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【七】ごめんなさい!!

 僕の視力は空を超えた宇宙、太陽系の惑星はおおむね視認できる。

 聴覚も地球の反対側のことも拾えた。

 それに超音速の脚力があればなんでも見聞きして駆けつけられる。

 と言えば凄そうに見えるが、端的に言えば両目が望遠鏡で耳が超集音マイクだ。

 普通に生きるには過剰なスペックだ。

「どうするんですか?」

「アンカーを設定させるんだ。耳や目の焦点。でも、それをいきなりやるのは難しいし……彼女の場合は気になる人々のことを思い出したのが原因だから……」

「お待ちを。ジェーン様が他者を気にかけられているのですか?」

 失礼な質問だ。

 しかし、ジェーンを知っている人間なら全員が同じ疑問を浮かべるだろう。

 彼女のような人物。

 能力や肉体ではなく精神面で人とは異なる超越性を持つ人種。

 ハッキリ言うと僕は生前、彼らに散々いじめられてきた。

 ヒーローでもヴィランでも心が超常的というのはそれだけで……本当に……なんで……いつもいつも……!

「あの……」

「ごめん。考え事してた。君には信じられないように思えても仕方ないけれども……。僕も何度も疑ったものだけれども、彼女のような人種は非常にユニークな精神構造をしているだけで、心が育まれてないわけではないんだ」

 嫌な感情にうっかり沈み込むところだった。

 世界に変革を齎すのは彼女らのような特別な精神性を持つ者達だ。

 僕にはないモノをどういう経緯でか獲得した人達。

 昔は仕事で勝てず、シクシク泣いたものだ。

「思うに彼女には悪気は一切ない。だから、悪い人ではないよ。これからを見て欲しい。ていうか、君のことも大事に思っているよ?」

 良いんだか悪いんだか知らないが、彼ら/彼女らとは深い縁がある。

 誤解があれば解き、不仲があれば和解するように働きかけねば。

「……本当に変化しようとしているのかしら。それで気にかけている人物とは?」

「昼に貧しい人たちが暮らすエリアを散策した際に、ある兄弟のお世話になったんだ。ずっと彼らのことが心に残っていたらしい。僕と同じ心の動きをしたから、能力が発動したみたい」

「魂の合致ですね」

 メイド長はマナを通して主の体内に働きかけた。

 血水魔法によって、血液に介在するジェーンの意志を溶かす。

 そうすることによって、心が前世に重なったことで発生した力の暴走への抵抗を弱めた。

 魂が宿るのは血液。

 それは僕にも親しい概念だ。

 血水魔法によって魂の拒絶反応を軽減させたのだ。

 これにより、ジェーンの視界に、初めて超聴力が暴走したスゲーマンの記憶が上映される。

 僕にも同じものが流れている。

 13歳の頃、幼馴染の少女と部屋で話をしていると、ふとした拍子でキスをした。

 その日にそれをするとは一切想像していなかった。

 僕は精一杯に気にしていないクールなふりをした。

 ──へ、へ、へ、へば……まだ……明日、学校でな。

 両親譲りのこってりした訛り。

 未来にはスゲーマンになる少年は、この頃は子どもも同然。女の子と手を繋ぐだけで心臓が口から出てくる。

 ファーストキスを“いいな”と思っていた相手とできたことで、声は上ずり、頬は発火したように真っ赤になった。

 後から考えると“最悪のやらかし”だった。

 いや、この時点でやらかしには自覚していたが、ファーストキスに舞い上がっていた。

 帰宅して、夜になり、ベッドに横たわった僕は、幼馴染が何をしているのか気になった。

 目を閉じれば、相手の息遣いを感じられるかと思い、意識を集中させると、“それ”に目覚めた。

「クソッ、これじゃただ子どもの性欲の目覚めを見せられてるだけじゃない!! あたしにはだいぶ無意味だわ、これ!!」

 悶え苦しむジェーンが僕の宝物の如き記憶を一言で切り捨てた。

「落ち着いてください。前世の記憶を思い出したんですね? それならスゲーマンはその後にどうしましたか」

 前世、遠い昔に青春をしていたスゲーマンは、超聴力によって幼馴染の鼾が轟音になって聴こえた。

 彼はすぐにそこに行って、鼻を摘みたいと思った。

 そうすれば鼾が止まって安らかに眠りにつける。

 しかし、そんなことはできない。

 深夜に幼馴染でも女の子の部屋に押し入るのは悪いことだから。

 代わりに、絶叫を聞き。

 注意が音源に向いた。彼の義母が──

「ここからは不要な記憶だわ! おにぎり頂戴!」

 夜食用にいつもベッド脇に備えているおにぎり三つ。

 すぐにトレイから持ってきた。

「具は何にいたしますか?」

 こうしている間もジェーンは耳に流れてくる騒音に耐えている。

 今は気を紛らわせるために床に何度も額を打ち付けている。

「海老マヨ!!」

 なるほど耳にこびりついた爆音を、マヨネーズの油分で紛らわせるというわけか。

 重さで具がわかるシスマが一つ手渡した。

 受け取ると、丸ごと口に押し込んだ。

 口を動かしエビの弾ける食感とマヨネーズの滑らかさがお米に混ざる味わいを楽しむ。

 すくっと立ち上がった。

 彼女の好物を味わっている間は全感覚がそれに集中している。

 長持ちしないだろうが行動可能にするには十分だ。

「直接、あの子たちの所に行く!」

 スゲーマンの聴覚を揺らしたのは幼馴染の鼾。

 一方でこちらは襲われているだろう子供二人の危機。

 前者は無理に止め難いが、後者は止めても問題ない。

   悪いのはテメエらだぞ、クソガキども。俺等の邪魔をしたらどれだけの内臓を取られてもしょうがねえ!

 意識を集中させ、音がどこから来ているのかを探る。

   かわいいねぇ、こんなところにはもったいない玉の肌だよぉ……

 貧民窟と同じ方向と位置。

 細かい位置はわからないがとにかく行けばわかる。

   やめろ! 弟を離せ!! 僕はどうなってもいいから!

「よし、適当に行くわ! やっぱ何事も爆速直進が正解ね!!」

「適当って──」

 無謀な行動を取ろうとするジェーンを諌めるために、肩を掴んだメイド長が、お米の聖女と一緒に音速の線となった。

 時間を遡った時ほどではないが、それでも超高速の移動だ。

 屋敷を飛び出し、閑静な街を通り抜け、夜中に走る馬車を追い越し、ひとっ跳びで時計塔を超える。

 空を飛ぶ力は戻っていない。

 高速で動いて、遠くの音も聴き取るだけ。

 両足を動かす。

 前に進ませる。

 度を超えた高速だと、走る一歩が数百メートル先まで進める。

 数度、同じ道を通ってから貧民窟に入った。

 めまぐるしく流れる風景。

 通り過ぎる貧しい人々の住処では、住民がろくに仕事をせずにお米ばかりを食べているため、夜になっても活動している住民が多い。

 むしろ、昼は寝ていて夜に活動を再開する者が主流とさえ言える。

 この貧民窟では自分がどこにいるのかどこへ向かおうとしているのかも不確かだ。

 少しでもより多くの音を聞こうとすると、たちまち眠らない狂騒が、がなり立てる。

 力に慣れていない上京でそれは悪手。

 故にとにかく足を動かす。

 虱潰しに家屋のドアを高速で開け閉めして中を確認していく。

 仮に住人が起きていても何が通ったか悟らせずに終わる自信があった。

 雨風を防ぐ以上の役割はなさそうな家屋を除くと、馬鹿騒ぎしている者、偽札を作っている現場、麻薬の取引、犯罪計画、リンチ、強姦、殺人。

 最後の3つはとりあえず棲家の壁を引っ剥がして警告しておいた。

 犯罪とは隠れないといけないもの。風が吹きっさらしのオープンな場所にされては、意欲が激減だろう。

「見つけたぁ!!」

 そうやって種々様々な貧民窟の生活を無理やりチラ見し、ついに探していた声を見つけた。

 ぼろぼろなドアを蹴る。速度が乗ったキックで砕けてバラバラになったドア。

 兄弟を囲んでいる荒くれ者は5人。

 いずれも場慣れを感じさせるもの。

 それに軽装だが鎧を着用している。

 衛兵か傭兵くずれか。

 武器を携帯せずに、戦闘用の魔法も修めてもいないという無力な身で挑むのは本来無謀。

 少年達は弟の方は恐怖に震え、目を見開き、兄は荒くれの一人に獣欲たっぷりに首筋を舐められている。

 ドアの破片を空中で掴む。

 木製であり、潰れた刀身の直剣でも叩き壊すのは容易。

 破片を投擲する。

 荒くれ者の鎧が大きく凹んだ。

 相手が死なないように反射的に手加減したが足りていなかったかもしれない。

 貫通しない木片は鎧にぶつかって砕けたが、その速度エネルギーを受けた荒くれ者が飛んだ。

 背後にいた一人を巻き込んで二人の悪党が壁に頭を埋めた。

 先制攻撃が成功したか確認するために、ジェーンが止まった。

 遅れて高速の移動によって視界と思考が激しく回転したメイド長がその場で嘔吐した。

「おえええええええええええっ!!!」

 彼女は一見してわかる達人だがまだ三半規管が鍛えられていないようだ。

 慣れれば光速相手でもついていけるようになる。

 前世でそうしてスピードスターに勝利を収めた武術の達人をごまんと見てきた。

 でもそれって物理的におかしくない? 世の中どうなってるんだろう。

 超高速の世界が通常に戻った。

 開幕で二人を落とし、残すは三人。

「なんだこらあああああ!!!」

 貧民窟中に響きそうな怒声。

 あまりに煩くてジェーンがそのまま手で押し飛ばした。

 壁を突き破ってどこかに飛んでいく。

 パンチがいらなさそうなのは良いことだ。

 ジェーンは人を殴ったことがない。

 僕は問題ないと言うか慣れてしまっているが、人を殴ったことがない人間に、誰かを殴れというのはリスクが大きすぎる。

 力の加減ができないからだ。

 僕は農作業の手伝いと日常生活を通じて隕石をパンチで粉砕でき、それから納豆を発泡スチロールを崩すことなく掻き混ぜられる。

 納豆って何回混ぜるか人によるよね。

 とにかく、ジェーンの押し出しによって、残る二人が呆気に取られ、棒立ちになった。

「あんた達! こんな小さい子供を虐めるなんて恥を知りなさい!」

「え…………?」

 唐突に現れた謎の女。

 仲間が二人、壁に頭をつこんで、もう一人はそっと押されただけで壁を破壊しながら吹き飛んだ。

 子ども達を不自由なく一方的に痛めつけようとしていたら、まばたきする暇もなくこうなったのだ。

 相手にしてみれば悪い夢を見ている気分に違いない。

「ど、どっから来た?」

 まだ倒れていなかった者がやっと武器を出した。

 奇妙な武器だった。

 炎が剣の形になって固定される。

 フランベルジュという波打つ刃の剣があるのは知っている。

 だがこちらは完全に燃えている炎による剣だ。

 火の魔法使いがつきっきりでなければできない芸当なのだが、相手は魔法使いではない。

 シスマがさっき振るったガジェットのように、電流を纏うのはできても、それそのもので武器を構成するのは不可能だ。

 高熱を発しているのが、2m先にも届く熱気でわかる。

 直撃すれば3度の火傷どころか四肢が切断されてしまいかねない。

 やってみてもらってわかったが、ジェーンはまだ力をまったく適切に動かせていない

 僕の力を持つ人間というのは初めて見たので未知数だったが、やはりそう扱いきれるものではなかった。

 これは結構誇らしいかもしれない。だってジェーンのような天才タイプでもすぐにはものにできないってことだから。

 助けに駆けつけられた兄弟は運良く平気だが、次も平気とはわからない。

 悪人が多少骨折だのしても聖女は気にしないかもしれなが、子どもは守らねば。

 知り合いが死ぬの嫌なものだ。

 そのことを僕は熟知しているし、ジェーンもその気持ちは知っている。

「シェイクしよう!」

 血の人形になった僕が指示だけをした。

 その意味を理解したジェーンは一瞬で武器を持つ者に迫り、相手の頭を掴む。

 相手の頭部を鷲掴みにした手を高速の勢いに乗せて振る。

 脳が揺れに揺れ、男は目を回して倒れた。

「熱くないわ」

 その過程で炎の剣がうっかり肌に触れるが熱くも痛くもない。

 火では焼けない肌になっていたのだ。

 そうだろうとは思っていたが僕は内心、安堵に胸を撫で下ろした。

「ばっ、化物ぉ!?」

 気絶していた者を持ち上げ、盾状態にして最後の一人へ突っ込んだ。

 肉と壁のサンドイッチとなり、最後の一人も倒れた。

 3秒もない出来事。

 ジェーンの屋敷からここまでは早馬でも最短2時間はかかる。

 それをたった数十秒で走破し、疲れを感じることなく悪党を倒した。

 初めてにしては上出来だと思う。

 僕の“初めて”はずっと手際が悪かった。

「おう何が起きやがった!?」

 騒音を聞きつけ、さらに荒くれ者がやってきた。

 壊されたドアに詰めるようにして規律のない者たちが雪崩込んでくる。

 数は十人。先程の倍。

 洗練とは程遠い振る舞いだが、今倒した者と同じく、獲物だけは洒落ていた。

「てめえっ!」

 仲間が倒れているのを見るや交渉も脅しもなしに銃口を向けてきた。

 そう、銃口だ。

 銃声が次々に鳴り響く。

 ガバメント。軍用自動拳銃の定番。

 中世のゴロツキ然とした者達が手には不釣り合いな近代武器を握り、引き金を引いた。

 出てきたものは弾丸の速度を持った岩石。

 土属性の魔法で再現したものだろうが、それでもこの世界の人間ができる領域を超えている。

 通常の肉体の持ち主なら全身が穴だらけに成って肉の破片に成り下がっていたことだろう。

 だがジェーンの肉体には傷一つ、凹みも痣もできていない。

 皮膚の硬さに射出された弾丸が敗けて片っ端から粉砕されていた。

「ど、どうなってんだ……!?」

 ありえない出来事に怯えた荒くれを静止し、とりわけ大柄で筋肉質な男が前に出た。

 間違いない。この集団のリーダーだ。

「どんな手品を使っているのか知らんが……馬鹿な正義感で首を突っ込むか?」

 周囲と違う雰囲気を纏った男。

 髭面だがその奥には無数の傷跡がある。

 歴戦の猛者だ。

 動じず、冷静で、その上で恫喝するプレッシャーを放っていた。

 けれども、僕が気になったのはそのさらに向こう。

 リーダーのさらに背後にいる。

 深々とフードをかぶった黒衣の人物。

 性別は不詳、見た目もわからないのに、どうしてか僕の興味を惹く何かを持っていた。

 それが何なのかは言語化できないが、一言でまとめれば”懐かしい”感情だ。

 好感も悪感情も引き出す、魂に刻まれた因縁。

 僕だけが抱いたものなのだろうか。

 男は無言で踵を返し、その場を去る。

 幻でないのはリーダー格の男が横目で見送ったことからもわかった。

「教えてやろう。俺達はこのうろちょろする餓鬼二匹を処理しろと言われただけだ」

「誰に?」

「答える義務はない」

「シヴィル・リーグってやつ?」

「なんだ知っているなら死ぬしかないな」

 軽口混じりの死刑宣告。ハードボイルドなタイプ。僕とは正反対だ。

 聖女に戦いの経験が全く無いのを見抜いているはずだが、それでも油断は見せない。

 こういう手合は非常に厄介だ。

 ともすればシチュエーション次第で、一瞬の隙を突かれて僕でも敗北しかねない。

「ここは巨いなる存在の手で生まれ変わる。そのためにはこいつらが目障りだ」

「子どもよ?」

「それがどうかしたか。好き好んでこんなところにいる奴らなど自分からドブネズミでいるのを選んだようなものだ」

 かつてのジェーン・エルロンドならそういう発現を聞いても眉一つ動かさなかっただろう。

 ここは貧民窟であり、だが飢えることは決してない。

 彼女がそういう国にしたからだ。

 そこまでしたのだから、後は自分以外がどうにかしてと言ったに違いない。

 絶対にそう言ってた。

 僕はなんて人に転生したんだ……今更ながら落ち込んできた。

「あんたらが好き放題してから殺そうと考えてる子たちは……そういう所を変えようと……」

「だからそれが迷惑な──」

 リーダーの言葉はジェーンのビンタで打ち切られた。

 あまりのパワーで張っ倒されたせいでその場で無限に側宙を繰り返すオブジェに成り果ててしまった。

 相手はまだ会話しているつもりだっただろう。

 まともに攻撃が入ってしまった。

「あんたら……すっごい不愉快!!!」

 肩を怒らせ、激情に双眸を黒く光らせていた。

 彼女の中の僕の力がより強まった証拠だ。

 僕も激情に支配された時は双眸が異形の発光をした。

 敵が一斉に怖気づいている。

 意気揚々と乗り込んだのに乱射では傷一つ付けられずに、逆にリーダー格が瞬殺され、今も回転する空宙風車に成った。

 死んではいない。だが、それがわかるのは僕やジェーンだけだ。

 士気を維持するのは酷な状況。

「いっつもいっつもあんたらみたいな時代についていけない奴らのせいであたしは面倒なことになるのよ! お父様もお母様も、あんたらみたいな古い価値観じゃなかったらあたしのことを捨てなかったわ!」

 八つ当たりに聞こえる。

 けれども、ジェーンにとってはそうではない。

 いつも彼女に孤独や寂寥を与えていたタイプの奴らが、今は罪のない兄弟に同じことをしようとしている。

 それも、ジェーンと同じように熱意と将来への展望に瞳を輝かせる子どもたちをだ。

「この子達に悪いことするってことはあたしに喧嘩を売るってことだと思い知りなさい、この悪党!! 人でなし!!」 

「お、俺等が悪いってのか!!」

「今の世の中じゃまともな荒事やっても食えねえんだよ!」

「飢え死にしないでしょ!!」

「それだけで満足できるかよ! 何かしようにもこの国は稲作しか考えてねえ」

 言い合い。

 今日、繰り返し突きつけられてきた事実。

 お米の聖女の功罪における罪の方。

 それが回り回って、彼女が好感を抱いた兄弟にも危害をもたらそうとしている。

 心が激しく痛み、彼女は後退りし、痛恨の思いに目を固く閉じた。

「…………そうね。あんたらを放ったらかしにしたのもあたしなのね。もうわかった。あたし、間違ってたわ! ごめんなさい!!」

 叫んだのと同時に深々と頭を下げた。

「ずっと自分のやりたいことだけやって楽しんでた! あたしが稼いだ金だしいいでしょって思ってた!! それでこういうことが起きてるなんて知ろうともしてなかった!! あんたらがどうしようもないクズなのもあたしのせいかも!!」

 一息で言い切り、さらに頭を下げて謝意を示した。

「ごめん!!!!」

 横隔膜を膨らませ、全ての呼気と同時に発射した大砲めいた謝罪。

 下を向いていたことで上昇気流が発生し、その場の全員の体が30cm浮いた。

 そう言われても彼女が誰かも知らない者達は怪訝そうに互いの顔を見合わせるだけだ。

 だが、背後のシスマと兄弟には確かに通じていた。

 ようやく気まぐれでやっているのではないと納得してもらえたのだ。

 ゆっくりと顔を上げ、大きく深呼吸したジェーンは切り替えた。

「よし、謝罪終わり。さあ、あたしにぶちのめされたい奴はかかってきなさい」

 自信満々に手招きをした。

 切り替えたのだ。

 僕なら半年は落ち込んで部屋から出られなくなるだろう“気づき”。

 それを空気も読まずに盛大なごめんなさいをすることで見事に切り替えてみせた。

 人間としてはどうかとなるが、この状況ならベターだ。

「う、撃てぇ!!」

 全弾がジェーンに放たれる。

 土煙に包まれ、相手の視界が塞がった。

 想定外だろう。というか想定できるわけがない。

 土煙から細腕がにゅっと伸びた。

 農業をやっていてしっかり食べているから平均よりは足も腕も太い。

 だとしても一振りで大の男が一斉に屋根ごと吹き飛ぶとは思えるわけがない。

 天井が砕け、宙高く、遠い何処かへと飛んでいった。

「次会っても同じことしたら宇宙に飛ばすからね!」

 プリプリと怒っているが絶対に聴こえていない。

 だが彼女はやると言ったら絶対にやるとわかる。

 その時が来ないことを祈ろう。

 高さと飛行距離からすると、即死はしていないはずだから。

「ふざけるなあ!」

 ずっと回転していたリーダーの男が巨大な棍棒を振りかざして兄弟へ攻撃した。

 空気の乱れで横倒しになって解放されたのだ。

 頬はスイカ程に腫れ、こもった熱は正常な思考力を奪っているはず。

 それが逆効果だったのだ。

 攻撃が成功してもどうなると判断する前に、男は行動を起こした。

 シスマは初めての音速酔いにまだふらついていて、正しく対応できるかわからない。

 咄嗟にジェーンは手で筒を作って口をすぼめ、息を吹き込んだ。

「フッ!!」

「ぐっ」

 高圧縮空気砲をまともに喰らって、男がたたらを踏んだ。

 敵の意識はそれで飛んだ。

 惜しむらくは降ろされた棍棒はそのままなこと。

 間に合わない。ジェーンの速度でも。

 まずい。せめて僕が……!

「ッ!!」

 瞬間。彼女の両脚に力が籠もって。

 最高速度を出した。

 聖女の頭頂部が敵の横腹に突き刺さり。

 貧民窟の向こう10mを巻き込んで敵が吹き飛んでいった。

 ……最後の最後。僕の思い通りに彼女の体が動いたような……。

 気の所為だろう。そんなことがあってはならない。

 本当だとしても、僕は絶対にそんなことはしない。絶対にだ。

「大丈夫? あなた達」

 戦いを終えたジェーンが生意気な弟の方を立ち上がらせる。

 戦いの余波というか衝撃で錐揉みされても、怪我はない。

 胃液を吐きながらシスマが真っ先に保護を頑張ってくれた御蔭だ。

 暗さで理解できなくとも、顔を近づけたことで改めて、相手が昼に会った聖女と認識できたらしい。

 なんで貴族がこんなところにいるかなどの不自然なことを気にする余裕はない。

 あれだけ憎まれ口を叩いた相手でも、勢いよく抱きついて大泣きした。

「あの、ありがとうございます。こんなに早く助けていただけるなんて、本当に……本当に……!」

 兄として気丈に振る舞おうとしているものの、予想外の出来事と方向から助けられ、緊張の糸がぷっつり切れた。

 涙を静かに流し、顔を両手で隠して肩を震わせるのを、ジェーンは無言で抱き寄せた。

 彼らが無事だった。

 正確には、彼ら“だけ”は無事だった。

 毎日こんな目に遭う人々はごまんといるだろう。

 たかがチンピラ複数名を倒したくらいで大勢に何の変化があるのか。

 それでも昼に出会い、少しでもみんなのために頑張ろうとしている子ども達、多少なりとも交流した彼らが気になったのも事実だ。

 お米のことしか興味がなかったジェーンの心が、スゲーマンと重なった。

 それも、本心において。

 超聴力と超高速。

 お米には役立つ気はしないが、それでもこれが正式な第一歩だ。

 僕としても誇らしい気持ちで満ち足りている。

「メイド長さん。彼らの治療を」

 だがそれだけで終わるわけにもいかない。

 戦いが終わったら後始末。

 それは敵の救助も含まれている。

 最初に倒した者達が星になることなく倒れていた。

 そして、最期に強烈なタックルをもらったリーダー格も、放置すれば死にかねない。

「なぜ? 子どもらを遊んで虐げるような者どもですよ?」

 当然の反応かもしれない。

 気分が悪くても鉄面皮は崩さないメイド長が、青白い顔色で尋ねた。

 僕としては答えは決まっている。

「彼らは生きている。それなら、死なせるべきではない」

 僕だけではと思い、ジェーンに目配せをすると、彼女も消極的な同意をしてくれた。

 主が頷いたことで、メイド長が倒した者達の治療にあたった。

 僕の言うことを理解して納得したわけではないだろう。

 知り合った者の無事を祈る気持ち、

 それは通じ合えたが、悪い人間、悪党というべき者も助けようとする精神。

 僕はシンプルに“生命は尊い”と考えて、そう主張したのだが、彼女らにはどう映るだろうか。

「とにかく、図らずもデビューしたわけだ、ヒーローに」

 ウィンクとともに僕は言う。

「まあ胸元が鼻水でびしょびしょだけどね」

 肩を竦め、聖女は苦笑する。

 言葉とは反対に、悪い気持ちはしていない。

 逆説的な話だが、誰かを助けることで、自分の存在やアイデンティティを確立させる。

 それは本当の意味で自分の意志で世界の上に立っている気分になるものだ。

「まあ、悪い気分じゃないわ」

 子どもたちの頭を撫でて、ジェーンは笑った。

「これから忙しくなるわね」

 それは自分に誓っているように聞こえた。

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