【十一】じゃあやってみろよ
天才、特別、怪物。
そういったワードは、幼い頃は僕のものだと勘違いしていた。
決定的に思い知ったのは、僕と宿敵との出会いだった。
彼を通じて僕は世界の広さを痛感した。
初めての対決は中学最後の夏休みに遡る。
当時、地元では肝試しが流行っていた。
子供っぽさはあったが、熊による電車ジャックが問題になり始めた時期。
都市部へのアクセスが制限され、とにかく娯楽に餓えていた。
幼馴染がプロデュースした肝試しは毎日盛況だった。
神社のある山で行われるそれは、毎晩子どもから大人までごった返していた。
「凄いじゃん! みんな楽しんでるよ!」
この頃には標準語もすっかり喋れるようになっていた。
訛りのある自分が嫌になったとかではない。
しかし、後の宿敵、当時は幼馴染であり親友であった彼は、とにかく地元を嫌っていた。
僕が地元の話し方をすると決まって嫌な顔をしていた。
洗練されていない、土臭い、畑の野暮ったさ、様々な表現で批判されたものだ。
だから彼のために訛りのない話し方が違和感なくできるようになった。
「こんな陳腐なレクリエーション。どうってことない」
振り返りもせずに彼は言った。
打ち捨てられた神社に作った秘密基地。
僕達で改良したことで地下に広大な広がりを持つ洞窟になっていた。
秘密のエレベーターで降りた先、最小限の灯りで研究に没頭している彼を見るのは好きだった。
なにをしても予想以上の成果を挙げる彼。
だがどうしてかオカルト関連だけは出会えなかった。
ナマハゲ、テケテケ、八尺様、きさらぎ駅、河童など、未知の存在を求めていても、僕達はとんと目撃することできなかった。
大人になってからは山ほど出くわすことになるのだが、どうしてか彼の頭脳でも巡り会えなかった。
「今回の実験は上手くいく」
地図を広げ、マーカーで印をつけ、キャップをはめる。
インキのつんとした臭いが地下空間で香る。
地元は山が多く、山の神が棲まう土地とされていた。
県土の大半を山を模した龍が横たわっているとされていたのだ。
まあそれは事実とは言えなかったと後にわかる。
しかし、そうと知らなかった僕達は未知のものへの探求を続けていた。
端的に言って、僕の幼馴染は天才の中の天才だった。
幼稚園で東大の問題を解き、教授と議論を交わしていた。
十二歳で発明した《クマ語翻訳アプリ》で、僕の地元は熊害をかなり軽減できるようになった。
さらに後には秋田がクマ王国になることへの、穏健なる後押しになってしまった。
とにかく埒外の天才であり、僕は出会ってそうそう自分がただの頑丈で足が速いだけの凡人と理解せざるを得なかった。
悲しさはなかった。むしろ、ホッとした。
僕以外の特別な存在に初めて出会ったからだ。
彼はいつも一人だったが、僕はそんな彼に惹かれた。
交流をしてすぐに僕では彼を失望させるばかりだと、ぼんやり悟った。
どれだけがっかりされても、“未知を探求しよう”という彼の行いは、僕の胸を躍らせた。
僕はやっぱりどうしようもなく“農家の子”だったが、どうにかして彼と同等の特別な存在を見つけてやりたかった。
“自分は世界に一人だけ”という孤独を救ってもらった恩返しをしたかった。
「土壌を検査した所、このマークを付けた地点には大量の人骨があった」
「ごめん、怖い話ならちょっと待ってもらえる? 夜中におしっこ行けるか不安だから」
怖い話というのはあまり得意ではない。
僕はついつい想像が行き過ぎる嫌いがあった。
というのも、この年齢になるまで僕は“痛み”というのを味わった覚えがなかった。
赤ん坊の頃は傷を負うこともあったようだが、もう遠い過去だ。
深層心理下に記憶されていてもハッキリとした思い出にはなっていない。
知らないものは怖い。
痛いというのがどういうものか知らないならなおのことだ。
「一人、二人ならよくあることだが、大量となると何らかの意思に命じられてのものだ。これがかつてはたしかに生贄を求める巨大なものがいた証拠だろう」
「うぅわあ、怖いね」
だが似たようなことは古今東西あることだ。
これくらいならちょっと考えるとブルッと来るくらいの恐怖。
どうやら僕も農家らしいタフな男になってきたようだ。
我ながら誇らしい。
「それでどうするの?」
「今日集まった人間をエネルギーに変換して交信を試みる」
「なんだって?」
耳を疑った。
これまでの彼はあくまで自己完結した安全性の高い儀式を選んでいた。
他者を犠牲にするようなことはしなかった。
ずっと楽しくやってきたはずだ。
彼は無愛想でぶっきらぼうだったが、それくらいは理解できた。
なにがあったんだろうか。
「待ってよ。これが成功しても上手くいく保証は……」
「どうでもいい」
投げやりに吐き捨てられた。
彼の様子がいつもと違うことに気づいた。
ずっと背を向けていた彼の顔を確認しようと回り込んで、相手の異常に気づいた。
顔の半分にべったりと血がこびりついている。
いつもの堅苦しい生真面目で、世を拗ねた面持ちではなく、絶望しきった顔だった。
「どうした……い、いったい何があったの……?」
「関係ない」
彼が両親と上手く行っていないのは知っていた。
だが他人の家庭事情。
向こうが助けを求めてくるまでじっと待っているべきだと両親に諭され、詮索しないでいた。
「家を継げとうるさくてね。こっちはもう院への招待状も得たのに」
彼はずっとミスカトニック大学への進学を志していた。
世界中の神秘についての知識が集まる学術機関。
そこで世界最高の頭脳と未知の探求をすると彼は瞳を煌めかせて語っていたものだ。
「僕の前で招待状を破った。だから報いを受けさせた。それだけだ」
「それだけって……」
「完全犯罪だ。証拠は残っていない。問題ない」
「ち、違……僕が言いたいのは……」
子どもの時間の貴重さというのは、当人にはわからないものだ。
大人に近づいているのはぼんやりとわかっていても、それが大規模な変容を齎すとは思わない。思っても目を逸らす。
もしも、こうなる前に、僕が彼の求める“未知”だと明かせれば。
彼は自分が本当の意味で孤独な怪物と知ってしまう。
そうすべきだったのか。
僕はずっと答えを出せずにいる。
「こんな田舎の寒村が偉大なる頭脳の糧になるんだ。むしろ感謝して欲しいくらいさ。儀式は完遂する」
嫌な汗で全身がびしょ濡れになった。
人殺しを見たのは初めて。
そして、僕はこの日、生涯の宿敵と対決することになり、初めて肉体的な苦痛を味わうことになる。
「ぼ、僕がそうさせないぞ」
両手の拳を握りしめ、勇気を出し、子供の頃の僕は言った。
相手の頭脳を把握してはいても、肉体スペックを考えればこの距離、閉鎖空間内では億が一の敗北もありえない。
それでも怖かった。
「へえ、そうか」
マーカーを胸に強く突きつけ、後の宿敵、プロフェッサー・セイメイは睨み上げた。
「じゃあやってみろよ」




