幻獣
ボクは鉄扉を見つめて独房をいったりきたり。
早くクリエが来ないかなとそわそわしていた。
チャドとルルカンは床で横並びになって、ボクを目で追っている。
右左、右左と、シンクロする動きで頭を振る二匹を見て、仲がいいなと思った。
ともかくボクは、そわそわと彼女を待っていた。
とっておきの話題を思いついていたのだ。
「肉が来ないんだが」
野太い男の声が背後から聞こえたのは、そんな時だ。
「ん?」
声の主はすぐにわかった。
だけど言っている意味がわからない。
面倒くさい。
とりあえず無視を決め込むことにしよう。
「肉が来ないと言っているのだが。賢者の塔のてっぺんで吠えた。それから何度も床を叩いたが、反応無しで不快だ」
「ボクが監獄にいるのに、反応があるわけ無いだろう。きっと、いつも来ている人達は、ボクが連行されたから来るのを止めたと思うよ」
「そこは、ジル坊が責任をもって対処すべきでは?」
「いや。急に連れてこられたし、肉よりボクの事を心配しろよ」
ボクは鉄扉から目を移さないまま答えた。
「ジル坊がどこにで暮らそうが構わないが、俺のために毎日の食事は手配すべきではないか?」
「知るかボケ」
『カンカン』
ボクが面倒な友人と話をしていると、鉄扉がノックされる。
クリエだ。
「ジルー」
「あ、ちょっと待って」
弾んだクリエの声に慌てて応える。それから背後に向かって手を振った。だらんと指を下に向けて静かに振って、何処かにいけとジェスチャーで伝える。
「誰か来たのか?」
タッと小さな足音がして、声の主が近づいてきたのがわかった。
直後、ボクの横を真っ白い犬が通り抜ける。
犬というよりも狼。それは膝丈ほどのサイズで、雪のように真っ白な体をしている。
ガラス玉のように透き通った青い瞳で、ボクを一瞥した狼は、まるで獲物を見つけた猟犬のように頭を低くしてゆっくりと進む。
それから、ネズミサイズまで小さくなって鉄扉の下に空いた空間をくぐり抜けた。
「あっ、わわっ。え? ジルの新しい友達?」
鉄扉の向こうからクリエの声がした。
驚いてはいるが、とても楽しげな声だ。
続いて、鉄扉の隙間から白い狼の頭が飛び出す。
そいつは口を歪めて「ニチャリ」と笑った。そして再び鉄扉の向こうに姿を消す。
「うむ。俺は幻獣フェンリル、ジル・オイラスの知人にして導くモノなり。娘、名は?」
それからヤツの声が聞こえた。
「えっ? 幻獣様? フェンリル?」
観念してクリエに紹介することにした。
溜め息まじりに「本物だよ。そいつは幻獣」と、投げやりに伝える。
幻獣は、光と闇の女神様と共に世界を造り出した存在だ。
大小様々、数多くの種が存在し、自然現象を司る。話ができる幻獣、できない幻獣と、知能面でも様々だけれど、土地によっては信仰の対象だ。
「あっ、はい、クリエです。ただのクリエでございます」
扉の向こうでフェンリルがどのような姿をしているのかわからない。
だけれどクリエは怯えた口調で答えていた。
きっと怖い姿で彼女の前に現れて、上から見下ろして話をしているのだろう。
もう少し親しみやすい態度で接しろと、フェンリルに対し心の中で悪態をつく。
「良い名だ」
もっともフェンリルにボクの想いは伝わらない。やつは偉そうに言うと、再び鉄扉の隙間から顔だけ覗かせて「良いこと考えた」と言って消えた。
青い瞳と大きな口が笑みの表情を浮かべ、ひどく楽しそうだ。
絶対にロクな事を考えていない。
「娘。俺はここでしばらく過ごす事にした。いろいろ頼む事もある。責任者へ取り次げ」
やはりというか、なんと言うか。フェンリルはクリエの立場を考えることなく命令した。
まったくクリエにとっては災難だ。他の仕事もあるはずなのに。
とは言っても無理な注文ではない。この件で、クリエが怒られることはないだろう。
幻獣は、歓迎される存在だ。怒らせて凶悪な力を振るわれるのを避ける意味合いもある。
それに幻獣は、長期間一カ所に留まることはめったにないし、過剰な要求もしない。
逆に魔物を追い払うこともある。
だから、歓迎される。
「あっ、はい、ただいま」
クリエはかしこまった口調で、すぐに駆け出していった。
去って行く彼女の足音と、それを追うフェンリルの足音はすぐに聞こえなくなった。
「あっ、今日の食事……」
ボクが大事な事に気がついたのは、しばらく経ってのち。
「ごめん、ジル。あの……」
彼女が戻ってきて、パンと水を差しだしたのは、日が落ちてのこと。
フェンリルは、無事に監獄に滞在することになったらしい。
なんでも、今は看守と待遇について話をしているのだとか。どうせうまい肉を毎日よこせとねだっているのだろう。
「ボクの心配ではなくて、食事をねだりにやってくるとは……」
少しだけ期待していた「あいつ」ことフェンリルは、ボクの事なんてどうでも良かったらしい。それに、どうせ、暇になってボクやクリエにちょっかいを出すに違いない。
二人の会話も今日で終わりな気がする。
まったくもって忌ま忌ましい。
なにはともあれ、フェンリルは監獄にいついて、ボクと一緒に過ごすこととなった。




