第七話 いない英雄と残された村人の話
「……ん?」
遠くから鶏の声が聞こえて、あたしは目が覚めた。いつも通りに背伸びをしようとして、気づく。ベッドの隣に腰をかけたアレンがもの凄い目であたしを見つめていた。
驚きで丸く見開かれていて、その癖瞳に一切の光がなかった。
「エディッ」
アレンは硬直するあたしに飛びつく。背中に腕が回される感触がして、あたしはやっと今までのことを思い出した。
アレンがあんな目をしてるのも、頷ける。おそらく物語の通りに闇落ち英雄ルートに行きかけていたのだろう。
この場所には見覚えがある。一度、泊まったことがある隣村の宿だ。でも、隣の村まで逃げられたようだ。
抱きしめられたまま、手を開いては閉じる。動くっていうことは生きているということだ。あたしは人を庇って死ぬ最低ヤロウにならなかったことに心から安心した。
「アレン、みんなは」
「みんなも、レックスも無事だ。一番無事じゃなかったのはお前だよ」
アレンの言葉にあたしは胸をなでおろす。アレンは体を離すと、まっすぐにあたしを見た。先ほどとは違い目に生気が戻ってきている。近くで見るとよくわかる美形。金髪にすみれ色の瞳の、本の表紙を飾った、まさしく英雄といった相貌。
あたしは、思い出す。この村に魔物が攻めてきたということは、黒竜が本格的にこの世界を蹂躙しはじめたということだ。
「……黒竜は?」
その言葉を聞いて、なぜかアレンの瞳がまた深く陰った。アレンは呟くように言う。
「それで、どうすんの? 倒しに行くつもり?」
アレンの手があたしの手を握る。とても強い。痛いくらいだ。
「俺らを襲ったのは、黒竜が従えていたうじゃうじゃいる魔物のうちの一匹だ。雑魚だ。そんなのに……殺されかけたエディは強くなんかない。黒竜を倒せると本気で思ってんの?」
アレンが言うことは、本の中でアレンが自虐していたこととほぼ同じだった。
「死ぬだけだよ」
「それは……分かってるけど、でも、あたしに何かできることがあればって」
「エディの出来るは出来ないと同じだ」
アレンはそう言って、ベッドサイドを指差した。そこには大きな穴の開いた、あたしが盾代わりにしていたフライパンがあった。これを見せられるとあたしは何も言えない。
アレンは窓の外を見た。襲撃なんてなかったかのように気持ちの良い青空だった。
「エディは何もしなくていい。ずっとここにいるだけでいい……俺に一個、考えがある」
「まさか」
アレンは物語の通りに英雄になるのか。先ほどからちょくちょく暗い顔を見せているし、ルートからは外れていなかったのか。いずれ、お姫様と結婚し、王になるのか。
ぐるぐるとあたしが考えていると、アレンがふっと笑った。今までにしたことないような妙な笑い方だった。
「英雄になんて絶対にならない」
まるであたしの考えを読んだかのような返事だ。アレンは椅子から立ち上がり、そのまま窓に向かって行く。
「黒竜は化け物だ。俺らなんか絶対に敵わない。だったら、化け物には化け物をぶつけるべきだ。そう思わないか?」
「え?」
「なあ。白竜」
アレンはおもむろに誰かに語りかけた。すると、窓の外の景色が歪んだ。透明が像を結んでいく。浮かび上がったその形に、あたしは息をのむ。
これは、大きな目だ。
「原作では幼馴染の死を嘆いているところに現れてたけどさ。よくよく考えたら、随分と性格悪いよな……黒竜に身内殺された奴の前で、黒竜を倒せるだけの力を見せびらかして、『弱い人間が、本当に強大な存在を倒せるのか、興味を持った』だっけ? でも、お前の見たいものはすでに見れただろ?」
原作、という言葉が聞こえてあたしは驚く。まさかアレンも転生者なのか。そんなあたしをよそにアレンは腕を広げる。村を指し示すように。
「御覧の通り。魔物の群れが訪れたのに、か弱い人間どもは、か弱いままに全員生き残りましたよ」
村人たちは蹂躙される村から、みんな逃げ出すことが出来た。それは、万が一に備えて避難訓練などをし続けてきたからだ。
「まだ足りねぇと?」
アレンが透明なふたつの目を睨みつけると、す、とその影は消えていった。アレンは息を吐く。その顔には僅かに安堵があって、あたしは今の提案が成功したのだと知った。
「い、いまの」
「人間が大好きな白竜サマだよ……あぁ。俺も前世の記憶がよみがえったんだ」
アレンはあたしを見て言った。
「あの日、勝手に死んで本当にごめん」
その表情が前世のあいつと重なる。彼はいつも、自信なさげに眉を下げていた。それでちょっぴり眉間にしわが寄っていて、もっと自分を誇っていいのにと思うのと同時に、そのしわをつつきたい気持ちになったのだった。遠い昔の思い出だ。
あたしはアレンに飛びついた。そのまま、胸を何度もたたいた。アレンの体がなすがままに揺れる。
涙が止まらない。
「馬鹿! ばか! ばか! あたしが一体、あの後、どんな気持ちで生きていたか……!」
「うん、ごめん。俺も……同じ立場になってよくわかった。だから、エディも二度とするなよ」
アレンの言葉にあたしはうっとつまる。確かに他人のこと言える状態じゃなかった。あたしはあたしの殴った分を殴り返せと、両腕を広げる。アレンはそんなあたしを見て笑うと、こぶしを振り上げるふりをして、それからあたしを抱きしめた。
あたしたちもその背中に腕を回して、同じように抱きしめた。その背中は震えていて、アレンも泣いているのだと分かった。
どのくらい時間がたったのか、段々と我に返り、この状態が恥ずかしくなってきた。あたしはアレンの胸に胸に手をつき、押し戻す。あたしの顔は赤い自覚があるのに、アレンは全然普通そうにしていてちょっと癪に障った。
冷静になってきた頭であたしは言う。
「……その。ちょっと不安なことがあるんだけど」
「何?」
「白竜、約束破ったらどうしよう。ほら、あいつ気まぐれだろ?」
白竜の気まぐれっぷりは原作でもすごかった。英雄に課した訓練だって手を貸すと言っときながら、「これで死んだら此奴はそこまで」という、もはや試練に近いものだった。
アレンは僅かに目を見張り、頷く。
「確かに……まあ。でも、そしたら黒竜の来ないとこまで、みんなで逃げて。それでも駄目だったら」
「駄目だったら?」
「そんときは……今度は、諸共、一緒に死のうか」
アレンはそう言って、笑った。
生きるなら、一緒に生きたい。死ぬしかないなら、あがきまくった後、一緒に逝きたい。
一人で戦う英雄は生まれない。ここにいるのは無力で、それでも協力して、賢明に生きようとする村人達だけだった。
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