【十三】明日もお話しようね
「……やぁ」
「なしだ? なんか落とし物でもあっだが?」
彼は僕より先に山を降りていった。
失礼だとは想うが、
万が一にもクマに襲われないように、
帰り道は常に僕が背後に張り付いて周囲を見ていた。
そして、彼女の家への帰途につくのも見届けた。
「これが君の家の内部か」
入って良いか聞かずに玄関に無理やり上がって来た。
いつも強引だけど、彼らしくない仕草だった。
「そうだけど。どうしたの?」
「泊まっていいよな」
「えっ!?」
いきなりの宣言だ。
親友との関係が微妙になっているのを無視して、
僕の心は跳ね上がった。
友達と同じ部屋で一緒に寝る。
まるで漫画やアニメでやる思い出みたいだ!
「もちろんいいげど、お父さん、お母さんに
話さねぐでもえなが?」
聞いてからしまったと思った。
あのご家庭にいる人に言うことではなかった。
どうしても僕の親が宇宙一であるために、
子供の頃はちょくちょく他人の家庭にデリカシーのない発言をしてしまっていたものだ。
その通り、リンはこちらを見ないままに
僕が出してしまった話題から逃れようとして
口早にまくし立ててきた。
「あの家は僕には合わないからな。
もちろん、僕と対等な人間なんているわけもないが、
この秋田ではなおさらだ。
口を利くだけお互い不愉快になるだけさ
少しだけここで厄介になることにした」
「わがっだ! おっどぉとおっがぁに聞いてくるね!」
そう言って居間へ駆け出して、
すぐにリンの方へ振り返った。
うちに泊まりに来ても、
まだ怒っている、最低でもそのポーズを維持している。
それはつっけんどんな話し方からもわかる。
彼は、僕と目があって頬を膨らませた。
「ご、ごめんね。さっきは怒らせて。
ただ、君が心配で」
「……僕が君の助けがいるように見えるか」
「そうじゃねげど……セイメイは誰よりも凄い人だから。
力になれるならなんでもなりでくで……」
“凄い”という単語に反応した。
長い髪が揺れ、頬が一瞬緩んだ。
彼は何度、どれだけ聞いても褒め言葉が大好きだった。
「君にとって僕はそんなに天才か」
「特別な人!!」
笑顔を浮かべて答えると、
リンは眉間に皺を寄せ、目を細めた。
それから俯いて何かを呟いた。
声にならず、吐息だけだとなんと言ったかわからない。
唇を読むのも、下を向かれては無理だった。
「だから困った時はなんでも言っでけれな!
すぐ力になっから!」
「そんな日は来ないだろうけどね。
僕は自分のことはなんでも自分でやれるから」
彼の言葉に嘘はなかった。
彼は親との問題を、最後まで自分だけの問題にしていた。
あんなに賢いのに自分の境遇がわからなかったはずはない。
助けを求めるのが道理だと自覚できたはずだ。
リンは両親を殺したが、
それも直接でなく、誰にも悟られないよう
間接的にやることだってできた。
ここは田舎の農場地帯だ。
不慮の事故はいくらでも発生する。
なにせ農場というのは毒と兵器で溢れているのだ。
衝動的にでも、彼が両親を手にかけた瞬間、
その心に少しでも僕はいたのだろうか。
「今となってはどれも過ぎた疑問なのかもしれないけれどね」
体育座りをするジェーンの横に腰掛け、僕は言った。
ここは夢の中、そこなら過去の記憶の中で
僕とジェーンは顔を合わせることができる。
眠らないこともできるが、
長時間外気に触れるとなればやはり
精神的な疲労が気になる。
目を閉じてみたらすとんと眠れた。
「あたしの家族のことで、この夢を見てるの?」
「いや、これはたぶん僕が見ようとしているわけではない。
君が見たがっている記憶なんだ」
理由を上手く言葉にできないが、そう判断できた。
「そうなの? よくわかんないけど……」
「それだけ家族に対して不安に思ってたんじゃない?」
聖女の長い髪の先端が床について広がる。
そうなると花のように見えた。
精神状態の表れか、いくらかほつれていたからなおさらだ。
ジェーンの見ている先ではおずおずと上がったリンが
僕の両親に迎えられている。
彼が会釈をするのは、この時が最初で最後だった。
「クレオが言ったでしょ。
前世の記憶は今世を生きるために引き出されるって」
彼女の親友の言葉を引用すると、
納得してもらえたようだ。
「……父が攻撃してきた時、思ったのよ。
“大人しく攻撃に耐えたら、わかってもらえるんじゃ?”って」
「……それはやらなくて正解だよ」
僕はずっと歯痒く思っていた。
宇宙一の天才がどうして虐げられる一方なのか。
両親を殺すのはよくないにしたって、
僕の知る彼と思えなかった。
彼は誰よりも強く、毅然としていた。
セイメイはジェーンではないが、
もしかしたら同じことを考えていたのだろうか。
耐えればわかってもらえる、と。
僕でも抱かないような楽観主義であり、
痛々しい考えに過ぎた。
「すごくショックだわ」
膝の間に額を埋めて呻いた。
「望みを捨ててはいけないよ。
いつかは、仲良くなれるかもしれない」
「そっちじゃなくて……
あたしにそんな一面があるなんて思ってもいなかった。
家族が欲しくて貴方がいるのは、まあ呑み込めたけど……。
まさか堂々と殺しに来られても動けないなんて」
シスマも同じことを述べた。
この少女に、そのような一面があると周りも当人も思っていなかったのだ。
国、引いては文明を革命した少女に
そんな弱点が深刻なほどにあるとは思わないものだ。
「あたしは誰よりも強い、鋼鉄の人間だと思ってたわ」
彼女の弟エドガーも姉のことを同じように見ていた。
……僕もセイメイに同じような視線を向けていたのだろう。
それが強がらせる結果になってしまったかもしれない。
人生って、死んでからも学びと反省の機会に溢れている。
「君がこの結果にどんな想いを抱いたとしても、
両親に歩み寄ろうとした君を誇りに思うよ」
膝を抱えて壁を背にしたジェーンの隣りに座る。
それから彼女の肩に腕を回し、
こちらに頭をもたれかけさせるようにする。
落ち込んだ時は両親にそうしてもらっていたものだ。
人間、落ち込んでいると体温や人の気配が恋しくなる。
誰だってそうだ。
夢、意識体でこれをやっても意味があるかはわからないが、
気持ちは伝わってくれると信じる。
二人で過去の僕が初めてのパジャマパーティーにはしゃいでいるのを眺めた。
「こんな状態でクレオに会うのかあ」
心配していることはわかる。
ここで親友も本当に黒だったら、
ジェーンはさらに打ちのめされてしまうだろう。
だが、彼女は僕の存在を忘れている。
家族に勇気を出して会ったなら、
親友にまでそれをしなくてもいい。
ちょっと休めば誰かはがやってくれることもある。
今回は家族がそれだ。
「僕がいるよ。代わりに会う。
直接話したくなったら出てくれば良い」
「……うん。貴方に任せる。
明後日に、なんか予定立ててたもんね」
「ああ、それは君に代わりに行ってもらおうと思って」
「なんで?」
理解できないと言った風に
ジェーンが目をぱちくりさせた。
わからないことかな?
人見知りではなかったはずなのに。
「だって知り合ったし、せっかくだから」
「それ、あたしにとっては知らない人なんだけど、
あたしが知らない浮浪者とご飯食べるの?」
「?」
僕はわからずに首を傾げた。
べつによくない?
「え、あたしがわざわざ時間を作って? なんで……?」
「とりあえず浮浪者と言ってはいけないよ。
彼にも名前があるのだから」
ちゃんとした名前を伝えようとしたが、まずい。
今更になって名前を聞き忘れたことに気づいた。
顔は覚えているから問題ないが、
二度目に会った時に訊くのは少し失礼だなあ。
気を悪くしないと良いけれど。
「人生は一期一会さ」
「ちょっと話した相手といちいちご飯食べてたら
あたし、毎日誰かとご飯を食べることになるけど……」
「社会人ってわりとそういうとこあるよ」
ジェーンとしてはそもそも
このまま僕に食事に行かせるつもりだったようだ。
べつに知らない人とご飯を食べてもいいと思うけどなあ。
それにその頃にはジェーンの意識が表に出ていると推測していた。
僕は意識の交代の仕方を知らないが、
ジェーンなら大丈夫じゃないかな。
なにせ、天才肌の技巧派だし。
「とにかくゆっくり休んで良いんだ。
僕もいくらだって話を聞く。
君の両手にはこれから続く無限の選択肢で溢れているんだから、
たまには誰かに任せようじゃないか」
「ありがとう。まあ、そうね。
貴方の方が、みんなに好かれやすいのはわかるわ。
シスマもエドガーも心を許してるもの」
親のことは言わない。それで良い。
「君を通して色々見てきたからさ。
今度は、僕を通して色々と見なよ」
「そうだね。そうしようかな」
ジェーンの返事が気の抜けたものになっていく。
こちらに頭を預け、彼女の全身から力が抜けた。
より深い眠りの領域に落ちていこうとしている。
「なんか話したら楽になれたわ」
それと同時に、記憶の領域が沈んでいく。
やはりこれはジェーンが求めたものだった。
だが僕は両親と修復困難な関係になったことはない。
ただそういった状況の親友がいただけだ。
「スゲーマン……」
口をもごもごさせたジェーンが呟く。
ここは夢の中だが、寝言だ。
記憶の世界では
子供二人が布団を隣同士で敷き、
枕を寄せてコミックのページをめくる。
あの時は、たしか犯人は誰かを当てっこしていた。
正解は復活したてのスピードスターだった覚えがある。
「えーこんなのわかんないよー!」
「まあそれが主題の話でもないだろ」
「じゃあ何が言いたいの?」
「それは君にはまだ早いから」
そんなのズルい、と僕だけ笑った。
懐かしい思い出だ。
足をバタバタさせて
幼い僕が隣に言う。
なんの疑いもない無垢な瞳で。
「明日もお話しようね」
もっと訛りを我慢できたらね、セイメイが返す。
ジェーンは眠っている。
夢でなら、こうやって前世と今世で話ができる。
それが慰めになるならいつだってやろう。
ならなくても必要なくても
お話はしてもし足りないことなんてないんだし。
リンとは親友だったから、
あくまでたまにの同じ夜だったけど、
こっちは家族なんだ。
いつだって話せる。
今度こそ、僕は手放さない。




