【十】どれも同じで飽きるのよねえ
それから一週間が経過した。
七日間に渡り、ずっとシスマが監修した特訓メニューに取り組んでいた。
屋敷から早馬で3時間の所に、巨大な農場がある。
聖女が己の研究を実践するためのエリアであり、この国の生命線でもある。
規則正しく引かれた水路、静かに進められる農作業。
人がいなく、たまに出会うとすれば顔見知り。
実家そっくりの環境だ。
何より、四方八方を山に囲まれていて、日照時間が少ない。
ここに熊も出れば、より地元だった。
朝方、紫色の空の下、鼻から喉までスッキリする冷たく瑞々しい空気。
山の麓にある、未使用の土地を使って僕達は修行していた。
「よおし。今日も頑張るわ!」
僕の巨大なパワーとスピードに触れたメイド長は、魂の器である彼女に、可能性の拡張を求めた。
彼女の血水魔法があれば、僕は実体化できる。
体があれば彼女の助けになれる選択肢がより広がる。
「大丈夫かい? 疲れが溜まっているとかは」
「あたしを誰だと思ってんの! 5徹も余裕よ」
これは比喩ではない。
彼女は本当に5日間寝ないで活動したことがある。
三日三晩の不眠をしても問題ない僕ですら、五日間の連続活動は精神にガタが来る。
それをやり切る彼女の生命力と集中力は僕とは違う、超常のメンタルの顕現だった。
「君の精神構造がいったいどうなっているのか不思議で仕方がないよ……」
「なによ、そういう貴方は……そう言えば貴方って何者なの?」
シンプルな疑問。
そして、今更すぎる問いかけだった。
普通は僕の存在を知り、前世とわかれば、何者なのかを問うような気がするのだが。
「何だと思う?」
「吸血鬼か竜人。または宇宙から来た別の惑星の人」
…………凄い。
全部、両親が予想していた種族だ。
母は吸血鬼、父は宇宙人説を推していた。
僕はどちらもピンと来ていなかったので、格好良いからと竜人を推していた。
子どもって一度は恐竜とドラゴンに熱中するよね。
僕はどちらかというとドラゴン派でいた時間が長かった。
「どれでもないよ。”わからない”っていうのが答え」
「ヒントは?」
「実は……活動するのに生物の生き血を必要としていたんだ」
「でも吸血鬼じゃなかったんでしょ?」
「うん。そもそも血は必要なだけで大嫌いだったからね」
準備運動をしながらの会話。
僕も形式上でも付き合う。
地べたに座り、手を伸ばして足の先端につけながら、ジェーンは首を傾げた。
「そんなことある?」
「お米やパンが苦手な人っているだろ? 僕もそれだった。鉄臭さが無理だった」
「じゃあレバーも苦手なんだ」
「子供の頃はね。ホルモンはあまり好きじゃない程度だったけど。ていうか海沿い育ちでずっとお刺身や寿司を食べてたから。食べすぎたせいでどんなに美味しくても”焼いていないナマモノ”って属性が、苦手になってたんだよね」
「ふーん。刺し身とか寿司が何かはわかんないけど、よく聞く話ね」
おかげで両親はほとほと困り果てていたらしい。
だましだましでバナナジュースや味噌汁に溶かして、生き血を接種させたようだが、このままではいずれ限界が来る。
大きくなるに従って、必要な生き血の量が増えていたからだ。
もしも実家が畜産にも手を広げていなかったらと思うとゾッとする。
「それで生き血はどうやって取るようにしたの?」
「ダメ元で納豆にかけてみたらイケて、ご飯にかけて醤油を垂らしても食べられるようになった」
「雑な生き方してそうなのに偏食家だったのねー!」
おおらかに育てられたと言ってほしいな。
「まあ地元が米どころだったのが幸いしたよ。旅行で東京のご飯を食べたら無理だったもの」
それも上京をして都市の生活に慣れれば変わる。
あんなにバサバサポソポソしていた都会の米でも血をかけて食べられるようになった。
調味料でご飯のクオリティの低さを誤魔化す術を修めたのも大きい。
大学の先輩が運よく同郷で同じ悩みを経験していたからアドバイスを貰えた。
「それでお米が特別な存在だったと」
「そういうこと」
意識を集中し、無言を維持したシスマが僕を構成する血液を変形させた。
ジェーンの体を覆うアーマーになり、僕の意思で彼女の体ごと動くようになる。
「今日は15km走っていただきます」
「うげえ」
「大丈夫だよ。僕が動くんだから」
シスマが血液を高速で動かせるようにし、擬似的にスゲーマンを体験するのだ。
ようし。行くぞ。
「限界になったらすぐ言ってね」
「はーい」
少女の全身を覆う薄地の赤いスーツになった僕が、一歩ずつ歩を進めていく。
それから早足、小走り、駆け足と徐々に速度をあげていった。
徐々にレベルを上げないと制御役のシスマが耐えられないからだ。
とは言え、彼女の力は実に凄い。
もう秒速100mになっているのにまるで滑らかな動作。
僕の動きを制御できている。
野山を駆けて、跳んで、道のない道でも僕だけは平気だった。
とても楽しい子供時代の思い出が蘇る。
いつも裏山をこうして走り回っていた。
秒速300m。
ほぼマッハだ。
景色が線になり空気が物体になってくる。
「どう!? 平気」
「全然平気」
痩せ我慢ですらない。
本当に痛くも痒くもないのが伝わってくる。
…………自信なくしてくるな。
まあ、僕の世界でも武術を修めて鍛錬によって音速や光速の敵を倒したり、弾丸を叩き落とす人たちはいたけれども……。
この子、武術の経験はシスマに仕込まれてても、あくまで軽くだったよね?
先週は僕の聴力と視覚が目覚めて悶絶していたのに。
「君、運動とか武術の経験はそんなにないよね?」
「人並みにはあるし、ああいうのって何しても同じでしょ」
「はい? どういうことか教えてくれるかな」
マッハの移動で半ば二人きりになった世界。
特別な空間めいているが、ジェーンは冷めきった目で溜め息を付いた。
敗者として退場する父親のことを思い出しているのだろうか。
「だってスポーツも武術も体幹と足腰で動けば何でもできるじゃない? 結局は差別化して興行にするために指先足先の動作で変えてるけどさあ。どれも同じで飽きるのよねえ」
「同じって……!!」
僕は思わず反論しようとした。
体育の時間でも僕は足手纏い扱いだった。
身体能力を人並みまで抑えると、後は運動神経の問題であり。
悲しいかな。僕は運動音痴だった。
そんな過去を持つ側にとって、持てる者である彼女の発言は噴飯ものだった。
「貴方だって動く時は腰と体幹から先端に力を送る感覚のはずよ。同じじゃない」
そんなはずはない。
そんなはずはないのだけれども、否定できない。
たしかに僕はその感覚で動いている気がする。
スポーツも武術も体の動かし方は同じなのか?
それが真理なのか?
なら体育の溝口先生はどうして教えてくれなかったんだ?
彼女は僕の超人的スピードも同じようにシンプルなものとして軽々と乗りこなしているのは、厳然たる事実。
お米の知識を喪おうと、ジェーンはそれを駆使して国を改革した天才であり、僕は違う。
それは戦いや運動も同じということか。
「特別な人って違うんだなあ……」
”特別”、”天才”、”怪物的精神”。
転生しても、僕の前にはどうしてもこういった属性の人らが出てくるらしい。
彼ら/彼女らに、僕はどう行動すべきか。
いつも、そう問われてきたような気がする。




