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【十三】心が第一なんだよ

 親友と会う。

 それはいつも楽しみだった。

 なにも隠し事のない間柄。

 メイド長のようなほとんど家族同然の相手ではない。

 許婚のようなこちらをからかって不快にする者でもない。

 他人だけど家族より深い親密さにある者。

 親友とはかけがえのない価値がある。

 たまに争うことがあっても、最後に決裂しても。

 家族と同じく、関わりを通して自分が何者かを理解できる。

 僕にも親友はいた。

 故郷にも、東京にも。

 ジェーンは僕の故郷への憧憬を理解できていないようだったが、彼女もいつかは理解する日が来るだろう。

 繋がりとはアイデンティティと直結するものだ。

 シスマに手渡された手紙には待ち合わせの日時と場所が書かれていた。

 本来は彼女が迎えに行く予定だったらしいが、成り行きでジェーンが直接行くことになった。

 ジェーンは予定としては1日中、学園のオリエンテーションを行う予定だったが、追放されたので親友を直接迎えに行けた。

 追放されるのも悪いことばかりではない。人生とは万事塞翁が馬だ。

「クレオ!」

 カフェのテラス。

 風通しが良く、よく手入れされた花壇が心を落ち着かせる芳しい香りを運ぶ

 恋人達が憩いのひとときを過ごすお店。

 そこで誰よりも美しい所作で腰掛ける女性が、ジェーンを見て顔をほころばせた。。

「ジェーン!」

 耳にかからないくらいの長さの髪をびっしり後ろに撫でつけ、シックな色のスーツと、モノクルをつけた女性。

 子供らしさが抜けない聖女と違い、賢聖と称される彼女は、全てが洗練されていた。

 人は誰でも十歳の頃は神童扱いされる。

 それは、年齢を重ねるにつれて平均化されるものだが、中には大人になっても神で居続ける者がいる。

 クレオはそんな相手だった。

 ジェーンを上回る天才で特別な人間だった。

 だから、彼女と会う時は聖女は幼さを強く表す。

 屈託のない笑顔で抱きつくジェーンを、クレオは優しくハグする。

 恩師、後のお米の聖女に農業の基礎を教え、稲作の育て方、土台作りに尽力したエルロンド家が庭師、その孫娘がクレオ。

 初対面でも、ジェーンとは長らくの姉妹であるかのように馬が合ったものだ。

「最近はどうしてたの?」

「ああ、無能な大臣を更迭し、不要な手順を簡略化させ、この国の産業の三十種におよそ二十パターンの劇的な作業効率向上の提案をしたよ」

「さっすがあ! 相変わらず想像も理解も不可能!!」

 ケタケタ笑って聖女が喜ぶ。

 特定の分野における異常な知識、才能。

 今は知識自体は前世のおかげとわかっているが、クレオに会うまでは孤独を抱くこともあった。

 自分はなんなのか、鏡に映る自分が何者なのかも理解できないかのようですらあった。

 しかし、クレオは他の人とは違った。

 彼女は全てにおいて完璧だった。

 平民生まれであっても、ジェーンにとってはその才能と特別性こそが自らと“同じ”であり、さらに己より“上位”である証だった。

 僕と“彼”の関係と同じだった。

「それで、君のお姐さんに聞いたよ。おかしな力に目覚めたって」

「というか前世がいきなり現れて、そのままタイムスリップしてきたの」

 そう言って水玉に籠められたルーンを発動する。

 球体の入口から血に形作ったスゲーマンが顕現した。

 メイド長によっていつでも前世のスゲーマンを呼び起こせるようにしてもらっていた。

 これをすると、自分が消耗してしまうが、クレオに見せるために用意してもらっていた。

 消耗が激しすぎるので多用はできないし前世の力を受け取ることもできないが、コミュニケーションができるのは、僕にとって最高だ。

「……へえ、君がスゲーマンか」

「やあクレオ! 君のことはジェーンを通じて知っているよ」

 前世が特別というのは前例が多い。

 誰だって血筋を遡れば一人、二人は一角の人物がいるものだ。魂も同じ。偶然、直前に偉人がいただけ。

 しかし、知識としての記憶ではなく、前世の力が溢れるのは前例がないらしい。

 それも自慢ではないが時間移動できるほどの力だ。

 未知の事象を前に、クレオは平静を崩さない。

「シスマからおおよそ教えられた。君達は一年後から来たと」

「ええ! 信じてもらえる?」

「他ならぬ君の言うことだからね」

 細くて長い細工師のような指を伸ばし、クレオがスゲーマンの手と握手してくれた。

 血で出来たフォルムというのに触れ合うのに嫌悪感を見せないのはありがたい。

「君はヒーローってやつだったんだよね? ヴィランってのを倒すとかいう」

「そうだよ。でも誤解しないでほしいんだけどヒーローっていうのは君たちが言うところの武勲を立てる英雄や将軍とは違うんだ」

「え、そうなの?」

 ジェーンにまで意外そうにされた。

 似たような存在だと勘違いされていたようだ。

 まあ問題ない。そんな気はしていた。

「私には社会悪とされる者を倒す自警の士に思えたけど」

 巨大な敵を倒し、ただの兵士では討伐できない魔物、または悪人を倒す者がヒーロー。

 それも良いことだ。 

 しかし、強さと悪い者を倒す者のことを指す強者のことがヒーローだと信じられると悲しい。

 ハッキリ言うと、心外だ。

「違うよ。ヒーローっていうのは善意の隣人のこと」

「貴族じゃなくて平民ってこと? もしそうなら困ったわね! あたしの対極にいるのが平民だわ」

 事実でもそう言われると嫌味だな……。

 ていうかその平民を前世に持ってる自分はどうなんだ。

「心が第一なんだよ。たとえば隣の人が荷物を落としたとするよ? そうしたらどうする」

 とっておきの例え話の披露だ。

 これでヒーローの本質が一瞬でわかる。

「これシチュエーションの指定ある?」

 クレオの質問にきょとんとして固まってしまった。

 そんな質問が来ると想定さえしていなかった……。

 シチュエーションってどういうことだろう?

 とにかくやってみるか。

「じゃあ……君は仕事中だとする。それで足元になにか落ちてきて、それが近くで何かを探している人の物だとしたら、どうする?」

 とりあえず続けてみた。

「無理。気づかない。集中してるもん」

「僕が拾った方が効率的なら拾うよ」

 二人揃って否定された。僕は口を両手で覆って驚いた。

 信じがたい気の毒な心の人たちだ。

 ていうか気付いたという状況を指定して語っているのに、どうして気づかないという返事が来る?

 彼女らは隣人への反射的優しさという概念がないんのか?

 まあジェーンがそういうのを示しているところは見た覚えがないけれども……。

 気を取り直して僕は続ける。

「コ゚ホン……まあ、君たちはヒーローじゃないとして、普通の人は拾うでしょう。……わかるよね? わかるものとして話を進めます。それだよ、その心。ちょっとした善意の延長線にある良心を発揮する人々がヒーローなんだよ」 

「じゃあ拾わないあたしは素質0ってこと?」

「……………………いや気づいたら拾うんじゃないかなあ」

「えー、そう言われると……意地でも拾いたくなくなってきた!!」

 これってそんなにムキになるような議題かな。

 ちょっと予定外の返事ばっかりで頭が痛いんだけど。

 代わりに目で語ってみることにした。

 まっすぐに、相手の目を見つめれば、多くのことが伝わるものだ。

「………………………………」

「ちょっと! 悪意がなくても三点リーダーは時として口よりお喋りよ!?」

 伝わらなかった。

 そう言えば僕には本物の眼球がないのか。

 こういうところで生前との違いを体感するものなんだなあ。

「まあとにかく。身近な人への親切心があれば誰でもヒーローさ」

「ないから私達はヒーローじゃないってことのようだねー」

「アハハ、イエ――ㇲ」

 親友揃ってヒーロー失格のお揃いだ。暗澹たる有り様だ。

 ヒーローってそんなに成るのが難しいものか?

 ジェーンが手を掲げ、クレオがハイタッチを返す。

 本当は笑い事ではないはずだ。

 自分にヒーローの素質がないなら、それは自動的にジェーンにはお米への才に繋がるものが何も残っていないということだ。

 けれどもすでにスゲーマンである僕との意思疎通方法は安定している。

 そしてメイド長がいるし、学校で自警団の育成が始まった。

 まあ多少は楽観視してもいいかもしれない。

 個人的にはそもそも子どもを自警団にするの良くないと思うけれど。

「ヒーロー案がダメならそれはそれで別のことをすればいいのよね」

 加えて、全てを圧倒する心強さを持つのが、目の前にクレオがいるという事実だ。

 いわばジェーンのヒーローはクレオ。

 憧れの前で恥はかけないと、お腹が鳴らないように、道すがらにおにぎりを三個平らげてきた。

 具はスクランブルエッグ、ツナマヨ、アジフライ。

 本気を伺わせるガッツリ系だった。

 聖女の唇がツヤツヤしている。

「他にやることがあるのかい?」

「あはは、ウケる。この偉大なスーパーヒーローらしい前世さんは、クレオの頭脳が最強無敵なのを知らないようよ?」

 いや彼女の賢さは君を通じて知っているけれども……シスマにも同じようなことを言ってなかったか。

「見るからにつまらない凡人って顔だしねえ」

 ……酷すぎない?

 この人たちは傲慢だよ、傲慢。

 特別な才能を持っているからって、一般市民はどうでもいいと思っているんだ。

 なんて嘆かわしいんだろう。

「じゃあ、クレオ! こんなのんびりさんには想像もつかない名案をお願い!」

 なんと説こうか考えていると、今世を謳歌する少女がこちらを指さした。

 他人に指差しするのも失礼だよね。これは文化的な違いかな。

「シヴィル・リーグを倒そう。そうすれば処刑されないし時間を稼げる」

 クロエが端的に言った。

 1年後に革命を起こしてジェーンを処刑する一団。

 すでに、その関係者と戦いもした。

 それを倒すと言うのだ。

「ええ?」

 てっきり如何にして才能のないジェーンがヒーローになれるのか、ということを教えてくれるのかと思った。

 または、ヒーロー以外で前世の知識を取り戻す方法だ。

「勘違いしないでくれ。僕が思うに、君の稲作への才覚は時間をかけて取り戻すべきものだと思う。だから先に差し迫った危機を取り除く」

「ほうほう。早速流石すぎるわね」

 顎に手を当てて聖女が頷く。

 全肯定とはこのことだ。

「シヴィル・リーグの噂は宰相の僕の耳にも度々入ってきた。彼らは特殊な智慧を持っている」

「どんなの?」

「彼らは転生者の知識を伝える思想集団だ。せっかく生まれ変わって知識を引き継いでも、技術の普及には呆れるほど長い時間をかけた積み重ねが必須だろう。急に表舞台に出しても受け入れられるものではない。だが知識は未来のためにも遺すべきだ。そう考えた者達が表舞台から隠れ、綿々と知識と技術を継承してきた。それがシヴィル・リーグだ」 

「じゃあ良い人たちじゃない」

 むしろお米の聖女としても興味が湧いてきただろう。

 僕も興味が湧いてきた

 僕達にとっての米にあたる、前世にまつわる何かがシヴィル・リーグにもあるのなら、是非とも後学のために研究したい。

 まあ少女の頭の中の住人な僕にできることがあるか不明として。

「そうなんだけどね」

 珈琲を口にし、クレオは一息ついた。

 砂糖もミルクもない暗く深い闇色をした液体を揺らし、端正な顔に引かれた切れ長の目を細める。

「方針が変わったのかな。今じゃここの世界にはありえない前世のものを再現した武器を持たせて、あちこちの破壊活動のサポートをしているよ」

 ジョナサンとフレディを襲ったゴロツキもだ。

 奴らもこの世界には無い高度な技術を用いた武器を振るっていた。

 あれはいったいどうやって作られたのか。

 シヴィル・リーグの知識と技術によるものだとすれば納得できた。

 長い歴史を誇るだろう団体が急な方針転換をしたということは、社会にそれだけ大きな変化が発生したということだ。

 それも、大勢の人員が材料の掻き集めと開発に動けるくらいの余裕も重要になる。

 両肩に重くのしかかる嫌な気づきが、ジェーンを襲った。

 彼女の起こした農業革命によるものだ。

「これもあたしのせいかあ」

 気付いた。

「と、言うこともできなくはないくらいさ」

「でも流石に気になってくる」

 ずっと気楽に大好きなことだけを追求してきた。

 その結果、見ないできたことの代償が一気に来ているようだ。

 やるべきことが定まった聖女に迷いは見えない。

 僕なら足を止めて考え込むようなことでも、彼女は先に足を踏み出す。

 良い悪いは置いておいて、その強引さは羨ましく、そして僕と彼女は別人だと思い知る。

 学校はシオンとメイド長に任せるとして、それでは自分はどうするべきかと考えていたジェーン。

 ヒーローになるにしても、ならないにしても、当座の目標ができたのは喜ばしいことだ。

「じゃあそのシヴィル・リーグっていうのを突き止めるとして、何か手懸かりは?」

「普通に今夜、会合に出る予定だったから案内するよ」

「なんで!?」

「最近、方針転換したのが見えるだけで基本は優れた技術と智慧を保管している極めて文化的な団体だからだよ。ていうか本当は君にもっと早く伝えるつもりだった」

「そうなの? それなら言ってよ!」

「何度も紹介したい団体があると言ったのに君が忙しいと──」

「そうね過去より未来よね!」

 拳を握りしめ、景気づけにぬるくなった珈琲を一気飲みした。

「うーん砂糖入れ忘れたわ!!」

 いつもは砂糖とミルクをたっぷり入れて甘々にするのがジェーンのスタイル。

 基本的には甘いものが大好きな彼女は、急いでパイに齧りついた。

「まあ小難しい話はこの辺にしよう。夜までどこで遊ぶ?」

「あ、じゃあオススメのとこ教えて?」

 いつも引きこもっているジェーンには世の中のことやオシャレなこと、美味しいものなどなにもわからない。

 だがクレオは違う。

 彼女はいつもあらゆることに精通していた。

 オシャレなことと楽しいこと。お米以外の楽しみはクレオを通じて教わった。

「それじゃあ美味しい焼き菓子屋を見つけたからそこに行って、今日のために劇のチケットも取ったから観に行こう。終わったらその辺をうろついてから、うちで時間までごろごろだ」

「はーーい!」

 たまにメイド長や身近なメイドと話す時に言われることがある。

 シオンの何が不満なのか。

 女遊びが激しいとしても、あんなに敵意を向ける必要があるのかと。

 その原因が目の前にいる。

 野良作業と引きこもりの両極端な生活によって逞しくなった体つきのジェーン。。

 その正反対に無駄のないスラッとて長い手足を持つクレオ。

 紳士的でなんでも知っていて、こちらを馬鹿にすることなく、適切に手助けをしてくれる。

 そして笑顔は涼やかで目元には深い知性を湛えている。

 彼女といるより心がトキメクものなんてないのかもしれない。

「ほら、口の端にパイがついているよ」

 そう言ってクレオがナプキンで優しく拭き取ってくれる。

 間近に彼女の顔が迫り、聖女の胸が高鳴って頬が上気した。

 やはり、自分にはまだ許婚は必要ない。

 幼さを精神に強く残すジェーンは確信したのだろう。

 うーん、良い親友関係だ。

 僕は二人のやり取りに深く頷いた。

「ところでね。僕が聞きたいのはむしろ君なんだよ、スゲーマン」

「僕?」

「そう。君だよかつての宇宙最高さん」

 足を組み直し、クレオは智慧深き瞳で血人形の僕を見つめた。

 彼女に頭を撫でられ、聖女は嬉しそうにパイを頬張る。

「君はこの子の何になるつもり?」

 シスマにも言われたことだ。

 自分はこれから何をするべきか、どうしていきたいか。

 この年齢で言われることではないだろうと、思う。

「答えられないか。まあ急いでくれよ。彼女のためにならないなら僕は君を引き剥がす」

「ええ? そんなのできないでしょ。しなくていいし」

 当事者とは思えないゆるい反応でジェーンが抗議した。

 カップで甘くなった口の中をすっきりさせ。

 賢人は微笑む。

「もちろん冗談だよ」

 それが嘘なのは僕にもわかる。

 自分がこれからどうすべきか。

 答えを出す必要があるのだろう。

 悩みを抱えた時は、僕は空を飛んで風を感じれば良い気分転換になった。

 この形では、爽やかなテラスにいても無意味なくらいだけれど。

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