エピローグ 駿河御前 旭姫
エピローグ 駿河御前 旭姫
慶長八年(一六〇三)、徳川家康は征夷大将軍となった。
長い年月をかけ、家康は天下をその手に収めた。幾多の戦をくぐり抜け、人の心を読み、時を待ち、ついに徳川の世の礎を築いたのである。
けれど、その日を旭姫が見ることはなかった。
彼女がこの世を去ってから、すでに十三年の歳月が流れていた。
もし、あの世から夫の姿を眺めていたなら、旭姫は何を思っただろう。
兄・秀吉が望んだ天下は、やがて徳川の手に渡った。
自分が嫁いだ家康は、ついに将軍となった。
それを喜んだのか。
それとも、何か言い残したかったのか。
今となっては、誰にも分からない。
ただ、旭姫の生涯を、政略結婚という言葉だけで片づけてしまうのは、あまりに惜しい。
尾張の農家に生まれた娘が、兄の出世と天下の動きに翻弄されながらも、徳川家康の妻となり、駿府城に住まい、「駿河御前」と呼ばれるまでになった。
それは、決して小さな変化ではなかった。
もちろん、それがすべて彼女の望んだ人生だったとは言い切れない。望まぬこともあっただろう。胸にしまい、誰にも語らなかった思いもあったに違いない。
それでも、彼女の人生を、不幸という一言だけで語ることもできない。
彼女は、時代に動かされた人であると同時に、その時代を生き抜いた一人の人間だった。
そして、旭姫の名は、一つの場所だけにとどまってはいない。
彼女の墓所は、二箇所に伝えられている。
なぜ、二つの場所にその名が残ったのか。
そこには、どのような祈りが込められていたのか。
伝えられた記録だけでは、すべてを知ることはできない。
けれど、二つの墓所が今に伝わるということは、彼女が歴史の中から完全に消えてしまったわけではないことを、静かに教えてくれる。
豊臣秀吉の妹。
徳川家康の妻。
そして、駿河御前。
いくつもの呼び名を持ちながら、旭姫は、そのどれか一つだけで語り尽くせる女性ではなかった。
尾張の地に生まれ、時代の大きな流れの中を歩き、駿府の城に暮らした一人の女。
彼女が何を喜び、何を悲しみ、何を胸にしまったのか。そのすべてを、私たちは知ることができない。
それでも、彼女が確かに生きていたことは、忘れずにいたい。
駿河御前、旭姫。
天下の歴史の中で、彼女の歩いた道は、険しかったにちがいないだろう。




