを縛りつけた。同じ轍を踏まない、さすがの蛇剣さばきだ。
「棗急いで! そこまで長く持たないから!」
「わかってる! じゃあいくぞ? アカリ──」
バァァンッ!
「ぐあぁぁ⁉ くうぅぅ」
アカリの胸に刺さる『疑心暗忌』の柄に触れた瞬間、闇色の衝撃と激痛が両手に走り、咄嗟に手を放す。
「うう、痛ってぇ……なんだこれ?」
手を庇いつつ後方に跳ぶ。手をグーパーしてみると、寒さにかじかんだかのようにうまく動かせない。しかもそれでいてなぜか熱く、なんとも気持ちの悪い感覚だ。
「……渚の魔球以来だな」
つか、手袋で魔力を減衰させてこれとか、渚はいつもこんなのに耐えながら『村雨』振り回してんのか? 涼しい顔してあいつも苦労してたんだな。
「いけそうか?」
「だ、大丈夫だし! ちょっとびっくりしただけだし。あ……あたしは諦めないぞ!」
「ムキになるな。今更お前の気が変わるなんて思っちゃいない」
煽っているのか励ましているのか。詩乃が背後から問いかける。
「棗、早く~! もうヤバいって!」
ズルズルと引きずられながら辛そうに呻く唯姉さん。
「りょ、了解!」
手袋に加えて、今度は自身の魔力も乗せ、衝撃に備える。
「よっしゃ、再挑戦! 次こそ必ず引っこ抜く!」
自身を無理くりに奮い立たせ、全身全霊を持って『疑心暗忌』を握りしめる。
バァァァァ──ッ!
「うが⁉ んぐううぅぅ」
先程と同様の衝撃が掌に走るも、今回は放さず全身を使って踏ん張る。
「こんのおおぉぉ!」
対策はしても所詮は付け焼刃、さっきより若干マシになった程度で、かわらず手に痛みと痺れが襲ってくる。ここで離したら、もう次はない。
「絶対放すなよナツ!」
「及ばずながら助太刀します!」
背中と腰にそれぞれ詩乃と渚が組み付き、引っ張る力が増す。そういやこんな童話あったなと、場違いな思考が脳裏をかすめる。
一緒に闘剣を引き抜くのではなく、闘剣を引き抜くあたしにしがみついてくる辺り、こいつらもわかってんな。誰だって痛いのは嫌だもんな。
スゥゥ──。
などと苦し紛れに思考を逸らしていると、『疑心暗忌』が少しずつ、ゆっくりと動き始めた。
「いける、いけるぞ! 気張れナツ!」
「正念場です姉上! 根性です根性!」
「ああ! わかってるってのおおぉぉ!」
さすがに余裕がないのか、我らが誇る理論派二人が柄にもなく精神論を前面に押し立てる。とにかくあと一息、今諦めたら全部水の泡だ。ここでやらずしてなんとするか!
「いい加減──いい加減眼ぇ覚ませクソガキがああぁぁ‼」
ギュイイィィンッ!
「んお⁉ うおっとっと──」
なんとも微妙な音を蹴立て、『疑心暗忌』がアカリからすっぱ抜ける。留められていた応力が解放され、当然のごとく後方へ吹っ飛ぶ。
「「うごぁ!」」
が、後ろの二人が身を挺して衝撃を和らげてくれたおかげで、全身を打ち付けられずに済んだ。身体を張ったのはあたしなわけだし、これぐらいの役得はあってしかるべきだろう。
「はあ……はあ……。どうだやってやったぞ見たかコラァ!」
妙な心持だと自覚しつつ、握りしめた『疑心暗忌』を森へ投げ捨てる。
「お、おう。それでこそお前だよ……」
下にいる詩乃も、タガが外れたあたしに若干引いている様子。
「あの……二人ともどいてくれませんか?」
さらにその下にいる渚が、さっき誰かが言ったような台詞を呟いている。
「『捨ててだに、この世のほかはなき物を、いづくかつひの、すみかなりけむ』──援」
詩乃は起き上がると強化の呪文を唱え、乳白色の球体があたしの両手を包み込む。魔力の循環が増幅され、痺れが和らいでいく。ような気がしないでもない。
「応急処置だが、ないよりはマシだろ」
「……なんでこれを先にやってくんなかったの?」
「だな、スマンスマン。私もテンパってた、許してくれ」
こっちを見ようともせず、スッカスカの謝罪をのたまってくるメガネ。
「あぅ~終わったぁ~……」
向こうにいる唯姉さんも、疲労困憊といったご様子で地面にヘタり込んでいる。
「…………」
一方、渦中の人であるアカリは、まさに茫然自失。尻もちをつき、糸が切れたように放心している。戦闘より肉体を操る方を優先していたからなのか、皮膚からの出血はあれど腹部からは血も出ていなければ傷も残っていない。その辺の不思議は、毎度おなじみ『魔力だから』というところか。
「行ってあげて下さい、姉上。あの子には、あなたの言葉が必要です」
「ん? う、うん。行ってくる」
どう声を掛けようかと思案を巡らせている横から送り出されてしまい、仕方なく歩きだす。
「はいはい! 眼は覚めたかしらん? アカリ」
まずは努めて明るく、いつも通りな感じでアカリに近寄っていく。
「あ、ああ……大丈夫だ」
アカリは虚ろな表情であたしを見上げる。
「なんかおかしなとこある?」
「問題ない、少しダルいだけだ。傷は……まあ、しばらくすれば治るし」
「そっか。なら、ひとまずよかった」
あたしの眼から見ても、アカリの様子は怪我以外普段の感じとそう変わらない。どうやらあたしの推測は当たっていたようだ。
「その、すまなか──」
パアァンッ!
アカリの頬へ、とりあえず軽めのを一発。衝撃で痛みがぶり返し、うっかり気を失いそうになるが、今は気絶している場合じゃない。
「あんたホント何してくれてんだよ⁉ さっきちゃんと留守番しとけって言ったよなあたし⁉ なんにも考えてないクセに戦場に出てくんなっての! 挙句の果てはヤケになって暴れ回るし! どんだけ手間かけさせんだよ⁉ 見ろよこの手めっちゃ痛いんだけど!」
積もり積もった情念が、息せき切ってあふれ出す。まあ、ただの愚痴だけど。
「いや……だから悪かったって──」
「うっさいいいわけするんじゃないよ!」
「え、ええ……」
赤くなった頬を押さえ、アカリが眼を点にしている。
説教というより単なる恨み節だと自分でも思うのだが、ついて出てくるものは仕方ない。こいつのように溜め込むのもよくないし。
「だいだい『悪かった』とか『すまなかった』なんて大人ぶってんじゃないよ! そこは子供らしく『ごめんさない』だろ⁉ あんたは詩乃か!」
「は? え、そこなのか?」
『悪かったな大人ぶってて』と、拗ねる声が聞こえたような気もしたけど気のせいだろう。
「あの……そ、その……ご、ごめんなさい」
「はいどういたしまして!」
謎の高揚感が支配しているせいか、自分でもわけがわからない。
「どういう返事でかすそれ……」
やや距離を置いて、渚たちも呆れている。こっちは本当に聞こえた。
「……ふう! ああ~すっきりした!」
騒いでいるうちに頭も冷え、引っ込みがつかなくなっている感が否めないので、不自然を承知で一区切りつける。みんなにはバレバレなのだろうが、とにかく形って大事。
「アカ──いや灯子! ちょっとこっち来なさい!」
「な、なんだよ? ──⁉」
恐る恐る近づいてくる灯子を、いつぞやと同じように抱きしめる。
「ちょっ──なんだよ⁉ おい、やめろって!」
お約束とばかり抵抗する灯子を、あたしは力でねじ伏せる。
「悩みがあれば話しな。一人が寂しいなら甘えな。少なくともあたしは、もうあんたを家族だと思ってるんだから」
「…………うん」
そう言うと、嘘のように身じろぎが納まる。
「もちろん、あたしはヒカリの変わりなんてするつもりはないし、できるとも思ってない。つか、できちゃいけないよあの人の場合はさ」
「ああ。わたしも捌ける自信がないな」
これにはアカリも同意する。考え方如何によっては、あれは一種の災害とさえ言えるし。
「でも……だとしても家族もどきくらいにはなれるっしょ? 今はとりあえず、これで妥協してくんないかな?」
「別に、不満があるわけじゃ……ないし。てか、もういいだろ放せよ!」
灯子は優しい力加減であたしを突き飛ばし、抜け出す。
「棗の言う通りだよ灯子ちゃん。甘えるのは弱さじゃないよ。棗だってあなたぐらいの年の頃はわたしにベッタリだったんだから~」
「ちょっとそこ! 余計な昔話はよろしい!」
若さゆえの恥ずかしい過去を暴露せんとする姉もどきに、無駄とわかっていても釘を刺す。
「まあ、あとから生まれてきた奴が、先に生まれた奴の心配なんかすんなって話さ。ガキはガキらしく、なんにも考えずに周りを振り回してればいい」
「どちらかというと、振り回しているのは我々のような気もしますが……」
なんかそれっぽく語る父親もどきと、性懲りもなく常識人ぶっている妹もどき。だからあんたらに言われたくないと!
「先のあれこれは落ち着いたら考えよう。まずは帰って休もう。クタクタだよあたし」
場の空気もほっこりしてきたので、なんとなくまとめに入る。
「なあ灯子、謝罪は一応聞いたが、あと一つ、私らに言うことがあるんじゃないのか?」
「……わかってる」
詩乃に尋ねられて、灯子は一瞬だけ視線を鋭くし、こちらに向き直った。
「ありがとう、みんな。助けてくれて」
か細く紡がれた感謝の言葉に、あたしたちは誰からともなく微笑んだ。
「さ~てさて! んじゃまあ、みんなでこいつらをどうしてやろうか決めようじゃないか」
偉そうに腕を組み、愉快そうに口角を吊り上げ、詩乃が下手人のごとく引っ立てられた魔法少女らを睥睨する。
「…………」
「…………」
ノリノリな法師様とは対照的に、岩野と山口は不服そうに顔を歪めて沈黙。後ろ手に縛られた上に正座され、背後には渚と唯姉さんがそれぞれついている。完全に時代劇の構図だ。
アカリの無力化を優先してこいつらの捕縛は後回してしまい、本来であれば眼が覚め次第逃げられていたところだったのだが、詩乃が駆け付ける直前、ついでにと縛り付けておいてくれたのだ。ホント、持つべきものは抜け目ない相棒に限る。
「おうおう! どしたどしたさっきの威勢は? 文句なら聞いてやるぞー。話だけはな」
「…………ちっ」
詩乃に煽られた岩野は、聞こえよがしに舌打ちして顔を背ける。これが映画や舞台なら唾の一つも吐いてきそうな状況だが、さすがにそこまでバカなマネはしないか。詩乃相手なら絶対殴られるもんな。
「はあ、つまらんな。唾の一つも吐きかけてこいよ? そしたら遠慮なく沈められんのに」
案の定いの一番にぶん殴る気満々だった。
「まあ、お前らにしたら裏切り者の戯言なんか聞いてたまるかって話だよな? わかる、わかるぞ~。私もお前らなら絶対そうする。私は捕まるようなヘマしないけどな~」
ほんっとに、意地悪が絵になるよな詩乃って。優位に立った途端掌を返す華麗さはもはや芸術だ。無意味に煽りたくなるぐらいの迷惑を被っているので当然ではあるんだけど。
「つーわけで、今回は特別なお客にお越しいただいた。ではでは、はりきってどうぞ!」
お笑い番組の司会者かって動きで、詩乃が林の方へ手をかざし、一同の視線が集中する。
「──無様にやられたものね。ラン、アキ」
「な⁉ 青江?」
「どうして……ここに?」
林の影から満を持して現れたのは、『太陽ルチル』の屋台骨でありご意見番の、大室青江さんこと青さんだった。つか、この人も律儀に待ってたのかノリいいな。
「お招きいただいてありがとね、詩乃」
「いや何、どうせこいつらの独断だろうと思ってな。報連相は大事だろ?」
「ホントにね~。社会の常識よね~」
わざと大声で嫌味をタラタラ垂れ流し、古巣の先輩と世話話に興じる詩乃。なるほど、言っていた野暮用とはこれだったのか。
青さんの魔装衣は相変わらず艶やかで、鮮血色の着物はその古式ゆかしい印象を全否定するように着崩されている。一歩進む度に天狗下駄がカラカラと鳴り、胸元や太ももがきわどい感じにチラチラして、眼のやり場に困るったらない。あの恰好で魔獣とどう戦ってるのか聞いてみたい気もする反面、知ってはいけないような気もする。謎な雰囲気をまとった人だ。
「ねえ、私たち決めたわよね? 何をするにもちゃんとみんなで話し合うって」
二人の前に立つなり、青さんは切り出す。
「そりゃ反乱だもんね。許可なんて取ってられないわよね? 私のいない隙を狙うとかセコい計画考えるくらいだし。それとも何、事後報告すれば丸め込めるとでも思ったのかしら?」
「…………」
「…………」
親にいたずらがバレた子供のように、肩をすぼめて黙りこくる二人。
「だからあなたたちは信用されないのよ。紋無しとか関係なく、その腐った性根のせいでね」
ずいぶんとズバズバいくな。起こした騒動の重大さを考えれば無理もないけど。やっぱ誰かが怒られてる姿ってのは、例え敵方であっても見てて気持のいいもんじゃないな。
「四ヶ郷さん」
「は、はい!」
対岸の火事を決め込んでいるところで名を呼ばれ、反射的に姿勢を正す。
「今回の件、すべての責任は我ら『太陽ルチル』にあります。仲間を掣肘できず、敵対しているとはいえ、あなた方魔女一派にいらぬご迷惑をおかけしてしまったこと、重ねてお詫び申し上げます」
青さんは恭しく跪き、頭を下げた。所作の端々まで色っぽい人だな。
「あ、頭上げて下さいって青さん! あなたにそこまでしてもらうアレでは──」
「つきましては、ここにいる岩野咲蘭・山口晶両名の処遇はそちらに一任します。どうか、煮るなり焼くなり好きにして下さい。我々とは、もはや縁もゆかりもない者たちですので」
「へ? ……え⁉」
青さんの仲間を切り捨てる容赦ない発言に、素っ頓狂な声を上げてしまった。
「お、おい……青江」
「冗談、だよね?」
すがるように青さんを見上げる二人。
そうなるのも無理はない。自分たちを引き取りに来てくれたと思っていた人が、いきなりトカゲの尻尾切りを宣告してきたのだ。顔が絶望一色にもなる。
「何か勘違いをしてるみたいだけど、裏切ったのはそっちなのよ? あなたたちも魔法少女の端くれなら、せめて散り際ぐらいしゃんとなさいな」
背筋も凍るとはこのことか、青さんはゴミを見るような軽蔑した瞳で、呆然とする二人を突き放した。
「……ねえ、僕たち、こんな仕打ちされるような……間違ったことしてたのかな?」
感極まった山口が涙を流している。
「──ふざけるなぁ‼」
岩野の金切り声が、静寂に包まれた森をつんだく。
「なんで俺たちだけこんな目に合う⁉ 俺たちは『太陽ルチル』で必死に戦った! 新入りの面倒も見た! お前がやれって言ったからだ! それがあのザマだ!」
「──っ!」
岩野は射殺さんとばかりにアカリを睨み付け、ビクつかせる。
「なのになんで俺たちだけが責められるんだよ⁉ こんな無能に頭やらせっからこうなったんだろうが! 姉貴の後ろで命令しか出せないクソガキについていけるかよ! なあおい‼ 違うか⁉ なんとか言えクソガキ!」
なおもアカリに食ってかかる岩野。もはやこれまでと開き直っているのか、溜まりに溜まった心情をすべて発露する勢いだ。
「俺たちは間違ってない‼ 俺たちは絶対! 間違──」
岩野の胸からスルリと、闘剣の刃が生える。先端には当人の頭髪と同じ曇天色の輝きを放つ魔力塊が刺さっていた。
「黙りな、さい!」
「くは──この……魔女が」
怒りを滲ませ、唯姉さんが背後から岩野を刺し貫いていた。
「っ! ランちゃ──」
続き、山口の背中にも渚の『村雨』が刺し込まれる。
「──さない! 絶対……許さ──」
「安心なさい。あなたも彼女も、どうせ最後は同じ場所です」
一人は怒り、一人は哀れみをその顔に写し、動作だけは坦々と魔力塊を回収する。
「野次を飛ばすだけなら誰にだってできるよ。そうならないようにみんなで話し合うんじゃない。文句ばっかりの不良気取りに、灯子ちゃんを悪く言う資格はないよ」
「左様。こんな有象無象の妄言など、取り合うまでもありません」
余程腹に据えかねたのか、二人は未だお収まりつかない様子で己の感情を持て余している。
二度と思い出す機会はないであろう気持ちを吐き出した二人の魔法少女は、魔の付くすべてを失い、力なく倒れ伏している。『太陽ルチル』をさんざっばら引っ掻き回した者たちの末路にしては、ずいぶんとあっけない結末だ。
「会長、ナギ、お疲れさん。悪かったな、嫌な役やらせて」
「ううん。あれ以上聞いてられなかったから」
「まったくです。こんな奴ら、討伐数に数えなくて結構です」
詩乃が駆け寄り労うも、未だ二人の語気は荒い。
さっきまではあたしも『討伐なんか生温いくたばるまで殴り倒す!』ぐらいに考えていたのだが、静かに燃え上がる二人に当てられてしまい、そんな気はどこかへ飛んでしまった。
「とりあえず、こいつらの送迎だな。青さん、頼まれてくれるか?」
「もちろん、引き受けさせてもらうわ。ごねんなさいね。下らない内ゲバに巻き込んで」
「気にしなくていい。結果的に一人の魔法少女を路頭に迷わせないで済んだわけだしな。結果オーライさ」
しれっと言い捨てる詩乃に対し、『あんだけ揉めといてどの口が言うか?』というツッコミが喉まで出かかったが、辛うじて飲み込んだ。
「アカリ、何もしてない私が言えた口でもないのだけど、よくがんばったわね」
青さんが優しくアカリの頭を撫でる。やっぱみんなやるよな? あの高さちょうどいいし。
「……いや、今回の件はわたしの未熟さが招いた失態でもある。お前が謝る必要はない」
せめてもの意地なのか、こちらも素っ気なく答える。
仲間に反旗を翻されたあげく家族から自身の記憶を奪われ、仇に助けられたと思いきや大都会から片田舎に連れてこられと、結構壮絶な思いをしたはずなのだが、すっかりいつものアカリに戻っていた。
「『太陽ルチル』は解散させるわ。こうなってしまった以上、やむを得ないわ」
「…………」
突然の解散宣言に、さしものアカリも二の句が継げずにいる。
組織の長にお伺いを立てる形ではあるが、これは有無を言わせぬ決定事項だ。二度にわたる壊滅と再編の矢先、リーダーと幹部二人が相次いでいなくなったのだ。もはや『太陽ルチル』には、魔法少女を導けるだけの人材も、率いていけるだけの大義もない。
「……ああ、頼む」
いささかの間を挟み、アカリは頷いた。
「あの、青さんはこれからどうするんですか?」
「うーん……しばらくはのんびりするわ。組織運用って戦う以外もいろいろ大変だったから」
「へ……へぇ」
緩い返しに力が抜ける。事と次第によってはと身構えたのだが、とんだ肩透かしだ。
「私自身、どうすればいいかわかんなくなっちゃったしね。最近増えてるのよ? 『このまま魔獣を殺し続けるべきなのか?』って考えの魔法少女」
「そうなんですか?」
「ええ。あなたたち魔女が、私たち魔法少女の常識を打ち崩したのよ。凝り固まった価値観をひっくり返すなんて、本当にすごいと思うわ」
「大袈裟に言い過ぎですよ。あたしは……別に──」
思いもしなかった賛辞に頭が真っ白になる。
「そろそろ行くわ。アカリをお願いね」
青さんはニコッと微笑むと、肩に岩野、腰に山口を抱きかえ、颯爽と森の奥へと消えていった。色気もあれば腕っぷしもある恐ろしい方だ。
「棗、顔が赤いよ?」
しばらく青さんの行った方を眺めていると、唯姉さんがニヤニヤと覗きこんできた。
「いやいや! あれは誰でもビビるでしょ? つか、あんただって後ろ下がってたクセに!」
「うんうん。上には上がいるんだねやっぱり」
などと、唯姉さんは勝手に納得している。それよか、あんたが上に登り詰めようとしている意識があったことに驚きだよ。
「あの人相手に尻込みしてたらあっという間に手籠めにされるぞ? 男も女もガキも年寄りもイケる口だってもっぱらの噂だ」
「あの方でしたらさもありなんと思えてしまうのが空恐ろしいですね」
刺し当たった問題も片付き、雑談に興じる面々。
「…………」
一方のアカリは、途方に暮れるという表現がまさにピッタリな感じで立ち尽くしている。
「とりあえず家に帰ろう。今はあんたの家でもあるんだから」
頭ではなく肩をポンと叩き、転移するべく先頭を歩き出す。
「ありがとう……なつめ」
「……おう!」
後ろからかけられるその名前に、あたしは嬉しさを噛みしめずにはいられなかった。




