↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「君を愛することはない」と告げた男の誤算  作者: にのまえ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/5

05

 鋭い息遣いと共に、振り下ろされた剣が空間を切り裂く。

 ライナスはこれまで対峙してきた魔物の幻影を見据えるように虚空を睨み、体に染みついた剣術をなぞるように休むこともなく剣を振り続けた。早朝から始めた鍛錬にシャツはとうに汗に濡れ、しなやかな体格を露わにするように貼り付いていた。

 ひやりとした朝の空気の中、鍛え上げられた体躯だけが熱をもって火照りを帯びていた。


 切っ先を地面へと下ろし、軽く息を吐きながら傍のベンチへと歩み寄ったところで、ライナスはタオルの用意を忘れていたことに気付いた。仕方なくシャツを掴み、強引にそれで滴る汗を拭っていると、不意に地面を踏む小さな足音が立てられた。

 視線を向けると、訓練場の入り口近くにドレスの上にショールを羽織ったロリンダが佇んでいた。ロリンダは両手に持った何かを胸に抱き込み、その場に固まったように立ち尽くしていた。


「……ああ」


 ライナスは小さく呟き、握り締めた剣を見下ろした。

 中央にも王室所属の騎士団や私兵はいるが、貴族の令嬢がこうも間近で剣を見る機会もないだろう。

 刀身を鞘に納めて改めてロリンダに目を向けると、背後に控えるデルロイに促されゆっくりと近付いてくる。だがその顔はまだどこか強張っていた。


「顔が赤いな。冷えたのではないか?」

「いっ、いえ! これはそういうのじゃないですし、問題ありませんので!」

「そうか」


 必死に言い募るロリンダにライナスは短く言葉を返し、二人の間に奇妙な沈黙が横たわる。

 何かの話題を探そうとしているロリンダを見下ろしたままライナスはただ言葉を待ち、滴る汗の煩わしさに軽く首を振ったところで、ロリンダが思い出したように声を上げた。


「こ、侯爵様! こちらをどうぞ!」


 押し付けるように差し出されたのは、タオルだった。


「早起きしたので庭の様子を見に行こうとしたらマルコスに会って、侯爵様にタオルを届けたいが忙しいとのことだったので、私が代わりに持ってきました……!」


 ロリンダは勢いに任せて話す間かたく目を瞑ったまま、ライナスを見ようともしなかった。

 侯爵夫人を遣いにしなければならないほど、マルコスに仕事を預けた覚えはない。真偽を確かめるようにデルロイに視線を向ければ、曖昧な笑みで頷かれる。

 ライナスは痛みを覚える頭を押さえ、ロリンダが差し出すタオルを受け取った。


「あの、侯爵様。鍛錬はまだ続けられるのでしょうか……?」

「そうだな。普段はまだ続けているが」

「じゃ、じゃあ! ここから見ていても構いませんか? 絶対に邪魔はしないので!」


 両手を拳に握り締め、妙に気合の入った顔をするロリンダをしばし呆然と見つめ、ライナスは眉間に皴を寄せて腕を組んだ。


「見ても面白くはないだろう。ここでの剣術は見せるためのものではなく、殺すためのものだ」

「そんなことありません!」


 ライナスの声に被せるようにロリンダは声を上げ、すぐに我に返って言葉を重ねた。


「あ、いえ、侯爵様の剣を否定する意図はなく……! えっと、私が魔物の前に立つことはないと思いますが、侯爵夫人として東部の守りである騎士たちのことは知っておくべきだと思うんです」


 浮ついた気持ちもなく、裏も感じられないひたむきな言葉に、ライナスは僅かに目を見開かせた。ロリンダの背後に付き従ってたデルロイも、意外そうにロリンダを見ている。


 これまで東部の騎士たちはいくら中央の貴族たちから「蛮人」と蔑まれても、誇りと使命をもって国のため東部のため、そして何よりも愛する者のために剣を握ってきた。

 確固たる信念があるからこそ外部の声など気にしてない素振りを続けていたが、それでも誰が何のために剣を握っているのか。それを正しく理解しようともしない中央に反発心がなかったわけではない。

 いっそわざと魔物を中央へ逃がし、東部の価値を高めようと考えたこともあった。だがそうしなかったのは、ひとえに無関係な人たちまでは巻き込みたくないという理性があったからだ。


 ロリンダがどんなつもりでそれを口にしたのかはわからないが、それでもたかだか一人の娘に「東部の守りである騎士」と呼ばれたことに、どうしようもなく胸を打たれてしまった。


 ライナスは喉の奥で低く笑いを殺し、デルロイもその口元に笑いを滲ませている。

 一人状況についていけないように唖然とするロリンダに目を眇め、ライナスは浅く頷いた。


「好きにしろ」

「──ありがとうございます!」


 小さく飛び跳ねて喜ぶロリンダを簡易の見学席に誘導し、ライナスは訓練場の中央に戻る足を不意に止めて振り返った。


「ついでだ、デルロイ。特別に訓練をつけてやる」

「……はい?」

「彼女も自分の護衛の実力くらいは把握しておきたいだろう」


 冷酷な笑みを唇に浮かべたライナスと、期待のこもった眼差しを向けてくるロリンダに挟まれ、デルロイは必死に首を横に振る。


「いやいやいや……! 主君は十分体も温まってるでしょうけど、俺にも準備ってものが」

「魔物はそんなもの待ってくれないだろう」

「あー……、わかりました」


 軽く両手を挙げて降参を示したデルロイが、渋々とライナスのもとへと足を向ける。その背後でロリンダが二人に声援を送る。

 刃を潰した模擬刀を手にした瞬間、デルロイの表情から軽薄さが消え、張り詰めたような緊迫感が訓練場に漂い始める。互いに間合いを取って向かい合う中、一瞬で彼我の距離は消え、激しく叩きつける打撃音が周囲に木霊した。



 訓練場での汗を拭い、シャツを着替えたライナスはいつものように執務室に向かうのではなく、食堂へと足を運んでいた。

 すでに席についていたロリンダへの配膳を行っていた給仕係が、姿を見せたライナスに驚いたような表情を浮かべた。すぐに遅れて食堂に入ってきたマルコスが給仕係に耳打ちし、神妙な面持ちで頷く。

 浅く頭を下げたマルコスを視界の端に留めて、ライナスは気にすることもなく席に着いた。


「料理長との話はついたようだな」


 ロリンダの前にある皿に盛られた料理は、以前よりも量が減らされていた。


「はい。侯爵様のお陰です。ありがとうございます」

「私は何もしていない」


 素っ気なく返して、ライナスはグラスの水を一気に呷る。冷たい水が喉を落ちていくのを感じながらグラスを差し出せば、マルコスがすぐに代わりの水を注いでいく。

 ライナスの前にも料理が並べられると、静かに食事は始まった。


 元々ライナスは口数が多い方ではない。ロリンダもおしゃべり好きというわけではないのか、食堂には時折カトラリーの触れ合う音が控えめに響いていた。

 淡々と食事を進め、しばらくと経った頃にライナスはふと、ロリンダに声をかけた。


「マルコスの教えはどうだ?」

「私たちがどれほど東部に対して無知だったかを痛感しています」


 無知を恥じるように返してきたロリンダに、ライナスはふっと唇を歪ませた。

 東部の内情が正しく中央に伝えられていれば、両者の間に確執など生まれることはなかっただろう。


「……近いうちにカルドゥッチ伯爵家とベルトロット伯爵家から面会の申し入れがあるはずだ」

「東部の医療と物流を担う方々ですね。フィンチ侯爵家と並ぶ、重要な役割をお持ちの主要家だとか」

「ああ。魔物という脅威を前に、まずはこの地に住まう者たちが団結しなければならない。フィンチ侯爵家が武力を、カルドゥッチ伯爵家は医療、ベルトロット伯爵家が物流を担い、東部は支えられてきた。いずれも欠けることはできない」


 食事の手を止め、真剣な表情となって頷くロリンダを一瞥し、ライナスは話を続けた。


「ベルトロット伯爵夫人は君と同世代だ。夫人は自ら各地を回り商売を学んでいる。……東部に慣れるうえで力になってくれるだろう」

「まあ! 夫人自ら? 私はこちらに来るまで王都の屋敷を出たことがありませんから、いろいろ話を聞いてみたいです」

「面倒見のいい女性だ。頼めば断らないはずだ」


 淡々と続く当主夫妻の会話の傍ら、食器を回収しようとしていた給仕の手が僅かに震え、食器が擦れる音が微かに響いた。即座にマルコスが漏らした咳払いの音に給仕がハッと我に返り、失態を詫びるように軽く頭を下げた。

 気掛かりそうにマルコスが視線を向けた先では、淡々と食事が続けられていた。



 午後となり、外套を羽織ったライナスがエントランスで数名の騎士を前に最終確認を行っていると、邸宅内から数名が飛び出してきた。


「侯爵様……っ!」


 ドレスの裾を乱し、焦ったように駆け寄ってきたのはロリンダだった。その背後には専属侍女やデルロイの姿もあった。「夫人!」とデルロイが叫びロリンダを制止しようとするが、彼女がライナスのもとへ来る方が早かった。


「森に向かわれるとお聞きしました……! 襲撃があったのですか!?」


 必死な様子を隠しもしないロリンダに、ライナスはそれに応じる前にデルロイへと視線を向けた。デルロイが背筋を伸ばし、深く頭を下げる。

 ライナスが森へ向かうことはロリンダには伝える必要はないと命じていたはずだった。伝えなければならない理由がないからだ。


 ライナスの無言の圧力にデルロイが頭を下げたまま微動だにしない中、その視線を遮るようにロリンダが体を割り込ませ、庇うように両手を広げた。


「私が説明するよう命じました! たとえ飾りであろうとも、侯爵様が不在の間は私が彼らを導く必要があります!」


 その訴えにライナスは僅かに目を見開かせ、しばらくして小さく息を吐き出した。


 ライナスは自分の指示を待つ騎士たちにしばらくの待機を伝え、ロリンダに向き直った。


「今回の巡回は村の近くで見つかった魔物の痕跡について、いくつか確認しに行くだけだ。討伐が目的ではない」

「あ……」


 その説明にロリンダはあからさまにほっとした表情を浮かべ、それからじわりと頬を朱に染め上げた。

 恐る恐ると上目遣いに見上げてくるその瞳は、僅かに左右に泳いでいた。


「私……もしかしてとんだ勘違いを」

「そのようだな。君の早とちりか、アレの説明不足かは知らないが」

「……多分私の早とちりです。申し訳ありません、お忙しい時にご迷惑を……」


 か細く消え入りそうな声で謝罪を伝えるロリンダはすっかり俯いてしまい、ドレスのスカートを握り締める手も赤く染まっている。

 ライナスはその姿を奇妙な心地で眺めていた。何が彼女をここまで駆り立てるのかと考えた時、ふと、彼女に言われた言葉が蘇った。


『つまり、私が侯爵様を愛する分には何の問題もないということです!』


(──まさか、あれは本心で言っていたのか?)


 ライナスはそれまで、あれは愛することはないといったライナスへの意趣返しだと思っていた。

 しかし、ライナスにとっては最早日常の一部ともなっている魔物の生態調査が、ロリンダの勘違いも加わっていたといえここまで他者に心配されるものだとは思いもしなかった。

 東部の生活の傍らには魔物がいる。共存し得ない相手ではあるが、それでも切り離すことはできないものである。

 だが、王都から来たロリンダにとっては、そうではないのだ。

 そしてロリンダは正しく魔物の脅威を理解している。


「……心配は無用だ」


 どうにか吐き出した声は、なぜか掠れてしわがれていた。

 小さく肩を揺らしながらも顔を上げられないでいるロリンダにライナスは唇を綻ばせ、その小さな頭にそっと手のひらを乗せた。


「侯爵さ──」

「マルコス! 後で彼女に説明を」

「かしこまりました、旦那様」


 何かを言いかけたロリンダの声を遮って指示を出し、ライナスは待機させていた騎士たちのもとへ向かう。


 遠ざかる馬の蹄の音が聞こえなくなってからもロリンダは一歩も動くことなく、マルコスに促されるまでの間、視界の先へと消えていった背中をただ見つめ続けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。