【六】ダメですよ
戦意高揚の決起集会が終わり、
ジェーンは父と母とだけの閉じられた空間にいた。
執事も護衛もいない。
公爵の爵位がまだあるエルロンド家において、
個人間だけで会うというのは、やはり家族としての絆があるからこそだろう。
僕としてはこれだけでエルロンド家和解作戦は成功に思えた。
しかし、ジェーンはまだ膝の上に両手を置き、
カチコチになったままだ。
「もっと楽にして大丈夫だよ」
彼女にだけ聞こえるように囁いた。
リトルファムの国民、
ジェーン・エルロンドを知る者全員、
恐らくは国王ですら彼女が気圧され、
縮こまるという姿を想像しないだろう。
「こ、これが自然体だもの」
強がりを言っても、それは一目瞭然だ。
目線がブレ、呼吸が短く、鼓動が速い。
全身に力が入り、自然な身動ぎをするにも
タイミングを掴めなくなっている。
つまり、緊張している。
彼女を知っている者ほど違和感が浮き彫りになる。
出された紅茶を飲もうとし、
カップの取っ手を握り潰しさえした。
ジェーンの母が息を呑む。
久々に会った娘が異様な怪力を発揮したのだ。
親としては驚きだろう。
そのはずだが、父の方には納得と安堵が見えた。
「よく帰って来たな、ジェーン。
屋敷に自ら来るとは思わなかったぞ」
「まあ望んでとは言えませんけれども、そうですね」
渋々に返事をした。
あまり態度が良くない。
まだ本心を開けていない。
長い離別の期間が娘の親への心の壁を堅く強固にし補強していた。
「お前は我らに罪悪感があるのだろう?
己の勝手な欲求のせいで父の顔に泥を塗ったと。
多くの兵士を無駄飯喰らいに貶めたと。
我らはお前を赦している」
……赦されるようなことはなくない?
引っかかる言い方に感じたのは僕だけらしい。
ジェーンはそう言われて、
吊り上げていた眉を弛めた。
どれだけ胸を張って自信満々に生きていても、
やはり家族との不仲は、彼女の心の急所になっていた。
というかべつにジェーンも
狙ってそうしたわけではないし……。
どうなるかを考えもしていなかっただけで。
「それはありがとう」
挑むように身を乗り出していた姿勢が
若干後ろに倒れ、リラックスをした。
ほんの短い言葉でジェーンの心を動かしてみせた。
「まあとにかく。
あたしは何もしてないのにいきなり反乱者にされてしまっているんだけれど、
でもね。すぐに汚名返上するつもりだから、
戦争とかはしたくないのよ……ないんですよ」
「駄目だ」
迷いも思考もない返答。
太い返事であった。
「あの、駄目ではなく……」
「父としてはお前のやっていることは
我らを戦場から追放した許しがたい不孝行為。
それとは別として、お前がこの国をどれだけ豊かにしたかも知っておる。
それを国があっさり掌返すということは、何を示しているかわかるか?」
「裏ではさぞ頭の良い誰かが──」
「国王は我らに戦争を売っている!!」
力強い断言。
本来は娘がいつもやっていることだ。
自分のやりたいこと、結論を何の躊躇いもなく言う。
僕には絶対に持てない性質であり、
多くの人間の人生を巻き込む力を持つ人間の威容があった。
自分がやってきても、やられる側になるのが初めてなジェーンは
父のパワーに気圧されて、目を伏せて固まった。
「ならばそれを買って公爵家と娘の力を理解らせねば、
仮に王と和解してもまた同じことが起きるに違いない!
救国の聖女を一晩で反逆者に仕立てたのだからな!
むしろこんな馬鹿な国は今こそ、我らで転覆だ!
聖女を女王に据えて、エルロンド家が剣と盾になって玉座の鉄壁さを示威してくれるわ!
古代語で言えば、我ら! 闘志燃やす(ワクワクしてっ)ぞ!!」
気魄で空間が揺れた。闘志を燃やしているのだ。
ジェーンを通して見た記憶しかなかったせいで、
彼女の父については弱々しい背中のイメージがあった。
記憶とはあてにならないものだ。
大理石のテーブルを力とテンション任せに叩き壊した。
見事な怪力だ。魔術による肉体強化をせずに、
シンプルなパワーで大理石を粉砕した。
ジェーンは技巧派だが
彼女の父はどこに出しても反論の出ない豪力派らしい。
のびのびと暴力を振るって活躍するタイプだ。
言ってはなんだが秋田の農家や漁師によくいる。
好意は大してなくても懐かしい存在だった。
数年ぶり、否、初めてとさえ言えるだろう。
父の胸の内と思想をぶつけられ、気圧されている。
彼女の押しの強さはやりたいことを押し通す形で表れているが、
父君の方は敵を倒し、権威を手にすることに強く向いている。
ジェーン・エルロンドは暫し沈黙して、
腕を組んで目を閉じた。
なんと言ったら良いものか迷っているのだろう。
「もう少し待ちましょう。
ジェーンが困っていますわ」
業火な扇を口にあて、
聖女の母が目を細めた。
笑っているのか睨んでいるのかわからない。
「そうか。だが国は待ってはくれんぞ。
お前の弟もじきに騎士団から抜け出してこちらに来る」
「エドガー! そうだ。あの子はどうなったの!?」
ジェーンの洗練されていない言い方に
母君が咎めるように咳をした。
娘のをかなり磨いて冷たい印象の美女にしたと言った美貌。
それで怖い顔をされると不思議な気分になる。
生き方が変われば快活な暴君の彼女も
冷たい魔女になる可能性があるのか。
「安心しろ。騎士団に軟禁されていたが脱出するように促した。
あれはお前よりも我が家訓に理解がある。
今頃は女王直属護衛隊の長になる覚悟を決めているだろう」
実質何もしていないも同然だ。
彼は一切の疑問もなく、自分の子ども達が王位剥奪に賛同すると思っている。
僕も“強く念じれば両親のどちらかが堅揚げポテト”を買ってくれると確信していた幼少期だった。
いわゆるエスパーで洗脳能力、催眠能力があると思っていたのだ。
しかし、それも大人になるにつれて勘違いだとわかる。
大人が子供に堅揚げポテトを買うのは子供が可愛いからだ。
成熟した人間になったら堅揚げポテトは自分で買うものと痛感する。
そうしてみんな自立していく。
だがその通過儀礼がなければ、
人はこうも断定的になるのだろう。
両手を叩き、甲高い音を立ててジェーンは言った。
父母の注目が娘に集中する。
大きな音を出した後だから視線と静寂がかなり辛い。
冷や汗を垂らして、聖女が大きく息を吸った。
「言っておきます! あたしは貴方達の方針に反対します!
何故かと言うと、戦争をすると人が死ぬからです!」
たどたどしいが明確な反論だ。
よく言った。ここで彼女がご両親の乱心に反対したことは、
きっと多くの生命を救うことに繋がる。
上向いていた両親との関係が悪化してでもやるべきことだ。
とても立派な決断だ。
ここから話がどう転ぶにせよ、
僕は今世の助けになろうとするだろう。
「いいかげんにしない」
母君の扇を持つ手がブルブルと震えた。
「何をするにもエルロンド家を蔑ろにしてきて……。
まるでエルロンド言えの伝統と誇りが存在しないかのように……!!」
母君の方は今にも掴みかかりそうな剣幕だ。
ヒーローとして、僕は色々な家庭に接してきた。
それは時として家庭内不和を抱えた親子も含む。
今、公爵家の妻が発している怒りは、
夫と伝統に長年従順でいた母が、自由になろうとしている娘に向けるものと、
まるで同じだった。
どうしてそのような感情になるのか、
家族の幸せや意志を尊重できないのか。
僕には悲劇以外のことには受け取れない。
「やれやれ……平民や騎士が何のために生きているか知らんのか。
我らの指揮の下で国益を求めて殉じるためだ」
「違います。平民が生きているのは
あたしの事業に死ぬほど協力するためです!
というか公爵も王家もあたしの偉業でとっくに並ばれているか追い抜かれているでしょう!
もうとっくにありませんよ伝統や誇りの重みなんて!」
王族や貴族の文化に疎い身でも、半端ではない罵倒だとわかる。
さあて。殺し合いになるな、これ。
とっくに絶縁状態のはずの娘でも、
面と向かって言われるのはよほど堪えたようだ。
眉間に巨大な青筋を浮かべ、顔を赤色一色にした母君が沈黙した。
言葉を喪っているのだ。
父君は言葉もなく立ち上がり、
流れる動作で斬りかかった。
無駄な力みがない良い攻撃だ。
ジェーンは全く反応できていない。
父親に本気の攻撃をされるとは思ってもいなかった。
肉親の一撃が聖女の顔面を打つ前に、
真紅のマントが父君の腕に巻き付いた。
ジェーンの首元から展開される不定形の血布、
今の僕そのものが自律的に動いて装着者を守った。
「ほぉ! よく防御したな!
だがこれで終わると思うな。
家名を踏みにじった報いは血で贖われると知るがいい!」
「……へ」
ジェーンは反応できない。
それでも実の父は容赦なく攻撃を仕掛けようとした。
あれほど自信満々に生きている彼女でも、
実の本気で攻撃されるとは思えなかったのだ。
僕という前世を隔離するくらいには家族を求めていたのだ。
心の奥底では上手く行くことを望んでいたのだろう。
自警団要請学園を開校する時の、
学長候補(そう言えば彼はどうなったんだろう)との衝突を思い出す。
これから学長になる人を天井から生やすことになってしまったが、
それも親しくなった子供を侮辱され、
家族間の不仲について言われたからだ。
「ま、待って……」
おたおたした聖女が不格好に両手を突き出した。
それで止まるようなことではないのは、
普段の彼女なら絶対にわかる。
彼女の心の奥底には常に家庭の不和が澱みとなって沈んでいた。
今回のことは和解でも決裂でも
大きな意味があると思う。
「死ねえぃ!」
この状況はよくない。
親が子に言ってはいけない言葉で堂々の一位を叫んでいる。
行動にも移している。おまけにその親はかなりの猛者だ。
僕は空を飛べるようにできるし、
焔を払うことはできても単体で戦うのは無理だ。
強度が足りなくなってしまう。
儀礼用の細剣にマナを通すと、
土属性の魔法によって
切れ味と重量が鉄も切断するになった。
一振り一振りに超重量が加わるようにもなっている。
僕の力があっても無防備で直撃すれば結果は読めない。
喉元に剣先が走る。
普通ならシルクに針を通すような繊細な動きを要求される武器だが、
彼の魔術によって掠るだけで首の骨が折れる威力になっていた。
剣は攻撃の途中で停止した。
「まずは話をもっとさせてください」
ジェーンの肉体が素手で刀身を握る。
皮膚が斬れて血を流している。
それでもなんとか僕の腕力で受け止め、固定できた。
一切再現性がないことだが、
運良く僕の意識が、またジェーンと交代していた。
五感が僕のものとして戻って来る。
攻撃を受けている時の物騒な雰囲気が臨場感のあるものとして
僕の感覚に迫ってきた。
本当はもっと匂いや感触のある世界を堪能したい、
特にご飯を食べたい。
が、今はそれどころじゃない。
現世の肉体の主導権が移ったお陰で、
すぐに防御できた。
「動かないでください。
この武器を折り曲げますよ」
両手を挙げ、敵意がないことを証明する。
剣を折られても父君の戦意は揺るぎない。
それは大したものかもしれない。
「……悪く思わないで」
止まらないと理解した僕はマナの籠もった剣を強引に捻じ曲げる。
剣先が父君の方に向くほど、
つまりは180度そっくり曲がった。
これでもう剣は使えないだろう。
手を離し、距離を取った。
しかし、相手は折れた剣を向け、高らかに叫んできた。
「なにをしている。本気で向かって来い!
貴様の首は王の刺客が跳ねたとしよう!」
そのフックのようになった細剣で
どう首を跳ねるのだろうか。
自分の娘の首がそんなに欲しいのか。
戦争したいがために。
僕に敵意はない。
ないが、自分の意志通りに体が動く現状では、
眼の前の男性にムカムカしてきた。
無性にこの人物を殴り飛ばしたい。
秋田の農家という大自然の猛威に耐え続ける
タフな血潮が疼いた。
「僕はスゲーマン。
貴方の娘さんの前世です。
まあ、それはそれとして一つ、
僕としても言っておきたいことがあります」
殴りはしない。
そうしたらジェーンは悲しむだろう。
「貴方はクソ野郎だ」
いきなり様子が変わり前世と言い出した娘を理解できない父親に、
僕は目線の高さに手を掲げ、人差し指を軽く曲げた。
「親が子供に剣を向けたらダメでしょう」
軽いデコピンをした。
父君が屋敷の壁を大破させて30m先まで飛んでいった。
それくらいなら大丈夫だろう。
良い薬になってくれれば良いけれど。




