第肆拾玖巻 侵入者 浮き立つ気持ち
49 第肆拾玖巻 侵入者 浮き立つ気持ち
「ちっ、さっきより霧が濃くなってきやがったぜ」
砦の壁をロープで越え、敷地内を歩き回っている最中、忌々し気に吐き捨てるように野盗の男の一人が言った。
ある程度の霧は侵入しようとする方から見れば都合がいいが、あまりにも霧が濃くては足元すら怪しくなる。
少し前まで霧が薄くなりつつあったのに、気が付けばまた急に霧が濃くなってきた気がする。
だが、この霧、何か様子がおかしい。
「ぺっ、ぺっ、これ、霧じゃなくて砂だ」
一人の男が口の中に入ってしまった砂を吐き出す様に何度も地面に唾を吐く。
他の男達も気が付いたようで、口元を抑えたり、目を細めたりして砂の霧の影響を少しでも避けようとし始めた。
「ちくしょう! 何なんだよこれはいったい?」
「知るかよ! それより早くここから抜け出して、建物の中にでも入り込まねえと砂まみれだぞ!」
「そんなこと、言われなくったってわかってんだよ! けどよ、どっちに行けば建物があるんだよ!」
口々に男達が叫ぶ。
そんな時。
ドーン! ドーン!
霧の向こうから響く音があった。
「あっちから太鼓の音がするぞ!」
「じゃあ砦もあっちか」
「おい待て! 無闇に動くのは危険だ」
この一団の中でも年長者にあたる白髪白髭の男が止めに入る。
「けどよ、ここにいてこのまま砂まみれになるのはまっぴらごめんだぜ」
しかし、そんな言葉聞いてられっかと言わんばかりに、一人の男が音のした方向に向かって歩き始めた。
すると、次々と他の男達がそれに倣う。
まるで何かに引き寄せられるかのように。
その違和感に気が付いた古株の男は若手の男達が吸い寄せられるように向かっていく先を目を凝らして見据えた。
すると霧の中、男達の向かおうとしている先、そこに見えたのは思わず見とれてしまうような美しい女が微笑を浮かべて立っている光景だった。
年のころは17・8歳くらいだろうか?
何か鼻孔にでも届くのか、離れているにも拘らずその女の発する香しい匂いの様なものに引き寄せられて男達がフラフラと歩み寄って行く。
「おっ、おい待て!」
野盗の中でも年かさの言った古株らしき男が若い下っ端の野盗達を再度制止しようとする。
だが、耳に入ってはいないのか、浮かされたような表情で吸い寄せられていった。
と、次の瞬間。
ドボンという音とともに、野盗達が次々と足元が砂の霧で見えにくかったために分からなかった一部砦内を通って流れている川へと落ちて行った。
「あとは砂羅ちゃん、小雨さん、津渦波ちゃん、嘉良波ちゃん、お任せしますね」
『川姫』の姫香は満足気な笑みを浮かべ歩きながら、川の中ほどへと声を掛ける。
「分かりました姫香さん」
「ええ」
「は~い、おまかせあれ!」
「分かった。フンフン♪ヒョウヒョウ♪」
男から見ればそこには誰もいないはずなのに、眼前の美少女が誰かに語り掛けると、川の中程から複数の声が聞こえてきた。
何れも、若い女の声のようである。
その川の中には、
「お帰りなさいませ下手人様! 水中メイド喫茶『どざえもん』へようこそ!」
『河童』の津渦波が男を思わぬ力で水中に引き摺りこみながら楽しそうに見事な営業用スマイルでもてなす。
「津渦波ちゃん、お店の名前、あまり美しくありませんよ。」
それに対し『砂ふらし』の砂羅が同じく野盗の男の一人を沈めながら異議を唱える。
「えーっ、ダメ? インパクトはあるとおもうんだけどなあ」
「インパクトも大事ですが、イメージも大事かと」
「『魔冥途』は?♪」
呑気なトーンで『ガラッパ』の嘉良波も店名をつけるべく砂羅に聞いてくる。
「ありきたり過ぎますね」
「それだと、冥途のお土産、何にしよう?」
「こいつらになら、そこいら辺の川の石で『地獄名物・賽の河原の石』とでも言って置けばいいんじゃない? 大きくなっても、親不幸なのはかわらないのだから」
『コサメ小女郎』の小雨が鉈を片手に蔑む様に男達を見ながら、投げ槍気味に言い放つ。
「産地の偽装は駄目ですよ」
なんとも緊張感のない呑気なやり取りが聞こえてくる。
だが、女の子たちがしていることは実に凄惨な光景であった。
その様子を川岸から眺めていた姫香に突然、剣が振り落とされた。
姫香の色香に惑わされなかった古株の野盗のおとこであった。
姫香は読んでいたのか、慌てることなく胸元から一本の細い糸を取り出し両手で張り、古株の男の剣を受け止めようと構えた。
「ふざけるな! そんなもんで儂の剣が止められるものか!」
案の定。
糸程度では剣の刃を防ぐことは出来ず、糸は切られてしまう。
だが、姫香には剣の刃は届かなかったようで、後ろへと飛びのき、砂の霧で足元が見えにくいが、川の上らしき所へと降り立つ。
「何だと! どうやって水の上に!?」
そう、姫香は野盗の男の言った通り水の上に立つと、男に向かって穏やかに微笑みを返して見せた。
(特殊なスキル持ちか)
どうやっているのかは分からないが、先ほども若い連中をこの手を使って川へ落としたのかと白髪白髭の古株の男は理解した。
次の瞬間。
姫香は川の上を走り男の元へと接近する。
「馬鹿が、素手で何が出来る」
男はすかさず構え直し、剣を振るう体勢を取り、走りくる姫香を待ち構える。
「糸斬り刀では私を斬ることは出来ませぬよ」
「ほざけ!」
男が剣を一閃する。
だが次の瞬間。
男は驚愕に目を見開いていた。
女がその小さく柔らかそうな手の平で自分の剣を止め、穏やかな微笑すら浮かべていたからである。
「もう、いったではありませんか。「糸斬り刀では私を斬ることは出来ませぬよ」って。聞こえませんでしたか、お・じ・さ・ま」
「くっ!」
怒りに唇をかむ男。
(これもスキルか。なら、糸を切っていない剣でなら)
それでも長年の経験か、咄嗟に懐からダガーを引き抜き、姫香の胸元へと突き出そうとする。
男のダガーが姫香の胸元へと吸い込まれていく。
「ぐがあっ!」
だが、その直後霧の中から短剣が飛んできて、次々と男の身体に突き刺さっていった。
その数三本。
男はその場に崩れ落ち、しばらくしてこと切れた。
姫香はその様子を何の感慨も無く見つめた後、そのさらに後方、霧の中へと目線を向ける。
やがて、霧の中から短剣を持った快活そうな少女が姿を現した。
『虚空太鼓』の空であった。
姫香は空の元に歩み寄り、ニコリと微笑む。
「助かりました空さん」
「何てことないさね。それに余計な手出しだったんじゃないかい?」
くるくると手に持った短剣をもてあそびながら空が姫香に応える。
「いえいえ、そんな事ありませんよ。とても助かりましたわ。お礼に今度川遊びでもご一緒にいかがです?」
「勘弁しておくれでないかい、あたしは基本的に水辺は苦手なんだよ」
空は苦い顔をして肩をすくめる。
「もったいないですね。スタイルおよろしいのに」
姫香は心底そう思っていた。
だが、空の正体である『虚空太鼓』は安芸の宮島の軽業師の一行が運悪く瀬戸の荒潮を渡ろうとした際、嵐に重なり船諸共海中へと飲まれたとき、沈みゆく船の上で最後まで助けを求めて太鼓を叩き続けていたという悲劇から生じた妖怪である。それが故に空は川や海などの水上を苦手としている。できれば川べりもあまり長居したくはないようである。
「これでこの辺の掃除は終わったかね」
なので、空は話題を切り替えた。
「そうですね」
「それにしても……なあ、砂羅、そろそろこの『砂の霧』を止めておくれでないかい」
「そうですね。霧は兎も角、砂はちょっと、髪の毛が……そうです。後で皆でお風呂に入りましょう! お風呂は好きでしょ空さんも」
良い事を想い付いたと言わんばかりにポンと手を合わせる姫香を隣に、空は川の中で戯れている『砂ふらし』の砂羅に向かって声を掛けるのだった。
◇
別の場所では野盗の男は一人、周囲を警戒しながら先を進んでいた。
一緒に行動していた連中はすでに皆好き勝手に砦内へと散っていっている。
全く協調性のない行動であるが、この男も気にした様子はまるでない。
むしろ、これ幸いに自由に動けるとたの男達が向かっていない砦の奥の方から攻めようと歩みを進めていた。
男も普段なら単独での行動は控えるべきところだが、今回は事前情報で若い女だけと聞いている。
それならば、一人でもどうとでもなるし、むしろ一人の方が美味しい思いを独占できそうだと打算を巡らす。
そうして、野盗の男は一応用心しながら辺りを伺い、敷地内の奥へと向かい気配を殺しつつ先に進む。
「えっと、ごめんなさ~い」
所が突然、暗がりから男に対して声が掛かる。
若い女の声だ。
野盗の男は咄嗟に警戒を強め、きょろきょろと辺りを見渡すが声の主の姿はない。
「あわわわっ!」
今度は間近、野盗の男の頭上から声がした。
「咄嗟に目線を上げる。
すると、
「むぐぐっ!」
次の瞬間には野盗の男の眼前は何かに覆われた。
視界が効かず、続いて何か柔らかい物で顔中を塞がれた感覚がする。
息苦しさにもがき呼吸をする最中、そこはかとなく甘いミルクのような良い香りも鼻孔に吸い込んでいた。
と、同時に何かにしがみ付かれたように方から上、頭に重みが掛かる。
そのまま体勢が崩れ、後方へとその何かにのしかかれたように倒れ込んでいく。
「ぐふっ!」
背中から地面に倒れ込み、したたかに背中を撃ったが、幸いなことに柔らかい土と草のおかげで一応無事ではあった。
しかし、上半身にのしかかられた重みで圧迫され、ハイカラ息が漏れる。
見れば『飛倉』の毘駆羅が野盗の男の一人を胸で押し倒して圧迫しているところであった。
毘駆羅はそのまま倒れ込んだ姿勢で馬乗りになった状態で野盗の男を抑え込む。
野盗の男もその拘束から逃れようとジタバタともがくが、か弱そうな少女のはずなのに、抑え込まれたままでその拘束から脱出できずにいた。
いや、視界が塞がれているため、未だに自分の身に何が起こったのか正確には把握出来てはいないのかもしれない。
「えっと、それでは頂きま~す」
両手を合わせてお辞儀をすると、毘駆羅は野盗の男の頭を胸に抱え込んだまま持ち上げ、その首筋に、先の尖った筒の様なものをプスリと突き立て、見る見るうちに男の血を吸い上げて行った。
チュルルルルー
「うぐっ!」
一瞬ビクッとなり、野盗の男が動けないまま、苦悶の呻き声を上げる。
「えっと、「いただきます」って良い言葉ですよね。生きとし生けるものの命から、糧を得ることに感謝する言葉」
男のそんな反応にもお構いなしに毘駆羅は夕食を続けながら、相手が効いている聞いていないに関わらずにお喋りを始める。
そしてまた、筒に口を着け、チューチューと吸い始めた。
ほどなくして、
「ぷはあ!」
見た目年頃の乙女らしからぬ、少々お行儀悪く声を上げ、筒から口を離し口元の血を拭う。
「えっと、ごちそうさまでした~!」
再び、両手を合わせ礼儀正しく食後の言葉を述べ、動かなくなった食べ物からのき、立ち上がって見下ろす。
「えっと、典人様から頂くわけにはいかなかったので、久しぶりの新鮮な血液でした。本当にありがとうございました」
とても感謝していると伝わって来る心からの感謝の言葉である。
だが、心からの言葉は野盗の男に響く事はないだろう。
なぜなら、その感謝の言葉を向けられた野盗の男は顔面が蒼白となっていたからだ。
いや、すでにこと切れ、息すらしてはいなかった。
毘駆羅はそんなものには気にした様子も無く砦の方に振り返り、
「えっと、おかわりは、っと」
辺りをキョロキョロとし始める。
美少女の胸の中という、おそらくはこの砦に押し入った野盗の中では一番幸せな最期を迎えたであろう男を尻目に、毘駆羅は次の獲物を物色するために歩き出していた。
「えっと、折角の時間無制限飲み放題なんですから元を取らないと」
……ドリンクバーの如く。




