#03
アパートの玄関を開けると俺がいた。台所のテーブル。冷蔵庫との間、二つ置いた椅子の内、奥の方に腰をかけて、俺がいた。思わず、大きな声が出る。
「お、お前」
「よう、なんだ、そんなに驚くなよ」
「驚くなよって言ったって、目の前に俺がいたら、お、驚くに決まってるだろうが」
「そりゃ、そうだな」
「双子、な筈は無いし。もしかして、俺は死ぬのか?」
「なんでそう思う?」
「自分の分身を見た人間は死ぬ、と聞いた事がある」
「ドッペルゲンガーか。確かに、聞いた事があるな。お前、物知りなんだな。だが安心しな、俺を見たくらいじゃ、お前は死なねぇよ」
「本当か」
俺は何故かほっとした気持ちになって玄関で靴を脱いだ。常識で考えれば、到底理解できない事でも、どこかの感覚を遮断し麻痺させる事で、人は大抵の事を受容する。
俺の顔をした俺は、黒のスーツに黒の細身のタイをだらしなく絞めていた。親父の葬式の時に着たやつだと俺は思い出した。
「本当だって。で、そんな事よりも、どうなんだ?」
「どうなんだ、って何だよ」
俺は俺の質問に訊き返しながら、買ってきたコンビニ袋をテーブルの上に乱暴に置いた。中に入っている三本のカップ酒がぶつかり、ガシャガシャと音を立てた。
「決まってるだろ、お前の使命だよ」
「俺の使命」
「めんどくせぇな、お前には、この星を守るっていう使命があるだろうがよ」
「この星を守る」
「おいおい、起きてんのかよ。今何時だよ、午後一時半だろ、しゃきっとしろよ」
タバコのヤニで色の変わった壁に掛けられた時計に目をやると、確かに一時半をちょっと過ぎた辺りだった。
「あぁ、悪い」
「で、どうなんだよ」
「何をしたらいいのかわからないんだ」
「かっ、やっぱな。だと思ったぜ。どんだけ待ってみても、変身しねぇわけだ」
「変身?」
俺の脳裏に、あのヒーローの人形が浮かび上がった。色褪せた人形だったが、擦れた部分や触った時の質感だとかが妙にリアルに思い出せた。
「お前には、この星を守るって使命があるわけだろ」
「あぁ」
「だったら、するだろ、変身」
「そういうものなのか」
「めんどくせぇな。いいか、よく聞け。この星を守るって事は、逆にいえばこの星を滅ぼそうとしているやつらがいるって事だ。で、そいつらと戦うには、どうする?」
チカチカと明滅しながらベルトの風車が勢いよく回る、あの映像が思い浮かんだ。
「変・・身」
「そうだよ!わかってんじゃねぇか、変身するんだよ!」
「・・どうやって?」
「どうやって、だって?おいおい、大丈夫なのか、この人。変身の仕方まで俺が教えてやらなきゃならねぇのか。何だお前、あれか、ゆとり世代ってやつか」
「そんなわけないだろ」
「じゃ、なんだ、今までお前の人生、答えを親から教えてもらいながら、ぬくぬく生きてきたクチか?」
「そんなつもりはないが」
「だったら考えろ、変身の仕方は人それぞれだ、そして何に変身するのかも」
「そういうものなのか」
「そういうもんなんだよ」
何に変身するかも、どうやってするかもわからないのに、どうしろっていうんだ、俺はぶつぶつと独り言を言っていると「おっと、何やらちょうどいいのが、やって来たぜ」とスーツ姿の俺がその口元を緩めた。
程なくしてカンカンと鉄製の階段を上ってくる音がして、その音は通路を歩く足音に変わる。やがてそれはドンドンというドアを叩く音に変わった。
「あの、大家の佐々木ですけど、ちょっとドアを開けてもらえます?」
「大家のジジィだぜ」
「なんだって、大家が」
「聞いてみろよ」
俺は仕方なく、ドア越しに返事した。
「なんでしょう?」
「あぁ、あのね、ちょっとアンタの部屋がうるさいってね、周りから苦情が来てるんだわ」
「ウチが、ですか。何かの間違いじゃないですかね」
「いや、間違いじゃなくて、とりあえず開けてもらっていいですか。こんなドア越しに、ってのも何なんで」
「来たぜ、敵が」
スーツ姿の俺は笑いながら、俺の反応を見ている様だった。
「敵、だって?」
「あぁ、あんな風に言ってるが、あいつは敵だ、恐らく変身する前のお前を狙ってきたに違ぇねぇ」
「そんなバカな」
「バカだと思うなら、開けてみろよ」
俺はそっとドアに近づくと、覗き窓に顔を寄せた。魚眼レンズで歪に拡大されていたのは、小太りで頭の薄い、見覚えのある大家の顔だった。俺は少しだけほっとしながら「やっぱり何かの間違いだって」と言いながら振り返った。
すぐ目の前に俺の顔があった。歪んだ歯並びの悪い俺の顔があった。俺は驚いて声を出しそうになったが、何とかそれを飲み込むと、努めて冷静を装いながら「何かの間違いだ」と言った。
「だったら、開けてみろ」俺が笑う。
「間違いに決まってる」
「だったら、開けてみろ」俺が笑う。
「間違いに・・・・決まってる」
「だったら、開けてみろよ」
薄ら笑いを浮かべた俺の顔。何が何だかよくわからなかった。夢でも見ているのか、そんな風に思えてきた。大体、俺がもう一人いて、この部屋で俺を待っているなんて、どういう事なのか。
俺は俺を睨むと「あぁ、開けてやるよ」と啖呵を切った。台所のテーブルの上、無造作に置かれたコンビニの袋に目をやった。中から一本のカップ酒を取り出すと、勢いよく蓋を開けた。小刻みに揺れている自分の右手に力を込めると、それを一気にあおった。喉元から全身の隅々へと燃料が行き渡っていく。着火。身体の中心に火が灯る。力が、漲ってくる。俺が、本当の俺に変わっていく。
俺を見ていた俺が、にやりと笑う。
「きたぞ、変身だ」




