木曜日、決意の夜。
「…………」
建築中のビルは、見えこそすれ、中々近付けない。
そこまで遠いようには見えない。
康太は首を傾げた。おかしい。自分たちは確かに進んでいるはずなのに。
「…………これは……陸路で行くべきかな」
悠人が訝しげな表情で言う。何かに気付いたらしい。
「空中に、何かしらの結界がある。僕らがあのビルに近付けないようになっているね。大輔がこの辺りにいないとなると……これに気付いて遠回りしたのかな? 一度引き返してみよう」
悠人の提案に全員が頷いた。誰もいないことを確認してから、裏路地に降り────。
そこで、異変が起こる。
落下している途中で、景色が、何の前触れも無しに、変わったのだ。
ビルの隙間から、ビルの上空へと。
「────!」
──転移魔法? でも、魔法陣らしい光も無かったし……。
エリオットは頭を働かせる。この現象は確実に魔法によるものだ。転移魔法は、触れていないものを飛ばせない。つまりこれは……。
「……うん、これは結界だ。それも……入ったら出られないタイプ……じゃないといいんだけど。ちょっと待ってて」
全員は、適当な場所に着地する。そして悠人は、元いた方向へ思い切り跳んだ。
凄まじいスピードで、どんどんと遠ざかって……。
その姿が、忽然と消えた。
「な────?」
ミオが声を上げた。突然だった。夜の闇に、呑み込まれるかのように、悠人の姿が見えなくなったのだ。
「こっちだよ、こっち」
全員が、居なくなった悠人の姿を探していると、その真後ろから声が掛けられた。
「…………どういう……こと?」
いつものようにか細い声で、葵が悠人に問う。
「跳んでみて確信した。結界が立体の形に展開されていて、端まで行くと、その対角線上に飛ばされるみたいだ。形が円錐型なのか立方体なのか直方体なのかまではまだわからないけどね」
「…………なら……中心に術者がいるか、どこかに魔法陣があるはず」
「その通り。それに、最初、どれだけ跳んでも近付かないな、としか思わなかった。でも、どうにもこの結界……同じ映像を見せてきている気がする。結界内でどれだけ動いても、違和感を感じなかった。遠くに見える目標が一切動かない、という点以外はね」
「えーと、ボクらはどうすれば出られるのかな?」
康太はそう言う。結界を出る方法は二つ。
「一つは術者を倒すこと。意識を奪う程度でいい。後は魔法陣の破壊ぐらいさ」
エリオットはそう言って、辺りを見回す。術者を探しているのだ。感知タイプ程ではないにせよ、エリオットは普通のランクSよりも魔素の流れはよく見える。
「……術者がいる感じではないね。となると魔法陣が設置されているのだろうけれど、場所までは見えない……困ったね」
「いや、術者がいないのがわかれば充分さ。この結界の形と魔法陣の場所さえわかれば突破出来ることがわかったんだ。性質も一応推理しておこうか。タイプがわかれば魔法陣の場所も検討がつきやすくなるだろうし」
そのまま悠人は続けて、
「ここにこんな足止めのための結界があって、大輔はここにいないことから察するに……ある程度の魔力が無いと、ここには囚われない、かな。強引に引き込むタイプで、外に出られないから箱庭型。箱庭型は……そう、中心部に魔法陣があるか……大きさを測るのも時間が掛かる。そこまで広い結界じゃないことは確かだ。一つ気がかりなのは……どうしてピンポイントで僕らが捕まったか、ってことなんだけど……まあ、魔法陣さえ見れば魔法語から幾らでも読み解けるよね」
そう言ったあと、悠人は全員に「とにかく、魔法陣を散開して探そう」との旨を伝え、探しに動き出す。
「箱庭型の結界には特徴がありますの。屋外に張る場合は屋外に設置しなければならないのですのよ」
エリオットの傍にいたエミリアが、そんなことを言った。他のメンバーは、ビルの壁、ビルの屋上にある貯水タンクなどを調べていた。
「どうしてそんなに詳しいんだい?」
「貴族の会合で、魔法やら結界やらを研究する一族の方とお話したことがありますのよ。お兄さまはわたくしに面倒事を押し付けていましたし、ご存知ないでしょうけど」
「うっ……だって、顔を出せば女の子に凄く言い寄られるし……」
「逆だって同じですわよ。男に求婚され続けたのですわよ、わたくし」
女に告白される姉と、男に告白される弟。
「父上と母上が僕らの名前さえ間違えなければ……」
「……言っても仕方ありませんわよ。こちらと違って、祖国では改名制度は無いのですし……」
「……まあ、その話はまたにしよう。今はとにかく、この厄介な結界をなんとかして、大輔くんを援護しなくては」
「ゾッコンラヴですわねえ」
「とっ、友達だからだよ!」
エリオットは赤面しながら、周囲を見渡す。なんの変哲もない摩天楼。通りでは車がひっきりなしに走っているし、ビルの窓から廊下が見え、サラリーマンが忙しなく歩いている。
──バレないといいんだけれどもね。
屋内に魔法陣が無い、というのはラッキーだろう。あそこに忍び込むとややこしいだろうな、と漠然と考える。
「あった! これじゃない!?」
膠着状態を動かしたのは、康太の声であった。
慌てて、エリオットは声の方へ向かう。
「読んでみよう……ふむ、基本的な箱庭型結界の魔法語と、錯覚魔法……あと、これは……なんだい、こりゃ。移動系の魔法語? しかも発動前にしか効果を発揮しないぞ、これ」
「……つまり、わたくし達がどのようなルートで動いても、魔法陣そのものが移動してきて結界内に閉じ込めようとしてきた、ということではありませんこと?」
「…………魔法陣の使い方が陰険。…………鹿沼が考えそう」
「大輔くんがこれを仕掛けたって言うのかい!?」
「落ち着きなさい、エリオット。ただの例えよ。……でも、相手はかなり性格悪いわよ。移動系の魔法語って普通、攻撃魔法にしか使わないんだけど……こんな使い方も出来るのね」
「とりあえず、壊しておこう。早く大輔のところへ行かないと」
「魔素の通話は繋がらないのかい?」
「……うん、結界のせいかとは思ったけど、どうにもあそこにいるらしいシエルちゃんの魔力が、飛ばした魔素を弾いてしまって……」
「じゃあ、なおさら急がなきゃね」
再び、悠人たちは建設中のビルへ跳ぶ。今度は、ちゃんと近付いて行っていた。
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悠人たちは、目的地に到着した。
辺りは静まり返っている。入り口にプレハブ小屋があって、電気が点いている。
「……あの小屋の中、テレビの音と笑い声がする。人がいるね」
「警備とかそういう人かな。……どうする?」
「バレても魔導士候補生だって言ったらなんとでもなるかな。行こう」
そして、建設中の、コンクリートが打ちっぱなしになったビルへと足を踏み入れる。幸い、警備員に見付かることなく潜入出来た。
「ここからも手分けだ。大輔くんを見付けたら、他の仲間に携帯で連絡して。魔素会話は使えそうにないからね」
悠人の指示に従い、メンバーは分かれる。
エリオットは、四階に上がった。一階に悠人、二階に葵とミオ、三階にエミリアと康太が向かっている。
ビルそのものはもっと上がある。見た感じでは十階はあるだろう。
「…………」
極力、音を立てず、探索する。大輔を見付けたら脅かしてやろう──そんなことを思いながら、エリオットはゆっくりと歩きまわる。
「心臓の方が後処理も楽だよな? っつーわけで、ほれ?」
そんな声が、聞こえた。それは、エリオットには聞き覚えのない声。
──誰か、いる。それに、心臓? 後処理? …………まさ、か。
エリオットは、声の方へ急いで向かった。
扉がまだ付いていない、部屋の入り口から、少しだけ身を乗り出して、中の様子を窺う。
虚ろな目をして、大輔が立っていた。
──大輔く、……あ……え?
胸部に、真っ白な球体から伸びた太い針のようなものが、突き刺さっている。
真っ白な球体は、ニコニコとしている細目の男の真横に浮いている。魔導武装、なのだろうか。
エリオットは、何も考えず、飛び出した。
「大輔くんを放せッ!」
「あん? ……ちっ、はええじゃねえか? 俺の特製魔法陣、あと五分はもってくれりゃ良かったのによ?」
「貴、様────」
「やめとけやめとけ? こいつはもう死んでるよ? ついでに言うと、こいつの魂は俺が持ってるぜ?」
そう言って、男──疑心のサードは、手に持っている、小さなビンを見せ付けるようにして、軽く弄んでいる。
「おっと、動くんじゃねえぞ? 俺が持ってるのはこのガキの魂が元になっている魔力だぜ? お前が不審な動きを見せれば、びっくりしてこの魔力、使っちまうかもな?」
魂を、魔力として使えば。どうなってしまうのだろう、とエリオットは考える。
「じゃ、俺はもう行くわ? 追いかけて来んじゃねえぞ?」
男は、右肩に担ぐようにシエルを乗せ、白い球体の上に、大輔の死体を乗せた。
「じゃあな、臆病者?」
「──────ッ!」
エリオットは魔導武装を顕現させた。手を振り上げた瞬間、サードの笑みが大きくなる。
「動くなって言ったのによ?」
その瞬間、サードは消えた。転移魔法だ。
「…………どうすれば、良かったって言うんだい……!」
臆病者、と挑発されて、動いてしまった。その結果、敵は転移魔法を使って逃げた。大輔の、魂を使った、転移魔法だ。
残されたのは、エリオットと、まだ熱を失っていない、大輔の血液。
そこで、気付く。
敵は、転移魔法を使ったのだ。
自分の、目の前で。
「行き先が、わかるじゃないか──」
エリオット本人は、転移魔法の痕跡を追えない。だが、これを魔導士に報告すれば、アジトの手がかりが掴めるかもしれない。そうすれば。
全員を、助けられる────!
エリオットは、自分は弱い人間だという自負がある。
でも、やるべきことを見失うほど腐ってはいない。
助けられなかったことは、後で悔やめばいい。今は、助ける方法を模索するべきだ。
そうする、べきなのだ。
「…………大輔くん……」
だから、泣かない。
泣いては、いけない。
エリオットは、自分にそう言い聞かせる。
大輔に、泣き虫だと笑われてしまいそうだから。
助けだした後に、一人で隠れて泣くことにする。
力不足を嘆いた涙ではなく、歓喜の涙を。
滲み出た涙を、腕で思い切り拭き取る。
エミリアに電話を掛ける。
「もしもし、エミリアかい?」
『大輔さんを見つけましたの?』
「見つけはした。ユニオンのメンバーらしき男に連れて行かれた。シエルちゃんと一緒にね」
『……随分と落ち着いていらっしゃるようで』
「うん。慌てたって仕方ないからね。……目の前で転移魔法を使って逃げた。これを魔導士に報告するべきだ」
『転移魔法を? いえ、そもそも大輔さんはどのように……』
「詳しい話は、今するべきじゃないね。一度、学生寮に引き返そう。僕らじゃ転移魔法を追えないからね」
『…………。……わかりました。他の方にも伝えておきます。ひとまずは、ここから出て合流致しましょう』
「ああ」
通話を追えて、携帯をポケットにしまった。
決意を秘めて、エリオットは、その場を後にした。




