【二十三】おのれ
【二十三】
長。彼の名も知らないが、流れるマナが彼に無限の力を与えているのはわかる。
「長……」
フィニーが呆然と呟くのを耳聡く拾い上げ、里の長は言った。
「安心しなさい。貴女の決断は私が守ります。
貴女が入りさえすれば、お母様も里の英雄として崇拝の対象になります」
その言葉にびくん、と全身が震えて隣の母親を見る。
娘を守るシーズは長を睨みつけて、憎々しげに吐き捨てた。
「よくもぬけぬけと。これまでの、この子への差別を容認しといて!」
「なら、貴女はどうなるのです?
当てましょうか。“才能”がないから選ばれず、
里を放逐されるから、それまでの辛抱だと割り切っていたのでしょうね」
反応を見ても図星のようだ。
「そんなボロボロの手でよく自信満々に振る舞えるわね」
ジェーンが眉を顰めて指摘する。
知識だけを身に着けても、本来ならブラックホールを拳で生み出すなどはできるはずもない。
鍛えなければいけないはずであり、それをムリに行使すれば身を滅ぼす。
「たしかに。激痛はあります。
気を抜けば、意識を持っていかれそうです」
ここまで覚えたての黒点空手で穴を掘ってきたのだ。
長の手はとっくに骨が砕けて、皮膚だけで辛うじて繋がっている有り様だ。
ぷらりと垂れ下がる指にたちまち気が集まって治っていく。
骨が再生し、筋繊維が繋がり、皮膚が覆う。
これを技術で成し遂げるとは。
「これは三代前の生贄が世界樹で編み出した空手です。
気によって自己治癒能力を促進させ、自動的に負傷を治します」
たしかに気の遠くなる年月を高純度のマナに包まれて、暗闇の中で一意専心に取り組んだ成果なだけはあった。
「最強の空手家だった兄が世界樹に入って以来、
私は何千年と里のシステムを維持してきました。
この力は、その忠誠と献身への報いというものです」
「お兄さんが犠牲になったのをいいと言うわけ!?」
ジェーンが無神経とさえ言える領域に踏み込んだ。
肉親、そこを突かれて長の眉間にシワが寄って苦しみに耐える顔になった。
「名誉に与る前……言ったのです。
“里を魔術の混沌に戻すな”と。
その言葉が、私の長年の指針であります」
これほどの空手の域を超えた空手を──
「疾風正拳突き!」
ブラックホールは消耗が大きいと判断した長は、切り替えて正拳突きで鎌鼬を発生させた。
神速を超えた速さで擬似的に真空空間を作り、それから圧縮空気を押し出したのか。
言うのは簡単だが、やるのは困難を極める。
「うおっ!」
エドガーの戦斧は巻き上げられて後方にひっくり返る。
分厚い超重量の武器が風で流されるとは。
「まだまだ!」
マナを満たした強化戦斧を振り下ろそうとする。
「征!!」
両腕を交差して丹田に気を回し、体を剛体化。
剛力に自信のあるエドガーの斧が、皮膚に弾かれてしまった。
「交流試合に出ていた、先鋒の技ね」
「あれもこうして編み出され、広まった技です。
生贄と言うと安易に非道に聴こえるかもしれませんが、
マナに包まれた環境で何年も空手と向き合うというのは、
求道者には願ってもない理想的な環境なのですよ」
「詭弁ね! 出る時は骨と皮だけでろくに話せもしなかったわ!
そんな状態よりも普通に修行した方がいいはずよ!」
「この世界には誘惑が多すぎるのです。 ねえ? ──ビギー」
厭味ったらしい言葉。
音も気配も殺して瞬間的に長に迫っていたビギーの手が払われる。
明らかに武道家としての練度が高まっている。
今のは入っておかしくなかった。
動体視力と身体能力も上がっている。
「まだ」
足を振り上げるが、受け止める長の手が刃の鋭さになった。
「この技も!」
「歴代の生贄が遺産を受け継ぎ、高めんとするのが我ら。
しかし、わたしだけは世界樹にアクセスすれば、
戦法創始者そのものの力を使えます」
剣そのものの性質を帯びた物を蹴ることはせず、途中で軌道を変えて長の頭頂部を擦った。
「甘いですよ」
「ううん、決まった」
何のことかを聞くより先に膝から崩れ落ち、立ち上がろうとするが舌の根も動かない。
「がっ……!」
立ち上がろうと床を手で押す力が出ない。
終点を突かれた者の反応だった。
どのようにしてか、里の“最強”は、さっきの一瞬でもう勝負を決していた。
「気の針を出せるのは指先からだけじゃない。
全身から出せるようにしていた。
両手を怪我したらマナ書道ができなくなるかもしれないし」
「よかった。もう終わったわね。
じゃあ長をふん縛ってじっくり情報を引き出すわ」
「急いで! ヴァルター達が来ますよ!」
言われるまでもない。
ジェーンはただちに高速移動で相手をぐるぐる巻きにした。
しかし、それが巻き戻されて足下に土柱が屹立し、地下空間の天井に頭をぶつけた。
「ウソ! もう来たの!?」
「おめぇスポーツカーっちゅうもん知らねえのかぁ!?
すっげえ速えんだ!」
エルロンド姉弟の実父が意気揚々と躍りかかる。
大剣を唐竹割りに振り下ろし、壁に縦一文字の亀裂が生じた。
拘留されていたとのことだが疲労はなし、か。
この様子なら実態は歓待だったのかもしれない。
ジェーンに追撃を仕掛けるのをエドガーが止めた。
「させるか!」
「やれやれ今度は出来損ないか。
おめえの体は息子の降臨先なんだぞおめぇ!!」
「よく来てくれました。
エルロンド公爵夫妻よ。
我らの長年の関係に基づき、この者を──」
ヴァルターが振り下ろした大剣を長が防御した。
味方だと思っていた者からの攻撃。
追い詰められ続ける長が憤死する獣の雄叫びをあげた。
「これくらいで負けるわけないでしょう」
貫手をヴァルターの胸に差し込んで心臓を割る。
「死ねぇぃ!!」
心臓が破壊された事実を無視した斬撃。
目の前で絶命確定の攻撃が、巻き戻された。
ヘルミーネの水廻。時の巻き戻しだ。
長の肉体時間が巻き戻り、自動的に攻撃が起きる前の位置関係と姿勢になった。
余裕をもって捌くことは叶わず。
反応が間に合わずに、摺り足ステップで長が距離をとった。
「どこ!? ヘルミーネは」
実母がいるのを悟り、周囲をぐるりと見渡し、超聴覚と超視力に集中した。
アクションを感知し、姿をかき消して高速移動に乗った。
その場の誰にも視認できない速度で仮面の男の腕を掴む。
エドガーの首元まであと少しのところだった。
ビギーの父親。
里の金を好き放題着服して、娘に注ぎ込んでいた暗殺者だ。
「やめなさい。ビギーの留学はご破算になったわ。
もう長の言うことを聞かなくてもいいの!」
ジェーンを無視して、藁にも縋るように叫んだ。
「長よ、嘆願する! この者らの首を取ったあかつきには、
娘の代わりの暗殺代行! 支援金の実質横領! 契約の反故!
すべての罪をなかったことにしていただきたい」
すべてのやらかしを上司にバレているとわかってなお、ビギーの父は叫んだ。
大した度胸だ。これが普通の雇われ従業員ならこのまま引きこもりを選ぶだろう。
娘のためだけに、里のシステムを乱用していたし、それがバレたという事実を無視してもなお、交渉をしかける。
「ふざけないでください! 何を考えているんだ!
殺されないだけありがたく思うべきだ」
当然だが長には通用しない。
どころか真剣な気迫で怒鳴り返された。
「し、しかし…………」
「娘に人を殺させたくないという親心はお察しいたします。
しかし、それでも超えてはいけない線はある……。
そもそも、どうして私に相談しなかったのですか?」
「なんと言えばよかったのです?
私腹を肥やした雑魚をいくら殺しても この才能を鈍らせるだけだから、
私が全ての仕事を肩代わりして
娘には里の宝として、
類まれなる空手の才能を伸ばしてほしいとでも相談しろと!?」
「そうですよ!!!!
この里が何だと思っている!?
私は、これまでも貴方がた父娘に多くの便宜を図ったでしょう!」
ヴァルターすら無視して長が悪鬼のように取り乱して絶叫した。
やりきれなさと理不尽さに心が無茶苦茶になってもなお、言葉を荒らげない彼は、たしかに立派なのだろう。
だが、その冷静さがさらに彼を追い詰めてしまう。
「……待ってください。全部と言いました?
最初はビギーが暗殺をしてたんでしょう?
そうやって他国との最低限のラインを維持するのが
“最強”の栄誉と仕事なのですから」
「俺が全部やりました」
「え?」
ビギーでさえも目を丸くした。
「~~~~~~~!?」
長に至っては白目を剥いている。
ユーチューバーをやっていた時に何度も見た光景だ。
ストリーマーが“おたくの部下は地位を利用してこんなことしてましたよ”と、上司、さらには雇い主に開陳した時に見る顔だった。
人は、信頼している部下が自分の都合で足下を粉々にしているとわかると、竜巻に呑まれる人と同じ顔をしてしまうのだ。
…………なんという可哀想な姿だ。
「娘が突いていたのは仮死状態にするキャンセルポイントでした。
俺が後ろからカバーしてとどめを刺していたんです」
「…………叱ったらいかがですか?」
全てが手遅れになったといった顔で長は掠れた声でつぶやく。
「仮死状態にする終点の中でも、最難点を娘は突いていたんです。
蛇口のホースから出す水を針の穴に通すが如き神業。
それによって全てが急静止して動きを止める。
あれを見ては殺しの技なんてバカバカしくてやらせられませんよ」
本当はずっと自慢したかったんだろう。
得意満面にビギーの父親は胸を張る。
ジェーンに腕を捕まれ、さっそく王手をかけられているのにだ。
娘の真価を伝えるのが嬉しいのだ。
しかし、姿を隠していたヘルミーネは淡々と長に宣告する。
「リトルファム代表エルロンド家は《惑星・不動拳》に魔術の最先端を常に報告。
代わりに里は“最強”の空手家による暗殺というカードを提供。
これにより、我らは常に同盟関係にありました」
なるほど。
それで長がここに喚んだのか。
協力を得られる確信があったから。
本心とは別に、公爵家が国を代表しての関係を無視するはずもない。
「ならば契約反故ともなれば
我らの長きに渡る契約もここで完遂とせねばなるまい」
しかし、それが仇になった。
威厳のある声で重々しく言い放つ。
その様に長は、苦し紛れに沈黙を破った。
「同盟関係が無くなるのであれば、
貴方がたの身分は“犯罪者”になります」
「ともなれば、オラぁ、おめぇをぶっ殺すぞぉ!
ここで息子殿と世界樹の両方を手に入れちまうからよぉ!
里そのもんとやり合うことになっちまったなぁ!!
勇者ヴァルターのエルフ討伐の巻!」
「バズーカァ!!」
長が彼のパートナーの技を十倍の威力で放つ。
いつの間にか展開していたバズーカ砲十門。
両手全ての指が引き金にかかり、神業的関節駆動域と手の力で正確に狙いを定めて一度に引き金を引く。
ブラックホールで広げられた地下空間に爆風が広まる。
「貴方がた父娘には期待していたのですよ……」
冷静沈着。
そんな長の様に亀裂が走る。
「そんな……長よ!」
ジェーンにネックハンギングへと移行されたビギー父が狼狽えた。
「民から不満が出ても、あの強さと技術には価値があると…… 。
きっと、里に新たな至宝を齎してくれると……」
長の髪が一つ一つ広がる。
全身に流れ込むマナの量が増し、それがさらなる超常の存在へと変えていく。
「そして、今や歴史も交流もシステムも破綻しようとしている。
そんなの……そんなの……
我が兄の名にかけて認められるかぁッッ!!!!!」
長が喚んだ三人。
その三人の内の二人が敵対し、もう一人もただただ勝手なことを続けている。
「おのれ、いったいどうすれば謝罪を受け入れてもらえる……?
……もしかしたら、この者を今から殺せば、大目に見てもらえるかも」
「……修行と暗殺のためという名目で毎月支援金をもらっていたようだけど。
実際、何に使っていたの?」
ジェーンが質問した。
「娘の芸術道具と教材の輸入。美術って金がかかるんだ」
「赦さねえよ。敵だけど代わりに言うわ。どうやっても償えねえよ」
無情な否定。
仮面の男は悄然とうなだれた。
会話が耳に聞こえたのかはわからない。
だが長の怒りは加速を続ける。
「全てをここから再建します!!
生贄親子以外は生かして帰さんっ!!!
覚悟しなさい、空手の恥さらしどもめぇ!!!」
怒り収まらない里のシステムと伝統、エルフらしさの体現者はまさに鬼となった。
……この状況において、長と僕の意見が一致するとしたら、それはまだ一点に収束するだろう。
─────カオスだ。
エルフ文化が長年、僕の認識では永遠に等しい時間に渡って尊んだ"不変"。
その概念は、ゴブリンママの地下室にて、
エルフの長の叫びによって砕かれた。




