閑話 善意のはじまり
――ビカロに告げる、お前は監獄にて罪を償え
怪盗と呼ばれ、恐れと尊敬を集めたビカロは仲間の裏切りにあって、捕らえられた。
そして多くの人が見守るなか、何も無い広場で独り裁きをうけて投獄された。
捕縛された日、そして裁きを受けた日、両方とも晴れた日だった。
ビカロはそれから晴れた日が嫌いになった。
「目障りな青空だ」
独房で彼は悪態をついた。
採光窓ごしに見える青空へ向かって。
声には強い不満が込められていた。裁きの結果に不満があった。
処刑されたかったのだ。
彼は全てを失っていた。盗みを共にする仲間も、生きがいであった妹も、失っていた。
だから罪を償うことに興味はなかった。償っても意味が無いと思った。
ビカロにとって生きていることが辛かった。
「つまらない」
いくら虚空に向かって不満を言っても、意味は無い。
石の独房で出来ることは少ない。
嫌いな青空を見つづけるか、それとも何かを考えて過ごすか。
彼は後者を選択して、溜め息をついた。
思い返してみてもつまらない人生だと思った。
役人の両親は彼を厳しくしつけた。娯楽の無い幼少期だった。
「正しく生きろ。お前にはその価値がある」
両親はよく彼に言った。それは才気あふれる彼への期待からだった。
言葉だけではなく、一挙手一投足にいたるまで両親のしつけは厳しかった。
その両親が死んだのは15歳のときだ。
正しく生きろとあれほど言っていた両親は、裏金作りに手を染めていた。
汚れた仲間に、裏切られ、始末されたというのが両親が死に至った真相だった。
その後、彼は生きるために金を盗んだ。
役人だった父を裏切り死においやった男から、金を盗んだ。
「どうやって?」
最初の盗みの時、寝室に現れたビカロに対し父の友人が言った。
「貴方達の友情が偽物だったからです。偽の友情を演出するため、私達一家を家へと招いたから……流行の館は腐るほどみることができました。意図せぬ下調べができたから、忍び込みました」
そんな彼らに皮肉まじりに応えることができて、ビカロは爽快な気分になった。
それからも、父の同僚達から金を盗んだ。彼にとっては楽しい復讐だった。
ところが、ビカロにとって予想外の事がおきた。
なぜか周りの人間は彼をもてはやしたのだ。悪い役人から金を盗む義賊だと喝采をあげ、彼の顔を夢想し噂した。
彼にとってはむなしい賞賛だった。
「これ兄さんの顔だって、変なの」
どこか楽しんでいる妹の言葉だけが慰めだった。
そしてむなしい日々はあっけなく終わった。
仲間からの裏切りにあった。
その裏切りはとても計画的なもので、彼らが最初からそのつもりであったと、しばらくして気がついた。地下にもぐる者達にとって、ビカロは貴族の一人にすぎなかった。
結局のところ、ビカロは最初から最後まで、仲間ではなかった。
そしてビカロは捕らえられた。そして妹は殺された。
父親は同僚から、自分は盗賊仲間から……裏切りにあう血筋だったとビカロは自分を罵った。
「目障りな青空だ」
裏切りにあった日を思い出してビカロは苛ついた。
妹の最後を思い出して、胸にこみ上げるものを感じた。
「兄さん、ごめん」
妹の声を思い出した。
「俺は死にたいんだよ」
独房の採光窓からのぞく青空に向かってビカロは悪態をついた。
綺麗な青空は何もこたえない。
何もすることがなく、彼はいつものように独房の中央に座り込む。
あぐらをかいて、窓から見える空と流れる雲を見る。
青空は嫌いなのに、空をみるくらいしか暇が潰せない。
まるで悪夢だ。面倒なことに、寝ても覚めても悪夢は続く。
『コンコン』
ノックの音が響き、鉄扉が小さく震えた。
悪夢が途切れた気がした。
「お食事です」
妹の面影を感じる声だとビカロは思う。
その声の主はクリエだったが、その名前をビカロは忘れていた。
だけれど、悪夢にまみれた独房生活で、彼女の声だけが彼の救いだった。
「あぁ」
妹の事を思い出して、ビカロは上手くしゃべれない。
「お元気そうで良かったです」
「そうか……」
「えぇ。ずっと心配していたのです」
「そうか」
鉄扉の下にある隙間からパンと水の入ったツボが差し入れされる。
ズリズリとツボが床をこする音がした。
ツボとパンに加え、クッキーがあった。
「立て続けだな」
どういうわけだ?
ビカロは首をかしげる。
食事に申し訳程度のお菓子付き。先日につづき二度目だ。
彼は困惑していた。
「え?」
「小せぇ菓子だよな。こんなので喜ぶと思ってんのかなぁ」
「ごめんなさい。私の給金ではそれが精一杯で……」
クリエの言葉に、ビカロは自分の思い違いを察した。
クッキーは監獄が用意したものではなかった。
それは彼女が自分の為に購入したものだ。なまじ妹を想起する声なだけに、ビカロは失言を酷く後悔した。
「そんなつもりじゃ……」
自分に優しくしてくれる人がいるとは思わなかったのだと、ビカロは続けたかった。
だが声が出なかった。
「いえ。もっと多くないとダメですよね」
声音から申し訳無いという彼女の気持ちが伝わってきた。
冗談のつもりだった……とビカロは言いたいが上手く口が動かない。
そして、彼が混乱の中で何も言えないうちにクリエは去って行った。
「駄目だな……俺は」
自嘲しながら彼はクッキーをかじる。
カリッという音が独房に響いた。
「ううっ……」
ビカロは嗚咽した。いつのまにか泣いていた。
小さなクッキーが嬉しかった。
他人からの優しさが無性に嬉しかった。
「せめてクッキーのお礼くらいはしようか」
随分と時がすぎて、青空が夜空に変わった頃、気が抜けた表情でビカロは言った。




