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悪役令嬢の前世がスーパーなマンだったので、断罪イベントより先に農業革命で国を救ってしまいました(クマとかヴィランもいるよ!)  作者: スカンジナビア半島
第一章 Secret Rebirth

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【十二】貴女をいったん追放いたします

「暇ね」

 僕も同じことを考えていた。

 トレーニングが一段落ついた。

 いや、むしろ僕のほうが時間を持て余していた。


 シスマに言われたこと――ずっとこのままなのだから、これからどうするか考えるべき、というアドバイスが尾を引いていた。


 天を飛び、山を走り回っていた自分が、いまや少女の脳から出られない身の上。

 これから待ち受ける時間を思うと途方に暮れる……正直に言うと、怖い。

 果たして狂わずにいられるのか。

 ジェーン・エルロンドを乗っ取ろうという悪しき思考に傾かずにいられるものなのか。


 研究室に行かなくなったジェーンは、

 必需品を自室に持ち込み、

 ベッド脇で師匠の教えを書き起こした資料を読んでいた。

 種まき、天候の読み方、土質の見分け方。

 初歩の初歩なのに、今の彼女には初めて触れる知識同然だった。


「うーん……」


 一行読んで理解するということすら、今の彼女に多大な労力を要求する。

 まぶたが重くなり、頭が揺れ、意識が落ちそうになる。


「これを理解してたなんてすごすぎるわ、あたし……」


 人生に活用してきた知識がごっそり欠落した。

 人生の大半が消えたに等しいはずなのに、ジェーン・エルロンドに絶望の色はない。


「スゲーマン、これ教えて」


 彼女が駄目元で尋ねてきた。

 答えられない。


 ──ごめん、できない。


 そう言ったつもりだが聞こえていない。

 シスマ抜きではまだ自由に会話できない。

 僕と彼女の心の距離はまた離れていた。

 いくら呼びかけても呼びかけられても繋がらない。


 これはシスマの方針だ。

 死水魔法や血水魔法で前世へのリンクは強められるが、無理に寄せ続けるのは不健全らしい。

 修行や緊急時以外は、自然に繋がるのを待つべきだという。


 前世に関する見解が穢れ思想によるものなのか、裏打ちのある経験より成り立った知識なのかはわからないが、僕は素直に納得した。

 ジェーンは不満を抱いたが逆らえなかった。


 血を操る者は無敵だ。水の究極を司る。

 その彼女が決めたのだから、門外漢が反論しても仕方のないことだ。

 また、ジェーンにあった知識はすべて、農家で育ったスゲーマンから受け取ったものだ。

 稲作だけ妙に豊かなのは、僕が筋金入りの米派だったからだろう。


 聖女は大きな独り言を漏らす。


「故郷の味が欲しくて稲作の知識をあたしに流したらしいけれど、どこまでなのかしら」


 書類から目を離し、卓上にある米の揚げ菓子をサクサク齧り始める。

 軽く塩をまぶしたものと、何もかけずにシロップに付けて甘味として食べるためのものに分けられている。


 ……これ、絶対に太るだろ。


「じゃあ、あたしって前世の知識に命令されてこの国の環境を変えたし、スゲーマンの故郷に似せたってこと? じゃあまるで、この世界を前世の世界の人に都合の良いように作り変えて整えたみたいじゃない」


 おかげで国から飢えはなくなったが、それはそれとして、なんでそうまで故郷の味を求めたのか。

 納得はできないらしい。


 故郷への焦がれ。

 これは口で理解してもらうのは難しいのだろう。

 それでもある程度は受け入れの姿勢を見せてくれているのが、僕には嬉しく、ありがたい。

 拒絶されても困ることはないとしても、前世と今世という他にはない関係。仲が悪くなるのは悲しい。


 彼女の疑問への答えだが、自分でもわからない。


 僕だって意識的に記憶や知識を流していたわけではない。

 ずっと少女の脳内に揺蕩う、首から上も動かない寝たきりの意識だったようなものだ。


「好きなものが欲しいのはあたしも同じだけどさあ。それであたしの人生っていうか意識に強く働きかけられるものなのかな。なんか体感的には“あたしが求めたから湧いてきた”みたいな感じなんだけど」


 返事がないのを知っていても話し続ける。

 わかっていたことだが、この子は本質的にはとても賢い。

 物事の本質というのに直感的にたどり着くのだろう。

 たしかに、彼女とこうして繋がっていると、果たして前世を見たところでの診断や僕自身の見解が正しかったのか、疑わしくなってくる。


 僕の魂があまりに大きいから溢れたと言うが、本当にそうなのだろうか?

 少なくとも、彼女は僕にできないことをたくさんできる。

 僕にはないスキルを山と持っている。

 天才的な閃きと直感、学習能力がある。

 僕は……完全に足で稼ぎ、愚直に取り組む主義だった。

 ジェーンと比べて無駄の多い人生だったかもしれない。後悔はないけれど。


「なくなった知識の謎は多いのに、また欲しいのは自覚できちゃうのがもやもやするなあ」


 サクサクし終えた米菓子。

 口に残った後味と油を紅茶で流す主の部屋を、従者が訪れた。


「ジェーン様、お客様です」


「誰?」


 メイド長ではない。

 この間、死水の魔法使いを紹介してくれた、垢抜けなさを残す新人メイドだ。


「婚約者と言えば伝わると言ってますけど……」


「うげっ。留守だって伝えて」


「それが……」


「つれないこと言うねえ」


 キザったらしく飄々とした口調。

 音も気配もなく背後に唐突に現出した。

 シスマが呼んだと知っていても、ジェーンは驚きで椅子から転げ落ちる。


 彼女を通して僕も強く記憶している。彼はいつもこうだ。

 相手に子供じみたサプライズを仕掛けるのが習性じみている。

 それがスリリングで素敵という女は多いが、ジェーンには不愉快にあまりあるらしい。


 共感(わか)る。


 こういう、他人を無駄に驚かせて気配を消す性癖はよくないと思う。

 気難しく、陰湿で、執念深く見える。

 偏見かもしれないが、経験則でもある。

 きっと、家では執事やメイドにダダ甘えに違いない。


 ──僕も気持ちがわかるよ、嫌なものだよね。


 そう囁いてみたが、聞こえたか聞こえなかったか。

 幼少のみぎりに交わした婚約を、からかいのネタであるかのように今も引きずる青年。

 聖女の素直な嫌悪の感情が僕の心にも共鳴して伝わる。


「シオン」


「ハニーと呼んでいいんだぜ?」


 シオン・ゲラウ=ファランド。

 王国の王位第四継承者。


 だが、彼は王族と結びついて語られることはない。

 彼にまつわるすべては醜聞、ちゃらんぽらんな道楽だ。


 ジェーンは決して彼と親密な関係になる気はない。

 婚約者というのも、親が昔に決めたことであり、今となってはジェーンの一存でいつでも破棄できる。

 それをやっていないのは面倒くさかった以外の理由はない。


「面白いことを始めたそうじゃないか。どうして言ってくれない?」


「あたしはいつも面白いことだけやっているわ」


 断言しておにぎりを頬張った。

 具は鮭だ。最高に美味しいやつ。

 おまけにたっぷり塩漬けしたもの。


 故郷の塩分たっぷりの鮭は、僕にとっての誇りだ。


「無限の予算を投じた稲作研究が、か? たしかに途中までは良かった。最高だった。君は世界を変えたよ。俺も尊敬の念を忘れたことがない」


 それから大仰に肩を竦めて嘆いてみせた。

 芝居がかった仕草。

 表現したい感情が指先まで演じられている。


 ジェーンはそういう大げさな感情表現の意味を理解できないタイプだ。

 ただバカにされたようにしか取れない。

 そしてシオンは、彼女がそう考えるのを知っててやっている。


 どうしてそんな酷いことをするのだろうか。

 僕にはまるで理解できない。

 好きな子をいじめる精神なんて。


「だが昨今はどうだ? もう上げる必要のない収穫量。害虫対策も落ち着いた。農作業の簡略化で、農作業が要する人員そのものが減った。もうこの時代の農業は完成した。最低でも稲作は。なのに金を絞り続け、絞り続け。民衆の方は絶対に見ない」


 とにかく言いたい放題だ。

 だがシオン相手ならジェーンもすぐに言い返せる。

 それだけは彼の美点かもしれない。


「あなたの“遊び”に王家の名はどれだけ辱められたのかしら。今年になってどれだけの女性を連れ込んだの?」


「おいおい言っておくが、遊んでも問題のない馬鹿女を選んでいるぞ。男も同じくな。それと家名など、九歳児に国を救われた瞬間には地に堕ちた」


 前半部分は相変わらず最低男らしい最低さだが、後半を当事者に言われると困る。

 罪悪感、気まずさが生まれてしまう。


「それは……その……なんと言ったらいいか」


「冗談だよ。相変わらず君は、からかうと面白いな」


「ムッキー!」


 いいように感情を転がされた。

 直情傾向にあり、騙し合いの才能が不足しているジェーンにとって、シオンはとにかく気に入らない相手だ。

 それに毎晩夜遊びをして幾多の女性と夜を過ごしている。


 不潔だ。

 僕の周りにもそういう人は多かった。

 どうしてそんなに人と夜を過ごすことに躊躇いがないのか、今でも理解不能だった。

 ……話がズレた。


 一方でジェーンは、そういう関係そのものにはあまり頓着しない。

 彼女が嫌がっているのは、不潔さよりもシオン本人へのヘイト感情に近い。


「で? 学校はもう始まっているのか?」


「今日始まるの知ってて聞いてるでしょ。シスマから」


「いや、俺が姐さんに聞いたのは、学校を始めるから来て協力してほしいってだけだ。詳細は……みんなこの耳が拾った」


 シオンが持つ特徴における、嫌いなところの最たるもの。

 それが彼の地獄耳だ。

 どんなに秘密にしたいことでも、気づけば当事者の一人であるかのように、すべてを把握して事業に加入する。


 もちろん、王族や聖職相手の交渉では、婚約者という立場で助けられてきたのも事実だ。


 だが、苦手なものは苦手なのだ。

 どうしても反抗心がメラメラと燃えてしまうようだ。


「王国内の壁にはすべて俺の耳があると思ってもらおう」


「なにバカなこと言ってるの」


「事実なんだがね。とにかく今日が開校だろう。なのにボケっとしてるつもりか」


 メイド長も、今日が開校だと言っていた。

 ジェーンは実感が湧かないらしい。

 この男に言及されてなお。

 彼女自身がやらないといけないと思ってやったことだが、気持ちに実が入っていない感じがあった。


「しかし、耳を疑ったよ。君が教育事業に身を乗り出すとは」


「べつにいいでしょ。あたしが何をしたって」


「それは君が婚約者で公爵家の令嬢で、聖女の肩書がない場合に限る。それと俺も姐さんもクレオさんも繰り返し提言していた」


「まあ……世の中のために何かをする必要があると悟ったのよ」


 彼女の言葉に嘘はない。

 それが伝わるかは未知数だとしても。


「どういう風の吹き回しか……気になるが、俺も協力するよ」


「いらない」


「君はそう言っても心臓部はどうかな?」


「シオン様の協力無しは考えられません」


 指を鳴らすと、同席を控えていたメイド長が扉を開け、口を挟んだ。

 ジェーンがどうしてこんなにもこの男が嫌なのか。

 それはもう純粋に“性格が合わない”に尽きる。


 人を喰ったような飄々さ。

 人の痛いところを突いて喜ぶ性格の悪さ。

 どれもジェーンの嫌いなものだ。


「今日開く学園は、君が公共事業として始めるものだ。ゆえに、学業の備品は全てこちらで用意することになる。俺が寄付した。それとこれは重要なことだが、学徒には皆、運動の習慣をつけさせたい」


「運動? どうして」


「君のふくよかな脇腹だけでは説明不足か? 肥満は行き過ぎれば毒だし、頭の回転も鈍くなる」


「こ、こんにゃろ……! 最近は動いてた!」


 ずっと余らせるに任せていた腹部を指摘され、憤慨する。

 とはいえ多少は脂肪が乗っているほうが健康的だ。

 それに僕とのトレーニングを経験したのだから、運動への抵抗感は減っているはず。


 一時的な修行、トレーニングではなく日常にするには良い機会かもしれない。


 なお、彼女の名誉のために言うと、ジェーンは肥満ではない。

 あくまで健康体で、むしろ適正に脂肪が乗っている。

 人前で体型をからかうのは非常識だ。

 意思疎通できる時に、僕からも言っておこう。


「とにかく飢餓を撲滅したら、次に求めるべきは健康の充実さ。なんなら学問はその後でいい。知識を身につけるにも体力がなくてはな」


 ジェーンは、お米がいつでも食べられて、みんなも食べられるならそれでいいと思っている。

 事実、そういう国にしてみせた。

 それも爆速で。

 なら他に何が必要なのか。


 貧民窟に行き、良い社会にしようという兄弟を見たから、安全な街を作ろうと思った。

 真っ当な熱意を邪魔しようとする不届き者が多いから、世直しの必要を理解した。


「運動ねえ……」


 そんな彼女も、健康の重要性というのはあまりピンとこない。

 だがそんなジェーンを他の二人は、無知な子どもを映す目で見ている。


「お嬢様。改めて、より負荷の強い、定期的に行う体を動かす習慣を育んでみますか?」


「まあ思い思いに動いて定期的に汗を流せば良いと言いたいなら、その通りだ。問題は大半はそうしないってことだ。まあ任せてもらおうか」


「よろしくお願いいたします」


 すでにシオンも学校経営に加わらせるのは決定事項らしい。

 気に入らないことだった。

 べつにわからないこと、できないことがあるのは問題ない。

 いつもメイド長に任せて頼ってきた。

 だが、シオンにまで同じ扱い、同じ頼り方をするのは。

 ジェーンは我慢できない。我慢ならない。


「べつにどういうことかは知ってるわよ、運動でしょ! ちょっと前までやってたもの。体動かすとスカッとするってやつ! あたしは全然楽しめないけど、どんどんやらせるべきだわ~。一日一時間は運動ね! 決まり!!」


「それくらいが妥当か。本当は三時間が良いが」


「さっ……!?」


 ヤケになってジェーンが決めたのに通った。

 どころか、三時間も運動などという狂った希望も出てきた。

 “冗談じゃない。一時間ですら長過ぎる。そんなに何をすると言うんだ”と考えているに違いない。


 ジェーンにとっての一番の喜びは研究と観察、それと食事。

 お米を噛み、甘さが増す幸せに浸るだけで人生は足りる。


 運動して息を荒くし、服を汗で汚すなど苦しいだけ。

 僕個人は運動を悪くないと思うが、無尽蔵の体力を持つ僕が後押しするのは無責任だ。


「い、いいじゃない。やりましょう三時間の“運動”。やって損はないわ!」

 追い詰められた彼女は叫んだ。


「さすが、俺の運命の人だ。その聡明さは聖女の呼び名に相応しい。夜に俺と遊びたいならいつでも――」


「気持ち悪いこと言うな!!」


 唾を撒き散らして否定する。

 この男と深い関係になるなど、想像しただけでゾッとしたのだろう。

 メイド長が穏やかな口調で窘める。


「王子。あまりお嬢様をからかわないでください」


「ああ、そうするよ義姉さん」


 片手で顔を抑え、肩を震わせながら許婚は言った。


「こっ、この……!! 彼女は姉じゃないし、まず結婚する未来はいつでも否定できるし……!」


 大きく深呼吸をして落ち着く。

 駄目だ。こんな男を相手しては、と自分に言い聞かせたらしい。

 怒れば怒るだけ損をするという手合いなのは間違いない。


 僕だってこういうことをされては、何度も自分にそう言い聞かせてたものだ。

 相手はこちらを怒らせようとしているだけ、僕は負けないぞ、と心を強く持ったものだ。

 そうして駄目な時はどうするか?

 答えは万国共通。実家に電話して父さんと母さんに相談だ。


「まあいいわ。もうすぐあたしの偉業に小便漏らすわよ」


 下品な発言だ。

 新人のメイドだけ息を呑んだ。


 とにかく、ジェーンがいつでも婚約破棄できるのにしない理由はこれだ。

 ただ破棄しても、この男は何一つ気にしない。

 せめて一度は吠え面をかかせてから蹴り飛ばしたい、と考えているのだ。


「ジェーン・エルロンド様。そろそろお時間です」


 くだらない喧嘩をしている間に、ついに時が来たようだ。

 今日、彼女が集めた子ども達をここに住まわせての教育を始める。

 それに当たり、学長としてジェーン・エルロンドがスピーチをするのだ。


「よぉし、今日がより良い世界を作るための始まりよ!」


「ええ、まずは学長との顔合わせです」


「うん? はい? 誰?」


「王立学院で学院長を務めていた方です。くれぐれも無礼のないように」


 クレオの母校だ。

 ジェーンも入学の口添えをした時に会っているはず。

 しかしそれはそれとして覚えていない。

 どうしてかは僕には予想がついている。


「なんで来た?」


「何故と言われても……実績ある方をトップに置いた方が、周囲からの覚えが良くて、子どもたちのご家族も安心するからですが……。数分お話していただければ大丈夫です。あとはこちらで段取りの指示を出します」


「流石は姐さんね。何言っても正しさしかないわ。わかった。じゃあ呼んで!」


 指を鳴らし、新たに学長になるという人物の来室を許可した。

 一秒も経たずに部屋に、豊かな髭を蓄えた恰幅の良い老人が入ってきた。

 腰を曲げて杖をついている。


 くたびれた様子だから、ずっと部屋の外で待っていたのかもしれない。

 彼に少し申し訳なく思った。

 僕は特に何もしてないけれども、仕事が決まっても職場に慣れない時にずっと待つ心細さはよく知っている。


「こんにちは。貴方が学長になる方ね」


「そうですじゃ」


 杖をついたノロノロとした動作で歩を進める。

 十秒ほど待っていると部屋の中央にたどり着き、そのまま椅子に座った。

 家主の許可を得るものな気がするが、足腰が弱いのかもしれない。


 僕としてもこういうシチュエーションはワクワクする。

 生前はずっと面接官をやってみたかった。

 色々な人の話を聞けそうだからだ。


 だが希望とは叶わないもの。

 “人が良すぎて無理”と言われ、一度も任せてもらえなかった。

 これは面接ではないが、とにかく初顔合わせなのだから、それっぽく思えた。


「それでここで、私達が開校する学園を管理する仕事をしていただけると」


「適任は儂だけですじゃろ」


 自信満々に髭を撫でて老人は頷く。

 人好きのする好々爺。

 あまり良い印象はなかったが、人は何歳だろうと変わるものだ。

 今ならジェーンも記憶したがる人物になっているのかも。


「本日はご足労いただき、ありがとうございます。これからよろしくお願いいたします」


「なんの。教育を求める子どもたちのためなら、儂の足はまだまだ健勝じゃよ」


「含蓄のあるお言葉です。さぞかし経験と実績が豊富なのでしょうね」


「まだまだ青いですじゃ」


 和やかな会話。導入としては上々だ。

 僕ならここで小粋なジョークを挟むが、僕のジョークはあまりウケが良くないので挟まなくていいかも。


「それでは貧民窟の子どもへの指導経験は──」


「この話はここまでだ、ボケ」


「ボケ!?」


 ──ボケ!?


 来た時の緩慢な動きとは正反対に、腰にバネを仕込んでいるかのように学園長候補が跳ねた。


 目を凝らすと、ジェーンの視力が跳ね上がった。

 僕と心の声が重なったせいか、老人の体の内側まで見える。


「あーこれ便利ね!! 耳が良くなるのはいらないけど、これあったらすっごく研究が楽になってたわ!」


 ──どっちもだけど、相手のプライバシーは尊重してね。


「はいはい」


 大声で独り言をまくしたてるジェーンを、シスマ以外は訝しんだ。

 今のジェーンには老人の全身がわかった。

 腰はしゃんとしていて背骨は伸びている。

 筋肉繊維も炎症はなく、軟骨の減りも見えない。


 健康体だった。年齢は四十代ほどか。

 外見年齢は八十代半ばの老賢者なのに。


「ムムッ。見た目はヨボヨボでも体は頑丈で元気いっぱい! 暴言だけでなく年齢詐称とは! 帰れ帰れ! やっぱりあたしが学長になるわ!」


「おいおい、その方は王室にもご縁深い御方だぞ」


 楽しそうに見物していたシオンが冷やかす。

 この状況を楽しんでいるようだ。


「こっちから願い下げじゃ。誰が、神聖なる学び舎にあんな汚らしいゴミどもを。学費も払えんじゃろう。学長は儂のまま、経営方針も儂が決める。教えるに足る生徒の選別も」


 そう。こういうタイプだ。

 ジェーンはこの手の人種をシンプルに軽蔑していた。

 お米を育てるのに役に立たない。

 それどころか農民たちの意欲を下げる存在だから。


「うちは学費無料でやるの! あと選別もうちの基準! ちゃんと募集要項に目を通してから来なさい!!」


 学長を追い出しにかかった。

 杖をつく演技を欠かさないのは唯一の加点ポイントかもしれない。


「まったく、聖女でも親に捨てられるのも納得じゃな。せいぜい堕落した汚いガキども相手に、無駄な努力でもすることよ」


「ああんっ!?」


 ジェーンが怒りを露わにしたが、相手には一切通じない。

 思いつく限りの最低な侮辱を残して、去ろうとしていく。

 いったい何しに来たんだ、あの男は。


 同じことを思っているはずのジェーンだが、両の手を学園長候補だった詐欺師の両肩に載せる。

 引き止めるのだろうか。


 たしかに彼を据えておくのはビジネスとしては良い案だ。

 貴族・王族ウケも狙えるから、怪しまれずに済む。

 ジェーンらしからぬ計算高さ。

 やはり彼女も変わったのだ。


「このクソッタレーー!!」


「おぎゃーーーー!!」


 駄目だ。彼女には高度すぎる要求だった。

 激怒という感情に任せ、全身全霊の力で詐欺師を下方向に押し込んだ。

 僕のスピードと力を体験する修行を受けたおかげで、彼女は素体としてのパワーが大きく上がっていた。

 飲み込みが速い。スポーツも武術も同じと断言するだけある。

 披露するタイミングは最悪だけど。


 二階の床が壊れ、元学長の体が半分ほど沈んだ。


「なっ…………!?」


 シスマが血相を変えた。

 シャンデリアには直撃していないが、この位置の一階はちょうど今日に開校式を行う予定だったホールがある。

 子ども達もじきに到着する予定のものだ。


「お、お前は何してくれてんだ…………!?」


 膝から崩れ落ちて、シオンは整えたヘアスタイルを掻きむしった。

 学長は王室にもゆかりのある人物と言ったのは彼だ。

 ちょっとした火花が散るのは予想しても、これは予想の埒外だったのだろう。

 シスマだけならまだしも、婚約者まで動揺が見えた。


「マズイですよ、姐さん。この男は現王の恩師だ」


「えっ、でもこいつたったの四十歳よ!?」


「肉体を反加齢しているんだよ……超高位にある火魔法にそういうのがある。どうしますか。消しますか、こいつ」


 下手人を無視し、この場で一番有能な人物にシオンが真剣な顔で指示を仰いだ。

 こうしていると普段の軽佻浮薄な振る舞いが、ただの仮面だとわかる。

 はぁ……やだなあ。


 絶対に執念深くて強迫神経症を患ってて、僕のやり方にいちいち文句つけてくるタイプだよ、彼。

 だってヒーロー時代の親友そっくりだもん。

 こういう時にからかい役が深刻になると、事の重大さがよくわかる。

 うっかり学長を床に埋めてしまったジェーンが、周囲の反応で徐々にやらかしたことを理解してきた。


「意識を失っているのは幸運だな。問題は、これを覚えているかどうかだ」


 腰を屈めて変わり果てた面談相手の様子を確かめた。

 目立った外傷はない。

 肉体も骨折はない。

 骨に少し罅が入っているが、誤魔化しが効く範囲だろう。

 記憶さえなければ問題ないだろう。


「と、とりあえず持ち上げるわね……」


 重心を落とし、重いものを持ち上げる動きで聖女が床から相手を引っこ抜いた。

 力仕事の基礎ができている。

 開いた穴からは屋敷の使用人がこちらを見上げているのがわかる。

 かなり大きな穴だ。

 開校式でも目立つに違いない。

 ぐったりと全身が脱力した男を持ち上げ、それから大きくよろけた。


「あっ、これやばい」


 幸運にも意識を失くせていた学長候補。

 腰から持ち上げ、高くまで一気に持ち上げたせいで支える側のバランスが崩れたのだ。

 たたらを踏んだジェーンが、今度は相手を頭から穴に突っ込んでしまう。

 しかもその衝撃で目が覚めてしまった。


「なんだこれはーっ!? 何をした、あの小娘ーーーー!!」


「よし。殺して死体を処理しよう。どうせいずれは息の根を止める予定だった」


 シオンが慣れた手つきで懐からナイフを取り出し、恐ろしいことを言った。

 良くない性格かつ、このままではジェーンの活動の邪魔をしかねないし、帰せば危険だが、それはあまりに気の毒だ。


「彼がここに来た事実は多くの人が目撃しているでしょうから、覆せません。殺せばジェーン様の名に傷がつきます」


「あの……ごめん。肩が脱臼しちゃった」


 シオンとシスマが話し合う横で、ジェーンの両腕がブラブラと垂れ下がっていた。

 短期間で全力を出しすぎたのだ。

 学長候補を床に埋めたのも、頭から埋め直したのも、すべてジェーン自身の腕力。

 いつもより不自然に長いのは肩関節が外れているからだろう。

 武術の達人タイプは脱臼を自力で治す姿がよく見られたものだけれど、僕はやり方を知らない。


「痛い……痛い……」


 泣きそうな顔でしくしく呻くが、誰も反応してくれない。

 メイド長と婚約者は頭痛で眉間に深いシワを刻み、老人の足の前で話し合う。


「いっそこの男を形だけの学長にして、頃合いを見計らって人格を消して操り人形にするのは?」


「それは悪くないですね」


 いや悪いだろう……。

 この二人に何らかの繋がりがあるのはなんとなくわかるけれども、なんなのだろうか。

 シスマのほうが上の立場、意思決定者であるようだ。

 メイドが皇太子より上というのも不思議な話だ。


「いたいよぉ……いたいのやだぁ……」


 薄々気づいていたが、この子は痛みに弱い。

 しかも、他者の痛みにはまだ鈍い。

 あまりよろしくない傾向だ。

 ただ、自分がしたことで痛い目を見て悲しめるだけ、まだ人間らしい。

 一歩ずつ変えよう。一歩ずつ。


 しかし、どうして学長候補を床に埋めてホールの天井から生やすまでに怒ったのか。

 考えてみれば、貧民窟の子どもたちだけでなく、両親のことにまで言及されてからだ。


 やりたいことを追求し、周囲に支えてくれる人もたくさんいる彼女からは、両親との出来事を引きずっている様子は一切見られなかった。

 だが九歳からずっと、両親に縁を切られているも同然なのだ。

 引きずっていないわけがなかった。


 …………“彼”のことを思い出してしまった。

 おかしな話だ。彼とジェーンに共通点などほとんどないのに。

 間違いなく、ジェーンは両親を殺すような人間ではないのに。


「ジェーン様。本来お伝えする予定だった教訓を、とりあえず言いますね」


 主をほったらかしにしたままで話がまとまったので、シスマはジェーンの肩に両手を置いた。

 その時にセットで両肩の脱臼も治した。見事な手際だ。

 潰しの効かない損な体だったから、こういう同じ体だからと治療行為を軽くしているのを見ると憧れる。


「あなたの善行を悪用しようという輩、理解せずに利己的な目的で加わろうとする者がごまんと出てきます」


「それ、稲作事業の時もさんざん見たわ」


「これは貴女の心が苦しみを覚えるだろう、失望度合いが問題です。これが我欲のみで行う事業でしたら、あの学長候補も“つまんない奴だけど、あんなのでも生きてるから利用できるならいっか”と流せたことでしょう」


 完璧な声真似だ。


 その場で絶句していた新人メイドが、ジェーンそっくりの声が本人以外から出たことに、辺りをキョロキョロした。


「しかし、善行に取り組もうとすれば、それを邪魔された時に感じる悪感情は、正当性があるからこそ暴走の危険があります」


 それはそうかもしれない。

 ヒーロー活動をしている時、よくわからない警戒と疑いは常に付き纏っていた。

 それについて悲しんだことが何度もある。


「……わかった。肝に銘じておくわ」


 反論したそうでもあるのをグッと堪えて頷いた。

 たしかに激昂して人を天井から生やすなど普通ではない。

 しかも直下の広間に子どもが集まるのを知っているのに。

 シスマとシオンは、これから穴の空いた天井で入会式をしなければならない。

 場合によっては、天井から老人をぶら下げたままで。


「とりあえず……貴女を一旦追放します」


「あたしの学校なのに?」


「本当は学長にしてシオン様を副学長にする予定でしたが……ここは貴女を一旦無関係にして、ほとぼりを冷まします。学長はシオン様で」


「ま、またまたぁ!」


 ジェーンはケラケラ笑った。

 屋敷も設備も自分の資産で作ったものだ。

 追い出されるわけがないと思っている


「正確には、学校の運営についての権限をなくすというものです。ジェーン様にはもっと他のことをしていただきたく思います」


「何をするっていうの。それにお金は? あたしが全部出してるのに……」


 学徒の衣食住、備品、教育費。

 ジェーンの懐なら耐えられるが、他の者ならひとたまりもない大事業だ。


「まあ多少は俺のポケットマネーを使うから大丈夫だ。教育と訓練は俺がやる。お前には無理だろ」


「どうしてよ。さっきのはちょっと熱意が先走っただけで、いつもならちゃんとお利口さんにやれるわ」


「無理だ。お前がそんな人間なら、この国の民はまだ飢餓と戦争に喘いでいる」


 シオンが逆さまになってホールから生えている権威ある老人の有り様を見ながら嘆いた。

 来た時は許婚をからかうのに熱中していたのに、今やその破天荒さにめまいを覚えている。

 まさか立場のある人間を、事業の交渉が決裂したのに加え、全力でのしかかるとは思いもしなかったのだろう。


 少し可哀想だ。


「で、でも人間は学ぶものだし」


「それで自分を抑えるってことができるものなら、俺はとっくに聖女と呼ばれている。できないことはしないでいい。そのままでいい」


 皮肉に見えた彼の本心だ。

 うーん、こうして客観的に観察すると皮肉屋の本音ってわかりやすいんだな。

 当事者としてこういった振る舞いに晒され続けると、正常な判断もできなくなるな。


「ジェーン様。御自分をお知りください。貴女様にそのような高等技術ができようはずもございません」


 家族同然、家族以上の関係であるシスマに言われれば、反論はできない。

 ジェーン・エルロンド。やると決めたことは何が何でもやるタイプだった。

 それは鋼鉄が決して折れ曲がらないのと同じく。

 彼女の初志貫徹を止められる者はいない。


「そう……そうね。あんたがやった方が良いのかも」


 お米のことしか知らない自分よりも、さんざんなろくでなしでも、シオンの方が適性はある……聖女はそう納得した。

 ただ、この男に運営権を渡すのには、ひとつ巨大な懸念点があった。


「あんた、ここに女の人を連れ込む気じゃ……」


「馬鹿を言うな。これはいわばジェーン・エルロンド直属の私兵を秘密裏に育成する計画だ。実績もなしに漏洩されたら、あらゆる疑いをかけられ関係者全員が処刑されかねん。というか今お前がやったようなことをするとすれば、少なくとも反乱行為とみなされる」


 これはお米の聖女という救国主の名のもとに私兵を集めるも同然。

 治安維持に活用すると言っても、それを誰が信じるのか。

 民からの支持は王族を圧倒している。聖女が聖女として愛されている証拠だ。

 王家のライバルと見なされたら、その色眼鏡を外すのは無理難題極まりない。


「言われてみるとそうね……よし! じゃあ、あんたに任せる! お金は普通に出すから!! あたしに泣きつくまで好きにしなさい!」


「あ、ああ。思ったよりすぐ受け入れたな」


 長期戦を予感していたシオンは拍子抜けした。

 ジェーンの目的には、あくまで一年後の革命の改変だ。

 他がどうなるにせよ、ジェーン・エルロンド本人だけは、なんとしてもお米を楽しめるままでいたい。

 そのためには適材適所が良いと思えた。


「いいの。あたしにはやらないといけないことがあるから! しばらくここには戻らないわ。これはあたしの出る幕は無いってわかったもん。それじゃあ」


 言うだけ言うと足を踏み鳴らして、その場を後にしようとする。

 今の発言は完全に強がりだ。

 行く宛は特にない。

 何をするかも決めていない。

 闇雲に歩き回るつもりだ。


「お待ちください、ジェーン様。私もお供いたします」


「大丈夫! あたしは強いから!! それよりもあいつを見張ってて。変なことされると困るもん」


 主の笑顔に、メイド長は逡巡する。

 普通なら主が危険を無視して出歩こうというなら、絶対に行かせはしない。

 相手がこうと決めたら絶対に聞かない性格でなければ。


「……わかりました。では、この場所に行ってください。貴女に必要な方とお会いできます。本当は、開校式の間に私がお迎えする予定でした。お手数おかけして申し訳ございません。ご武運をお祈りいたします」


「まあまあ。こっちはさっそくこの国を最強に良くしてきちゃうかもしれないから。そうなったらごめんね」


 差し出された地図を受け取り、数回後ろを向いて手を振りながら屋敷を出た。

 なんの計画もなく、ただやってみたかったから屋敷を出てみた。

 何も持たずに、どこに行くとも考えずに。

 まったく愚かだが、ジェーン・エルロンドの足取りに迷いはない。


「なんていうか!? これはむしろプラス、追い風よね!」


 会話できない僕に向かって語りかける。

 たぶんそのはずだ。


「やりたかったこと全部、他人任せにできたんだから。じゃあまた別のことをやればいいわけよ! 時間と労力が節約できたわ!」


 彼女は稲作についても、前世の知識をどれだけ覚醒させても、畑に直に触れて考えていた。

 学校が必要だと思ったのも、貧民窟に行ったからだ。

 それなら、もっと深く国を見れば、もっと知ることがある。

 きっとそうに違いない。


「だって開校一日で追放されたからには、楽しく全力でやらないとね!」


 そう言ってジェーン・エルロンドはドレスをその場に脱ぎ捨て、ラフな格好で屋敷から街へと駆けていった。

 働いて長い執事とメイドという、これから学園を整備する従業員が、それをいつものことのように手を振って見送る。

 こういう時はワクワクするものだ。

 特に目の前に広大な未知が広がっている時は。

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