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獄中賢者は侮れない  作者: 紫 十的@漫画も描いてます
第二章 ラザムの弟子たち
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閑話 橋の向こう(スティミス伯の視点)

 目の前で、歴史に名を残す橋が壊れた。

 一人の男が振るう破壊の魔法によって。

 男が振るった力によって、橋は壊れ、軽石のように宙を舞った巨大な橋の破片が崖下に消えた。

 馬が十歩も駆ける間の出来事。それは短い時間の話だ。


「現実の出来事だとは信じ切れぬ」


 齢九十近くなって思い出も多々あるが、これほどの衝撃は久しぶりだ。

 強い風が吹いて最後まで残っていた白い煙がはれる。

 崖の向こう岸が見えたとき、そこに立っていたのは一人の男だけだった。

 忘れようもない若者。

 それは、百名近い決死隊を犠牲とし、最後の企みとしてソレル公爵に接近した策に割り込んだ男。


「奴だけがいる。では、あれは死んだということか?」


 目をこらし、崖向こうに一人……ジル・オイラスだけを認めた私は、横に馬をとめたグラウズへ問う。


「さぁ、どうでもいい。光輝の賢者は出がらしであって、すでに利用価値はないのである」


 グラウズがニヤニヤと笑って答えた。

 こいつの部下がいうには、この笑みに悪気は無いらしい。

 尊敬すべき人間であるとスティミス伯爵を評しています……などと説明を受けたが、本当かどうか。

 私の倍はある巨漢のグラウズは、馬上で窮屈そうに口ヒゲをいじっている。鼻下でピンと左右に張ったヒゲを触るのが癖らしい。

 その右手には複雑に輝く黄金の手甲。

 セーヌー公爵より預かった神器であり、あらゆる攻撃をはじく盾を呼び出す効果をもっている。それが彼を象徴する。

 その信頼と高い立場、それから実力。

 グラウズの視線は、ジル・オイラスを物珍しげに眺めていた。


「ソレル領を裏切り、相手にされぬまま死ぬか」


 主人を失った馬が崖のそばでうろつく様をみて、私は静かに呟いた。

 光輝の賢者……名前は忘れたが実力があるようには見えた。

 それが橋の破壊も阻止できず、そして橋の破片が落ちている間に倒された。


「同情で、あるか?」

「阿呆扱いするなよ。まだボケておらぬ。力が無いことを確認しただけだ」


 ニヤニヤと笑みをうかべるグラウズに、不快感を隠さず答える。

 勝手に突っ走った若造の生死など知らぬ。

 そもそも、他人を見下してばかりの態度は心底嫌だった。死んでいれば良いのだ。

 賢者というものは、どいつもこいつも人を不快にさせる。

 だから不快感にまかせて、ジル・オイラスへ戦いを挑んだ阿呆への言葉を続けた。


「ははっ、光輝のあれの惨めさに笑みを押さえられなかったくらいだ。あのソレルにて名のある貴族が、いまや田舎貴族として馬鹿にされ、空回りする姿は滑稽に重ね滑稽」


 ソレル領に火を放ち、それを功績にセーヌー公爵に下ったという話にあきれるほかない。

 かって、おびただしい竜騎士の群れをつれて、晴れの日を曇りに変える陰鬱の公爵領と恐れられた大ソレルの面影すらない。

 ソレル領にて名門の家であることを誇っていたが、そのソレル領を失ってなんとするのか。

 自分の土台を壊して誇る阿呆のどこが賢者というのか。


「小娘の下につけぬので、故郷を焼いてきたという言葉は確かに愚かであるな」


 グラウズも同感のようだ。

 それからため息交じりの嘲笑。

 欠片ほども惜しいと考えていない。奴の賢者としての知見は、すでにセーヌー公爵らにとっては不要というわけだ。


「だが、あの小僧はどうする? どうでも良いでは済まされぬぞ」


 さて、いない奴のことはどうでも良い。

 今は崖の向こうでこちらの様子をうかがうジル・オイラスの方が問題だ。

 橋を破壊し、光輝の賢者を蹴散らし、まだまだ底を見せぬ男。

 しかも奴がこちらの計画を台無しにしたのは二度目だ。

 私が差し違える決意で臨んだソレル公爵との対峙も、あれのせいで徒労に終わった。


「確かにシラフでは勝てんであろうな」


 グラウズはニヤニヤ笑いのまま答えた。

 奴に勝てるというのか?

 巨大な橋を容易く破壊した状況を見ても、なお?

 まったくもって信じられない。

 だが、冗談ではないのだろう。

 その自信はどこから来るのか?

 合唱魔法、神器、それとも別の何かか。


「勝てぬというであれば、奴は放置か。ワシは従うほかないが、大軍が無駄に終わってよいのか?」


 だが、それでは困る。

 放置ということは、進軍もしないという事になる。

 スティミス領はソレル軍に蹂躙された。略奪などはされてはいないが、大ソレル領の恐怖を想起させる振る舞いは放っておけん。

 それはセーヌー公爵もそうであるはずだ。そうでなければ、大軍を動かさないだろう。

 橋を壊されて進軍はできません……では済まされぬ。軍を動かすだけで相当な金が動いている。今回のそれはすべてセーヌー公爵の負担だ。

 利益を出せねば、セーヌー公爵の損失は計り知れぬことになる。


「放置しかないであろうな。古来より力で押さえられぬのであれば、知にて、政治にて押さえるしかない」

「いかにとりつくろうても橋は壊れた。そちらに即効性のある策がないのであれば、魔法により精鋭を進めたとしても、ジル・オイラスに進軍は阻止される」

「左様。ここは一度引くしかないのである。しかし……だな。それにしても残念だ」

「あと少しだった」

「それもそうではあるのだが……いや、ワインがな」

「ワイン?」

「よいワインが手に入ると思ったのであるが」


 私は進軍の話をしている。

 だが、グラウズはワイン……酒の話を口にする。


「ふざけているのか?」

「おぉ、そうであるな。失敬失敬、順序だてて話そうか。


 グラウズは余裕の表情を崩すことなく軽い調子で続ける。


「ソレルの土地では、とてもよいブドウが育つ。それはセーヌー領では得られぬものなのだ」

「ブドウが惜しいと?」

「うむ。ソレル領がどうなろうが知らぬ。統治もは面倒であるし、儲けにもならぬ。世の安寧などセーヌー領には関係がない。だが、うまいワインはな……セーヌー公も楽しみしていたのであるが、残念だ」


 声を殺して笑うグラウズをみて恐怖した。

 背後に視線をやって続々と集結しつつある騎馬兵をみて考える。

 セーヌー公爵の目的はソレル領ではなかった。現在の王権を維持するための侵攻でもなかった。

 ブドウ? ワイン? それだけのために、中央から北西の軍を動かしたのか?

 つまりは領地にも世界のありようにも関心がない。

 そのうえ、金銭的な損失を気にもとめていない。

 想像よりも遙かに……財力があるようだ。


「つまらん冗談だ」


 グラウズの言葉は真実だと確信はあった。

 だが、いわずにはいられず、つい責めるような口調になった。


「あぁ、すまぬ。確かにスティミス伯の前で非礼だったであるな」


 グラウズはニヤニヤと笑って答え、それから崖から遠ざかるように馬を進めた。

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